2010年 4月 の投稿一覧

内発的意志と外発的意志

 子どもに自由を認めるとは、失敗する自由も含めての発想である。

 たとえ失敗してその人のためにならなかったとしても、「外発的に与えられたものに人は納得しない」ということを肝に銘じなければならない。内発的な意志による決断でないと、「あのとき、自分の本当に行きたかった道を選べば良かった」と後悔することになる。
 進路選択。四大に行ける「学力」を備えた高校生が「職人になりたいから大学に行かずに就職する」ということを言い出しても、「いや大学は行っといたほうがいいよ」と教員は邪魔をする。親からも「社会」からもそういわれ、結果「やっぱそういうものかな」と大学受験をしてしまう。
 やがて大卒でサラリーマンになった彼は、満員電車に揺られ、外の景色を見つめている。或るとき線路沿いに見える個人経営の店を見つける。そこで働く職人たち。「俺も、あの道を選んでいても良かったんじゃないかな」とふと思う。その時、10数年の時を経てあの進路指導室での一コマが頭によぎるのである。
 無論、自分で道を選んだ結果、失敗することもある。けれど自分で選んだことであるならそれなりに納得できるはずだ。外発的な動機で道を選択した場合、ルサンチマンだけが高まっていく。
 
追記1
 これに近い状況は、大学院に行くか行かないかの選択時にもある。
「君くらいの学生なら、院で研究をしたほうがいいんじゃないか」
 仮にそういわれても、いい内定先を得ているなら学生は迷わずに企業に向かう。
 大学院に行くかどうかの選択時と同じ状況が、高校の進路指導の際に起きれば面白いのだが。
追記2
 この話にはさらに反論が可能である。
 twitterに流れていたが、2ちゃんねる管理人のひろゆき氏が「若者の起業は失敗しやすい」という旨で文章を書いていた。それへの反応として「いや、これはひろゆき氏のフリであって、《こんな文章を読んで起業を諦めるのなら、起業してもまずうまくいかない》というメッセージを伝えているだけなのだ」、というものがあった。本文中の進路指導室の話はまさにそれである。「この道はやめとけよ」と言われても、《にもかかわらず》自分で道を選ぶという姿勢が重要なのだ、と言うことも可能である。

奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992

 東京シューレが出来て7年目に出た本。その時点での奥地の著書に『女先生のシンフォニー』(これは教員時代の1982)、『登校拒否は病気じゃない』・『東京シューレ物語』・『さよなら学校信仰』・『お母さんの教育相談』・『登校拒否なんでも相談室』があり、手記収録に『学校に行かないで生きる』・『学校に行かない子どもたち』がある。シューレ発足からわずかの間にかなりの関連書が出されていることがよく分かる。当時、東京シューレという存在は非常にもてはやされた。現在はあちこちに「フリースクール」が出来たため、東京シューレそれ自体への注目度は人々の間で下がったのではないか。
 「不登校」と言わずに「登校拒否」と言っている所に時代を感じる(奥地が後に書いた本は『不登校という生き方』である)。
 本書は「学校離れを起こしている子どもたちを『直そう』とするのではなく、子どもが背を向けていく学校を問い直すことの方が必要である」(222頁)との発想から《「どんな学校なら必要か』を考えてほしいという問題提起》を起こす、という目的のもとで書かれている(あくまで目的の一つであるが)。学校へ行くことで個性が失われたり、子どもが無気力になったり、(いじめなどで)傷ついたりしてしまう。それでも大人(親・教師・一般人)は「それでも学校へ行け」と子どもを責める。重要なのは学校のあり方を考えることであるにもかかわらず、子どもをムリに学校に適合させようとする。これはベッドに合わせて人を引っ張って伸ばしたり、足を切断したりするというプロクルステスのベッドと同じである。
 印象深い点を引用。

東京シューレをやるようになって、はっきりと見えてきたことだが、教師時代の研究授業や研修の方向は、四十人なら四十人の子ども全員を、一斉に、四十五分間いかにこっちを向かせるかの技術訓練だったのだと思う。(73頁)

子どもは何らかの強制力がないと勉強しないものだ、学ぶはずがない、だから子どものやる気を待っていてはダメで、大人が何かやらせないと、楽なほう(やらないほう)に流れるに決まっている、それでは生きていけるようにならない、と思っている大人は実に多い。「でもそれは違う」という私の考えはまちがっていなかった、と東京シューレ七年の実践で思えるのはうれしいことだ。(89頁)

 奥地が指摘する点、結構多くの人が話す内容である。子どもに自由を与えるのは危険だ、などなど。これ、子どもを不信の目で見る立場である。ニイルほど信用するのも危うい気がするが、それでも現在の日本では子ども(さらに言うなら若者)への根強い不信感が漂っているようである。だから子どもを縛るためにココセコムやら改札を通るたびの「お知らせメール」やらの技術開発が要求されるのだろう。まさに「学校身体の管理技術」が発達し、子どもがどんどん不自由になっているのだ。
 私たちはもっと子ども(や若者)を信頼してもいいのではないだろうか。そう思う。

野村幸正『「教えない」教育』二瓶社、2003年

 本書のサブタイトルは「徒弟教育から学びのあり方を考える」。心理学者の立場と、仏師に弟子入りしている立場両面から「徒弟教育」という「教えない」教育のもつ意義についてを語る。暗黙知・正統的周辺参加などのキーワードを元に説明をする本である。

いま、教育に人の働きが発揮されると、単に教える者から教わる者へと教授すべき内容の情報が移動するだけではない。その情報を取り巻く世界が共有され、それを学ぶ意味あるいは喜びといったものが、教える者と教わる者とが一体化したかかわりのなかで共有されていく。そして、それがそれぞれに分化し対象化されてゆくなかで、情報が情報として伝達されてゆくことになる。それはもはや情報の伝達云々以上のものであり、情報の創造と言ってもよいほどのものであろう。そして、この人の働きをもっとも強調した教育が、すでに言及した徒弟教育である。さらには正統的周辺参加である。(105〜106頁)

 ここにあげた「あえて、教えない教育」を実践するのはいささか難しい。けれどその中に日本の教育(公教育も私教育も入る)の改善点があるのではないか。ちょうど原ひろ子『子どもの文化社会学』にあった「教えられることに忙しい」子どもが日本に多く存在しているのだ。

教師としての職業を遂行してゆくこともまた難しい。ましてや教えることを仕事とする教師が「教えない」とまで言い切ることは、余程の力量と自信があってはじめてできることであろう。そして時には、この教えないことが教えることよりもはるかに重要な意義をもつこともある。過剰教育が問題となるのは、単に知識を与え過ぎる云々を超えて、せっかく子どもが直面した生の体験を自らの言葉で表現してゆく機会をも奪ってしまうからである。教えられるがゆえに、子どもたちは自らの言葉で考えぬくことを放棄してゆくこともあるに違いない。それを放棄した子どもがその後どういう道を辿るかは言うまでもない。(130〜131頁)

 著者の野村は「教えない」教育である徒弟教育に最大限の評価をする。けれど、広田照幸も言っているが、徒弟教育は「あわない」個体(子ども)を排斥するなかに成立した制度であることについてを忘れてはならない。仕事に不適応な子どもが自主的/他律的にいなくなっていくからこそ、効率的ではないが「技」の習得/仕事による自己形成という教育作用が徒弟制度にあったのだろう。
 それゆえ、現在の公教育のように《分からなくても、とりあえず教員が語り続けるのをじっと聞く》ことの意義も、不適応な子どもの排斥が無い分、一定程度評価しなければならないだろう。