ヒーローって、なんだろう?
ウルトラマン?
仮面ライダー?
それとも007のジェームス・ボンド、
あるいは大阪の橋下市長?
本日3/21(土)、「読書会@札幌-帯広」にて、
反貧困ネットワークの湯浅誠氏の『ヒーローを待っていても世界は変わらない』読書会を開催しました。
>本書についての私の書評はこちら。
さて、今回の読書会の議論をまとめた部分が以下に当たります。
読書会の大きなテーマは「これからの市民活動のあり方とは?」。
大きくわけて2つの立場が出ました。
(A)自分たちのために社会を変えていく組織・団体をイチから作るパターン
(B)既存の組織で活動をしていくパターン
(A)は、例えば湯浅誠氏の反貧困ネットワークやこの日本ノマド・エジュケーション協会のように、「なにもないところから」「ゼロベースで」作っていった組織のこと。
ここには今回のような読書会のほか、自発的なボランティアなどが入ります。
(A)の立場はラクでなおかつ楽しいこと。
(B)と違い、「〜〜月には・・・をしないといけない」というのが無い。
なおかつ、自分たちの好きでできる。
その一方、自分に全く関係を感じられない人、言ってしまえば社会的弱者に活動が届かない。
一方、(B)の立場には町内会や行政組織、学校のPTAなど、歴史と伝統あふれる組織が当てはまる。
ある意味、企業で働くのも(B)のパターン。
(B)は決まり事だらけ。
やりたくないこともたくさんある。
でも。
昔からあるし、歴史と伝統、そして信頼があるため、社会的弱者にも届きやすい。
誰かが「やらなけれればならない」からこそ、本当に助けが必要な人に届く。
その代わり、「やらなけれればならない」と決まっていることをわざわざやるのは、いくら社会貢献のためとはいえツラいし楽しくない。
(B)の立場を取る人が「楽しい」と思える仕組みづくりが必要でしょう。
例)PTA会長になると、「入学式でスピーチしてください」がよく来るが、それを言い訳に学校にいき、いろんな教員と関わり、学校の様子が分かる、等。
私は昔から、(B)の立場に何の魅力も感じていない。
どうせなら、「必要とされそうなことをイチからやっていく!」ほうが楽しい。
でも、この場合、「必要とされそうなこと」が、本当に「必要とされそうな人」に届かない場合がある。
難しい。
だからこそ、市民活動には(A)のものも(B)のものも必要なのでしょう。
でも私はやっぱり(A)がいいなあ。