フリースクールの定義は、はっきりいって様々である。
https://nak-koharubi.blogspot.com/2009/04/blog-post_11.htmlの小中さんのブログには、フリースクールについて次の定義を紹介していた。
今回は「フリースクール」について社会学事典をもとに、みていきたいとおもう。
フリースクール(藤田悟)
標 準規格があるわけではないが、ニール(Alexander Sutherland Neil1883~1973)が1920年代に創設した英国のサマーヒル校がフリースクールの代表的存在といえよう。サマヒルの特徴は、授業の出席が生徒 の自由にまかされていること、学校運営が教員と生徒の自治によること、の二点。ニールは学習指導の方法に関しては個々の教員にまかせ、「サマヒルの授業形 態」といったものを開発することに関心を示さなかった。生徒の成長し学習しようとする内発性と、生徒と生徒、生徒と教師の人間関係が優先すると考えたので ある。サマヒルは、米国の進歩主義教育やわが国の大正自由教育と同じく、第一次世界大戦後の自由な気運のなかで、またフロイト心理学の影響を色濃く受けつ つ生まれたものであるが、ニールのSummerhillの出版(1960)が英米を中心に大きな反響を呼び、公民権運動、反戦平和の動き、エコロジー運動 などの流れと結びついて、さまざまなタイプの私立のフリースクールが1960年代末から70年代の初めにかけて何千とつくられた。これらは財政難や内部的 不一致などのため多くは短命に終わったが、一部は現在も存続しており、また、公立の学校のなかにフリースクール的な要素が取り入れられてもいる。わが国で も教育の荒廃が叫ばれるなか、1983年、フリースクール研究会が発足、教育に自由を求めて活動しているが、オープンシステム、シュタイナー学校、フレネ 教育、インディビジュアル・エデュケーション、学習交換、さらにはホームスクーリングまで、幅広い関心がゆるやかにつながるネットワークとして機能してい る。子どもの登校拒否などから親が単独ないしは共同で無認可のフリースクールをつくる例も現れている。そうしたなかから、子どもを大人の思うとおりの鋳型 にはめ込み選別しようとする上からの教育ではなく、大人も子どもとの関係のなかで活性化され豊かになってゆく「共育」こそが求められているのではないかと いう、教育の止揚へと向かう論点も出はじめている。(見田・栗原ほか編『社会学事典』弘文堂、1988年、771頁。)フリースクールはサマーヒル学園に端を発し、公教育との差別化をはかりながら、社会の変化に応じて増減を繰り返した。その流れの中で現在は、フリースクー ル以外にも教育を多様化する機会や場が少なからずもできてきている。この事実に対して、藤田はこうした多様化による「教育」自体の相対化を達成し、そこか らアウフヘーベンすることの論点を模索する段階に現在は至っていると分析している。
しかし、私は学校化社会という公教育に対する絶対 的な信仰があるかぎり、人びとの教育観に大きな変化は起きないであろうと感じている。なぜなら近代からはじまる学校は、その建築、間取りなどからみるよう に画一的であり、100年以上も大きな変化を遂げなかった。そして、私たちはそのことに疑問をもつこともないのだ。
それほど、私たちの内面は学校化されているのだ。
さてさて、続いて日本のフリースクールの基本モデルとして東京シューレをみていこう。東京シューレの人たちはどのような定義を使っているのであろうか。「東京シューレ総合ホームページ」から見てみよう。
フリースクールって何ですか?
一般に、子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校を指して言うことが多いです。政府・行政が設置した学校(レギュラースクー ル)に対して、民間の手でつくった学校を指して言う場合もあります。イギリスのニイルによるサマーヒルスクールが有名ですが、欧米を中心に数多くありま す。
日本でも「フリースクール」を掲げるところが多くありますが、「不登校の子どもの行くところ(学校、施設、塾)」というイメージで語られることも多くあり ます。もとは、日本の不登校(登校拒否)の増加を背景に、シューレのように子ども中心に創った居場所を「フリースクール」と呼ぶようになりました(フリー スペースと称しているところもあります)。ここから、「不登校の子どもの行く所=フリースクール」という発想も生まれてきました。「不登校の子どもがいる から」という理由のみで、フリースクールを掲げているところもあります。概念が混乱している状況がみられます。
このため、「不登校の子どもの通う場所」という意味で学校復帰や生活矯正などを目的とする場所を「フリースクール」と呼ばれてしまう傾向もあります。現在、日本の子ども中心の考え方でやっているフリースクール・フリースペースがつながって「フリースクール全国ネットワーク」を結成しています。また、世 界的にも毎年「世界フリースクール大会(IDEC)」が開催され、東京シューレも参加しています。2000年には、東京シューレが中心となり日本大会を開 きました。
フリースクールとしての東京シューレの活動について、くわしくはフリースクール東京シューレのページ をごらん下さい。
2007年には、フリースクールのやり方を生かして、日本でも公教育の枠組みの中で「東京シューレ葛飾中学校」をスタートしました。
いかがだっただろうか。東京シューレは「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校」との定義を使っている。逆に言えば、いくら〈自由な学び〉を標榜していたり、〈フリースクール〉という言葉を使っていたとしても、「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す」要素がなければ〈フリースクール〉ではない、ということだ。丹波ナチュラルスクールの事件がそうであった。なお、その提言のページ(リンクはこちら)から興味深い点を引用する。まあ、さっきの東京シューレのいう定義の文章にも同様のものがありますが。
90年代様々な不登校の受け皿が増えるにつれ、不登校の子どもが行くところがフリースクールと呼ばれるようになり概念の混乱が生じています。
社会学事典の引用にも、また東京シューレの出した定義にも、単に「不登校の子どもがいくところ」がフリースクール、という定義は書いていなかった。けれど、世間一般では軽々しくフリースクールの語を使っている。まさに概念の混乱が引き起こされている。