2012年 3月 の投稿一覧

子ども虐待について

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子ども虐待について

子どもの虐待を防ぐため、政治の分野を中心に改革をしようとしている友人と飲む。

話は、いかに虐待を防ぐか、というテーマ。
旧共産圏の国のように、
親から教育権を取り上げ、
国が教育をする。
この場合、子どもがきちんと育たないなどの弊害が大きかった。
だからといって、国が許可を得た親のみに
子育てを可能にするというのも弊害が大きい。
この両者から言えるのは、子育ての権利を国が付与するという発想の仕方は難しい、ということである。
だからこそ、親自身が自分の子育てを反省的に考えていく以外にない、ということになる。
その方法を巡り、友人と語り合ったがなかなか面白かった。
私は虐待を行う家庭が貧困家庭が多いため、
貧困家庭を対象とした所得再分配を主張した。
友人はそれに対し「単なる経済の問題で解決できないのではないか」と語っていた。
なかなか、虐待をめぐる議論は難しい。
だからこそ、友人とは今後も色々語っていきたいなあ、と思う。
私は今年4月から通信制高校のサポート校で教員になる。
そのため、低学力層への支援というのを嫌でも考えさせて頂く立場になる。
教員の実践を通し、虐待といった教育問題を乗り越える方途を考えていたいと思った。

アイデンティティに関する一考察

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アイデンティティに関する一考察

知り合いとの話。

アイデンティティの確立についての話。

私の考え。

自己を確立しちゃった人はどんな人か。
それは、「ぼくはどうせ人間関係うまくないから」と引き籠もっている人である。

だから自己の確立を目標にすると、
結局は引きこもるしかない。

新たに人とも会わず、
何もせず、
自分の世界のみに浸ること。
アイデンティティの確立を目標とすると、
結局は自分の中に引きこもるしかないのである。

私は自己複数性としての
自己を作っていきたいと思う。

自分が確立する必要なんて、何もない。
「未見の我」を求め続ける姿、
なんにでも興味を持ってやっていく姿、
その過程を「自分」にしたい。

札幌に「留学」にいくのも、
それが目標だ。

もっと複雑な自己を作っていきたい。
たくさんのキャラを演じられるようになることが
幸福だと感じているからだ。

教育における日常/非日常

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教育における日常/非日常

教育が日常になると、すべてがつまらなくなる。

同じ教室、同じ友人、同じ教員。
マンネリズムに陥っていく。
そんな「終りなき日常」に、人びとは飽きてくる。
だからこそ私は「非日常」を基にした学び・教育を行なっていきたい。
セミナー、イベント、演劇etc.

寺山修司『家出のすすめ』角川文庫。

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寺山修司『家出のすすめ』角川文庫。

「森の石松も沓掛時次郎も、その反逆精神を発露したときには「一人」だったことをおもいだしてください」(136)

「「期待する」ということに期待しすぎると幻滅するものです」(141)
「「ヒーロー」的人物たちはすべて「怒って」いることがわかります。もちろん、それぞれに怒りの対象はちがいますが、ヒーローの最大公約数が「怒り」であることはまちがいありません」(171)
「ぼくは「自由である」と思いはじめてから、自分の可能性がぐんと拡められたような気がするようになりました。ぼくは自分のアパートを引きはらい、少しばかりの持ち物(本箱や下着類)を屑屋に売っ払ってしまったとたんに、ひどく金持ちになったような気がしたのです。つまり「何も持っていないから何でも持っている」という訳でしょうか。
 ぼくの棲家は「東京」そのものです。これは今までの一アパートよりもはるかに間取りが多くてゆたかです。レコードが訊きたいときにも、今までなら、手持ちのたった二枚しかないマル・|ワルドロンとエリッグ・ドルフィをすり切れるまで訊くしかなかったのが、今度からは街のレコード屋が全部ぼくのレコード室に早代わりできるのです。いつでも試聴室でモンクだのチャーリー・ミンガムだのを訊いてしかもタダです。
 自分の財産を眺めたいと思ったらばデパートへゆきます。デパートへ行けば何でもあります。そこでぼくは自分の持ち物の多さについて誇らしく(まるで、ソロモン大王のような気分で)点検を行います」(215-216)
→シンプルライフの極意である。