2008年 6月 の投稿一覧

佐藤優『国家論』

佐藤優の『国家論』を読んだ。レジのカウンター待ちだったので「結語」だけ。

"首相になるとかというのはまだまだ小さい目標だ。世界から暴力を無くすというような究極的な目標をもつべきだ。そうすれば大きな視点から現実の問題を楽に解ける。究極的な目標を皆がエゴとなるレベルまで持てば、世界の問題は解決できる。そのためには一人ひとりを尊重しゆく姿勢が重要だ"

私も人がバカにするようなほど、大きな目標をもとうと考えた。究極的な目標を

買ってゆっくりと読みたい、と思った。

コルとグルントウィ

デンマークの教育者・グルントウィ。その後継者、コル。

ホルケホイスコーレという国民高等学校を作った師弟である。「民衆を賢明に」との思いが込められていた。

グルントウィの思想への共鳴者は多かった。しかしそのまま実践に移したのは30も歳の離れたコルだけであった。

誠の教育実践者は数少ない。しかし私はコルの如くありたい。学術界で世界平和を目指すものとして。

きばつなかっこう

子ども用の辞書・三省堂学習国語百科事典。

奇抜、の説明に次の写真。いやっ、これ写真にしなくていいから!

人を大切にする

日本は人口減社会に突入。喜ばしきこと。
何故なら、その分、一人の人を大事に出来るようになるから。

10年前自閉症の人はめったにスーパーで雇われなかった。人手不足のいま、黙々と同じ作業を継続してくれる自閉症の人が注目されている。

かつては人よりも「仕事」が重要であった。

人口減は、プラスの働きもするのである。

碩学の印象

2週間前の日曜、東京シューレ葛飾中学校へいった。1年間の活動報告会だ。

教育学の大家・大田尭先生も来ていた。

90になってもかくしゃくとして、教育のあるべき姿を語る。吾人も、かく老いたし、と感じた。

11年目のサカキバラ

1997年も、神戸が揺れた

 「サカキバラ」事件を、覚えておられるだろうか。漢字で書けば酒鬼薔薇。1997(平成9)年に日本中を震撼させた事件だ。「酒鬼薔薇事件」は通称で、正式名称は神戸連続児童殺傷事件という。1997527日、市内の中学校正門前で小学校6年生児童の頭部が発見される。口には2枚の犯行声明文。1枚の紙には、「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと、という名前があり、もう1枚には次の内容が書かれていた。

「さあ、ゲームの始まりです/警察諸君、私を止めてみたまえ/人の死が見たくてしょうがない/私は殺しが愉快でたまらない/積年の大怨に流血の裁きを/SHOOLL KILL/学校殺死の酒鬼薔薇」

注…shoollschoolの書きまちがえだと言われる。またこの声明文は、さまざまな書籍などの引用から構成されている。

 この事件の3ヶ月前の2月10日と316日。神戸市内ではハンマーによる通り魔事件が起きていた。当初、20代から30代の男性が犯人像であったが、被疑者として捕まったのは14歳の少年。いわゆる、「少年A」とされる人物だ。冒頭の殺害事件と、同一人物による犯行であった。

事件当時、昭和632月生まれの私は小学校4年生であった。郷里は兵庫である。といっても、神戸まで2時間は車でかかる片田舎だ。四方は山に囲まれている。家に鍵をかけずとも、盗みを働く者がいないほど、のどかなところだ。事件が起きることもほとんどない。

それでも、この酒鬼薔薇事件のあと、犯人がつかまるまで、「登下校の際、不審者に十分気をつけること」と注意されていた。防犯ブザーも支給され、集団登校に加え、集団下校が義務づけられた。「まっすぐ家に帰りなさい」としつこく注意を受けた。酒鬼薔薇事件は私にとっても、身近な問題であったのだ。

子どもを見ない教育思想家たち

 この事件から、11星霜。少年Aは成人し、社会にも復帰した。このあいだに、「17歳の犯罪」を始めとする少年犯罪が、週刊誌・ワイドショーを賑わした。少年法の改正も、この11年間の出来事だ。

酒鬼薔薇事件は、教育行政のあり方を再考させるきっかけともなったようだ。どこか心に影を持った存在として、子どもが認識されるようになった。思想界も同様に、子どもへのまなざしが変化した。この酒鬼薔薇事件は重要なインパクトを今なお持っているのである。

教育学者・佐藤学の著書に、『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)という対談集がある。佐藤氏のおこなってきた、さまざまなフィールドの知識人との対談を納めてある本で、何度も対談のテーマになっているのは、本稿で示した酒鬼薔薇事件だ。1997年の事件発生直後の対談も、入っていた。以下は、19971121日の『週刊 読書人』掲載分の写真家の藤原新也との対談だ。

佐藤:中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません。とくに「透明な存在」(藤本注 酒鬼薔薇が自身の説明の中で使った言葉)というのは人ごとではない。一触即発すれば、自分たちの中でも起こりうる事件としてとらえている。教師たちは、その部分をある程度感じ取ってはいるんだけれど、どう受け止めていいかとまどっている。(34項)

この部分を良く見てほしい。「中学生、高校生の多くは、この事件を他人事と考えていません」とある。どの中学生・高校生も、少年Aのような行動に走る可能性があるということを、中高生たちが自覚している、というのである。このような論調は、「まじめそうな子がキレると、何をするかわからない」などと、ほかの多くの少年犯罪報道でもいわれている。

ところで、酒鬼薔薇事件があった当時、いまの大学生は小中学生だった。酒鬼薔薇のすぐ下の年代だ。つまり、当時の知識人にとって、我々の世代は「誰もが酒鬼薔薇になりうる存在」、と見られていたのである。

けれど、本当に自分たちは当時、「酒鬼薔薇は他人事でない」と考えたであろうか? 私には、そんな記憶がない。周りの友人に聞いてみても、いなかった。私は、「酒鬼薔薇事件は酒鬼薔薇本人、つまり『少年A』という一人の異常者が犯行を行っていた」ものと考えていた。自分が酒鬼薔薇と同じ要素を持つとは、考えたこともない。しかし、佐藤学や彼の対談者は、“今の子どもたち皆に、少年Aの要素がそなわっている”と考えているようだった。

 この佐藤学と同様の主張をした人物は、多くいた。1997年のニュース番組内で、佐藤学同様か、それ以上の主張をした者もいるのである。いわゆる知識人の、ラジカルさを思う。たった一人の例から、多くの人々に敷衍させる。少年Aという「異常者」の犯行を見て、「子どもは皆、少年Aになりうる」と考えてしまう。

 実際、酒鬼薔薇事件を見て、当時の知識人たちは気味の悪さを感じたのだろう。「いまの子どもは変だ」、と。しかし、早急すぎる発想ではないか。私という、酒鬼薔薇事件を「『自分たちの中で』『起こり』えない事件だ」と考えた子どもがいたのだから。

異常者の行動が、世に広まる時代

なぜ、思想家をはじめとする知識人は、ラジカルに子どもを見てしまうのか。私は、マスメディアの発達(特にテレビジョン)が理由であると考える。

私の認識の中では、異常者は常に社会にいた。けれどかつてはマスメディアの発達が無く、その異常者のおこした犯行が世のなかに知れ渡らなかった。日本国内の一地方の事件が、日本津々浦々まで浸透することは、マスメディアの発達するまでなかったはずである(赤穂浪士レベルならあるかもしれない)。近年のマスメディアの発達により、1人の異常者の行動が、日本中に知れ渡るようになった。そのため、通常ならば「少年Aが異常だった」となっていたものを、「今の子どもたちは、どこか心に闇をもっている」と大人たちが考えるようになったのではないか、と思うのである。

日本において、もっとも少年犯罪が多く、凶悪であった時代はいつかご存知だろうか。1997年? 違う。現在? ノン。正解は終戦直後。少年による万引きはもちろん、放火・強盗・殺人などが、現在の基準よりはるかに多かった。それだけを見ても、少年犯罪が凶悪化しているとはいえないはずである。「生きるために必死だった」といえばそれまでだが、「最近、少年犯罪は凶悪化している」「少年犯罪の数が増えている」というとき、人々は終戦直後のことを考えていない。凶悪な一部の少年犯罪を何度も報道することで、いまの子どもたち皆が凶悪に見えてしまうのである。

ともあれ、知識人による「最近の子どもたちは、酒鬼薔薇を人ごとだと思っていない」というラジカルな認識は、マスメディアの発達が支えているのである。

 

ひとりを見て、勝手に全体を判断してはいないか?

たった1人を見て、全体を判断する。酒鬼薔薇事件において、知識人たちが使った発想である。「酒鬼薔薇と同じ要素を、いまの子どもは皆が持っている」、と。一度考えてしまうと、もうこの発想から離れられなくなる。子どもを薄気味悪く感じるようになる。発想の「例外」にあたる人物が多いときも、「例外」が見えなくなってしまう。一人ひとりと会って、話さなければ分からないことが現実には多いにもかかわらず、一度決め付けてしまうと、すべてがそう見えてくる。「実際に子どもたちと話して、確認してみよう」とは思わなくなる。

 私は別に当時、少年Aに心引かれることも、あこがれることも無かった。心に闇を持っていた記憶がない。というより、あれだけ1997年は酒鬼薔薇事件がとりただされたにもかかわらず、少年Aと同じ世代が普通に成人を迎えている昨今に、「いまの20代の若者は、心に闇をもっている」という言説を聞くことが無い。

 知識人たちは、何かと子どもを悪者や「劣ったもの」と見る傾向があるのではないかと、感じる。少年Aひとりから、今の社会の子どもたちみなを推し量ることはできないはずである。けれど、どうも知識人という人々は直に子どもたちと会って、「酒鬼薔薇って、どう思う?」と聞きに行かないようである。

参考文献:

佐藤学著『身体のダイアローグ』(2002年、太郎次郎社)

『無限回廊』WEBサイトhttps://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/koube.htm

「羅生門的アプローチ」は、「藪の中」に潜んでいるのか?映画『羅生門』(1950年)

 日本にクロサワあり、と西欧に知らしめた作品、それが映画「羅生門」。映画「羅生門」は、芥川の小説『羅生門』(きっと国語の教科書で習ったことがあるはず)の設定から「羅生門の下で話をする」部分だけ借りてきている。そして男たちが門の下で話す内容が芥川の別の小説『藪の中』のストーリイなのである。なかなか、ややこしい話ではあるが、要はこの映画の原作は芥川の『藪の中』なのだ。

 この作品、日本ではあまりはやらなかったが、海外の映画祭で絶賛(ヴェネツィア映画祭でグランプリを受賞)された。教育界にも影響があり、教授法として「羅生門的アプローチ」と命名されているものがある。この命名、私も教育学部に入ってからの疑問であったが、ようやく晴れた。「人によって見方が違う、やり方が違う」ということを、非常に比喩的にまとめた言葉であったのだ。

 

映画の内容。山奥で、男の死体が見つかる。この殺人事件に関わった人物が、検非違使、今でいう裁判所で、次々証言していく。「私が男を殺した」という人物が二人もいる。ありえないことだが、「殺された男」までも、霊媒師の口を借りて証言するのだからレベルが高い。そしてその証言が、互いに食い違う。丁寧に、その証言に合わせて映像を作っている。事件関係者の性格が、語る人次第で別のものとなる。

原作では「殺された男が真実を語っている」ように読めるのだが、映画はもっと凝っている。「人間は自分自身にさえ、白状しないものだ」、「人は都合のいい嘘を本当と思う。そのほうが楽だからだ」等々、登場人物たちの発言も面白い。案外人間の記憶はあてにならないことが示されていく。

果たして男を殺したのは誰なのか。そしてどういう経緯で犯行がおこなわれたのか。真実が明らかになった後、事件関係者たちの発言を振り返れば、どの人物の発言にも一定の真実があったことに気づける。

検非違使の法廷で関係者の聴取が行われる際、後ろに「目撃者」2人が常にじっと座っている。特に動きもしないが、とにかくじっと座っている。真っ白い庭に2人が常に事件関係者を見つめているという構図が、非常に印象的であった。

 

実はこの映画、最後まで見れなかった。中央図書館のAVルーム使用時間が来てしまい、再生開始80分目でストップがかかった。WEB上のレビューで見る限り、ラスト8分で人間への希望(この映画では人間の醜さが、美しい映像の中で描かれていた)が語られるとのこと。早く観てしまいたい。これほど、58年前の映画に引き込まれるとは、思ってもみなかったからだ。

追記

●ブログで過去の自分の記述を見ると、いささか気恥ずかしくなる。

「よくもまあ、こんな文章を人様の前に晒す気になったものだ」と感心してしまう。

●実際に『羅生門』のラストシーンを確認してみる。「ヒューマニティー溢れる」内容ではあった。けれど、その前段階で終ってしまっても良かったような気がする。

ラストを見逃した映画。ラストを見ない方がよいこともある。

自殺・じさつ・ジサツ 映画『The Bridge』(2005年)より

 郷里・兵庫の八千代町。この隣町に、湖があった。名を翠明湖(すいめいこ)という。陸上部時代、この湖の周辺を走っていた。巨大な橋が、湖を横断している。その上を走るとき、なぜかしら寒気がしていた。立ち止まり、覗き込めば吸い込まれそうになる。この「巨大さ」がもたらす怖さと相まって、この橋からひとが何人も身を投げた、という事実が私に寒気をもたらしたのだろう。小学校時代の先輩も、この橋から飛び降り、命を絶った。どういう事情だったかは未だに知らない。映画『The Bridge』は忘れかけていた、私の中学時代の記憶を呼び戻してくれた。

 アメリカ・カリフォルニア州・サンフランシスコに架かる、ゴールデン・ゲートブリッジ。「太平洋からサンフランシスコ湾に入る通路をなす海峡」(『広辞苑』第5版)、金門海峡の上にある。年間900万人が観光に訪れる。2004年はそのうち、24名が橋から身を投げた。この橋で命を断った人の数は、1250名になる(映画より)。水面まで67メートル。即死。世界最大の自殺の名所、と映画では言っていた(私は東京のJR中央線だと思う)。

 ゴールデン・ゲートブリッジに設置した4台の定点カメラが、橋を写し続けた。映画は、定点カメラ映像と、自殺者に近しい人たちのインタビューから構成されている。映画冒頭、中年男性がいきなり橋の欄干を飛び越え、落ちていく。あまりにショッキングだ。午前4時に映画を観ていると思えぬほど、衝撃を受けた。

 観ていて気づいた点。よく晴れた日に、人びとは自殺している。カリフォルニアに晴れが多いから、当然といえばそうであるが、インパクトがある。自殺はじめじめした、暗い天気の日にやるもの、というイメージが私にあった。まさに飛び込む瞬間を見ていた人のコメントに、‘笑顔で飛び込んでいった’とあったことも印象的であった。 
 気づいた点の2つ目。自殺者に近しい人たちは、自殺前に、何らかの兆候を受け取っているようだった。たとえば‘俺はもうすぐ自殺する。ピストルでは汚れてイヤだ’などの直接的な表現。これが数年前から続いていた。回想し、「もっと愛があれば…」など、近しい人たちが後悔の念を吐露するシーンもあった。

 「本作の目的は自殺問題に答えを出すというより、我々の社会と自殺について問題提起をすることなんだ」とは、DVD収録・監督来日インタビューの言葉である。自殺は身近にある。にもかかわらず、人びとの関心をあまり引かない。日本では交通事故死は年間5000件程度。自殺は3万人。「自殺に悩む人がオープンに話せる環境づくりや彼らをポジティブに支援する方法が必要だ」とも監督はいう。

 カリフォルニアの快晴をバックに、何人も海に飛び込んでいく。しかし、我々は自殺を暗闇で、ひっそりと行われるもの、と考えている。自殺を考える人は、別の世界にいる、というように。無論、人が観ていないところで通常は自殺が起こっている。物置で、自室で、森の中で、自殺はひっそりと行われる。けれど、自殺は陰に隠すべきものではない。交通事故と同じく、あるいはそれ以上にありうべきことである。社会でも対策を採っていくべきだ。「自殺」というテーマを広く社会で議論しあっていくべきだ。カリフォルニアの太陽のように、白日の下に晒すのだ。「現実や真実を見ることを拒否するのは、助けやケアを必要としてる人びとに対しひどい仕打ちをすることになるんだ」(監督インタビューより)。

 ドキュメンタリーの目的は、現実の問題点を多くの人びとに知らしめることにある、と私は考える。編集の仕方によって現実が歪められる可能性はあるものの、ドキュメンタリーでしか伝えられないことがあるはずだ。「知らない」ということは、ある意味で幸せである。「知る」ことには、義務を伴うからだ。知ってしまった以上、何らかのアクションを起こさないことには、被害者に申し訳が立たなくなることがあるのだ。