「ノマドというのはこの本の冒頭でも説明したように、昔は単なる「遊牧民」を意味していました。しかし社会がだんだん固定化され、産業革命を経て人々が工場労働などに携わるようになって自由な生き方が難しくなってくるにつれ、ノマドは別の意味を持つようになっていきました。つまりは自由の象徴、この圧政と隷従の社会からの闘争の象徴としてのノマドなのです」(223-224)
佐々木俊尚, 2009, 『仕事をするのにオフィスはいらない――ノマドワーキングのすすめ』光文社.
いままでの教育は「学校」や「しくみ」に縛られてきました。
同じような人たちと、同じ教室で同じ時間を過ごすことが「学習」だと、定義づけられていました。
学校のみでしか学習が存在しない状態。
イリイチの脱学校論が批判したのはその点です(『脱学校の社会』)。
イリイチは、人間一人ひとりが持つ「学校」に縛られない自由な学び・生き方を考えたものでした。
ノマド・エジュケーション協会は、イリイチの発想を引き継ぎ、真に自由な学び・自由な教育を実現することを目指しています。
「場所」「空間」や「時間」「お金」「権力」「構造」を乗り越えた、「自由な学び」。
それを私は「ノマド・エジュケーション」と名づけました。
そんな「ノマド・エジュケーション」についてみなさんと一緒に考えていきたい。
そう思い、協会を設立しました。
私は大学-大学院で「自由な学び」を研究してきました。
ちょうど昨今では「ノマド・ワーキング」がもてはやされております。
会社を超え、人と人をつなぎ、いつでも・どこでも、場所と時間を超えて働くという生き方です。
私はすごく憧れがあります。
ですが、これを仕事に限定するのはもったいないと思います。
いつでも・どこでも、時間・場所・職種・性別・年齢を超え、学びたい人がつながり学び合う。
こういう関係って、素敵じゃないですか?
私はそう思います。
私はその先駆として「ノマド・ティーチャー」になる予定です。
学校や塾、職場を超え、学ぶことの楽しさ・人とつながる面白さを最大限に伝えていきたいのです。
ノマド・エジュケーションは一人での学習ではありません。
他者と自由につながりあい、
「学びながら働く」
「働きながら学ぶ」
「ビジネスを起こす」を、
大人-子ども-高齢者の枠を超え、行なっていく。
…純粋に、楽しくないですか?
一つの場を作ると、そこには権力関係が成立します。
学校は自由な場ではありません。
教員-生徒という「権力関係」があるからです。
「自由な学び」とは、「権力関係」の成立しない学びでもあります。
であれば、「権力関係」を起こす張本人である「学校」を超えることが必要です。
特定の教育的関係の場しかなければ、学び手は行き詰まります。
家庭-仕事だけの関係では、人間関係が固定化されます。
ときにはドロドロした醜悪な人間関係になります。
私は特定の場にこだわりたくはありません。
人と人が自由につながりあり、ネットワークを作り、その中で自由に学べる環境を作りたいのです。
人と人がつながるなかで、新たな学びが生じる。
それがイリイチの最終的な主張でありました。
このプロセスのなかで、自分にとって最善の「学校」が現出するのではないか、と私は考えております。
喫茶店で、コーヒーを飲みながら、「ついで」に授業をする。
そんな学校って、楽しくないですか?
2012年4月21日
第2稿 2013年1月11日
事務局長 藤本研一