2015年 4月 の投稿一覧

張燕, 2014, 『ジャック・マー アリババの経営哲学』ディスカバー・トゥエンティワン①

 

売っていないものはない、といわれるサイト・アリババ

その創業者ジャック・マー(馬雲)の一代記。
わりと名言の多い本だし、経営者の「哲学」のよく現れた本である。

「強欲資本主義」が中国では多く立ち現れていることを危惧する声が多いが(井沢元彦『逆説の世界史1』など)、そんな人ばかりではないことを伝えている本である。

成功とは、どれだけやったかではなく、何をやったかである。(35)

 

怠けるといっても、ただ怠けるのではない。仕事を減らしたければ、怠ける方法を考え出すことだ。怠けることを極めれば、怠けの境地に達する。私のように子供の頃から怠けていれば、太ることさえ面倒になる。それが境地というものだ。(38)

 

「理想を持ったときに、一番大切なことは自分に約束をすることだと思う。必ずやり遂げてみせると自分に約束するのだ。あれが足りない、この条件がない、その条件も揃っていないと考えている起業家も多い。ではいったいどうすればいいのだろうか。起業家に最も大切なのは、創造的な環境だ。機が完全に熟すころには、私たちには順番は回ってこない。人々が絶好の機会だと思っていても、もうチャンスは失われている。必ずできると信じ、自分に約束する。5年、10年、20年かけてでもやってのけると覚悟すれば、ずっと歩き続けていられるはずだ」(53)

 

「最初の日の理想を絶対に忘れるな。その夢は世界で最も偉大なものだから」
馬雲はそう自分に言い聞かせ、そのプラスにエネルギーを傍らにいる人に伝えているのだ。(55)

 

Z

自分機密費を持とう。

機密費、というのをご存知でしょうか。

内閣府や外務省などで支出の内容を示す必要なく、使えるお金のことです。

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よく賄賂に使われたり、私的流用があったりと問題のあるこの機密費。
(例えば、http://blogos.com/article/94794/

国家レベルでは問題となりますが、個人レベルでは実は大事なのではないか、と思います。

例えば、誰かになにか言われることなく、ノーチェックで使えるお金。
それを「自分機密費」としましょう。

自分機密費として、将来やキャリアアップ、および勉強のために使用するお金を、毎月一定額用意しておくのです。

サイフの中のポケットに、毎月決めた額を入れておき、勉強会・書籍代・セミナー代などにどんどん支出する。

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通常の「機密費」同様、締め日の前に「使い切る」のがポイントです。

お役所は予算を消化しきらないと、来年度の予算配分が減ってしまいます。
「自分機密費」も、決めた額を使いきらないと、来年度の自分の成長がその分減ってしまいます。

よく誤解している人がいますが、勉強するにはお金がかかります。
学校教育・塾だけでなく、自分の成長にもお金がかかります。

端的に言えば、「高いからこの本買うのやめよう」というのを無くすのに、この「自分機密費」の発想は役立つ、ということです。

自分の成長にかかるお金を、毎月予算として別途計上しておく。
そして毎月使いきり、自分の成長につなげる。
そんな自己投資の積み重ね、やっていきたいなあ、と思います。

 

見田宗介『現代社会の理論−情報化・消費化社会の現在と未来−』(岩波新書)

インターネットが一般に普及したのは1995年。
この年はWindows95が発売され、一般家庭にようやくインターネットの存在が知られるようになった頃である。

それ以前の「パソコン通信」時代に比べると、使いやすさ・利便性が格段に変化した時である。

インターネットの可能性と恐怖を扱った映画『ザ・インターネット』も、1995年の上映。
この時代は、専門家のものだったインターネットが「ふつうの人」に扱えるようになったギリギリの時代である。

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本書『現代社会の理論』は、1996年の出版。

インターネットによる情報革命の初期の著作である。

そのため、素朴な形での「情報化社会」の可能性を描いている。
それがいまの我々からすると逆に新鮮である。

見田宗介は現代の社会はガルブレイスのいう「ゆたかな社会」となった、と言及する。
「ゆたかな社会」はこれまでの消費社会のあり方とは異なる。
「喰うものがないから喰う」「着るものがないから服を買う」のではなく、「流行り(=モード)だから服を買う」という消費社会である。

この社会では、常にモノを生産し続けることとなり、地球の有限な資源がどんどん消費されていく。
経済成長とはいうものの、資源がなくなっていく点で「成長の限界」を迎えることとなる。

見田宗介は、資源を消費する「モノ」ではなく、「情報」に注目する。
情報により、人間がミニマムに幸せを実感できる社会として「情報化社会」を想像しているのである。

 子どもは成長しなければならないけれども、成長したあとも成長が止まらないことは危|険な兆候であり、無限に成長しつづけることは奇形にほかならない。まして成長しつづけなければ生存しつづけられないという体質は、死に至る病というほかはない。
成長したあとも成長しつづけることが健康なのは、「非物質的」な諸次元−−知性や感性や魂の深さのような次元だけである。社会というシステムに対応を求めるならば、この広義の〈情報〉の領域というコンセプトによって、今日とりあえずその名を与えられている諸次元だけである。「情報化社会」の理論のうちのこの大きい射程をもった発想がわれわれの前に開いているのは、社会のシステムの、〈成長のあとの成長〉の可能性についての、このような見晴らしであるように思われる。(162-163)

 

「成長のあとの成長」の鍵が情報化社会である。
実際、見田の主張はこのあとの「IT革命」「携帯電話・スマホの普及」によって一部達成している。

「情報化」により、例えばネットからの収益で生活をできる人びと(アフィリエイター、デイトレーダーなども含む)を生み出したのは、まさにその一例である。

でも、それでよかったの?
見田の主張は、情報化により人間の「幸福」が達成される点を指摘している。
現実にインターネットは人に「幸福」を実感できるようにしたのだろうか?

本書のラストにおいて見田は物質的(マテリアル)なものに付随する「消費」を、「情報化」が乗り越えていき、物質的豊かさを超えた豊かさを我々に与えてくれる可能性を示唆する。

 「情報化社会」というシステムと思想に正しさの根拠があるのは、それがわれわれを、マテリアルな消費に依存する価値と幸福のイメージから自由にしてくれる限りにおいてであった。〈情報〉のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。
けれども消費の観念は未だ、現在のところ、情報というコンセプトの透徹がわれわれを解き放ってくれる以前の、マテリアルな消費に依存する幸福のイメージに拘束されている。
われわれはなお〈情報化/消費化社会〉の、過渡的な、矛盾にみちた入口に立っている|ということができる。(170-171)

見田の夢見た「情報化社会」は、IT革命・スマホなどにより、すでに到来している。
しかし、物質的な「消費」の次元は未だに超えられていない。

逆に言えば、見田のいう「情報化社会」は未だに到達していない「見果てぬ夢」ということができる。

IT革命もWeb2.0も死語になった現在。
今一度見田の「夢」を見ていくことに、情報化社会の次なるヒントがあるかも知れない。Z

動かない、という不思議さ。

昨日は4/1。
年度が変わるタイミング。

毎年、私は勤務先の住所が毎年変わってきていました。
札幌市の桑園駅そば→新札幌→帯広。




でも、今年は【初めて】、同じ場所での2年連続勤務となります。
毎年、行く場所が違うと、気持ちが切り替わります。

でも、今年はそうではない。
そのため、どうしても「前と同じ」日々が続くような感じがしています。

そういう場合、自分で区切りを意識する、ということが必要でしょう。

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自分で区切りをつけ、線を引く。

そして新たな思いを出していく。
その繰り返しを、私は今後もやっていきたい。

そう思っています。