オルタナティブスクール

自由が苦手な/悲しい人間

いままでずっとイリイチの脱学校論について考えてきた。そのイリイチは本来的な学びの復権を訴えている。

 けれど、学校という「装置」はなかなかに優れたものである。まったくやる気のない生徒でも、何かしらかを学ばせ、読み書きやコミュニケーション能力についてを修得できる場所である。また、黙って席に座る能力や、上司の言に従順にしたがう態度を身につけることができる。
イリイチは学校によって「学び」ができなくなるという、「価値の制度化」を主張した。
けれども。私は学校が無くなった社会で、教育クーポンを〈ぽん〉と渡されて「自由に学んでいいよ」といわれたとき、途方に暮れそうな気がしてならない。自由はしんどい。誰かに「何を学ぶのか」決めてもらうほうが簡単だ。イリイチなどの教育学者は「子どもは学びたがっている」という説をよくとるが、私は疑いの目を持っている。強制されない限り、学ぼうとしない子どももいるはずである。
カトリックとプロテスタントの違いを自殺から考えたのがデュルケームであった。カトリックは教会を通じて神とつながるが、プロテスタントは聖書を通じて各個人が直に神とつながる。プロテスタントはどこまでも個人の問題になる分、しんどくなり、自殺するものがカトリックよりも多くなる、と。学びという側面に応用してみよう。学校のある社会がカトリック、ない社会(イリイチのいう脱学校の社会)がプロテスタントだ。自発的に学ぼうとする人間にとってプロテスタントのほうが気楽でいい。けれど自発性の少ない人間(たとえば私など)にとってはカトリックこそ気楽でいい。確かに教えられる内容に不満はあっても、制度に対し不満をぶつけ、愚痴ることができる。プロテスタントではそうはいかない。学ぶ内容全てが自己決定。「自分が悪かった」という後悔をし、自分を責める方向のみに進んでいく。
 私は自分で自分のことを決めるのがしんどくて仕方ない。進学するかどうか、就職先をどこにするか…。いずれも、中世のように「始めから決まっている」方が悩まなくていいから楽である。

 ラーメンズのネタに「プーチンとマーチン」というものがある。You tubeにもアップされている。これは小林と片桐が腕人形をもって掛け合い漫才や歌を演じるコントである。「♫命令されたい/決められたい/自由が苦手な/切ない人間〜」。軽快に2人が歌う。私はこの歌詞を全面的に肯定する。

文献カード 脱学校論、あるいは学校化社会

『教育思想辞典』の「学校化」(87頁)の参考文献(森重雄)より。

●イリイチ『脱学校の社会』所有。
●イリイチ『脱学校化の可能性』
●イリイチ/フレイレ『対話』(野草社、1980)
●イリイチ『シャドウ・ワーク』所有。
●イリイチ『オルターナティヴズ』(新評論、1985)
●ホルト『なんで学校へやるの』(一光社、1984)
●ライマー『学校は死んでいる』
●森重雄「『学校は死んでいる』ライマー」/金子茂ほか編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)
●森重雄「近代・人間・教育」/田中智志編『〈教育〉の解読』(世織書房、1999)
●山本哲士『教育の分水嶺』(せんだん社・三交社、1984)

遠藤克弥監修『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(190頁)より。
●イリイチ『脱学校の社会』
●門眞一郎ほか『不登校を解く』ミネルヴァ書房、1998年
●桜井哲夫『「近代」の意味』日本放送出版協会、1984年
●山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、ちくま書房、1996年
●刈谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年

追記
●私のような一人暮らしの学生にとって、ゴールデンウィークは「時間との闘い」。つまり、いかにして有り余る時間と戦うか、ということである。
 上野千鶴子のいわく、「学問は愉しみのための消費材」(『サヨナラ、学校化社会』太郎次郎社、2002年、109頁)である、と。私が教育学、なかんずく脱学校やフリースクールについて研究(ブログを書いたり、本を読んだり)するとき、ものすごく大量の時間を費やすことができる。暇もつぶれるし、知らぬ間に長時間勉強することができる。こんなにいいことはない。
 学生の皆さん、暇なときは好きな学問をしましょうよ。

『脱学校の社会』を読む④ 58〜70

第二章(58〜70頁)

〈教育において学校に代わるものを捜すためには、われわれが「学校」という場合、それはどういう意味であるかをわれわれの間で一致させることから始めなければならない〉(58頁)
→「やり方」の提示。
→「公立学校の現象学」によって、論を進めることを示す。

1、年齢

●「学校は人々を年齢に応じて、集団に分類する」(59頁)。その分類の〈前提とは、子供は学校に所属する、子供は学校で学習する、子供は学校でのみ教えられることができるというものである。私は、この未検討の前提をまじめに疑ってみる必要があると思う〉(59頁)
●我々は子どもが、「自分の分を知り、子供らしく行動することを期待する」(60頁)
●けれどそもそもは「子供時代」の概念は近代になってから登場したものであり、普遍性はない(アリエスの著作より)。
●「学校制度は、それがつくり出す子供時代と同じように、近代に出現した現象なのである」(61頁)
●子供時代:「重荷」「やむをえずその時代を通過」「子供の役割を果たすことが全然楽しくない」(62頁)ものである。

2、教師と生徒

●「学校は、学習は教授の結果であるという公理に基づいて設けられた制度である」(64頁)
●「われわれが知っていることの大部分は、われわれが学校の外で学習したものである。生徒は、教師がいなくても、否、しばしば教師がいるときでさえも、大部分の学習を独力で行うのである」(同)
●「誰もが、学校の外で、いかに生きるべきかを学習する。われわれは、教師の介入なしに、話すこと、考えること、愛すること、感じること、遊ぶこと、呪うこと、政治にかかわること、および働くことを学習するのである」(同)
●「大人は、自分が受けた学校教育をロマン化して回想する傾向がある」(66頁)
●「生徒が教師から何を学習しようとも、学校は教師のために仕事をつくり出してくれるのである」(同)

3、フルタイムの通学

●〈学校はまさにその性質から、参加者の時間とエネルギーに対して、全面的な要求をする傾向がある。こうして次に、教師は保護者、道徳家、および治療者となるのである〉(67頁)
「保護者としての教師」:「いくつかの基礎的な日常的仕事の訓練をさせる」(67頁)
「道徳家としての教師」:「学校のなかだけでなく、社会全体の中で、何が正しいか、何が誤っているかについて、生徒を教化する」(同)
「治療者としての教師」:「生徒の個人的な生活にまで立ち入って穿鑿(せんさく)する権威を与えられていると感じるのである」(68頁)
→この「治療者」は原典ではセラピストと書かれている。therapyとは「薬や外科手術を用いない治療」(『ジーニアス英和辞典』)を意味する。「治療者」といっても、医者と言うよりはカウンセラーなどのイメージ。
※穿鑿:ほじくりかえすこと。原典ではdelve(ほりさげること)。
●「三つの権限をあわせもつ教師は、法律よりもはるかによけい子供を自由でなくしてしまうのである」

●「学校の教師と教会の牧師は、逃げ出す心配のない聴衆に説教するだけでなく、彼らに相談をしにきた人々の私事にまで立ち入って穿鑿する資格があると考える唯一の専門職業者なのである」(68頁)

●「子供をフルタイムの生徒と定義することにより、教師は学校以外の社会的に隔離された他の制度の監督者が持っている権力よりもはるかに憲法上および慣例上の制限を受けない権力を、生徒に対して行使することを許される」(69頁)
学校へ行くことは、人権の保護のない空間に入れられることである。
→「フルタイム」がポイントか?
●潜在的カリキュラム:「学校教育の儀礼的または儀礼的なものそれ自体」。差別と偏見をもたらす。

森毅『気まぐれのすすめ』ちくま文庫、1993

著者は数学者。数学の専門書とは別に、軽妙なエッセイを多数書いている。氏の文章は高校時代にハマった(無論、エッセイの方)。〈受験当日はマンガを読んで余裕をアピールしろ〉、〈受験とはごまかしの技術。全く勉強していなくても、さも勉強してきたかのように解答すればいい〉。受験についての考え方がラクになった。曲がりなりにも現役で早稲田に合格できた理由の一つに、森氏の本を読んでいたから、という点がある。

森は京大教授。けれどイバる感じが全くない。少なくとも文章には現れない。

どうも、教育界で「問題解決」と聞くと、ソッポを向きたくなる習性が、ぼくにはある。人生の問題が解決されるなら、それはけっこうに違いないが、たかが教育ごときで、そんなことのできるわけがない。しかし、なにかしら、そうした幻想を与えようとする癖が、学校にはある。「生きる力」とか「生活のために」などと聞かされるときの、イカガワシサに似ている。(31頁)

「たかが教育ごとき」。いい言葉だ。教育学者はあまり口にしない。
 
 私が森に注目する理由に、脱学校論的発想をよく口に出しているという点が上げられる。次の文は「価値の制度化」を語っているところと読むことができる。

一般的にいって、管理主義というもののおそろしいのは、管理者が管理主義的になること以上に、被管理者が管理主義的になるところだ。実際に京都大学でも、さまざまの手続きが管理主義的になるにしたがって、手続きにだけ熱中する学生が増えはじめた。大学でなにかを学ぶことよりも、教室に出席しているという手続きが重視される傾向については、京都大学はまだマシなほうなのだそうだ。もっと「民主主義的」な大学になると、出席やなにかの手続きだけ勤勉にオツトメすると、だれでも「民主主義的」に単位のとれる仕組みになっているらしい。
「みんな平等に抑圧されましょう」「みんな民主的に管理されましょう」というのが、民主管理主義教育のスローガンで、このごろ少し目にあまるものがあるのだが、ぼくはそれほど心配していない。こんなアホラシイ状態が続くはずがないと、人間の英知にいくらか期待しているのだ。(114頁)

以下は、いろんな抜粋。

本来の自由というものは、だれかれなしにウロチョロするから、当然にイヤな奴ともつきあうことになるものだ。ケージのなかで安心しているのは、自由ではなくて自閉である。(121)

人間が成長するというのは、なにかの殻をまとうことではなくて、裸のありのままの自分であることによって、さまざまの人間と影響しあい、結果的に成長してしまうのだと思う。それを恐れて殻をまとったところで成長なんかするまい。(…)教師のほうが成長することなしに、生徒を成長させようと思うなんて、あつかましい。それも、成長した結果ではなくて、成長する過程を見ることによってだけ、生徒に影響しうるのだ。(139頁)

考えてみれば、教育にとって、塾の歴史は二千年以上あるが、学校の歴史は二百年ほどなのだ。むしろ、学校というものも、塾の一つの形態にすぎない。
そして、こうした塾について、学校との連係が強くないかぎり、年齢的な制限はない。べつに「子ども」でなくても、お茶や生花の稽古に行く。(143頁)

なんでも説明したがり、そして説明さえすれば相手は納得するはず、と思いこみがちなのも教師の悪癖だろう。それでたいてい、ふだんでも教師は説明癖にとらえられている。
本当のところは、納得というものは、自分の心のなかでなにかがなじんでいく過程であって、教師なりなんなりの説明がたすけになることはあるものの、説明されたから納得するというものでもあるまい。(146頁)

→〈学んだことは教えたことの結果ではない〉という脱学校論に近い。

現在の塾は、まだ学校に従属し、学校に寄生している。それが将来に、学校とは別個のカリキュラムで、学校と同じ時間帯に、学校と競合しあうことを期待しているのだ。現在は過渡期であって、無力な学校の強力な支配があるために、学校の成績を上げるための塾や、学校へ進学するための塾が繁昌している。そのうちには、学校の成績など問題にせず、学校へ進学などしなくてもよいという、独自の文化的価値を主張する塾が多くなるのではなかろうか。(151頁)

→フリースクールというものを見越しての発言であるようだ。いまのフリースクールは「独自の文化的価値」を主張するようになっている。
 この文には印象に残るパーツが幾つもある。手元の文庫本には「無力な学校の強力な支配」というところに、赤丸が何重にも書かれている。
 ちなみに本文章は1984年のもの。奥地圭子が東京シューレを始める前年だ。

人間は異界なしには薄っぺらな存在になってしまうし、まるごと異界に魅せられっぱなしでは仕方ない。(266頁)

人間が人間にものを教えて、教える側がかしこくなれないようなら、教育なんてしんどいことをしなければよいのだ。自分が数学をよくわかるようになるために、数学を教えるのであって、自分がかしこくなれないような教え方は、相手のためにもならない。(242頁)

→森の『ひとりで渡ればあぶなくない』(ちくま文庫)にも遠山啓のことばとして「子どもという、こんなおもしろい動物をタダで貸してくれるんだから、教師というのはいい商売だ、というのが彼の口癖だった」(176頁)とある。

医師とか教師とかを、一種の芸人であるとぼくは考えている。芸の巧拙を問題にしているのではない。その芸にどんなつらいことがあっても、お客の前では笑顔であらねばならぬから、芸人なのだ。芸の苦労は表に出さずに、さりげなく舞う。苦労がにじみでたりするのは、芸人の恥だ。(243頁)

追記
●森の関西弁あふれる文章を読んでいたら、懐かしくなる。京都や大阪の大学に行けばよかったかな? まあそのときは、教育学者を目指さなかったろうけど。
 ちなみに2時間後に早稲田大学教育学研究科(つまり教育学の大学院です。わかりにくいですね)の推薦試験面接に行ってきます。森氏のいうように、余裕を示しとかないと、ね。

『脱学校の社会』を読む③ 第一章後半(P31~)

この部分は小中さんの担当なのだが、自分で印象的だったところをまとめてみようと思う。

●学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えること(teaching)はある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。
 ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである(…)(pp32~33)
●脱学校化された社会(deschooled society)は、偶発的な教育あるいは被形式的な教育への新しいアプローチでもある。(p49)

→子どもたちは偶然によって学ぶ。イリイチはそれを元にした上で脱学校論を述べている。

●学校は現在この種の反復練習による教授方法(drill teaching)をほとんど用いず、また評判の悪いものとしてしまっている。しかし普通の適性と学習意欲をもっている学生なら、もしもこの伝統的な方法で教えられれば、二、三ヶ月で修得できる技能がたくさんあるのである。(pp33~34)
●現在、学校は教育のための資金の大部分を独占している。学校教育よりも費用のかからない反復練習による教授(drill teaching)は、今では裕福なために学校に通わないですませることのできる者や、軍隊や大企業に勤める者で現職教育を受けに出された者たちだけの特権となっている。(p35)
●ほとんどの技能は、反復的練習(drill)によって修得し向上させることができる。なぜならば技能というのは、定義をし、かつ予測することのできる行動を修得することを意味するからである。(p41)

→イリイチは学校の効率性が低いということを、この部分を元に伝える。たしかに分かりやすい説明ではあるが、いささか論が甘いのではないだろうか。

●免許状を持っている人でなければだめだというように免許状の価値が信頼されているために、技能を教える人が不足するのである。(…)工芸や職業科の教師の大部分は、最も優れた職人や熟練工に比べれば彼らほど熟練していないし、彼らほど発明の才もなく、また彼らほど話好きでもない。(p37)

→教師というシステムの効率の悪さ。

●学校は技能を教授すること(skill instruction)において効率が悪いが、その特別な理由は、学校がすべての教科をカリキュラムとして結びつけることにある。ほとんどの学校で、一つの技能を向上させようとする計画は、いつも関連のない他の課業と連鎖的に結びつけられている。たとえば数学をもっと先に進むためには歴史の勉強をしてからとか、校庭を使用する権利は出席の回数によって左右されるとかいうように。

→東京シューレなどのフリースクールが、学校を批判しているポイントである。
→このようなシステムだからこそ、学校ではイリイチが進める「反復練習」が行えないのだ。教育の効率が低下するゆえんだ。
 こう「効率」というと、教育関係者が「教育に効率を持ち込むのは間違っている」と批判することがあるだろう。この批判は子どもの成長と学校での学習を混同した意見である。私は人生の生き方/子どもの育ち方を「効率性」で判断することには無論反対である。子ども独自のリズムによって、子どもは「勝手に」育っていくからだ。けれど、勉強や学習に関してはなるべく早く・愉しく・簡単に進められる方がよい。勉強や学習が子どもの人生において本質的な部分ではないので、苦労して学ぶ必要性が存在しないからだ。忍耐力を付けるのは学習の場でなくとも構わない。苦労や忍耐力を学習の中で修得させようとすることは、勉強嫌いな子どもを生み出すことにつながってしまう。

●私は修得した技能の開放的かつ探求的使用を奨励するような環境の整備を「自由教育」(liberal education)と呼ぶことにする。学校はこの自由教育に関してはさらに効率が悪いのである。その主な理由は学校が義務制であり、学校教育のための学校教育となることである。(…)ちょうど技能を教授することがカリキュラムの束縛から解放されなければならないように、自由教育は学校に通う義務から解放されなければならない。

→イリイチは「自由教育」を目指している。

●最も根本的に学校にとって代わるものは、一人一人に、現在自分が関心をもっている事柄について、同じ関心からそれについての学習意欲をもっている他の人々と共同で考えるための機会を、平等に与えるようなサービス網といったものであろう。(p44)

→ブログがイリイチのいう「ラーニングウェッブ」になりうるのかを、前に私はブログに書いた。参照いただきたい。リンクはこちら

●すべての人に教育を与えるというのは、すべての人による教育をも意味するということである。人々を教育を専門とする制度に強制的に収容することではなく、すべての人を教育的に活動させることのみが国民文化の形成に通じることができる。学習能力だけでなく他人に教える能力をも行使すると言う各人に平等な権利は、現在では免状をもった教師に専有されている。(p49)
→江口達也の処女作『BE FREE!』。ラストに描かれたのは〈教えたい者が教え、学びたい者が学ぶ学校〉である。文化祭とカルチャーセンターが一体化したような学校。この時、卒業という資格に意味は無くなる。
 イリイチの文章を読んで、ふと思いだした。

●今日学校の中で消滅させられつつあるのは、教育そのものなのである。(p53)
→私が『教育名言辞典』(東京書籍)を新たに編纂できる立場にあるならば、絶対に入れたい名言である。ちなみに『教育名言辞典』にはイリイチの言葉は2つ収録されている。「学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果であるとすることである」(p45)と「言語は、そのすべてが教えられたものであるなら、まったく非人間的なものとなるだろう」(p455)。前者は本稿上部に示したものと同じだ。無論、『脱学校の社会』からの引用。後者は『シャドウ・ワーク』からの引用である。

●教育の脱学校化が成功するか否かは、学校の中で育てられた人々がそのためのリーダーシップを発揮するかどうかにかかっている。彼らが学校化されたカリキュラムでの教育を受けてきたということは、その仕事を逃れるための口実とはなりえない。われわれの一人一人は、たとえこの責任を引き受けるのが精一杯で、他人に対しての警告として役立つことしかできないとしても、自分を現在の自分にしたことに対しては依然として責任があるのである。(p53)
→私がフリースクールに関わることを正当化して頂いたようである。
→自身が「学校化された」と自覚している者が脱学校化に関わることが重要なのだ。

コメント
●O先生であればイリイチの本書からの抜粋をパワーポイントで映しつつ、コメントを入れながら授業をされることだろう。このやり方は、学生に『脱学校の社会』のダイジェストと現代的意味を総覧的に説明する際に適している。私も学者になったら、このようなやり方で授業をしていきたい。

フリースクールの定義②

小中さん同様、私も手持ち文献から「フリースクール」の定義を探ることにする。

『教職基本用語辞典』より。

フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否等に対抗する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スク―ルが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが開設したイギリスの「サマーヒル学園」とかフランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。
 わが国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。 (柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73頁)

つづいて、『教育学用語辞典』から。

適応指導教室との決定的な違いは、その運営(経営)母体が民間の個人や団体であることにあろう。また、各フリースクールにほぼ共通しているのは、いわゆる「学校」という枠組みにとらわれることなく、民間の特色を生かした自由な生活空間を学齢児に提供することにあろう。フリースクールと一口で言っても、その運営の理念も特徴も形態も規模もスタイルも歴史も立地も活動内容も、ありとあらゆるものがバラバラであり多様化している。そのため、一方では経済的な競争原理によって開設して数年のうちに淘汰されていく活動体も少なくない。現在は、文部科学省も「民間施設」という名称でフリースクールを一般化し、その役割に一定の評価を与えている。(明石要一ほか編『教育学用語辞典 第4版』2006年、学文社、211頁)

はじめてフリースクールを研究していた頃は『教育学用語辞典』の「バラバラであり多様」という定義が結構好きだった。まさしく「自由」という思いが感じられるからだ。
けれど、いろいろな文献/フリースクールを見るにつれ、いくらなんでもこの定義は適当すぎると思うようになった。自称「フリースクール」でも中身は普通の塾であるケースや、「丹波ナチュラルスクール」のように全く自由がないケースでも、「バラバラであり多様」だからいいじゃないか、となってしまいそうであるからだ。
前に書いたフリースクールの説明でも書いたが、まだまだ制度が新しいためフリースクールの名称を〈言ったもの勝ち〉という状況になっている。はやく統一的なフリースクールの基準が必要であることを痛感している。もし基準を作る際は東京シューレのいう〈子ども中心主義〉の学びをフリースクールとするとよいであろうと思う(公立校/私立校が〈子ども中心主義〉を打ち出した場合、どうなるかとの疑問はあるが)。

東京シューレ版「フリースクール」の定義

フリースクールの定義は、はっきりいって様々である。
https://nak-koharubi.blogspot.com/2009/04/blog-post_11.htmlの小中さんのブログには、フリースクールについて次の定義を紹介していた。

今回は「フリースクール」について社会学事典をもとに、みていきたいとおもう。

フリースクール(藤田悟)
標 準規格があるわけではないが、ニール(Alexander Sutherland Neil1883~1973)が1920年代に創設した英国のサマーヒル校がフリースクールの代表的存在といえよう。サマヒルの特徴は、授業の出席が生徒 の自由にまかされていること、学校運営が教員と生徒の自治によること、の二点。ニールは学習指導の方法に関しては個々の教員にまかせ、「サマヒルの授業形 態」といったものを開発することに関心を示さなかった。生徒の成長し学習しようとする内発性と、生徒と生徒、生徒と教師の人間関係が優先すると考えたので ある。サマヒルは、米国の進歩主義教育やわが国の大正自由教育と同じく、第一次世界大戦後の自由な気運のなかで、またフロイト心理学の影響を色濃く受けつ つ生まれたものであるが、ニールのSummerhillの出版(1960)が英米を中心に大きな反響を呼び、公民権運動、反戦平和の動き、エコロジー運動 などの流れと結びついて、さまざまなタイプの私立のフリースクールが1960年代末から70年代の初めにかけて何千とつくられた。これらは財政難や内部的 不一致などのため多くは短命に終わったが、一部は現在も存続しており、また、公立の学校のなかにフリースクール的な要素が取り入れられてもいる。わが国で も教育の荒廃が叫ばれるなか、1983年、フリースクール研究会が発足、教育に自由を求めて活動しているが、オープンシステム、シュタイナー学校、フレネ 教育、インディビジュアル・エデュケーション、学習交換、さらにはホームスクーリングまで、幅広い関心がゆるやかにつながるネットワークとして機能してい る。子どもの登校拒否などから親が単独ないしは共同で無認可のフリースクールをつくる例も現れている。そうしたなかから、子どもを大人の思うとおりの鋳型 にはめ込み選別しようとする上からの教育ではなく、大人も子どもとの関係のなかで活性化され豊かになってゆく「共育」こそが求められているのではないかと いう、教育の止揚へと向かう論点も出はじめている。(見田・栗原ほか編『社会学事典』弘文堂、1988年、771頁。)

  フリースクールはサマーヒル学園に端を発し、公教育との差別化をはかりながら、社会の変化に応じて増減を繰り返した。その流れの中で現在は、フリースクー ル以外にも教育を多様化する機会や場が少なからずもできてきている。この事実に対して、藤田はこうした多様化による「教育」自体の相対化を達成し、そこか らアウフヘーベンすることの論点を模索する段階に現在は至っていると分析している。
 
 しかし、私は学校化社会という公教育に対する絶対 的な信仰があるかぎり、人びとの教育観に大きな変化は起きないであろうと感じている。なぜなら近代からはじまる学校は、その建築、間取りなどからみるよう に画一的であり、100年以上も大きな変化を遂げなかった。そして、私たちはそのことに疑問をもつこともないのだ。
 それほど、私たちの内面は学校化されているのだ。

さてさて、続いて日本のフリースクールの基本モデルとして東京シューレをみていこう。東京シューレの人たちはどのような定義を使っているのであろうか。「東京シューレ総合ホームページ」から見てみよう。
 

フリースクールって何ですか?

 一般に、子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校を指して言うことが多いです。政府・行政が設置した学校(レギュラースクー ル)に対して、民間の手でつくった学校を指して言う場合もあります。イギリスのニイルによるサマーヒルスクールが有名ですが、欧米を中心に数多くありま す。

  日本でも「フリースクール」を掲げるところが多くありますが、「不登校の子どもの行くところ(学校、施設、塾)」というイメージで語られることも多くあり ます。もとは、日本の不登校(登校拒否)の増加を背景に、シューレのように子ども中心に創った居場所を「フリースクール」と呼ぶようになりました(フリー スペースと称しているところもあります)。ここから、「不登校の子どもの行く所=フリースクール」という発想も生まれてきました。「不登校の子どもがいる から」という理由のみで、フリースクールを掲げているところもあります。概念が混乱している状況がみられます。
 このため、「不登校の子どもの通う場所」という意味で学校復帰や生活矯正などを目的とする場所を「フリースクール」と呼ばれてしまう傾向もあります。

  現在、日本の子ども中心の考え方でやっているフリースクール・フリースペースがつながって「フリースクール全国ネットワーク」を結成しています。また、世 界的にも毎年「世界フリースクール大会(IDEC)」が開催され、東京シューレも参加しています。2000年には、東京シューレが中心となり日本大会を開 きました。

 フリースクールとしての東京シューレの活動について、くわしくはフリースクール東京シューレのページ をごらん下さい。

 2007年には、フリースクールのやり方を生かして、日本でも公教育の枠組みの中で「東京シューレ葛飾中学校」をスタートしました。

いかがだっただろうか。東京シューレは「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校」との定義を使っている。逆に言えば、いくら〈自由な学び〉を標榜していたり、〈フリースクール〉という言葉を使っていたとしても、「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す」要素がなければ〈フリースクール〉ではない、ということだ。丹波ナチュラルスクールの事件がそうであった。なお、その提言のページ(リンクはこちら)から興味深い点を引用する。まあ、さっきの東京シューレのいう定義の文章にも同様のものがありますが。

90年代様々な不登校の受け皿が増えるにつれ、不登校の子どもが行くところがフリースクールと呼ばれるようになり概念の混乱が生じています

社会学事典の引用にも、また東京シューレの出した定義にも、単に「不登校の子どもがいくところ」がフリースクール、という定義は書いていなかった。けれど、世間一般では軽々しくフリースクールの語を使っている。まさに概念の混乱が引き起こされている。

東京シューレは学校を否定するのか?

東京シューレのwebはなかなかに面白い。その中に「ドキッ」とした内容があったので引用させていただく。引用元はこちらです。

東京シューレは学校を否定しているのですか?

 東京シューレは学校以外の場をつくったからといって、学校を否定しているわけではありません。

 学校に行っている子は、学校に行くことによって成長への道を歩んでいます。それと同じように、不登校をしている子、学校に行っていない子にとって、成長の道はどうあったらよいのでしょうか。

 私たちは、学校に行かない子、行く気になれない子を無理に学校に行かせることで、その子にとってマイナスの影響の方が大きいことを、多くの経験から学んできました。

 そして、学校に行っていない期間に学校以外の場で学び、成長するのも一つのあり方として認めることが、子ども本人にとってプラスになることも多くの子どもたちから学んできました。

 実際に、東京シューレで安心してスタッフや同年代の子どもと関わることができるようになって、元の学校に戻ったり、進路として学校を選択する子が数多くいます。
 こうした実績を踏まえて、多くの小・中学校で、シューレへ通った日数が出席扱いとして認めらています。さらに文部科学省から専門家会議のヒアリングに招かれる機会もありました。

 私たち自身も、フリースクールを公教育に位置付けるべく、2007年に「東京シューレ葛飾中学校」を開校しました。

 私たちは、学校に行っている子も、学校へ行っていない子も、学ぶ権利、成長する権利が等しく保障されなければならない、と考えます。

 そして、不登校の子どもたちにとって「子どもの成長は、学校だけではない」という理解を広げ、不登校をしている自分はダメだ、と否定的に考える考え方を変えたいと思っています。

 この姿勢を見ると、脱学校とフリースクールは別物だ、ということが理解できる。重要なのは子どもが幸福に過ごせる(これは「どちらが子どもの権利を保障できるか」ということである)ことであって、安易に学校を廃止すればいいということではない。大部分の子どもにとって学校が役立つならそれでいい。けれど、その学校があわないなら、子どもの権利が保障されていないんだからフリースクールに来ればいい。そういうゆるやかな態度/開かれた態度を東京シューレはとっているのだ。

追記

●奥地圭子は『不登校という生き方』(NHKブックス、2005)のなかで不登校の子どもを「ポストモダンな子ども」と定義している部分がある。

 非常に面白い定義だ。

シューレとは何ぞや?

 私は何の気なしに東京シューレの話を何度もしてきた。本ブログにおいて、典型的フリースクールとして「東京シューレ」を用いる。子どもの自由な学びをまったく保証していないのに「フリースクール」の語を使うところがたくさんあるので、区別のためにつかうのだ。

 ところで、東京シューレの「シューレ」とはどういう意味であるのか? 『大辞泉』によると、

  1. シューレ【(ドイツ)Schule】別ウィンドウで表示
    学校。 学派。流派。

とのこと。なるほど、ドイツ語では「学校」との意になる。そうか、学校的なところだから「シューレ」の語を使うのか。

 …と思ったら、違う可能性が見えてきた。東京シューレのwebサイトには次の説明がある(引用元はこちら)。

「シューレ」って、どんな意味ですか?

 ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味の言葉です。
 ドイツ語の「シューレ(学校)」から取った、というわけではありません。(ドイツ語のシューレや英語のスクールの語源になった言葉、といわれています)

 これを見る限り「シューレ」とは「精神を自由に使う」との意味である。だから《東京シューレ》の名には〈東京にある、精神を自由に使うところ〉との意義が込められていたようだ。確かにフリースクールでは子どもの自由が重視され、「精神を自由に使」っているようだ。うーん、ためになる定義だ。

 …でも、よーく見るとこの解説はトートロジーじゃないか? 「精神を自由に使うところ」とのギリシャ語名が「school」(英)や「shule」(独)の語源になったのなら、「シューレ」を使う限り結局は「学校」を意味するのと代わらなくなるのではないか。
 それでは、何故「トートロジーだ」との批判を受けることを重々承知の上で、東京シューレの人たちは「シューレ」の語を使おうと考えたのだろうか? 私なりの結論が次からの文章にまとめてある。
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 先ほどの解説内で「学校」と軽く使っていたが、「学校」とは元々「精神を自由に使うところ」との意味であった。これは、脱学校論を学ぶものとして、放っておくことができない。
 何故なら、学校が自由な学びを疎外しているという状況をこそ、イリイチやライマーは批判し続けたからだ。学校では「学ぶ」ということが「学校へ通うこと」の意味にすり替えられている。価値の制度化が起きている。
 整理するとこういうことになる。もともと、「学校」は「精神を自由に使う」ところであった。この輝かしい時代は近代学校制度とともに崩れ去り、自由な学 びや自由な発想が疎外される状況に陥った。だからこそ、脱学校化を成し遂げることで本来の「学校」が持っていた「精神を自由に使う」要素の復権を成し遂げるのだ、と。
 内田樹(本当に登場回数が多いなあ)の『街場の教育論』にはこうある。

教師が言うべきことは一つだけです。それは、孔子の場合と同じく、遠い目をして、「かつて学校というところが素晴らしく機能していた時代があった」という ことです。教師が深く敬され、子どもたちが目を輝かせて知的な興奮に身を震わせていた時代がかつてはあった、と。それが今は失われた。だから、それを再構築しなければならない。学校という制度が仮に今きちんと機能していなくても、そのことは教師の権威を少しも損なうものではありません。というより、今まさ に機能していないという当の事実が、「かつては学校が学ぶことの喜びに満ちていた『黄金時代』が存在したのだ」という言葉をいっそう切実なものとして響かせるのです。
 はっきり言いますけれど、実は、学校というのはどの時代であれ一度として正しく機能したことなんかないのです。(…)「嘘」とは言わぬまでも、半分がた「誇張」です。そんなわけないじゃありませんか。(…)
 必要なのは「あるべき社会」についての「正しい情報」ではありません(あるべき社会についてのほんとうに「正しい情報」というのは、「そんなものはかつて存在してことがないし、これからも存在しない」です)。そうではなくて、「あるべき社会」を構築「する気」に私たちがなるかどうか、です。「正しい情報」を提供することが、人間が世の中を少しでも住みよくする努力に「水を差す」ことになるならば、「正しい情報」なんか豚に食わせろ。少なくとも、私はそう考えます。(pp148~151)

 内田は、〈学校がうまく機能していた『黄金時代』が過去に存在した〉と説明することで、人々が〈過去の栄光よ、再び!〉と努力することを目指し、この文を書いた。
 フリースクール関係者も「かつて精神が自由に扱われた学びの場《シューレ》があった。だからそれを再構築しなければならない」との思いから、「シューレ」の名を使っているのじゃないか。これが私の結論である。
 
 …まあ、全て仮説ですよ。本当のところは奥地圭子さん(東京シューレ開設者)に聞くしかないですね。
 

鳥山敏子『居場所のない子どもたち』抜粋

東京賢治の学校というフリースクールがある。正式名称を「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」という。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」はその命名からもわかるように、日本の優れた思想家である、宮澤賢治の世界観・精神を拠りどころとして設立されました。

「せかいがぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

宮沢賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全ての幸せを求めなければ、個人の本当の幸福はありえないと考え、生き物、鉱石、風、虹、星、といった森羅万象との交感から多くのエネルギーを体得していました。

宮 澤賢治の精神とは、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。」(宮沢賢治 1926年)というものです。これは、宇宙・自然・他者とつながる「共生の精神」ということができます。この精神は、ドイツのルドルフ・シュタイナーが提 唱した精神ともみごとに繋がっています。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」でもこの思想を第一義として、自らの身体と心の内なる声を聞き、人、生き物、地球、宇宙との深いかかわりを意識することに重点をおき、その中で自分らしく生きていくことを学びのなかで実践しています。

ドイツの教育思想家(オカルト的なところはあるんだけどね…)シュタイナーの理念と、シュタイナーの精神と比較的似ている宮澤賢治の精神を元にしたフリースクールである。

前書きが長くなった。ではここの創設者 鳥山敏子さんの本の抜粋を行う。

もともと、学校は子どもたちのことを本気に考えてつくられている期間ではありません。このことは、学校が富国強兵政策の一環としてつくられた歴史をちょっと思いおこしてみてもわかるでしょう。時の政権をもったものは、学校を自分たちの立場を守るための人材を要請する機関として考えます。(6頁)

まだまだ読みはじめたばかり。しっかり研鑽しよう。