2015年 8月 の投稿一覧

ビブリオバトルin帯広〜8月の巻〜

自分のおすすめの本をアツく語るイベント、それがビブリオバトルです!

本日8/20(木)、帯広市図書館にて、「ビブリオバトルin帯広」(8月)、開催しました!

(主催:本を語る会とかち)

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自分のおすすめの本のプレゼンを聞いていると、お互い「あ、こんな面白い本があるんだ!」という発見があいつぎました!

 

今日のチャンプ本は筒井康隆著『旅のラゴス』!

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あてもない旅を通して学びを重ねる主人公の姿のプレゼンでした!

最後は全員で集合写真!

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また次回もお越しください!

次回のお知らせです。

【ビブリオバトルin帯広(9月)】

【日時】平成27年9月17日(木)19:00-20:30

【場所】帯広市図書館

【参加費】無料

【当日の流れ】
19:00-19:30 あいさつ・自己紹介・アイスブレイク ゲーム

19:30-20:30 ビブリオバトル

【お問い合わせ】日本ノマド・エジュケーション協会

【主催】本を語る会とかち

宇山卓栄, 2015, 『日本の今の問題は、すでに{世界史}が解決している。』①

社会保障制度やTPPなど、今の日本をめぐる課題はたくさんあります。

この課題に如何に答えていくか?
本書は「世界史」からアプローチします。

「歴史から教訓を得る」などという仰々しい考え方は、捨てたほうがよいのかもしれません。この表現を、私は「歴史から視界を得る」という表現に書き換えたいと思います。歴史から得られるものは、「教訓」という普遍のルールではありません。(…)歴史を習得しようとする試みは、まさに、「山の上からの広い景観を獲得し、その景観を眺望し、俯瞰する行為」と言えます。自分の周りは、川に囲まれているのか、田に囲まれているのか、野原に囲まれているのか、その全貌を理解・解釈・分析することができます。(11)

さて、本書は「世界史から日本を見る」スタンスの本です。

世界史から見てみると、日本の幕末〜明治近代化の流れは決して日本人のみで成し遂げたものではないことがわかってきます。

 日米修好通商条約の締結後、アメリカは日本に無理難題を押しつけて、日本を支配しようと画策していました。ところが、実際には、そうならなかった。なぜでしょうか。
1858年の条約締結後の1861年に、アメリカを揺るがす大事件が起こりました。南北戦争です。5年間に及ぶ、この内戦で、死者が60万人を超え、アメリカ社会は荒廃しました。その後も、数十年間、戦争の後遺症に苦しめられます。
アメリカが南北戦争の混乱の中にある時、日本にしばらくの猶予期間が与えられます。日本は、この期間に明治維新をなしとげ、近代化へと進みます。日本にとって、1860年代の十年間の猶予は、まさに天の助けともいうべきもので、その間に、封建社会の眠りから醒め、新たな時代へと進むことができました。もし、アメリカで、南北戦争が起こらなかったならば、日本は近代化の機会を失い、アメリカに主権を奪われ、従属させられていたかもしれません。(15)

実際、独立し国際的にも承認されていた「ハワイ王国」はアメリカに併合されてしまいました(ハワイ併合)。

1898年のことですから日清戦争の頃。
日本がモタモタしていたら、ハワイの次、あるいはハワイにかわって「アメリカ51番目の州」になっていたかもしれません。

 

 

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「あきらめ」の夏。

夏になると思い出す歌がある。
それが「夏をあきらめて」。

桑田佳祐作詞作曲、研ナオコが歌うこの曲はTUBE的な「キラキラの夏」の対極にあり、私は結構気に入っている。

曲全体にただよう物悲しさが、「大人」な恋愛観を示しているように思われる。

さて、坂口安吾の作品に「諦めている子供たち」というものがある。

そのなかで、安吾は新潟の子ども達の「あきらめ(=諦観)」を述べた。

諦観のドン底をついておって自分の葬式まで笑いとばすような根性が風土的に逞しく行き渡っているのである。それが少年少女に特に強くでる。なぜかというとオトトやオカカは自分の生活苦があっていかに生れつきの持前でも多少は自分を笑いたくないような悲しいやつれがあるが、子供にはそれがないから、彼らの諦観はむしろ大人よりも野放図もなく逞しく表れてくるのである。

新潟の子供たちは小にしてすでに甚しく諦観が発達しており、こういう言い方をするのが決して珍しくはないのである。それというのが彼らのオトトやオカカが常にそういう見方や感じ方や言い方をしているからで、要するに先祖代々ずッとそうだということになる。

何かに対するあきらめをもたらすこと。
社会学では「冷却作用」という。

アーヴィング・ゴフマンが提唱したこの概念だが、現代社会の「自己啓発」風潮に水を差す(文字通り「冷却」)ものとして有益な概念である。

「何かをしたい!」
「立身出世だ!」という人びとの願望は、全て叶えられることは決して無い。

自己啓発関係の本は「夢は叶う!」と主張するが、叶わない夢のほうが圧倒的に多い。

そんな人びとの思いを冷やし、現実的な方向性を考えさせる。
それを「冷却作用」という。

坂口安吾の文章では、新潟という場所自体が「冷却作用」をもっていることになる。

こういう諦観はおそらく半年雪にとざされ太陽から距てられてしまう風土の特色と、も一つ新潟は生えぬきの港町で色町だった。つまり遊ぶ町だ。

太陽から隔てられることにより、子ども達のレベルまで「あきらめ」が浸透する。
そして色町=遊ぶ町が持つ刹那性が、人生という高尚なものへの思考を停止し、「あきらめ」をもたらす。

「夏をあきらめて」の切なさは、かつての「キラキラ」「若いころ」の情熱が冷めかけた時、つまり「冷却」されたあとの恋愛模様を描いているところにある。

「冷却」され、冷めてしまうと、ふと「自分は何をしてるのだろう・・・?」という疑問がわく。

お盆休み。
実家ですることもなく過ごしていると、急に感じるわびしさ。

普段の自分の日常への「冷却作用」である。

Sakaguchi_ango

↑ 元祖ゴミ屋敷ともいえる安吾の部屋