この前、あるセミナーで「ノミの話」を聞いた。
ノミの体長は3ミリ。
でも、身長をはるかに超える2メートルくらいジャンプすることができる、という。
単純計算すると、2000ミリ÷3ミリ=666.666・・・
つまり、自分の身長の667倍もの高さまでジャンプできる。
そんなノミを小さな箱に入れておくと、はじめは壁にぶつかるまでジャンプするが(自分の身長の667倍まで飛ぶのだから、朝飯前)、だんだん壁にぶつからない程度まで手加減して跳ぶようになる、という。
そんなノミは、箱のフタをとっても、「壁にぶつからない」レベルまでしかジャンプしなくなる。
では、そんなノミを再び667倍まで跳べるようにするにはどうするか?
セミナーのテーマはそこにあった。
どうすればいいだろうか?
それは、【ふつうのノミを箱に入れ、そのノミが普通にジャンプするのをみること】である。
「もうこれ以上跳べない」というのを否定してくれるのが、新たに入ってきたノミである。
教育もまた、同じ。
「跳べない」と思っている人には、「跳べる」「カンタンにできるよ」という仲間を見せること。
松下村塾もそうだけど、案外狭い所・知り合い同士のコミュニティから、「すごい人」は頻発する。
それは「あのあいつが上手くいったんだから、オレもできるだろう」という思い込みである。
進学校で有名な学校から、なぜ東大合格者・京大合格者が出るか?
それは「あのバカな先輩でも東大に受かった」というのを後輩が見ているからである。
実際、私の高校時代も、「あの人も合格したんだから、私も・・・」というのを感じたことがある。
身近にいる「上手くいっている人」を見て、「あの人にできるんだから自分もできる」と解釈をすること。
実はこれ、すごく大切なことだと思う。
「上手くいっている人」を「ずるい」「悔しい」「腹立たしい」と思うと、「自分もできる」とは思えない。
「上手くいっている人」を見て、「自分もできるはず」と思えること。
これこそ大事だ。
箱以上にジャンプするノミを見て「ずるい」「悔しい」「腹立たしい」とノミは思わない。
ただ自分も真似てみるだけである。
人間はムダに「思考」があるから、できるはずのこともできなくなる。
「あの人にできるんだから自分もできる」。
なにげに大事な言葉だと思います。