2008年 12月 の投稿一覧

無茶をいうな

看板にもいろいろある。なんでも書きゃいいというわけではないのだ。

映画『椿三十郎』

見た。

最近、黒沢映画が面白くてたまらない。

見ないで死ぬのは勿体ない。

いきなりの緊迫シーン。

懐手で歩く時肩を揺らす。このスタイルの格好よさ。
常に落ち着く・堂々とすることの大事さを知る。

椿三十郎の台詞は全てをメモしたくなる。

「岡目八目ずばりだ。見てみな」
「十人だ! てめえらのやることは危なくて見てられねえや」
「間抜けな味方の刀が敵の刀より危ない」
「俺だ、開けろ」

緊迫した合間に、ユーモラスなシーン。

せっかく散々助けてやっているのに、味方が三十郎をうたぐる発言。人間の忘恩を思う。

イルミネーション

今年の冬も、イルミネーションの季節だ。

この省エネブームの世の中で、イルミネーションだけが例外なのは興味深い。

友人との話で気付いた点だ。

映画評論 黒澤明『蜘蛛乃巣城』(1957年)

文豪・シェークスピアの描く悲劇は、現代にも影響を与えている。イギリスには、シェークスピア作品中の言葉だけで、一日の会話を成立させることのできる人もいるという。日本では、少なくとも黒澤明の映画に影響を与えている。この『蜘蛛乃巣城』はシェークスピアの『マクベス』を基にした作品だからだ。鑑賞後、『マクベス』のあらすじを読んでみたが、「そのままじゃないか!」との思いを強くした。ヨーロッパの話を、戦国時代の日本で成立させてしまう、黒澤の力の底知れなさを思う[1]

 鷲津武時(わしづ・たけとき)という武士が、討伐からの帰路、森の中で「物の怪」(もののけ)に会う。老婆の姿で、物の怪は≪あなたは北の舘の主となり、蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と鷲津に語る。同行していた親友の三木義明に対しても、物の怪は≪あなたは一の砦の対象となり、息子が蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と語った。城主のもとに帰った際、二人は予言の通りの役職に新たに任命される。大して予言を信じていなかった二人の顔が、はっきりと変わる。
 鷲津自体は「北の舘の主で十分。城主を狙うなんてとんでもない」というが、妻の浅茅(あさじ)にそそのかされ、城主を討ってしまう。三木の息子を次の城主にしようとするが、またしても浅茅の説得に負け、三木とその息子を殺そうとする。三木本人は亡くなるが、息子は逃走した。
 城主と親友を殺してしまった鷲津。予言どおり、蜘蛛乃巣城の城主となるが、精神的に不安定になってしまう。部下たちをスパイと疑い、何人も斬ってしまった。
 最終的に、蜘蛛乃巣城を前城主の息子・国丸と、三木の息子・義照の軍勢に囲まれた中、鷲津は家臣たちに雨のように矢を放たれ、殺されてしまう。

 この物語では、鷲津の妻・浅茅がキーパーソンである。はじめ、鷲津は自分の名誉欲を「主君への忠誠心」で抑えようとした。しかし浅茅によってそそのかされ、主君に槍を刺してしまう。主君のみでなく、自らの出世の妨げになると考え、親友の三木すらも斬ってしまう。人間は周囲に翻弄されてしまうものであるのだ。
 確固たる意志がなければ、人間は不幸になるのかもしれない。鷲津は城主になるという、当初思っても見なかった願望をかなえることができたが、親友を殺し、家臣に信頼をおくこともできなくなってしまった。結局は家臣の手によって放たれた弓に刺されなくなってしまう。これは悲劇である。
 自分は何のために生きるのか。自分なりに考え、答えを求めようとすることだ。鷲津は意志の固い男であるが、浅茅にそそのかされると良く考えもせずに動いてしまった。短絡的行動は、時として自らの破滅を招く。常に自分をメタ認知し、可能な限り考える姿勢を保っていくべきであろう。
[1] シェークスピアの生没年は1564~1616年なので、年代的には日本の戦国時代にあたる。そのため、シェークスピアの物語とこの『蜘蛛乃巣城』は同時代性を持っている。

就活できる幸せ

私の同期の人間は、「就職活動が大変だ」というが、仕事を選べるという事はそれだけで「幸せ」なことではないか。

私の中学の友人は、高卒あるいは高校中退で、結構働いている(世間的にはフリーターな友人もいるが)。
いくら不況でも、仕事はある。そうでなければ求人雑誌は廃刊してしまう。

仕事はあるのだ。「選んでいる」からみな苦労して就活をしている。それで鬱になっている。

むしろ、「仕事を選べる」幸福を考えるべきではないだろうか。

プラス思考の有無で、人生は大きく変わるという。ならば、就活もそうである。俺は大学院の準備をしているが、プラス思考と「選択できる贅沢な悩みを持つ幸せ」を噛み締めていくべきだと自分自身に思う。

社会貢献の道を考えていくべきだ。浜口直太の本に(『勉強のルール』)「世のため・人のための思いで学べ! その人が一流になる」とある。よく自己啓発本には「自己実現こそが人生の目的」とあるが、それはおかしい。人生の目的は、どれだけ他人のために尽くせたか、他人のために行動できたかではかられるべきだ。
私も、浜口と同じ決意で、人々のために役に立つ教育学者になる。そして私の師匠にお応えをするのだ。断じて、戦いきるのだ!

教育にゴールはあるのか

教育を考える者は、「教育された姿」をイメージするが、教育にゴールはない。

学校教育で完璧を目指す事はできず、個人が「他人のために行動しよう」という意識を持ち、「そのために、学ぼう」としていけるかが大切だ。

皆、ベルトコンベアー式に、「こんな子どもに作り上げたい」と考えるが、それは無理な話であるのだ。

自己の弱い命と向かい合え!

がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いいしがごとく・すこしも・をづる心なかれ(『兄弟抄』)

日蓮の権力との戦いは、それはそれは熾烈であった。

日蓮の文章を学ぶにつれ、自己の弱い命と向かいあう必要性を感じてくる。

もっと、強くなる!

冬の朝

冬のは世界が青い。

西武新宿線各停

6時前の西武新宿線(小川から乗る)に乗った。席はすでに半分くらい埋まってる。余裕で座れるが、俺よりはやく生活が始まる人の多さに改めて気付いた。

速読と熟読

『1分間勉強法』という本に影響を受けた。

1冊を1分で読む方法だ。

ざっと読むにはいい。しかし「血肉にする」読書には使えない。くだらない新書には使えても(『A型自分のトリセツ』など)、自らの人生や考え方を変える可能性のある本には使えない。

佐藤優は正しいわけだ。