おそらく、著者がすーっごく「気を抜いて」書いたであろうこの本。
よくよく厳密に考えると矛盾あふれる記述の多いこの1冊。
(「ノマド」批判のあとに来る、シェアハウスに住む若者の話、など)

本日6/27(土)、読書会@札幌・帯広にて開催しました。

 社会は、ちょっとずつ変えていくしかない。ということは、社会をよくするためには「静かな変革者」を少しずつでも増やしていくしかない。
「静かな変革者」と対照的なのが、自称「保守」の人々の間に広がる相互不信や他者攻撃だ。誰かをバッシングして自分のちっぽけな自尊心を満たすくらいなら、実際に日本の役に立つことを出来る範囲で、明日から始めたらいい。少なくない若者たちは、既に動き始めている。(203)

自分が関わるコミュニティ、および自分の周囲から社会を変えていく。
ありがちな主張ですが、「けっきょくはそこからしかできないよね」というスタート地点でもあります。

ただ、やり方がまずいと、第二の「オウム真理教」的な「変なコミュニティ」が生まれる可能性も・・・。

それを防ぐ方法は、「反権力」、それの行き過ぎの「反社会」とならない方法を取ることだ。

日本で、わかりやすい「反権力」運動が成功したことはない。それを学んだ「静かな変革者」たちは、既存の社会システムと協調することを好む。行政に協力を仰ぎ、時には共に行動する。
僕も「静かな変革者」に対するインタビューをよく行うが、彼らは「社会にいいことをしたい」とか「国のために何かしたい」とはあまり言わない。そんなのは、彼らにとってもはや自明のことだからだ。当たり前のように被災地支援をしたり、自然エネルギーの啓蒙活動に取り組んだり、地域の教育問題を解決しようとしている。
彼らは、大きなことを言わない代わりに、粛々と身の回りの100人、1000人を確実に幸せにしている。だけど、その活動は規模が小さい文、あまり目立たない。(202)

 

これこそ、いまの日本人、特に若者ができる、日本社会変革の方法なんだよなー、と思う。

無理もないし、それこそ札幌のエルプラザや帯広のとかちプラザによくいる市民活動団体のやっていることと同じだからだ。

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