もともと、私は「脱学校論」をずーっと研究していた。
そのため、「学校批判」「教育批判」系の本は昔から大好きだった。

本書『バカをつくる学校』も、そんな理由で読んでいて楽しくなる本の一つ。

 私の考えを理論的、あるいは比喩的に表現すれば、教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。つまり、油絵では、キャンパスに絵の具という素材を「加える」ことでイメージが生まれるが、彫刻では、素材を「削る」ことによって、石の中に閉じ込められたイメージが浮かび上がる。ここに決定的な違いがある。
私は自分の専門知識を子どもに押しつけるのをやめた。その代わりに、彼らの本来の才能を邪魔しているものを取り除こうとした。私にとって、教師の仕事は、もはや教室で生徒に知識を授けることではなくなった。学校は今もその無益な教育方針を続けているが、私はこうした教育の伝統をできるだけ打ち破り、生徒ひとりひとりの可能性を引き出そうとした。(15)

私たちが「教育」と呼んでいるものは、じつは世界最大のビジネスの一つであり、そこには伝統的な地域社会の価値観とは相容れない、制度の価値観がある。この百五十年間、学校の主な目的は、子どもたちに経済的成功のための準備をさせることだった。(129)

学校は巨大なメカニズムとして、人びとを全面的な管理に従わせ、死ぬまで幼稚でいさせようとする。彼らが必要とするのは未熟な人間だ。なぜなら、成熟した人間や成熟しようとする人間は、そうした管理を拒むからである。「品質」であれ何であれ、全面的な管理の下では、人は成長できない。しかし、大量生産経済を維持するためなら、どんなことも許されるのだ。(174)

この手の本は、「制度」の裏側を暴露している意味で面白い。
しかし、ある意味「禁じ手」でもあり、欺瞞的でもある。

「制度」の裏側を示している自分は、「制度」側の人間ではないよ。
自分は「制度」に絡め取られず、自分の意志を貫いているヒーローだよ。

なぜかしら、そのような色がついてしまうのが気になるところである。

 

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Gatto, John Taylor, 2005, “Dumbing Us Down–The Hidden Curriculum of Compulsory Schooling”, New Society Publishrers.