2012年 9月 の投稿一覧

人生は「具体的に」でうまくいく!⑦

作文も、「具体的に」でうまくいく!

 

「作文が書けない…」という人、多いです。

 

作文でなくても「何かを書く」ということや

「何かを説明する」ということ、苦手に感じている人は多くいます。

 

例えば次のようなものです。

 

「今日は数学の授業があった。

眠かった。」

 

この作文、実際の「ホンネ」に近いでしょう。

実際に高校生でこういう日記を書く人もいます。

 

ただ、この文章の場合、いろいろ不明点が多すぎます。

ちょっとあげるだけでも下のものが疑問点です。

 

・数学で何を勉強したのか?

・数学の授業はいつあったのか?

・いつも数学の授業は眠いのか。

・どのように眠いのか。

・なぜ眠いのか。

・どのように眠いのか。

・眠いのは数学だけなのか。

 

ざっとあげてみましたが、はじめの文章には

不明確な点が多すぎることがよくわかります。

 

「いつ」「何を」「どんなふうに」「なぜ」などという

5W1Hが不足しているのです。

 

作文が苦手な人は「一言で」すべてをまとめようとします。

もっとくわしくかけるのに、「眠かった」の一言で終わらせてしまうのです。

 

大学時代の恩師は、「言葉を豊かにすること」の大事さを語ってくれました。

様々な表現ができるようになることは、

的確に自分を表現できるようになることにつながります。

 

「言葉を豊かにする」とは、作文の場合、「いつ」「何を」「どんなふうに」といった

要素を多く入れていくということです。

 

「いつ」「何を」「どんなふうに」という5W1Hに加え、

「物語」を入れるともっと良いでしょう。

 

「物語」とは何かのエピソードを交えるということです。

エピソードには必ず「具体性」がつきまといます。

 

抽象的なエピソードはほとんどありません。

 

エピソードには「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どうした」という要素が

必ず入ります。

 

エピソードを入れるようにすると、具体的になるのです。

 

例えば就職活動の際など、自己PR文を書くことは多くあります。

大学時代の部活の「失敗」やアルバイトの「日常」。
あんまり就活では話されないことですが、エピソードを活き活きと語れることって、その人の個性を相手に伝わりやすく伝えることになります。

「具体的に」生きるために…「いつ」「どこで」をハッキリさせるため、エピソードを語ろう。

 

【イベント報告】ワカモノ×多世代 居場所論!

本日、日本ノマド・エジュケーション協会主催・

若者協力事業所Link Next共催のイベント、

ワカモノ×多世代 居場所論!」、

盛大に開催いたしました!


若者支援や高齢者福祉など、

「居場所」はいつでもテーマです。

 

今回、日本ノマド・エジュケーション協会の藤本研一が

「居場所」の理論面を説明し、

Link Nextの田中耕平が「居場所」実践を語るという、

「理論と実践」相まったイベントとなりました!

 

ハイライトは、参加者皆でつくった

「居場所」論マップ。

 

KJ法の手法で、「あったらいい居場所」、

「居場所のキーワード」を皆で議論していきました。

 

完成したマップには、次のタイトルを皆で付けました。

 

居場所はどこだ?〜居場所は人それぞれ。「安心」が土台

 

皆が居やすい空間は、人それぞれです。

ですが、その土台には「安心できる」という事があります。

 

「安心」を提供した上で、自分の自由や他者との交流をしていく

「居場所」づくりが必要なのだと、主催者として更に学ばせていただきました。

 

アンケートには「KJ法、面白い!」というアイデアをいただけました!

 

参加して下さった皆さん、ありがとうございます!

「教育的価値」を作り出せ!

普通の教員は、いらない。

ただ教えるだけならロボットでも出来る。

おまけに、いまは少子化。
学校が「いらなく」なっている。

であれば必要なのは新たな「教育的価値」を作り出せる人。

いろいろな人とのかかわり合いの場の設定。
必要な支援を実施するための体制づくり。
いろいろな団体との連携体制。

私が教育団体をつくったのもバーをやるのも、
この新たな「教育的価値」を創りだしていくためである。

Not to do リストを作ると、仕事はもっと早く終わる。

まえに「To do リストを作ると仕事は早く終わる」と書きました。

何をすべきか明確にすることで、仕事をやるための知識・情報・知恵が集まるからです。

実はもっと意味がある使い方があります。

それが「Not to doリスト」の作成です。

Not to doリスト。

つまり「しないことリスト」。

私もNot to doリスト、作っています。

例を挙げると次のものです。

・2次会への参加

・投資にならない消費

・帰省

・無意味な落ち込み

・休日に12:00過ぎまで寝ること

・10分以上の電話

・事前連絡しない訪問

こうしてみると、Not to doリストには

「しないこと」に加え、「やめたい習慣」事項が

入っていることに気づきます。

時間は有限です。

何かをやるということは、何かをやらないということ。

常に「やること」の選択をするわけです。

その選択の際、「この選択はしない」排除をしていると、

その分だけやることが豊かになるのです。

Not to doリストも、できるだけ具体的にすると効果があります。

「具体的に」生きるために…Not to doリストで「しないこと」を明確にしょう。

人生は「具体的に」でうまくいく!⑤〜To do リストを作ると、仕事は早く終わる。〜

山のような仕事。

 

机の上に書類が散乱。

 

みるからにヤル気が下がります。

 

そんなときには手前からどんどん片付け、

なんとか机が見えるようにしていきます。

 

そのようなとき、闇雲に仕事をやるよりも

「To doリスト」を作るほうが早くおわります。

 

To doリストって御存知ですか?

「やるべきこと」「やりたいこと」をリストアップした紙のことです。

 

やる仕事がわかっている場合でも、

To doリストを作ると仕事が早く終わります。

 

「何をやるか」明確にすることで、目的意識がハッキリするからです。

 

書いてみると、意外にすべきことが少ないことに気づけます。

 

 

人間の心は、瞬間瞬間、多くの感情・思考が切り替わります。

 

「あー、疲れた」と思った次の瞬間、

「あれ、今日ってなにか予定あったっけ?」

「あ、やばい、駅で待ち合わせだ!」

「出ないといけないのに、仕事が終わらない…」

「どうしよう…」

「…あ、スケジュール開くページ間違えてた」

 

ほんの数秒の間に、感情・思考は乱高下するのです。

 

人間の心は移りやすい。

であれば、「やるべきこと」「やりたいこと」も、

すぐに忘却してしまいます。

 

To do リストは私が「したいこと」「やるべきこと」を

「具体的に」示してくれます。

 

具体的にすると、人間の無意識層が反応します。

 

「今日のラッキーカラーは赤!」という占いを見ると、

行く途中やたらと赤いバスばかり目についてしまう。

そういうのをカラーバス効果といいます。

 

普段意識しないものも、占いやTo do リストで「具体的に」示すことで、

意識する力が強まるのです。

 

そうすると、自然と必要な情報・知恵が集まります。

 

やるべき仕事・やりたい仕事を書き出すことは、

その仕事に関する情報を無意識のうちに集めることにつながるのです。

 

「具体的に」生きるために…まずは今日の仕事をTo doリストに書こう。

教育名言集④〜姿を消すことの大切さ〜

差し出がましい熱意と同様に、教育過剰はどんなものでも慎むべきだろう。教育学者の悪い癖の一つは、教育学を振り回しすぎることであるから。潮時を見て姿を消すことを知るべきである。われわれの生徒たちにとっては、これから個人的な生の冒険が始まろうとしており、それはそれなりに一つの教育となっていくだろう。そして今や生きることそれ自体が、彼らの偉大な教師となっていくのである。

(モーリス・ドベス『教育の段階』202頁)

ベンチャービジネスについて

高校の勤務なので、いろんな教材の問題を目にします。

 

その中に、次の問題がありました。

 

「ベンチャー・ビジネスについて説明しなさい」

 

意外に難しい問題。

 

みなさんは回答できますか?

 

 

模範解答。

 

「独自の技術開発や経営の仕組みなどによって、新しい事業分野に進出したり、新たな需要を創出する企業をいう」

 

いかがでしたでしょう。

 

なんか、しっくり来ないですね。

岡村重夫, 1974『地域福祉論』(新装版 2009)光生館.

いまの仕事は教育・医療・福祉がクロスする特殊な分野。

 

そのため、ちょこっとずつ、福祉論を勉強中です。

 

知り合いに聞いた福祉論の「古典」として、岡村重夫『地域福祉論』を読んでます。

社会学畑出身の私にとって、とっても「懐かしさ」を感じる本でした。

 

「こんにちの都市化状況のもとでは、一つの地域社会が一つの「コミュニティ」を形成しているのではなく、ひとびとの関心の多様性に応じて成立する各種の集団の成員がもつ「同一性の感情」にもとづいて、同じ地域社会のなかにも、多数の「コミュニティ」が成立するのである」(22)

70年代に「コミュニティ」を言っている先見性に驚きます。

 

「地域社会における各種の環境条件の改善や生活関連施設の整備そのものは、コミュニティづくりではなく、これらの環境改善やサービスの実施が、地域にとって必要であるかどうかを、地域住民が自ら発見し、方針を決定し、そしてそれの実現について必要な集団的活動に参加することによって体験せられる「同一性の感情」を共有することが、「コミュニティづくり」であるという点である」(23-24)

 

「住民参加は、コミュニティの自治と権限の分散を実現することによって、地域民主主義を目的とすると同時に、住民の「同一性の感情」にもとづく相互扶助、相互連帯意識を促進するような方向で進められなければならない」(24)

 

「住民の自己決定ないしは自治自律の要求こそ、コミュニティ形成の出発点であるばかりでなく、この要求の実現を援助することが、コミュニティの開発そのものである」(78)

 

要は「ハコモノ」を作って良しとする福祉ではダメ、ということですね。

住んでいる人が「あれが必要だ」「これが必要だ」と気づき、その人達がやっていく方向で考えるのが大事、ということです。

その過程の中で、例えば札幌市の市民であるという「同一性の感情」が生まれてくるわけです。

 

福祉だけではなく、まちづくりの基本です。

 

この頃は今よりも「プロ市民」は元気でした。

地域を超えた「権利要求型市民」が幅をきかせる時代です。

 

その頃に、地元に根づいた(=ヴァナキュラー)な福祉活動・市民活動を訴えるということ。

とても興味深く感じます。

人生は「具体的に」でうまくいく!④

場がないなら自分で作る、将来やりたいことの準備を今日からする

この3月まで、ネコワーキングというコワーキングスペースでインターンをしていました。

その中で学んだことは、①「場がないなら、自分で作れ!」ということでした。

また②「将来やりたいことの準備を今日からする」ということでした。

この2つは密接につながっています。

例えば、インターン時代の私の夢は「いつか教育団体を作り、その中で講演会・勉強会をやりたい」でした。

はじめのうちは「教員になって実績を作り、結果を出しているといつかお声がかかる」という事を考えていました。

「棚からぼた餅」期待パターンです。

これは「いつかアーティストになりたい」人に多いパターンです。
ずっと絵を描いていても、個展もやらなければ店に頼んで飾ってもらうこともしない人、結構います。

研究者もそうです。
自分の研究の売り込みをせず「いつか教授に」を目指す「のんびり院生」はたくさん、います。

私がネコワーキングで学んだのは、「いつか発表をしたいのなら、
来月辺りに場所を借り、宣伝をして、自分で場を作ればいいじゃない」ということです。

「実績がないから…」とか、「不勉強だから…」と言っていても、はじまりません。

とにかく「やってみる」ことが道を開いていくように思います。

 

私も今年の8月、札幌勤務でありながら東京で講演会をやりました。
その模様はこちら

あんまり教員1年目でやる人はいないと思います。

実績も何もないですが、精一杯発表しました。
すると思いの外、よい反応を頂きました。

やってみると、案外簡単なものでした。
こんな簡単なことを「将来の夢」、あるいは「一生の夢」にしていた自分がバカらしく感じてきました。

夢があるなら、「今日」から「具体的に」できる何かを考える。
そして「来月辺り」にやってみる。
その大事さを、私はネコワーキングで学びました。

 

ちなみに、ネコワーキング時代の別の夢は「教員バーを作る」ことでした。

「30歳になったら仕事をやめ、独立して作る」という夢です。

実はこれ、もう叶ってしまっています。

Coworking Cafe 36というバーでの日曜バーテンという形です。

「30歳になったら」「仕事をやめ」「独立して」「作る」という4つの条件がありましたが、すべて条件を揃えずにやっている次第です。

自己資本でバーを作るより、相当少ない負担でやらせていただいています。

この辺りも、「将来やりたいことの準備を今日からする」ということや「場がないなら自分で作る」ということの結果であると思っています。

 

「具体的に」生きるために…「将来の夢」は今日できることからやってみる。

「人生は「具体的に」でうまくいく!」③〜「〜〜してはいけない」と言ってはいけないわけ〜

私の実家そばに、公園がありました。

 

その公園には、トイレが二つ付いています。

 

不思議な事に、両方のトイレに似たような張り紙がありました。

 

1つは「トイレを汚すな」。

 

もう1つは「トイレをきれいに使いましょう」。

 

この2つのトイレ、どちらも似たようなトイレでした。

ですが、「トイレを汚すな」は常に汚く、

「トイレをきれいに使いましょう」の方は常にきれいでした。

 

清掃の回数はどちらも同じです。

 

なぜ、「トイレを汚すな」の方は汚くなってしまうのでしょう?

 

その謎解きをしていきます。

 

そのために、私の学校の話をしましょう。

 

私の学校には「〜〜してはいけません」という張り紙はありません。

 

「自分の傘かどうか確かめましょう」(「傘を間違えないでね」ではなく)や、

「カップラーメンの汁は三角コーナーに捨てましょう」(「ここにラーメンの汁を流すな」ではなく)と

書かれています。

 

なぜでしょうか?

 

それは「具体的に」の逆の効果が働くからです。

 

 

以前、映画『インセプション』を観ました。

レオナルド・ディカプリオが

 

「ゾウのことを考えるな」

 

…と指示をします。

そして、

 

「いま何を考えた?」

と聞きます。

 

相手は「ゾウ」と答えるわけです。

 

この話は心理学の教科書にも必ず書かれています。

 

なぜ相手は「ゾウ」と答えるのでしょう?

 

それは「〜〜してはいけない」という指示が

「具体的」であれば「具体的」であるほど、

相手の意識に強く刻まれてしまうからです。

 

「廊下を走るな!」といえばいうほど、

子どもにとっては「廊下を走る」という具体的なイメージが

明確な形で刷り込まれてしまうのです。

 

「相手が嫌なことをするな」というスローガンも、

無意味なことがこれで分かるでしょう。

 

「〜〜してはいけない」は、世の中にあふれています。

 

「悪を許すな」(正義感ドラマとかによくあります)

「ドラッグ、ダメゼッタイ」(ドラッグをなぜダメか言わないため、イメージが強烈に伝わります。ポスターも強烈に伝わります)

「やめよう、電線のそばの凧あげ」(「電線のそば」と「凧あげ」が具体的であるため、イメージが強烈に伝わります)

 

「〜〜してはいけない」は、強烈なメッセージです。

ですが、人間の脳は「否定形」に慣れていません。

 

 

ベイトソンの『精神の生態学』という本があります。

その中に、「動物は否定語を使わない」という話があります。

 

たとえば犬は「私は仲間だから噛まないよ」というメッセージをどう伝えるか、とベイトソンは説明します。

「噛まない」という言葉は、犬にはありません。

 

そのため、相手の犬に近づき、「あま噛み」することで、敵意の無さをアピールするのです。

 

つまり、「〜〜しない」を示すには、「〜〜」をやって見せないといけないのです。

動物って、大変です。

 

でも、人間もまだまだ動物の一部。

であれば、「〜〜してはいけない」というメッセージは、かなり難しいメッセージであると言えましょう。

 

リンゴを見せて「これはリンゴです」というのはカンタン。

でもミカンを見せて「これはリンゴではありません」と伝えることは難しいことです。

 

「〜〜ではない」「〜〜してはいけない」は、けっこう複雑なメッセージなのです。

だからこそ、「〜〜」の部分の方が簡単に伝わります。

 

 

結論です。

 

「〜〜してはいけない」を言うのをやめましょう(この言い方自体に問題があることは、本文のとおりです)。

なぜなら、「〜〜」が具体的であればあるほど、脳に強くイメージされるからです。

 

これは「具体的に」表すことの効果を、逆説的に示すものです。

なぜなら、具体的であればあるほど、相手に強くイメージされることがここからもわかるからです。

 

「具体的に」生きるために…

これからは「〜〜しましょう」をキーワードにしましょう。