2011年 2月 の投稿一覧

村田栄一・里見実(1986):『もうひとつの学校へ向けて』、筑摩書房。

 教育は文化運動だったのだと実感した本。教育実践を学術的側面から取り上げるという営みに、一定の価値があるのだと思った書。

 印象的なのは「学校がもちうる独自な可能性」(152)として里見が考察する場面である。

 <歴史的にいえば学校は、生きるための労働から解放された人びとの「自由な」教養形成の場として成立した、といってよいでしょう。学校はその「閑暇」というギリシア語が示しているように、人間を労働から分離して知的な活動に専念させる場として成立しているわけです。しかしこうした「独自性」によって、学校の独自な可能性が基礎づけられるわけではありません。むしろ逆でしょう。学校が労働や製作的な活動からきりはなされた聖域である間は、学校が独自な存在意義をもつことはなく、かえって、学校が一つの作業場となり具体的な生活の場となったときに、はじめて学校の独自な可能性が浮上するのだ、ということを明らかにしたのが、われわれの先輩たちの生活教育の実践であったと思うのです。
 「教育を作業場に」というメッセージは、われわれのこの往復書簡をつらぬいているいわばメインテーマですが、しかしそこでいう「作業場としての教室」は、すぐれて「もどき」の空間である、ということを強調しておかなければならないでしょう。>(152)

 ここは生活文脈の中に学校を位置づける上で考慮すべき点の指摘である。里見の文章のうち、「もどき」の空間としての学校、との指摘は重要である。なぜならば、「もどき」ゆえに失敗を許される空間であるためだ。子どもの社会化には時間がかかる。子どもの学習のためにアレンジした環境の中で学んでいくにあたり、失敗をしてもかまわない空間の保障が重要になってくる。その際に学校というのは生活空間の「もどき」にすぎないのだ、と意識できることが子どもの自己教育力・「生きる力」を促進していくことになるであろう。

 このあと本書ではスペインの学校においてあえて古い道具を子どもたちが使うという実践が紹介されている。このことは「もどき」の場としての学校ゆえに成立する概念だ。「もどき」だからこそ、現状の社会に合わせる必要がない。それよりも子どもの学びを支える・高める方向で使える道具を用いることのほうが価値が高くなる(イリイチの言うtools for convivialityである)。
 学校でパソコンを用いて学ぶことは、確かに「社会」に出たときの練習にはなるが、疎外された学びを提供する行為に化することがある。小学校でそろばんを学習するように、あえて昔の道具で学ぶという可能性を本書は指摘していた。イリイチのアンプラグ論やコンビビアル論に近いものを感じる。イリイチは、発展の程度の低いラジオや車ならば庶民が自分で直して使えるが、最先端のものならば専門家に頼らざるを得なくなる点を指摘する。教育や生活のためには「先端」のものを使わなければならない義理はないのだ。

 別に学校は最先端の内容を扱う必要のある場所ではない。この指摘に私は自分の学校に対してのドクサを捨てなければならないと感じた。

ルパン三世の精神分析

 初期のテレビアニメ版『ルパン三世』はロールモデルがアルセーヌ・ルパン、つまり「一世」「おじいちゃん」なのである。準拠点がそうなっているからこそ、非合理にも「予告状」(時代錯誤を感じさせる)を出す。すべて祖父以上を目ざしたいのだ。
 しかし、祖父は帰るべき家でもある。アジトはあっても「自宅」のないルパン(おまけに通常の意味での平々凡々な「生活」もない)にとって、祖父という「理念」だけが寄る辺なのである。過度に女を求めるのも、過程を欲する証拠なのである。
 岸田秀的には、ルパン三世はよっぽど深刻な精神異常者なのであろう。

若林幹夫(1995):『地図の想像力』、講談社選書メチエ。

若林幹夫(1995):『地図の想像力』、講談社選書メチエ。

 地図が「発明」されたとき、人間の認識能力は大きく変わったのだろう。それは今ある世界が記号化=情報化されることであるからだ。空間を平面上に再現する営み。地図を持ち歩くとき、空間も持ち歩くことになる。本書を読み、そのようなことを考えた。
 地図という「客観的」に見えるメディアには、共同幻想が見せる恣意的なメッセージを伝える働きが存在している。

●序 帝国の地図

●第一章 社会の可視化

「地図という表現は、人間の歴史の中で様々な時代に、様々な場所で独自に「発明」されてきた。地図を作り、利用することは、人間の社会に相当に普遍的に見られる現象なのである。」(28)

「環境に対して自身が疎遠な「他者」であったり、ある環境に関する情報をその環境を知らない「他者」に伝達しようとする時に、地図的空間は現れるのである。」(38)
→地図を見るときは環境に対して自身が「他者」であるとき。馴染みの空間は「自己」になっている。いわば空間からの「疎外」を回復するために地図が必要とされるわけだ。

「重要なことは、地図という表現がそのような想像的な視点による空間の像を、実際に目に見える形で表現すること、したがって人びとは地図を媒介にしてこの想像的な視点から見た空間の像を、実際に取りうる視点から見た像であるかのごとき経験をするということだ。この意味で、地図的な視点が人間の経験に代補する世界の全域的なリアリティもまた、想像的であり、超越的である。」(42)
→ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』にも、国家の可視化という意味合いで地図が出ていた。

「そのようにして社会が可視化される時、「社会」という存在が湛えるリアリティは、個々の人間の個別的・局所的な経験を超えた超越的で想像的な位相、それゆえ他者と共有され伝達されることの可能な位相を内包している。地図を描き、それを通じて世界を見るという営みは、人間がけっして見晴らすことのできない世界の全域的なあり方を可視化する一つの方法、世界の空間的なあり方に関してそれを可視化し、了解し、その中に自己と他者とを位置づけようとする営みなのである。」(45)

「「科学的」で「客観的」な地図の存在を支えている「科学」や「客観」も、それが世界を記述し理解するための記号による意味の体系であるという点では「神話」や「主観」と変わりがないのだ。」(53)

「地図とは世界に関するテクストである」(54)

「社会や世界の全域的な広がりについて語り、思考する時、私たちはあたかも地図を見るかのようにしてそれを対象化し、思考し、言語化しているのである。」(59)

●第二章 拡張される世界

「帝国や文明圏という存在も、それらが地理的領域を覆うという事態も、結局のところ想像的な全域に関わる事柄としてのみ個々の人びとの了解の中に現れてくるということだ。そこでは、帝国や文明の地理的広がりは、そのような地理的広がりを概念・イメージとして生産し、流通させ、受け入れてゆく社会的な営みと相関することによってはじめて「真実」としての資格を得る。/言いかえれば、帝国や文明という社会は、そのような概念・イメージと相関し、それを支えうるシステムとして貢納や徴税、用役や教育、行政文書や経典等の関係や実践、地の体系を作り上げ、その中で帝国や文明に関するイメージを再生産してゆくのである。」(96)

「貨幣と測量とは、社会の構成要素を単一の指標によって通約的に把握し、それによって社会的な諸関係を交換可能な量からなるものとして組織するという、同一の精神を体現しているのである。」(104)

「測量する視点とはいわば「権力の眼」なのであり、この眼を通じて土地と社会との関係が「数量」として客体化され、客観化されて、一義的に確定されてゆくのである。」(106)

●第三章 近代的世界の「発見」

●第四章 国土の製作と国民の創出

●終章 地図としての社会 地図を超える社会

「近代的地図が「世界」として描き出す範域の拡張と正確な測定、そしてそれらの範域の領域国家による属領化は、領域的な主権国家と資本主義、そして近代的な科学技術という近代的な社会を支えるシステムの地球的な規模での展開と対応していた。それは、特定の様式をもった知、生産と流通、統治権力、およびそれに相関する身体技術や時間システム等の社会的諸関係を秩序づける諸様式の地球的な規模での普遍化=世界化、私たちが「近代」と呼ぶ社会の普遍化=世界化と対応していたのである。」(212)

●あとがき
「地図の歴史や文化史、地図的な表現をめぐる考察等を読んでいるうちに、「社会」と「空間」についてだけでなく、「社会という経験」そのものについても、地図という表現を触媒にして考えることができるのではないかという気がしてきたのである。」(255)

ピエール・ブルデュー(1977):原山哲訳『資本主義のハビトゥス』、藤原書店、1993。

 貨幣文化が導入・普及する等、「資本主義のハビトゥス」が人びとに共有されるようになる様子を、アルジュリアでのエスノグラフィーをもとにしてブルデューが描く書。「貨幣」制度が入ることで文化が貧しくなる傾向があるということをアルジュリアの例を通して語っているように見える。バタイユの「蕩尽」や「贈与」の議論を思いだす(『呪われた部分』)。実際、ブルデューは「反対給付」などの言葉を使っている。これ、バタイユが先かブルデューが先か…。まあ、どちらもモースの『贈与論』を元にしている点では同じである。

●序論 構造とハビトゥス

「経済的行為の主体は、ホモ・エコノミカスではなく、現実の人間なのであるが、その現実の人間は経済によってつくられているのである。」(11)

●第一章 単純再生産と周期的時間

 貨幣文化の普及により「人々は、それ自体では、なんの喜びももたらさない記号について、考えるようになるのだ。」(29)。つまり、貨幣という記号をありがたがるハビトゥスが形成されるのである。
 このハビトゥスは「時間」概念も変化させる。「前資本主義的経済が要請する時間の経験の特殊性は、つぎの点にある。つまり、その時間の経験は、いくつかのなかの選択された、ある一つの可能性として提示されるのではなく、その経済によって、唯一可能なものとして課せられるものなのである。」(36)。
 また「公平」の感覚も、資本主義のハビトゥスが入る以前と以後とでは変わってくる、とも指摘している。
 

「農民は、厳密な意味では、労働することはしない。彼は、労苦にたずさわるのだ。」(47)
「労働は、本来、目的ではないし、それ自体、徳であるわけでもない。価値あるとされているのは、経済的目的に志向した行為ではなく、活動そのもので、それが、経済的機能から独立し、社会的機能をもつかぎりにおいてなのである。」(48)

「時間的継起の組織化の原則は、性による分業を決定する原則と同じである」(54)
→イリイチのシャドウ・ワークの根拠でもある。

●第二章 矛盾する必然性と両義的行動

(ダニエル・ラーナーからの引用)
「近代社会によって発展する行動のモデルは、感情移入、すなわち、他者に応じて自己のシステム(self-system)をすばやく再組織する能力によって特徴づけられる。伝統的社会の孤立した共同体が、非常に拘束的なパーソナリティに基づいて機能していたのにたいして、近代社会の諸部分が相互依存しあう事態は、広範囲の参加を要求し、このような参加は、開放的で、適応的な自己のシステム、つまり、新たな役割を取り込み、個人的な価値を公共的な問題に一致させることができる自己のシステムを必要とする。このこと故に、社会の近代化は、われわれが心理的流動性とよぶ大きな心理的変化にかかわっていた。」(61)

「見せかけの仕事」(75)。それは「農民社会のように、その成員に労働を与える義務をそなえた社会、そして生産的ないしは営利的な労働を知らず、同時に、労働の稀少性も知らず、失業の意識もない社会、そういった社会では、なにかしたいと思う者には、つねにすべきことがあると考えられていて、また、労働は社会的義務とみなされ、怠惰は道徳的過失とみなされているのである。」(75)。貨幣経済が導入されると、前資本主義的ハビトゥスである「見せかけの仕事」を行う元農民が多く表れてくる。これが人びとの貧困・搾取にもつながってくる。
また、貨幣経済が浸透すると、前資本主義的な家族のあり方が崩れて来る点をブルデューは指摘する。
「測定でき、通訳できる貨幣収入の多様な道の出現は、家族の分裂の可能性をはらんでおり、家長の権威はおびやかされるのである。というのは、他の成員の服従は、衰退するのをやめず、各々の成員は、収入の自分の取り分を主張するようになるからである。」(81)。その結果、「大部分の場合、出費を取り決めたり、その他あらゆることを命令するという、家長の無条件的な権威は、終わりを遂げている。」(85)のである。
 このことは各人の自由の増大を保障することになるが、その反面「家族」や「一族」のあり方が変遷せざるを得なくなる。

●第三章 主観的願望と客観的チャンス

「下層プロレタリアは、教育や職業的資格の欠如―それらの欠如は、同時に、彼らの存在の欠如でもある―の責任が、また、システムにもあるのだという意識に到達することはないのである。」(107)

「要するに、完璧な疎外は、疎外の意識さえも抑止してしまうのだ。」(108)

「常勤の仕事と、規則的な給与が与えられてこそ、開かれた、合理的な時間についての意識が生まれるのである。行為、判断、願望は、生活設計とともに、組織化されるようになるのである。そうなってはじめて、革命的態度が、夢への逃避や、宿命論的なあきらめに取って代わるようになるのだ。」(109)

●第四章 経済的性向の変化のための経済的条件

「最下層の人々は、安定した職業、より厳密に言えば、きまった職業、および、それに到達するのに不可欠な職業的資格と学歴を願望しているのだ、ということを理解しなければならない。守衛、夜警、通信連絡係、監視人といった仕事は、彼らにとっては、「夢の職業」である。というのは、それらは、つらい仕事ではないし、また、学歴、職業教育、資本がなくても得られる仕事のなかで、最も確実な仕事であるからだ。」(123-124)

「よく言われるように、未来を持つ者は、未来を支配しようと企図出来る者なのだ。」(128)

・148頁あたりで述べられている、スラムからアパルトマンに移る話は、「都市化」をめぐる社会学の議論と同様の構図である。「スラム街の生き生きとした雰囲気は、集合住宅地の表面的で断片的な人間関係に取って代わる」(148)等のように。イリイチの「コモンズの消滅」をめぐる議論を思い起こす。
 都市的住居は費用がかかる。そのため「近代的住居は、近代的生活を可能にするものであるはずが、逆説的にも、近代的な生活に参画することに対する障害となるのである。」(140)

●結論 意識と無意識

「つまり、彼ら下層プロレタリアは、状況の真実を知らないが、その真実を実践しているのであり、言い換えれば、実践することにおいてのみ、その真実を語るのである。」(155)
→無自覚的な実践(プラチック)が構造を支え、再生産させる。

「そして、現在の状況に対する反逆が合理的で明示的な目的に方向づけれられるようになるには、目的についての合理的意識の形成のための経済的条件がなければならない。つまり、現在の秩序が、それ自体、自らの秩序の消滅の可能性を備えており、その秩序の消滅を企図することの出来る行為主体を生産しなければならないのである。」(157)

●縦走する社会学的実践 訳者解説にかえて

ブルデュー「伝統的な民俗学の方法は、充分なものではなかったので、私は、統計的手法と民俗学的方法とを、組み合わせて、研究しようとしたわけです。」(173)

その他雑記
・本書はやたら句点が入る。「訳者解説」の部分も、不必要な場所でくどいほど句点が入る。『日本語の作文技法』が必要だと思った。

・アルジェリアにすむ下層プロレタリアートの生活世界を事細かに描き、なおかつ統計的手法も用いるブルデューの研究の鮮やかさを見習いたい。

追記

 夢を見るのは子どもと〈現実的な夢を見られない〉大人のためのものであるようだ。本書ではアルジェリアの下層プロレタリアートが〈自分の子どもは弁護士か医者にしたい〉という「呪術的な願望」をしている旨が描かれている。「呪術的な願望は、未来をもたぬ人々に固有の未来なのだ。」(121)。この皮肉さが印象に残った。

橋本治(2001)、『20世紀(下)』、ちくま文庫、2004。

 日本の(そして人びとの)生きた「20世紀」を、各年ごとに見ていく書籍。年ごとの常識や認識枠ぐみのちがい(つまり当時の人びとの生活世界の変化)がなかなかに興味深い。例えば、京王線は1913年に開通するが、東京の郊外化が現実になるのは、つまり「通勤圏として開けるのは、1923年の関東大震災で都心部が壊滅してしまった後」(上137)なのである。1907年開通の渋谷ー玉川を繋ぐ玉電も、「これで玉川の砂利を運び、そのついでに人間も運んだ」(上138)ものであった。
 興味深い点を下から引用。

「「駅前にスーパーがある」と「不便ながらも」を一対の条件のようにして、日本人の住宅エリアは広がって行く。戦後の新しい生活スタイルは、スーパーマーケットと共に、かつての生活習慣を保ったままの住宅街から離れたところで確立された。」(下 80:「1958」)

「1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。時代の中で生まれた「思想」は、まだ続く時間の中で古くなり、時代というものに追い越されて行った。それを自覚しない「思想」の信奉者は痙攣し、その責任と役割を「大衆」にバトンタッチした「思想」は、ゆっくりと終焉を迎えて行く。」(下148:「1969」)

 橋本治の本は幾つか読んでいるが、内田樹の本を一定数読んでから見てみると、内田の文体がいかに橋本の影響を受けているか、「なんとなく」(こういう書き方、ということです)分かってくる。
 他に1960年代が週刊誌の時代だった(1961年に週刊誌が17誌も増えた)ことなど、その時代に生きていない「若手」として非常に興味深い内容が多い本だった。
 本書には言及はないが、オイルショックを「産業構造の変化」で対応できた日本は1974-75年をマイナス成長にするだけで1992年のバブル崩壊まで常に右肩上がりの成長をしていたのであった。その分、大学と企業のつながりは深く、大学生の就職難は問題化しなかった。一方、オイルショックを乗り越えられなかったヨーロッパ各国は、そこから恒常的に若者(大学生含)の就職難が問題化することになった。日本はいわば欧州の認識と遅れて同調したわけだ。現在の日本の就職活動をめぐる問題を見ていると、どうも一国内に終始しており、「ヨーロッパもそうなのだ」という伝え方をしていない。他国に習う発想が、こと就職活動については行われていない。

藤田英典(1998):志水宏吉編著『教育のエスノグラフィー』、嵯峨野書院。

p54現象学的エスノグラフィー
「後期フッサールやA・シュッツが説いたように、〈生活世界〉は日常生活者によって意味付与され、枠付けられて展開しているのであるから、その意味付与的な行為とその行為を通じて構築され展開している間主観的な意味世界を記述し考察すると言う意味である。また、P・ブルデューの見方によれば、社会は生活者のハビトゥス(行動産出原理としての身体化された心性)によって意味付与され、構造化されており、その構造は実践(慣習的・戦略的行動)のなかに顕現し、かつ、実践を枠付けているのであるから、その実践の展開過程を記述し考察することにより文化社会・生活世界やそこでの諸活動の特徴(構造・機能・意味・性質)を明らかにするというのが、ここでいう現象学的アプローチである。」

真木悠介(1977):『気流の鳴る音 交響するコミューン』、筑摩書房。

 70年代的思想の影響が如実に現れている本。当時はコミューンや疎外論が恐ろしく力を持っていた。時代が生んだ本と言えるが、当時を知らない私としてはかえって新鮮さを覚える本であった。

「「世界」と〈世界〉のちがいについては、それ自体本文の全体を前提するので、あらかじめ正確に記述することはできない。とりあえずこうのべておこう。われわれは「世界」の中に生きている。けれども「世界」は一つではなく、無数の「世界」が存在している。「世界」はいわば、〈世界〉そのものの中にうかぶ島のようなものだ。けれどもこの島の中には、〈世界〉の中のあらゆる項目をとりこむことができる。夜露が満点の星を宿すように、「世界」は〈世界〉のすべてを映す。」(31-32)

「目の世界が唯一の「客観的な」世界であるという偏見が、われわれの世界にあるからだ。われわれの文明はまずなによりも目の文明、目に依存する文明だ。」(82)
「重要なのは見ないことではなく、目に疎外されないことだ。」(85)

 カスタネダという老人の教え
「人間が暗闇の中で走りたくなるのは、必ずしも恐怖に駆られてではなく、「しないこと」を知ってよろこびにわいている身体の、きわめて自然な反応でもありうるのだと言う。」(89)

理系と文系の対話

久々に弟とメールした。その際のやりとりが興味深かったので、少しここに書こうと思う。

・・・・・・・

まずは引用から。

> あれからバスの中で考察したところ、自分は、人間が他の物質や生物とは異なる特別な存在だとする理論が嫌いなのだという結論に至りました。
> 霊魂や前世来世、インテリジェントデザイン、性善説、観測宇宙論といった理論は、人間を特別な存在だと設定する必要があるので、人間もあくまで動物であり自然現象の一部だとする自分の考え方と合わなかったのだと思います。

ここは私も同意見。全ては相対化のまなざしで見るべきであります。

> それと、「観測者が存在しないと宇宙は存在しないも同然」という考え方は、マクロな世界で適用すると哲学的な話になり、反証不可な上に、そこから何も産み出せないという悪質なものだと思います。そもそもの発想の起点が異なるので、物理学とは比較しようがないです。
> こうしてみると、人間を主体として見るかどうかに文系と理系の違いがあるように思います。
> まあ、これはあくまで今の自分が思うことであり、今後に変化することがあります。
> 支離滅裂ですみません、ただ、誰かに言いたかったので…
>
>

実は文系も50年代あたりは理系的だったんですよ。サルトルとかの実存主義がそれですね。知識人の存在意義(レゾンでーテル)は一体何かを考え、今やるべきことを見過ごすやつは「自己反省すべき!」だ、などと言う(今から見ると)「青い」考え方でした。

自分の実存(ここでは「自分という存在があること」とでも考えてください)の絶対性を見るあり方です。これがレヴィ=ストロースらの「構造主義」で完膚なきまでに否定されるわけです。だって、人間ってそんなにすごい存在じゃないですもん。

ところで、実存主義の側からの構造主義批判として「構造はデモに行かない」と黒板に書いてデモに行った高等学校生(フランスではエリートにあたります)の話が時々持ち出されます。「構造主義者は人間を超えた〈構造〉が人間を動かすとか言うけど、〈構造〉は何かアクションできるのかい?
俺は自由意志に基づいてデモに参加できるんだぜ? 俺のどこが構造に従っていると言えるんだよ」ということを示す板書であったわけです。
…これ、よくよく考えると「戦争反対のデモに行くべき」という「構造」にまぎれもなくこの高校生が突き動かされてるだけ、とも言えるんじゃないでしょうか(桜井哲夫のフーコー論の受け売り)。

人間の自由意思や、人間の主観によって物理的世界を観測しようとする場合、とりあえず自分の「主観」の正しさを信じることになるわけです。ですが、その主観は「構造」を離れることも、あるいは「感情」を離れることもできません(実験室で「ああ、腹減った。もういいじゃん、これで観測結果にしとこうよ」という場合、客観性は担保されるのでしょうか?)。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの有名な「客観性」論文では(岩波文庫で読めます)、自分の認識(主観のことです)が自分の属性や「構造」に影響を受けているのを認識したうえで、それらの影響が表れない程度まで徹底して現象を記述することで、客観性を担保することを訴えました。実際、私のいる社会学の領域では、学者自身が「社会」のまぎれもない一員ですから、「社会」の「構造」の影響をモロにうけつつ、にもかかわらず「社会」を記述しようというかなりムチャなことをしています。これも、ウェーバーの客観性の基準(厳密にはマンハイムのいう「存在の被拘束性」の基準でもあります)を守ることで「それって、君が思うだけで客観的でないんじゃないの」という批判に答えようとしているのであります。

理系はこの人間の「主観」の問題をあんまり考えてないみたいですね。前に話したクリプキのグル―みたいな概念が実際に存在すると仮定すると、原子やなんかの厳密な認識なんて、出来ないですね。でも、このことは物理学が客観性を満たしていない、ということではないのです。「近代」科学のやり方で十分にメリットはあったからです。ですが、学者の主観性を想定したうえで学問を進めると、さらに物理学が発展すると思います(し、すでにそうなっているのかもしれません)。

メールの返信になっていれば幸いです。

Bourdieu, Pierre/Wacquant,Loïc.J.D(2007):水島和則訳『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』、藤原書店、2007。

 ブルデュー思想を、ロイック・ヴァカンが整理・編集した著作集。読書上のメモの抜粋集としてここに記す。

第Ⅰ部 社会的実践の理論に向けて(ロイック・ヴァカン) 

「ブルデューは方法論的一元論のあらゆる形態、構造もしくは行為主体、システムもしくは行為者、集団もしくは個人のいずれかに存在論的優先性を主張する考え方に反対し、関係というものの優先性を主張する。彼によれば、二項対立のどちらかを選ばせる考え方は社会的リアリティについての常識レベルの見方を反映しており、社会学はそうした見方を取り除かなければならない。」(34)

36頁より:「ハビトゥスと界がこれら諸関係の結び目を示す鍵概念である」

「ハビトゥスは構造を形成するメカニズムであり、行為者の内側から作用する。」(38)

「「実践感覚」はあらかじめ知っている。つまり、現在の状態のなかに、界がはらんでいる未来の状態を読み取る。過去、現在と未来はハビトゥスのなかでお互いに交叉し、相互浸透しているからである。」(43)

*「実践感覚」と書いた後、[勘]と記述されている箇所があった。実戦感覚、つまりハビトゥスは「勘」ということであるのかと気づいた。

「グラムシがすでに理解していたように、科学こそまさに、きわめて政治的な活動なのである。」(78)

「社会学の使命は、行為を規定している制約要因の世界を再構成することによって、行為がなぜなされたか、その「必然性を示す」ことであり、それらの行為を正当化することなく、恣意性から引き離すことである。」(81)

「ブルデューにとって、真の知識人は時の権力、経済的ならびに政治的権力の介入から独立していることによって定義される。」(90)

*アメリカのダウンタウンのボクシングジムの事例を出すヴァカン。このあたりは、彼のエスノメソドロジー実践を示している。

「結論としていえば、それが示唆しているのはブルデューの社会学が彼がこの言葉に与えた意味でのひとつの政治として読まれるべきだということだ。つまり、われわれを構築したものの見方を変える企てとしてである。それゆえに社会学は、合理的に、そして人間的に、社会学を、社会を、そして究極的にはわれわれの自己を形づくることができるのだ。」(93)

第Ⅱ部 リフレキスヴ・ソシオロジーの目的(ヴァカンの質問にブルデューが答える)

「あらゆる社会学は歴史学的であり、あらゆる歴史学は社会学的であるべきなんです。事実、私の提案している界の理論の機能のひとつは、再生産と変動、静態と動態、あるいは構造と歴史の間の対立を消滅させることです。」(124)

「界という観点から考えるということは、関係論的に考えるということです。」(130)
「ヘーゲルの有名な言葉をもじって、実在するものは関係であるといってもいいでしょうね。社会学的世界の中に存在するものは、関係です。行為者同士の相互行為でも間主観的な結びつきでもなく、マルクスがいったように「個人の意識や意志からは独立して」存在する客観的諸関係なのです。」(131)

「界の概念の主な利点は、それぞれの界について、境界は何か、他の界とどのように「接合」されているのか、といった点をつねに自問するよう強いることです。それは実証主義的経験主義の理論不在に陥ることではなりません。現実に対して立てられる、繰り返し立ち戻ってくる問いの体系を扱うということです。」(147)

「ハビトゥスとは知覚図式、評価図式、行為図式の体系、持続が可能で組み替えの可能な体系ですが、この体系は社会的なるものが身体(あるいは生物学的個体)のなかに成立した結果です。界は、さまざまな客観的関係からなる体系ですが、この体系は社会的なるものが、物のなかに、あるいは物理的対象とほぼ同じリアリティを有するメカニズムのなかに成立した産物です。さらにはいうまでもなく、社会科学の対象はこの[リアリティと界との]関係から生まれたものすべて、すなわち社会的実践や表象、あるいはそれらが知覚され評価されるリアリティの形態として現れたものである界をも含みます。」(168)

「ハビトゥスは特定の状況とのかかわりのなかでしか現れません。」(177)

「私の研究活動においては、もっとも重要だと私が考える理論的アイディアを見つけだしたのも、聞き取り調査を実施したり質問票の集計をしたりすることによってだったのです。」(208)

「保護されていた結婚制度から「自由交換」への移行は犠牲をつくり出します。」(214)
→現在の「婚活」の発想を、ブルデューは1989年の時点で指摘していた。

「社会学者とは、街頭に出かけていって誰にでもインタビューをし、人々の話に耳を傾け人々から学ぼうとする人たちです。これはソクラテスがいつもやっていたことです。」(256)

*第Ⅱ部ではブルデューのハビトゥスや界の概念がいかに安易に解釈され、誤解されてきたかを示している。そして、その誤解を訂正する内容のやり取りが多く行われている。

第Ⅲ部 リフレクシヴ・ソシオロジーの実践

「私がみなさんに教え込みたいと願っている姿勢のなかに、研究を合理的計画としてとらえる能力があります。研究を一種の神秘的な探究として大げさに語るのは、自分を安心させるためなのでしょうが、逆に恐れや不安を大きくするだけです。研究を合理的な企てとみる現実主義の姿勢は(…)はるかに深い失望を味わうことのないよう身を守るための、おそらくは最良の方法であり唯一の方法なのです。」(271-272)
→だからこそ「研究者が淡々と自分の仕事をこなしていく」ことを否定的にみないのが重要である。ウェーバーの『職業としての学問』にあった「日々の仕事(ザッヘ)へ帰れ」も、要するに淡々と研究することであろう。

「他のどんな思想家以上に社会学者にとっては、自分自身の思考を思考されざる状態に放置しておけば、自分が考えているつもりの当の対象に道具として使えてしまうことになるのです。」(293)
→これはマンハイムの「存在の被拘束性」ということとしても説明できる。また、ウェーバーの「客観性」論文も、同様の内容である。研究者自身の認識枠組みやハビトゥス・界に自覚的であることが必要だと名高い社会学者たちは語っているといえる。

訳者あとがき

「相手を対象化しようとうる動機(社会学に惹かれる人間につきまとう動機)それ自体が当人に自覚されない限り、人は相手について語っているつもりでつねに自分について、あるいはその相手と自分との関係について語ってしまう、という洞察に立脚するものだったのである。」(338)

「誤解を恐れずにいえばブルデューの学問的営為を「異文化体験の現象学」と形容できるのではないだろうか。ここで「現象学」という言葉は、本書で用いられる客観主義と対置されている主観主義という意味ではなく、志向性という概念を軸に「知る者―知られる者」のあいだにある「関係」を考察の焦点とするという本来の意味で用いている。」(339)

*本書冒頭ではヴァカンが「この本にはブルデューの著書のダイジェストでもなければ、ブルデューの社会学の体系的解説もふくまれていない」(10)と断わりを述べている。しかし、結果的に本書がブルデュー入門になっているのは興味深い点である。また、ブルデューの学問観や学者に求める姿勢が非常に参考になる。

*本書は竹内洋『社会学の名著30』のトリを飾るものである。