勉強法

「好きじゃないと、もたない」時代の就労観

〜書評:齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』〜

〈仕事と金儲けは違う。金儲けは何も教えてはくれないが、仕事は生き方を教えてくれる〉。私の私淑する灰谷健次郎の言葉だ。今回取り上げる『私塾のすすめ』には《これからの時代の仕事観》がまとめられていた。内容に感銘を受けすぎて、コメントのしようがない。「金言集」のような物にしてみよう。

梅田:昔に比べて、圧倒的にたくさんの仕事をせざるを得ない。そして会社というのは、結局は営利を求める存在ですから、勤務時間を超えて勝手にたくさん仕事をしている人が、やっぱりいい仕事をすることになって社内競争に勝つ。(中略)だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分とぴったりあったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。朝起きてすぐに、自分を取り巻く仕事のコミュニティと何かやりとりすることを面白いと思える人でなければ、生き残れない。(144項)

梅田:僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。(145項)

齋藤:これからは、梅田さんのおっしゃるように、ここまで社会がスピードアップしてしまうと、「好きじゃないともたない」。「好き」が伴わないと仕事ができないというのは、ある意味で厳しくなってきたというか、がまんすればそれですむという感覚を超えてきたといえますね。そういう厳しい状況になってきたときに、僕は「心の自己浄化装置」が必要になってくると思います。「タフ」というと、最初から動じないという感じですが、タフであるかどうかというより、自分で処理するシステムをもっているかどうか、ということです。(中略)要するに、「なんとか職人」という感じの自己規定をしてみると、腹が決まるというか、逃げ出せなくなって、そうなると、細部に楽しみを見いだすことができるというメリットがあります。(150項)

梅田:すべてはトレードオフですからね。何かを始めようとすれば、何かを諦めなくてはいけない。(180項)
梅田:最近本当に感じるのは、情報の無限性の前に自分は立っているのだなということです。圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない、あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが、恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。ネットの世界というのは、ますます能動性とか積極性とか選択性とか、そういうものを求められていくなと思う。無限と有限のマッピングみたいなことを本当に上手にやらない限り、一日がすぐに終わってしまう。(183項)

齋藤孝ファンの私は、齋藤の名につられてこの本を買ってしまった。しかし、こうして書評を書いてみると、意外に梅田望夫に自分が影響を受けたことを知った。読んでいるときは梅田望夫を気にも留めなかったのに、書評にするときは梅田の言葉で紙が埋まってしまった。対談集を読むことは、知らない作家の本に出会うチャンスをもたらしてくれる物であることに初めて気づいた。
『ウェブ進化論』の著者たる梅田。彼はこれからのネット時代の方向性を語っていける数少ない人物の一人だ。襟を正して梅田の書を読みたい。

 

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齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』
(2008年、ちくま新書)

以下は関係ない文章です。
齋藤:「自己内対話」とは、自分でいつも自分と対話しているということではなくて、自分の中のなかの他社と対話するということです。自分のなかにどれだけ他者を住まわせられているかがポイントとなります。読書というのは、自分のなかに、自分の味方となる他者を住まわせることだと思います。大量に対話した相手というのは、自分のなかに住み込むんですよ。自分のなかに、味方となる他者をたくさんつくっておく。そうすると、現実の他者と話したときに、その人が、他者のうちの「ワン・オブ・ゼム」になるわけです。その人が絶対的ではなくなる。(141項)

梅田:僕は基本的に、ものごとというのは、だいたいのことはうまくいかないという世界観を持って生きていますね。だから、一個でも何かいいことがあったら大喜び。(132項)

齋藤:僕自身はだいたい五年スパンで考えます。たとえば、二十五歳から三十歳は修業期間と考えて、アルバイトをするよりも、自分に資本を蓄積する。僕の場合の資本は、勉強するということだったわけですけれども、生涯すり減ることのない資本を身につける。これはゲーテのアドバイス(「重要なことは、けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ」、『ゲーテとの対話』エッカーマン著、岩波文庫)だったわけですが、このアドバイスを信じていました。自分が勉強したことは、生涯、何かしらのかたちで生きてくるだろう、注ぎ込んだエネルギーが将来金銭的に回収されることはないかもしれないけれど、自分はその時期「思想家」として生きる、みたいに。(122項)

齋藤:梅田さんの言われた「志向性の共同体」に、二十一世紀の希望を感じます。参加していることそれ自体が幸福感をもたらすもの。学ぶということには、そういう祝祭的幸福感があります。学んでいることそれ自体が幸福だと言い切れます。共に学ぶというのがさらに楽しい。できれば、先に行く先行者、師がいて。それが「私塾」の良さです。(195項)
トルストイの〈努力こそ幸福そのもの〉につながる言葉である。

私のスタイルを変えた本

ごく短い人生経験しか持ちえていない私。そのため、「自分の座右の書」や「座右の銘」など、聞かれても出てこない。「私を変えた一冊」なんて、何だろう。
 しかし、話をミクロにかえよう(私はよくマクロ視点とミクロ視点を交互に使おうとしている。マクロで話が詰まればミクロ、と逃げているところもある)。私の人生それ自体を変えた一冊や、何度も読みたいという本はまだ思い浮かばないが、自分の読書スタイルを変えた本なら、一冊ある。それが齋藤孝著『三色ボールペンで読む日本語』である。
 この本はベストセラーとなったので、御存知の人も多いであろう。本を読み、「まあ重要」というところは青、「すごく重要」には赤、「面白い」箇所には緑で線を引くというやり方を提唱した本である。私の読書の仕方は、この本を契機に大きく変わった。まず、「本を買って読もう」と思うようになった。線を引き、自分の形跡の残った本を座右に残しておくために。これは続編の『三色ボールペン情報活用術』に影響されたことでもある。‘よく情報をカードやパソコンに打って活用しよう、という人がいるが、本それ自体を残しておくほうが、情報は活用しやすく、またなくなりにくい’といった内容が書かれていた。
 また、ペンを片手に、本を読む習慣がついた。「お前、こんなに線引いて意味ないだろう」といわれようが、わが道を淡々といけるようになった。本を携帯する習慣がついたため、常にペンも携帯しようと思うようになった。それで私の携帯にはミニ・ボールペンのストラップがついている。
 齋藤氏の著書には、批判もいろいろ寄せられているが、私は『三色』の本がなければ今の自分のスタイルは成立していなかったであろうと実感している。その意味では、齋藤氏に感謝の念でいっぱいである。まんまと齋藤氏の主張にのせられているが、齋藤氏の言う「読書の型」を習得できたことは、自分の財産になっているような気がする。
 齋藤氏以外の読書法の本を、私は死ぬほど読んできた。速読術という怪しげなものにも挑み、それに対抗した「遅読術」なるものにも興味を持ったこともある。「ワルの読書術」は名前に引かれ、「私の読書法」なる本は暫く私の制服のポケットにあった。けれど、結局は高校受験の帰りによんだ『三色』に行き着いてしまうのだ。それだけ、私にマッチしていたのだろう。最近も、少し浮気をしていたが、新たな読書法を教えてくれる本を三色ボールペン方式で読んでいる自分がいて、浮気は駄目だと実感した。
 本を読むときに、ペンを持つ。これだけで、本に対し、意識的に向かえるようになる。意識的にならない読書は、漫然とテレビを見ることに等しい。何か見たような気はしても、結局何も残らない。ついにはコマーシャルや作り手の意図的な編集が、無意識層に残り、私の生活を裏でコントロールするようになる。
 何ももたずに本を読むことは、私にはできない。そんなときでも本の角を折ることで、意識的に本に対抗する。存在論ではないが、本はそれ自体に意味はないと思う。読む側である「私」の存在なくしては、本は単なる所有物やオブジェに過ぎない。「私」が書を開き、そして意識的に読むときに、初めて本は「本」になることができるのであろう。

 先ほどの言を訂正。この本は読書スタイルだけでなく、私がノートを多色ペンで取るようになったきっかけを築いた。また、メモの地色を青にする契機にもなった。私は、小中学生はともかく、高校生にもなってシャーペンを振りかざして学習するのは能率的でないといつも考えている。消しゴムで消したところで、どうせ自分以外誰もこのノートを読まない。だいいち、ノートをユダヤ系三宗教の信者のバイブルの如く、何度も読むなんてことは恐らく無いはずだ。ならば、ボールペンでシャッと二重線で訂正する。このほうがシンプルだ。

クリップボード

最近、マイブームの文房具がある。それはクリップボードである。

携帯簡単、シンプル、使いやすい、用途が多いといいとこずくめである。

メリット1 メモしやすい

メリット2 膝の上に置けば机がわりになり、本読み・書き物が電車内でもしやすい

メリット3 うちわになる
メリット4 お知らせしたい紙を飛ばないように押さえられる。

その他、多くの使い道が見つかる。だから常に鞄にいれ、使える機会がいつか考察中である。

それにしても、シンプルなものほど使い勝手や用途がいいのは何故だろう。クリップボードは下敷きにクリップが付いただけなのに。

ちなみに、100均でなく、文具店できちんとしたのを買った方が使いやすい。ほとんどの文具にあてはまることなれども。

筆記用具による、学習の効率化

小学生は、よくおもちゃのような文房具を使う。キャラクター系のものだ。むろん、勉強が楽しくなるというメリットはある。しかし、いかんせん使い勝手が悪い。消しゴムは字を消せず、シャーペンはよく詰まる。

この傾向、中学飛び越え高校、大学、一般企業でも残る。使い勝手で文房具を選ばない。

文房具は、いわば仕事道具、戦争で言うなら武器である。手入れや選択を誤ること、これイコール死を意味する。時間を殺すことになっているのだ。

だから、勉強しよう、学ぼう、もっと仕事しようというなら、まず文房具を変えるべきである。

自分は、昔から文房具フェチであった。今でも、フラッと文具店に行ってしまう。そして何かしらいい文房具がないか探している。

自分のいま使っている「武器」は、
①ゼブラ「クリップ・オン・マルチ」
②三菱鉛筆「ジェットストリーム」
である。

①ゼブラ「クリップ・オン・マルチ」
→3年前から使用。あらゆる4色ペンのなかで、(まだラミー2000を買える境涯でないので、いまのところ)NO.1の完成度であると考える。4色ペンは、齋藤孝教授の『3色ボールペンで読む日本語』以来、使うようになった。4色色分けできると、もう筆箱は不要になる。
 このクリップ・オンには、シャープペンもついている。あらゆるシーンで活用できる。ポケットに1本、これがあるだけで、いつでも学べる。これは大きい。筆箱から色ペンを探す時間も節約できる。
 おまけに、このペンはクリップもこだわっている。金属性クリップだから、どこにも挟め、おまけに強い!
 一度使ってみて欲しい。もう、他のペンを持つ必要がなくなる。
 詳細は↓

クリップオンマルチ
https://www.zebra.co.jp/pro/clipon_multi/index.html

②三菱鉛筆「ジェットストリーム」
→書き味が、超滑らか。一度使うと、病み付きになる。①とどう併用するか、考察中である。
 ちなみに、字の太さ1ミリタイプがお勧め。太いと引っ掛かりがほとんどなく、ジェットストリームらしさが存分に出ている。
 詳細は↓

ジェットストリーム
https://www.mpuni.co.jp/product/category/ball_pen/jetstream/index.html

 長くなってしまった。要は自分にあった文房具を探し出し、使ってみよということだ。
 文房具はいつも使うものだ。自分に合うものを使うほうが、ストレスなく使える。