2009年 12月 の投稿一覧

「制度」としての「学校」の不可思議さ

 もとから、私の教育学的主張は学校外の学び舎をさらに普及させることである。例えばフリースクール、例えば「子どもの居場所」。それ故、私はフリースクール全国ネットワークというNPO団体のボランティアを週1でやらせていただいている。

 私が教育実習で行った八千代中学校はド田舎の中学校。ヘルメット・タスキをつけ、生徒は自転車で通学する。逸脱する者はあまりいない。生徒をしばる教員の圧力の強い所であった。

 こういうことがあった。男子生徒更衣室から制汗スプレーがみつかり、担任が生徒に「こんなものを持ってきてはいけないだろう」と叱っていた。そのシーンを私は少し離れた所から黙ってみていたのだが、非常に不思議な気持ちになった。その教員の話を聞いていても、「どうして制汗スプレーを持ってきてはいけないのか」という理由の説明にはなっていない。理不尽な叱り方である。おそらく、その教員の側にしてみれば本当に「こんなものを持ってきてはいけない」のであろう。中学生だった頃には存在しないものだったのだから。けれど時代は日々進む。現在、高校や大学で運動をする人たちの間で制汗スプレーをしないことの方が「お前、それはないだろう」と言われることが多い。自分の体臭を気にしないことは《非礼》であると伝わってしまうのだ。

 まさに社会学でいう「権力」関係が働いていたことに気づく。「隠れたカリキュラム」として、中学生は教員権力に従うということを内面化されていくのだ。

 教育実習、気づけば終っていた。「学校」や「教師」という存在が生徒を支配する関係が存在していることに改めて気づき、「ああ、やはり学校外の学び舎がさらに普及することが必要なんだな」という考えに至った。八千代中学校の「不登校」・「教室外登校」の生徒数は、6名(総生徒数208名)である。およそ3%の生徒は「学校があわない」ということを無言のうちに示している。

 「学校」や「教師」が大好きな生徒がいるのと同様に、それらが大嫌いな生徒がいるのは当然である。その子に対し、無理やりでも「学校へ来い」と言い続けるのは酷であろう。学校が「学校」である限り、どれだけ努力をしようとも「学校」を好きになれない生徒は必ずいる。ならば学校外の学び舎(フリースクールなど)をさらに普及させることが必要だ[1]

 しかし、「学校」の持つ「気持ち悪さ」を教育実習のなかで幾つも感じながらも、生徒と触れ合うことはものすごく楽しかった。S君という生徒と、放課後の無人の図書室で日本の歴史のロマンを語り合ったことは未だに鮮明に頭に残っている。

 「学校」という制度のなかで、いかに生徒と人間的つながりを築けるか。これが大切なのではないだろうか。


[1] もう一つの考え方として、ボーイスカウトなどの「ノンフォーマル教育」活動を押し進め、学校外にも子どもが育つ場所を提供するというものがある。私の実習校でも、ボーイスカウトや地域のサッカークラブに参加している生徒が一定数いた。

中谷彰宏(なかたにあきひろ)のDVD

 昔から中谷彰宏の本が好きだった。というよりも、自己啓発本が好きであった。
 初めに自分のお金で買った新書は『知的生産の技術』。次が『超・整理術』。図書館でも、小学生のうちから「効率的なメモの取り方」・「成功する人の仕事術」的本を読み続けていた。私が、なんとか第五志望である早稲田大学教育学部に引っかかったのも、小学生以来の自己啓発本読者であったからだろう。自己啓発本は、「何事にもコツがある」・「勉強にはやり方がある」という認識を持たせてくれるのだ(その弊害は、別のところで語ることにしよう)。

 「自己啓発本」を日本で最も多く出版している人間は、おそらくは中谷彰宏。各種DVDでも「僕は800冊書いてきた」ということをサラッと口にしている。それだけ多く書いたら、どこかでマンネリに陥りそうになるはずだ。けれど、どの本を読んでも新鮮な発見をする私がいる。

 中谷彰宏と、私はずっと「本」で触れてきた。博報堂時代がもとになっているのか、キャッチコピー風の短い文章の集まりを読みつつ、「そんな考え方があるのだな」と学んできた。

 DVDに表れた中谷の姿。非常にインパクトがあった。何と言ったらいいか、「言葉の響き」にすら感動を覚えた。中谷の本に書かれた言葉が、中谷の口を通して語られる。話される内容よりも、話す言葉の「響き」から多くの点が学べたような気がした。

 口から発せられた言葉には、必ずその人の「響き」がある。このことを私は忘れていた。中谷が関西弁でしゃべっていたことも、発見の一つであった。

 プラトン以来、「言葉」「ロゴス」のみを人間は追い求めてきた。「言葉」の中でも、「書き言葉」を重視した。「言葉の響き」よりも。その姿勢がデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」につながり、近代が開かれた。その姿勢は「自分で考える」ことを重視する姿勢であった。「自分で考える」ゆえに、「他者」はあまり登場しない。
 夏目漱石の『行人』(こうじん)には、近代理性の権化ともいうべき人物・長野一郎が登場する。彼は理性や学識は非常に高い。けれど、妻や母親、その他の家族と分かり合えることができず、常に孤独に苛まれている。近代的知識人の持つ「孤独さ」を感じた本であった(余談だが、一郎が友人と神について語る際、突然友人を殴るシーンがある。「君、これでも神を信じるかね?」という言葉に、私は笑ってしまった)。

 プラトン以前、「模倣」(ミメーシス)が重視されていたと聞く。踊りを観たり、演じたり。歌を聴いたり、歌ったり。宗教においても然りであった。「自分で考える」というよりも、模倣を通じて瞬時に「神に至る」道が重視されていたのだ(ちなみにプラトン以前を注目し始めたのはニーチェである)。「模倣」は、一人ではできない。常に他者の存在が必要である。必然的に孤独になることはない。
 イリッチはconvivialという言葉(どうもスペイン語らしい)を重視する。訳者によって「相互依存」と訳したり、「相互親和」と訳したりする、日本語化しにくい言葉だ(辻信一は「共に生きる」と説明する)。これは「孤独」と対比的な言葉である。一人でいるのではなく、誰かと話したり・親しく過ごしたり・共に生活をしたりすることを重視している。

 イリッチの『脱学校の社会』のラストも、convivialを社会にもたらそう(「相互親和型社会」ということ)、と呼びかけるものであった。誰かの美しい詩を引用し、イリッチはそこで唄った。「人が薄暗がりに住んでいて、薄暗がりの中で友を得るなら、薄暗がりも面白いじゃないか」(208頁)と。 convivialと語る時、必ずそこには「他者」が存在する。理解出来る/出来ないにかかわらず、「他者」と「共に生き」ようとする。『行人』の長野一郎も、convivialな生き方をもっと志向すればよかったのではないか。そう思われて仕方ない(小説だと、なんだか自殺しちゃいそうだし)。
 現代人の生きづらさは、「言葉」に執着するところにあるのだろう。「自分で考える」のも大事だが、もっと「模倣」のよさに立ち返ってもよいのではないか。それがconvivialということである。

 中谷の「言葉の響き」をめぐって、よくわからない話になってしまった。けれど、ここで書いた内容は私が数多くの「他者」から「模倣」してきたから、まあいいんじゃないかな。

自主・自律

写真は、ある小学校のスローガン。

学校の存在自体が、生徒の自主性を奪うことはあるのではないか。

「学校」という土俵でいくら自主性を発揮する教育ができたとしても、それが社会でも使える「自主性」である必然性はどこにもないのである。