大人になると、子ども時代の文化を忘れる。かくれんぼをしたこと、ゲームをしたこと。大人になると、大人文化のみの世界に生きることになる。たとえば飲酒、たとえば喫煙。大人と子どもとの間に、文化の格差がある。

大人か、子どもか、二者択一。そうではなく、両方の要素を楽しめるほうが人生、より豊かになるのではないか。楽しめるものの幅が広がるのではないか。

同様に、二者択一ではなく、両方を選ぶほうが、より豊かに生きることのできるケースが多い。たとえば方言と標準語である。標準語だけ、方言だけでは味わうことのできない微妙な違いや雰囲気を、両方知ることで実感することが可能になる。日本語と外国語もそうである。どちらか片方よりも、両方できるほうが幅広いものの見方をすることができる。大学の専門もしかり。専攻は1つより、2つのほうがいい。今の学術界は学際的学問が普及しつつある。1つの専門知のみでなく、2つの専門知。両者の組み合わせでしか、見ることのできない事実があるはずだ。

 

ひとつより、ふたつのほうがいい。しかし、両者のバランスを取ることは誠に難しい。時間と体力は無限でないからだ。受験生時代の「勉学と部活の両立」に似ている。どこかで折り合いをつける必要がある。下手をすると両方とも身に付かず、中途半端になってしまう。単にちゃんぽんになってしまう。両者あいまって、価値を止揚させていく。その絶妙な関係性を保つためには何が必要か。それには確固たる哲学が必要だ。場合によっては、哲学というよりも「何のためにそれをするのか」という目的意識でよいのかもしれない。「何のためにするのか」問いかける。そしてその結論をもとに、「絶対に両方やりきるのだ」と決意する。両立には何らかの精神性が必要なのだ。

 

1つの視点だけでなく、2つの視点のあるほうが豊かにものを見ることができる。また、人生を2倍楽しむことができる。右か左かだけでなく、右も左も。分かつよりも、選択するよりも、統合を目指す生き方のほうが、豊かに生きられるだろう。会社だけ、家庭だけでなく、会社も家庭も。授業だけ、サークルだけでなく、授業もサークルも。ついでにバイトも、ボランティアも。多くのことをやりきったほうが、見方も豊かになる。友人も多様になる。人生を何倍にも楽しむことができる。

ひとつより、ふたつ。二者択一より、統合。根底に精神性。これこそ、人生を充実させるヒントでないか。