広兼憲司の漫画『島耕作』シリーズ。広兼氏は「10取材して2書く」方針で連載していると聞く。そして「半分は情報提供」の意味合いがあるらしい。
私も、教育学をやる以上、専門家や教師、子ども、保護者に読まれるものを書きたい。広兼氏の手法で、読んで面白いものを連載したいものだと思う。
広兼憲司の漫画『島耕作』シリーズ。広兼氏は「10取材して2書く」方針で連載していると聞く。そして「半分は情報提供」の意味合いがあるらしい。
私も、教育学をやる以上、専門家や教師、子ども、保護者に読まれるものを書きたい。広兼氏の手法で、読んで面白いものを連載したいものだと思う。
マリー・ウィン著『子ども時代を失った子どもたち』(サイマル出版会、1984年)
には、高橋勝『文化変容のなかの子ども』同様、「子どもの消滅」とも呼べる現象が載せられている。
ネットで流れる、「風俗嬢の落とし方」の類い。
カントが見たら、泣くだろう。
「他人の人格を自らの目的とするな」と。
小学生のとき、皆やらされた夏の課題「自由研究」。
私は教育学部で学んでいるが、「自由研究」という課題の歴史やねらいをまだ学んだことが無い。
この「自由研究」の研究を、行って行きたい。
静かな映画である。
この映画を観たい人は、夕食前に行くといい。見た後、吉野家か松屋にでも行ってみてほしい。食欲がわかないことに気づくはずだ。
「衣食住」という言葉がある。「食」をバカにすることは命をバカにすることだ。しかし、現代の消費社会ではどのように食べ物が作られているか、「知る人ぞ知る」状態であった。
チャップリンの「モダンタイムス」を見た人は、ベルトコンベア式に作業が進められる工場を目にしたはずだ。消費社会における食べ物も、全く同じく合理的・科学的に「製造」されていることを、私たちは知るべきかもしれない。
「工場」では、製品をより分ける。りんごのように、ヒヨコも選別する。ニワトリの肉体すら、選別する。なんともおぞましいものを感じた。
メタボリックシンドロームでなく、「ドラえもんシンドローム」とすればみな面白いはずだ。