2010年 5月 の投稿一覧

私は旅に出るんです、

だからおねがい、カバンを買って。
四角く硬いトランクで
上に座って良いものを。
夢と期待を閉じ込めて
列車に乗って出かけたい。
片道キップをポケットに
陽の出るほうへと一人旅。

小3の結婚

副都心・池袋駅の看板広告。興味深いので撮影。

小説のテーマに恋愛や結婚は何度となく取り上げられる。
現在(というかしばらく前から)はゲームで結婚は擬似経験される。

隣家の窓。

 ヒッチコックの『裏窓』(原題 Rear Window)を見ている。カメラマンの住む家の窓から見える殺人(のような)劇。カメラマンは窓から絶えず「容疑者」を観察し続け、犯行の内容を推理し続ける。自分の行動が実は誰かに観察されているかもしれないということがこの映画のテーマである。自分のプライベートが他者に見られていることを意識すると、何も出来なくなる。近代社会は「儀礼的無関心」(アーヴィング・ゴッフマン)を行うのがルール。「相互行為の同じ物理的場面に居合わす人たちが、互いに相手の存在に気づいていることを、相手に脅したり過度になれなれしい態度をとらずに相手に明示する過程」(ギデンズ『社会学』用語解説)。それが「儀礼的無関心」。他者に過剰に干渉せず「見て見ぬ振り」をすることである。誰かに見張られていると感じると、我々は何も行うことが出来ない。ましてプライベートなことを。

 寺山修司の映画『田園に死す』を見ると、前近代社会において覗きが日常的であったことがよくわかる。障子の穴から他人を見つめる隣人たち。同質性を要求される中世的共同体では、相互に監視しあい、目立ったことができないようになっている。

 近代の都市的生活では、「隣は何を/する人ぞ」。隣人と一切会わないまま生活することができる。

 もし隣人がこちらの行動を覗き見たり盗聴したりしていると想像するならば、もはや生活することはできない。それゆえ窓にはカーテンを閉め、鍵は二重にし、防音性を考慮した家作りをするのだろう。

 私のアパートは窓が一つしかない上に、暑さがこもるため、夏にはとても過ごせない場所である。自然と下着に近い格好で家の中を暮らすことになる。この姿が他者に覗かれていると想像するととても生活できない。

 近代社会では意外なことに、「人は覗きをしないものだ」という性善説に基づいて人々は暮らしているのである。前近代社会では障子の隙間・板戸の間から人々の生活(特に夜の生活)が日常的に覗かれている恐れがあった。

 そういえばフーコーは「見るー見られる」関係に権力構造を見いだした。この映画での絶対的な権力者は一方的に覗きを行うカメラマンの男である。あとの者は彼に「見られる」客体にすぎない。

 映画のクライマックス。覗いていた相手であるセールスマンが覗き主の家にやってくる。目撃者である彼を殺そうとして。これは「見るー見られる」関係が存在することに怒る近代人の比喩であろう。

学校で文章の書き方は教えられているのか?

 「学校」が作られたのは何のためか? 『子どもはもういない』の著者ニール・ポーストマンは〈読み書き能力が人々に要求されるようになったためだ〉、と説明する。それまで、子どもは「小さな大人」として扱われており、子どもと大人を分けるものは殆どなかった(アリエス『子供の誕生』)。けれども「印刷技術の発展を経て、書物を読むことが一定の階層や特定の職業従事者のみの問題でなくなった今、すべての民衆が文字の世界に参入することが重要な課題となってくる」(今井康雄編『教育思想史』)。読み書きというスキルの習得には時間がかかる。それゆえに「学校」の中に子どもを囲い込み、文字を習得させる時間と場所を用意したのだ。

 前に大学のあるクラスメイトのレポートを見せてもらったことがある。酷い出来だった。段落わけがなされておらず、引用の書き方もどこからが引用の始まりか、よく分からない。全体を読んでも意味が不明瞭。「悪文」の典型であった。読む気が失せてしまう。

 大学生のレポートが悲惨な出来であるのを見ると、文字を書くことができても「文章を書く」技術は習得されていないようである。しかもそのクラスメイトは早稲田大学生。早稲田合格者ですらそのレベルなら、他の大学生については推して量るべきである。

 読み書き能力を子どもに習得させるための学校であるのに、なぜか「文章」を書くことすらできない生徒を産み出している。それは何故か? 簡単に言ってしまえば、書き方を教えるはずの学校で、文章の書き方が教えられていないのだ。これでは「学校」が何のためにあるのか分からなくなってしまう。何のために子どもを実社会から隔離してまで学校教育を行っているのであろうか。

 大正デモクラシーが華やかなりし頃、日本では「新教育」という運動が起きた。児童中心主義の教育実践を呼びかける行動である。その中心人物・芦田恵之助(あしだえのすけ)が広めたのが生活綴方(せいかつつづりかた)運動だ。これは子どもが自らの「生活についての認識や感情を綴方(作文)に表現させ、そのことを、主として学級集団のなかで検討しあうことによって主体的な行き方を探求させ」る実践のことだ(『教育学用語辞典 第四版』学文社)。芦田から広まった生活綴方運動の最高到達地点が『山びこ学校』(無着成恭)である。無着成恭が自分の受け持つ小学生たちに書かせた作文を本にまとめたもの。有名な「雪」という詩は非常に情感豊かだ(「雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮らしているのです」)。他にも村で流行していた「おひかり様」というカルトに対し小学生たちが批判する文章も掲載されている。『山びこ学校』には詩や随筆ばかりか社会に対する批評までも納められているのだ。無着の実践では「文章を書く」ことが小学生に習得されていた。

 翻って今日の学校を見ると、「文章を書く」ことは本当に果たされているのだろうか。書き方を教えるはずの学校で文章の書き方が教えられていないなら、誰が教えると言うのだろうか。いま一度、生活綴方の伝統の復権が必要であるかもしれない。

里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、2010

 この本を私は、長野に向かうバスのなかで読んでいた。高速道路から見える緑の風景。ブラジル生まれの教育学者パウロ・フレイレが活躍したのも、こんな景色の中であろうか。残念ながらブラジルに行ったことがないので詳しくは分からないが。

 本書はフレイレ(1921-1997)の著書『被抑圧者の教育学』の解説書である。フレイレの教育思想は一体何をテーマにしたものであったかを、著者の里見は検討していく。

 フレイレは教員の一方的な教えこみによる教育を「預金型教育」といって批判をする。預金型教育は人を受動的にしていくからだ。タイトルにあるように、「被抑圧者」にさせられるのが「預金型教育」である。

 そうではなく、教員ー生徒、あるいは生徒どうしの対話による「問題化型教育」が必要であるとフレイレは主張した。彼の「識字教育」は「問題化型教育」の実践である。実際にブラジルの農村をまわり、フレイレは「問題化型教育」を行う。それが当局に批判され、ついには亡命を余儀なくされてしまうのであるが。

 フレイレが危険を冒してまで実践したこのねらいは何か? それは抑圧を受けてきたものが、教育を通じ、自分自身の主体者となることである。

「『読み手』として世界に向きあうこと、それをフレイレは『意識化』とも呼んでいます。(…)フレイレにとっては、識字は『意識化』と同義でした」(154頁)。

 つまり、フレイレの識字教育は世界を読み取る主体に人々を変えていく行為であった。これは受動的な存在から、主体的に世界に関わる存在へと転換することを意味する。「被抑圧者」が、教育によって「人間化」するのだ。「人間化、フレイレの教育学の、これが根幹です」(49頁)と里見はまとめる。フレイレにとっては人間化のために教育が重要なのだ。

 興味深いのは、フレイレが書いた次の記述である。「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすら、自由にすることができない」(85頁)。被抑圧者が「人間化」され、自由になるとき、はじめて抑圧者自身も自由になる。人が人を抑圧するということも「非人間化」されているのである。

 フレイレの本を読むと、あらためて教育の意義や「輝き」を感じられる気がする。

子守り学級に学んだ子どもの明治44年(1911)・卒業式答辞(旧開智小学校(長野県・松本市)に置かれていた資料)。

私共は不幸にして学校へもあがらず子守にまいりましたが先生やご主人のおかげ様で文字や子供のしつけ方などおしへていただき今日めんじょうをいただくことになりましてまことにうれしく思ひます。こののちは一そうべんきょうして御恩にむくひたいと思います。

明治四十四年三月二十五日

子守生徒総代

(原文は旧かなづかいが使用されている)

コメント

 当時、生活の都合上、子守りをしつつ学んだ一群の生徒たちがいた。写真を見ると、一つの教室に座机を並べ、赤ん坊を背負った子どもたちが座っていた。そんな状況で授業を行う(読み書きなどについてを)。教育のもつ、輝きを見るようだ。

 不覚にも、泣きそうになった。自分はイリイチ流の脱学校論者であるはずなのに。