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「人生は「具体的に」でうまくいく!」③〜「〜〜してはいけない」と言ってはいけないわけ〜

私の実家そばに、公園がありました。

 

その公園には、トイレが二つ付いています。

 

不思議な事に、両方のトイレに似たような張り紙がありました。

 

1つは「トイレを汚すな」。

 

もう1つは「トイレをきれいに使いましょう」。

 

この2つのトイレ、どちらも似たようなトイレでした。

ですが、「トイレを汚すな」は常に汚く、

「トイレをきれいに使いましょう」の方は常にきれいでした。

 

清掃の回数はどちらも同じです。

 

なぜ、「トイレを汚すな」の方は汚くなってしまうのでしょう?

 

その謎解きをしていきます。

 

そのために、私の学校の話をしましょう。

 

私の学校には「〜〜してはいけません」という張り紙はありません。

 

「自分の傘かどうか確かめましょう」(「傘を間違えないでね」ではなく)や、

「カップラーメンの汁は三角コーナーに捨てましょう」(「ここにラーメンの汁を流すな」ではなく)と

書かれています。

 

なぜでしょうか?

 

それは「具体的に」の逆の効果が働くからです。

 

 

以前、映画『インセプション』を観ました。

レオナルド・ディカプリオが

 

「ゾウのことを考えるな」

 

…と指示をします。

そして、

 

「いま何を考えた?」

と聞きます。

 

相手は「ゾウ」と答えるわけです。

 

この話は心理学の教科書にも必ず書かれています。

 

なぜ相手は「ゾウ」と答えるのでしょう?

 

それは「〜〜してはいけない」という指示が

「具体的」であれば「具体的」であるほど、

相手の意識に強く刻まれてしまうからです。

 

「廊下を走るな!」といえばいうほど、

子どもにとっては「廊下を走る」という具体的なイメージが

明確な形で刷り込まれてしまうのです。

 

「相手が嫌なことをするな」というスローガンも、

無意味なことがこれで分かるでしょう。

 

「〜〜してはいけない」は、世の中にあふれています。

 

「悪を許すな」(正義感ドラマとかによくあります)

「ドラッグ、ダメゼッタイ」(ドラッグをなぜダメか言わないため、イメージが強烈に伝わります。ポスターも強烈に伝わります)

「やめよう、電線のそばの凧あげ」(「電線のそば」と「凧あげ」が具体的であるため、イメージが強烈に伝わります)

 

「〜〜してはいけない」は、強烈なメッセージです。

ですが、人間の脳は「否定形」に慣れていません。

 

 

ベイトソンの『精神の生態学』という本があります。

その中に、「動物は否定語を使わない」という話があります。

 

たとえば犬は「私は仲間だから噛まないよ」というメッセージをどう伝えるか、とベイトソンは説明します。

「噛まない」という言葉は、犬にはありません。

 

そのため、相手の犬に近づき、「あま噛み」することで、敵意の無さをアピールするのです。

 

つまり、「〜〜しない」を示すには、「〜〜」をやって見せないといけないのです。

動物って、大変です。

 

でも、人間もまだまだ動物の一部。

であれば、「〜〜してはいけない」というメッセージは、かなり難しいメッセージであると言えましょう。

 

リンゴを見せて「これはリンゴです」というのはカンタン。

でもミカンを見せて「これはリンゴではありません」と伝えることは難しいことです。

 

「〜〜ではない」「〜〜してはいけない」は、けっこう複雑なメッセージなのです。

だからこそ、「〜〜」の部分の方が簡単に伝わります。

 

 

結論です。

 

「〜〜してはいけない」を言うのをやめましょう(この言い方自体に問題があることは、本文のとおりです)。

なぜなら、「〜〜」が具体的であればあるほど、脳に強くイメージされるからです。

 

これは「具体的に」表すことの効果を、逆説的に示すものです。

なぜなら、具体的であればあるほど、相手に強くイメージされることがここからもわかるからです。

 

「具体的に」生きるために…

これからは「〜〜しましょう」をキーワードにしましょう。

人生は「具体的に」でうまくいく!②

中谷彰宏さんのCD,好きでよく聞いています。

彼をみていると、「007」シリーズを思い出します。

「こんにちは、中谷彰宏です」

これはちょうどジェームス・ボンドの
「My name is Bond. James Bond.」
に通じるものです。

初めに「具体的に」、下の名前まで言ってしまう。

その瞬間から、
どこかにいる「ボンド」さんでも「中谷」さんでもなくなります。

目の前にただ一人存在する(=実存)、中谷彰宏ただ一人として
自己紹介を出来るのです。

私も自己紹介の際、必ず「藤本研一です」と伝えています。

何故か?
それは「具体的に」いうことが、「ただ一人」性を高めるからです。

苗字しか言わない人は、ある意味集合名詞を自己認識にしている人です。

あるいは会社名を頭につけて、なおかつ苗字しか言わない人もいます。

「パナソニックの齋藤です」

この場合、集合名詞が二つもあり、何も引っかかりがなくなります。

具体的に言う場合、脳は単なる「パターン」としてではなく、
新たな事象として認識しようとします。

既存のパターンや既存のカテゴリにはめることを脳が諦め、
その人「ただ一人」という意識が強化されるのです。

だからこそ、今日からは自己紹介の際、フルネームを言いいましょう。
そのほうが、相手の引っかかりが強くなります。

高校生の頃の私は、人の名前を覚えるのが苦手でした。
「確実に覚えた」と思っている人に対しても、
「間違っていたらどうしよう」と思い、「ねえ」とか「そういえば」とか、
その人の名前を呼ばずに済ます方法をたくさん「発明」していました。

これ、よく考えると相手と全く仲良くなれない方法だったなあと反省しています。
誰であれ、「ねえ」としか毎回呼ばれないと嫌になります。

だからこそ、ちゃんと名前をフルネームで呼ぶことが大事なのだと思います。

「具体的」のヒント…フルネームで互いの名前を呼ぼう。

通信教育制度研究会で発表してきました!

9/15、北海道大学・高等教育推進機構N棟 N115で開催されました、

「第3回 通信教育制度研究会」。

今回、私・藤本研一が発表させていただきました。

その模様は以下のリンクをご参照ください。

様々な研究者の前で発表すると、
良いコメントを頂けます。

実践と研究がリンクしている分、大変ためになる会でした。

発表させて頂き、大変ありがたいです。

 

https://blog.livedoor.jp/seisasapp/archives/51906286.html

人生は「具体的に」でうまくいく!①

「いろいろ」では伝わらない!

 

私は現役の高校教員です。

そのため高校生の文章をよく読みます。

彼ら/彼女らは「いろいろ」とか「たくさん」とか、抽象的・曖昧な言葉を多く使います。

 

そんな文章を書いてみましょう。

 

「きのう、いろいろな人に会い、いろいろなことをしてとても楽しかった」

 

小学生レベルの作文となってしまいましたが、「いろいろ」がいかに人に「つたわらないか」、よくわかります。

 

「小学生レベル」と思っている人、いるかと思います。ですが、就職活動中のエントリーシートでも、同じようなミスを散見することがあります。

 

「私はテニスサークルで幹事長を務めました。あるとき、サークル内で部員同士の派閥の闘いがありました。幹事長として、この衝突を解決したい。そのために色々行動をしました。いまでは幹事長の経験は宝物になっています」

 

どうでしょう? 一番肝心なところに「色々」を使っています。

読み手としたら「え、こんなところで使わなくても…」とがっかりしてしまいます。

 

読み手である企業の人事係は「きっと殴りあったり、反目したり、懐柔したり、なにかおもしろい展開があるに違いない」と「期待」して読んでいます。

それが「いろいろ」ときた瞬間、ガクッとしてしまうものです。

 

「具体的に」のために…「いろいろ」を使わない。「いろいろ」が役立つのは「人生いろいろ」のみ。

「勝手にやる」ということ

私は「奇しくも」早稲田で大学・大学院時代を過ごした。

行きたくて行った大学ではない。

「そこしか受からなかった」から、早稲田の教育学部に通うことになった。

早稲田ではなく、本当は慶應に行きたかった。
けれど、「運悪く」行く事ができなかった。

慶應は皆で助け合う。

一方、早稲田は「単独者」。
慶應と違い、群れない。

その代わり、なんでも自分で・「勝手に」やることが賞賛される。

守ってくれるものがないからこそ、自分でやらなければならない。

私は卒業して、ようやく早稲田の気風がわかった気がする。

 

団体・組織に頼るのは慶應にやること。
早稲田はなんでも「勝手に」やる。

道がないなら、道を作る。

前例がないなら、前例を作る。

自分ひとりでも、何かをやる。

 

「早稲田は何もしてくれない。
しかし、〈何か〉をしようとすれば早稲田は応えてくれる」。

よく言われるメッセージだ。

早稲田にいた間も〈何か〉をしようとしていたが、
形にするほど自分はアクティブさが足りなかった。

早稲田を出た今、もっともっと、早稲田らしさを発揮していきたい。

早稲田の精神。
それが「勝手にやる」ということだろう。

 

試験を終えたばかりの「誰か」へのメッセージ。

ある時、東京大学の教授が学生にレポートを提出させたそうです。

教授はそれにA・B・C・Dのアルファベットを書いて返却しました。
Aの書かれたレポートを受け取った学生はすごく喜びます。
反対にDのレポートの学生はすごく落ち込んだそうです。

でも、これは教授の考えた実験でした。

教授は中身を見ないで適当にアルファベットだけを書いていました。
A・B・C・Dはレポートの評価ではなかったのです。

それなのにAの学生は異常に喜び、Dの学生は必要以上に落ち込んでしまったのです。

この実験から試験の点数・評価のみに一喜一憂することはあまり意味のないことであるとわかります。

一喜一憂することよりも、自分がテストで×のついた問題をノートに書き、もう一度覚え直すことの方に力を入れましょう。

試験が終わった日の間にやると、気持ちがスッキリとしますよ!

日本通信教育制度研究会で、発表します!

藤本研一です。

私の働く私立通信制高校について、
9/15にお話させて頂きます。

日本通信教育制度研究会、札幌での開催です。

私の出番は16:40からの予定です。

よければ「真面目モード」の私を見に来てください(いつもそうですが)。
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第3回通信教育制度研究会

日時 : 平成24(2012)年9月15日(土)14:00~18:00 ※終了後に懇親会を予定
会場 : 北海道大学 高等教育推進機構N棟1階N115 地学第2実験室
(札幌市営地下鉄南北線北18条駅から徒歩10分)
主催 : 通信教育制度研究会
協賛 : 日本通信教育学会
参加費 : 無料(懇親会費は別途)

テーマ① : 酪農学園における通信制農業教育の歴史
発表者 : 十倉宏(酪農学園大学)

テーマ② : 大学通信教育の社会的な役割-パネルデータ分析から
発表者 : 田島貴裕(北海道大学)

テーマ③ : 星槎国際高等学校における「毎日通える通信制高校」の取り組み
発表者 : 藤本研一(星槎国際高等学校)

申込方法 : 下記の参加申込みフォームへ必要事項をご記入の上、サイトからお申込みください
申込締切 : 平成24(2012)年9月10日(月)

https://jade.r-cms.biz/topics_list20/

バーテンダー、やってます☆彡

何気に先週から、バーテンダーをやってます。

場所はこちら↓

Coworking Cafe 36 (北海道札幌市豊平区豊平3条8丁目1-28

 

毎週日曜日、19:00-23:00が私のバーテンダーの時間です。

 

いろんな人と関わりあう場を作っていく。
そういう意味で、このバーの運営も「ノマド・エジュケーション」であります。

先週はうどんを作れるスーパー北大生にシェフを依頼。
今週はハンバーグにうるさい北大1年生・期待の新人にシェフを依頼。

運営の時点で「かかわり合い」の場となっています。

特に、北大の「つながる八百屋プロジェクト」の野菜販売については
毎週日曜日行なっていただくことを考えております。

バーの利用者のみならず、通りすがりの人にも、
札幌近郊で取れたとれたて野菜を買って頂きました。

 

私の大学時代の恩師も言っておりました。

「教育とは、いろんな人と関わることだ」と。

それを実践するバー、今後もやっていきます!

ぜひ、遊びに来てくださると嬉しいです。

なお、9月のバーイベントの一覧です。

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9/9(日)カウンセリング・ナイト:臨床心理士をめざす美人大学院生による
「カウンセリングで癒される」イベントです。

9/16(日)沖縄ナイト:沖縄料理が上手なシェフによる沖縄料理イベントです!

9/23(日)中国トークナイト:中国留学経験のある人をお招きするなど、
中国について語り合うイベント。

 

ぜひお越しくださいね!

駐車場は2台、最寄り駅は「東豊線・学園前駅」です!

「私立通信制高校のリアル」、実施しました☆彡

本日、東京・水道橋のネコワーキングにて、イベントを行いました!

「私立通信制高校のリアル」という、
通信制高校の知られざる一面を探ったイベントです。

私 藤本の教員経験をお話させていただくというイベントです。

なかなか知られていない「私立」の通信制高校の内情を
知っていただくという数少ないイベント。

今回は15名もの方々にご参加いただきました!

本当にありがとうございました

参加した方からは、

「通信制高校教員のリアルな声を聞けてよかったです。
また新たな世界に出会えました」

という、ありがたいコメントを頂戴しました!

あまり知られていない上に、
学校によって個性が異なるのが通信制です。

大変ですが、面白い学校です。

13名の教員の内、社会科教員3名、国語科4名、福祉科1名、情報科1名、体育4名という「ありえない」バランスの悪い学校です。

数学が苦手ゆえに東大にいけなかった私が、
数学科の試験を作っているという学校です。

醍醐味をお伝えすることができ、
自分としても大変楽しいイベントとなりました☆彡

次回、札幌でもイベントをする予定です。

ご参加いただいた皆さま、大変にありがとうございます!

追記

なんとご参加下さった田植さまが、ブログに記事を書いてくださいました!

感謝です!

https://ameblo.jp/hoshinokyori1103/entry-11331257269.html

帰京日記2日目。

東京はガヤガヤ。

何が何だか分からない混乱さがある。

一言でいうと、「選択肢」が多すぎる。

札幌のような「スッキリ」さがない。

ときどき自分はどこにいるべきなのか、よくわからなくなってきた。

今日は秦野の学習塾の経営をされている方と会った後、
鶴巻温泉駅の「弘法の里湯」へ。

少し雨が降る状態で入る露天風呂は格別であった。

小田急線にのり、うとうとしながら電車に乗り、新宿へ。
いまは表参道の文具カフェを目指している(16時46分)

東京だからこそ行けるところ、
東京だからこそ行くべきところにいく予定である。

ただ、「行くべき」場所はたくさんあるし、
会いたい人・会うべき人もたくさんいる。

東京はスケールサイズがでかすぎる。

あちこち行くにしても、
荷物と暑さがジャマをする。

でも、それはそれで楽しい。
「旅」という感じがする。

それにしても人はなぜ旅にでるのだろう。
わざわざ、自分の可処分所得と可処分時間を切り裂いて。

旅の本質は「ヴァルネラブル」vulnerable。
不安定さと不確かさ。それと相付随する「自由」と「気楽さ」。

あちこちに行き、
不安な自分を感じ、
同時に自由を感じる。

日常性から切り離されるからこそ、
新たな発見がある。

それが旅の本質だろう。

旅に出て、
前から行きたかったところへ行く。

それはある意味、過去の自分との対話。
過去に望まれたことを実行に移す。

そういう面白さが旅にはある。

旅に出るならば、
いいノートかノートパソコンを持って行きたい。

そこはかとない思いや空想・幻想を
書き留めたいからだ。

いま『空間の現象学』を読んでいる。
旅とは別の空間との出会い。
空間が変わると、別のメッセージ性がもたらされる。
これはある意味、自分が別人になるプロセス。

そのかけがえのない瞬間を、何らかの方法で書き留めたい。
人間にはそういう欲望もあるのである。