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単なる「反省」に、意味は無い。〜ファシリテーション技法「KPT法」とは?〜

(1)苦手な「反省」会

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私は以前から、団体の「反省会」が苦手でした。

振り返れば小学校の頃からです。

何を「反省」しないといけないの?
「反省しろ!」ったって、どうやったら反省になるの?

その度に必要以上にシュンとなってしまう・・・。

「反省」会という言い方が良くないんでしょう。

「反省会」で「よかったこと」を言い合うこともあるのですから。

私は反省会でなく「振り返り」という方が好きです。

フィードバックの場」でもいいです。
(ちょっとカッコつけ感があるけど)

そう。

単に「反省」のみを求めると、
やたら萎縮する人がいます。

ここで、考えてみましょう。
反省会をやる目的は何か?

それは、今日のことを「振り返り」、
次に「いかす」ことです。

(2)そんな「反省会」をよくするために

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単なる「反省」だけでなく、
次につなげる。

それには「KPT法」(ケプト法)を使うと良いでしょう。

こちらもどうぞ!

  1. 佐々木常夫, 2010, 『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版.①(2)
  2. 問題解決型学習(PBL)とは、何か? (2)
  3. おおたとしまさ『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』② (2)
  4. 「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜 (2)


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悩みに、意味なんてない〜悩むのが好きだから、悩んでいるだけ〜

本記事は、「いつも悩んでばっかり」という人には
ある意味「劇薬」です。

合う人、合わない人がいるかとも思いますが、
ご自身で判断してお読みください。

 

【コンテンツ】
(1)いい「悩み」・悪い「悩み」
(2)悩んではいけない理由
(3)悩みに、意味なんてない


 

(1)いい「悩み」・悪い「悩み」

 

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教育関係の仕事をしていると、
仕事柄たくさんの「悩み」を聞きます。

「勉強が出来ない!」
「成績が上がらない!」

 

また、最近は社会人の方からの「悩み」や「質問」もよく聞きます。

 

「ホームページを作りたいんだけど、
藤本さん、どうやったらいいんでしょう?」

 

 

これらの「悩み」は「いい悩み」です。
これらの「悩み」「質問」には答えやすいのです。

それは、答えを導きやすい「悩み」「質問」だからです。

 

「勉強が出来ない!」
「成績が上がらない!」には、
次の答え方ができます。

「では、いまの勉強の仕方はどうなっていますか?」
「どの辺りの学習からつまづいていますか?」

アドバイスもしやすいです。

 

「ホームページを作りたいんだけど、
藤本さん、どうやったらいいんでしょう?」

 

この質問も、
「ではいっしょにやってみましょう」と言うことができます。

 

 

始末が悪い「悩み」もあります。

 

こんなものです。

 

「私は何をしてもうまくいかない。
いなくなった方が良いんじゃないか、と悩んでいます」

 

この手の悩み、本当に多いですね。
私もよく聞きます。

 

実は「昨日」も聞きました。

 

この手の、自分の存在に対する「悩み」は本当にたくさんの人が持っていますね。





(2)悩んではいけない理由

 

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私も、大学生時代、ずっと悩んでいました。

 

日々、「ああ、なんで自分はこんなにダメなんだろう・・・」
「ああ、もういなくなってしまいたい・・・」

そんな悩みでいっぱいでした。

 

昨日聞いた相談も、私が散々悩んできたような悩みでした。

 

ず〜っと、ほぼ1時間、「悩み」を聴いていました。

 

その後で、私は、こう言いました。

 

「あなたは、悩むのが好きだから悩んでいるだけですよ」

 

そういうと、相手はキョトンとしていました。

「好きなわけないじゃないですか!」

「でも、そんなに長時間アタマを使うし、【いかに自分はダメか】言いたいという欲求も満たしているし、
何よりエネルギーと時間をかけて【わざわざ】悩んでいるんでしょう? それはもはや【趣味】ですよね

 

そうなんです。

「自分はいかにダメか」「自分はなんて不幸か」悩んでいる人は、
悩みたいから、悩んでいるだけ」なんです。

 

悩むだけの時間とエネルギーを使い、
わざわざ悩んでいるんです。

 

大部分の人は怒るでしょうが、
悩むのが好きだから悩んでいるんです。

 

逆に言えば、「悩み」がなくなるのが怖いんです。

けっこう、まじめな人ほど「悩み」を真正面から問い続けようとします。

 

姜尚中の『悩む力』以降、そういう人が増えた気がします。

 

姜尚中は〈悩んで悩んで、そこから突き抜けるものがある〉といいます。

それに共感し、「よし、もっと真剣に悩みを追求しよう!」という人がいるのも確かです。

 

でもね。

 

姜尚中は「大学の学長」でもあるんですよ。

「考え方」「思考」のプロなんですよ。

 

姜尚中の「悩み」方と、
あなたの「悩み」方は一緒だと思いますか?

 

物事には、考え方があります。

「こう考えれば、うまくいく!」という感じの本やテレビ番組は結構あります。

悩んでばかりいる人は、「悩み方」「考え方」を考えなおしたことがないはずです。

 

そう。

悩みには「正しい悩み方」があるんです!

 

正しい悩み方。
それは「キチンと答えが出る問いを立てる」ということです。

 

あなたはちゃんとした「問い」を立てているでしょうか?

ちょっとした例で見てみましょう。

 

駅を出て道に迷ったとしましょう。

 

正しい「問い」の立て方は、もちろんこんな問いでしょう。

正しい「問い」
「どうやったら、市役所までいけるんだろう」

 

この「問い」だと、他の人に聞いたり、
看板を探したり、
「思いきって、タクシーで行っちゃえ!」ができます。

 

間違った「問い」の立て方を見てみましょう。

 

間違った「問い」
「私は、どこに行くべきなんだろう」
「私は、何を目指しているんだろう」

 

正しい「問い」との違い、分かりますでしょうか???

 

全然、問いが明確じゃないですね。

この「問い」を周りの人に聞いても、
まず間違いなく、助けてはくれないでしょう。

 

この駅の例だと、
「そんなの当たり前じゃん!」という人も居るはずでしょう。

ですが。

悩んでいる人のほとんどは、
「答えが出ない」問い、
「答えを出せない」問いを【わざわざ】立てているんです。

そして、【わざわざ】悩んでいるんです。

 

私が好きな本『道は開ける』にも、
悩みに対する捉え方が出ています。

 

結論は、明確です。

「悩まなくていい悩みで、悩んではいけない」です。

 

人間は悩まなくてもいいことで悩む生き物なんです。

だから『道は開ける』では、
「悩みがあるなら、忙しくしろ!」という強烈なアドバイスをします。

 

忙しいなら、くよくよ悩むヒマはなくなります。

『道は開ける』でも、軽度のうつの人は仕事を忙しくすればいい、というアドバイスをしているくらいです。

 

そう。

悩むのはヒマだからです。

悩むのは、ヒマな人の「趣味」なんです。

わざわざ、他にもっと楽しいことやお金になることがあるのにもかかわらず、
「好き」だから「悩んでいる」だけなんです。





(3)悩みに、意味なんてない

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「悩み」について、もう一つお話をします。

フランスの哲学者・アランはこういいます。

「不幸になる考えは全て誤った考えである」(『幸福論』)

「私なんていない方がいいかも・・・」というような「悩み」は、「不幸になる考え」です。

その「悩み」に、意味なんてありません。

だって、「誤った考え」なんですもん。

 

昨日お話を伺った人も、
「私の悩みを、そんなに「誤っている」なんて言うの、ひどくないですか!」と言っていました。

それに対し、私はこう答えました。

「あなたの悩みで、あなたは幸せになりましたか?
他の人は幸せになりましたか?
誰かの役に立ちましたか?
そうなってないなら、そんな悩み、悩む意味ってないんじゃないですか?」

 

相手はハッとした表情をしていました。

 

そうなんです。

自分の幸せにも、誰の幸せにもならないなら、
悩んではいけないんです。

 

でもみんな真面目だから、
「そうだよね」といって、
悩みを真剣に聞いてしまいます。

それでますます悩みのある人は図に乗って、
悪い「悩み」ばっかり相談するようになるんです。

しまいには「悩み」を聞いてくれる人がいなくなり、
本当に不幸になってしまいます。

 

だから、誰かが
「そんな悩み、間違っている!」と言ってあげるべきなんです。

 

 

よく私は関西人なので、
悩んで1億円もらえるなら、悩んだらいいじゃん」といいます。

 

大体の場合、
悩んでもお金にすらなりません。

でも人は悩むんです。

 

不思議ですね。

 

ヒマだからでしょうね。
悩むのが好きだからでしょうね。

 

はやくその事実、伝えてあげなきゃ、ですね!

 

こちらもどうぞ!

(1)田中ちひろ, 2013, 『悩みの9割を消す技術』ダイヤモンド社。
(2)髙坂勝『減速して生きる ダウンシフターズ』
(3)【NEW!】論理カウンセリング、実施中!

書評『君はいつでもはじめられる〜自分を活かすために「働く」ということ〜』

「何かやりたい!」
「起業したい!」
「でも、何からやっていいか分からない!」

そんな時、役に立つのは本か人。

 

の場合は励まし系の本。
の場合はコワーキングスペースなどが該当します。
(参考:イキナリ起業すると失敗する理由~起業の前には、イベントをしよう。~

 

「やってみたい!」ことがあっても、
やり方が分からない。

そうこうする間に、
「まあ、いいや」。
なにもしないまま時間が過ぎていく。

 

今日ご紹介する片岡勝さんの『君はいつでもはじめられる』は、
「なんでも良いから、何かやりたい!」人に役立つ本です。



 

 

「何か、やりたい!」人は2つのパターンに別れます。

(A)本を読まずにまず「動く!」人と、
(B)やたら勉強する人。

 

(A)本を読まずにまず「動く!」人は、
まさに本書の著者・片岡さんに近いタイプ。

「なんでも良いからやる!」という人です。

このタイプの人は、「我流」にこだわる傾向があります。
アドバイスを聞きたがらない人もいます。

だからこそ、「あえて」本書のようなものを読むと
活動の方向性が広まります。

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(B)の「やたら勉強する人」は、
意外にたくさんいます。

「あの資格を取らないと、独立できない・・・」
「7つの習慣も読んで、ドラッカーも読んで・・・」
「まだ自分には早い」

本当にたくさんいます。

ですが、そんな人にはあえて本を捨てて
「何かする」機会が必要です。

 

そんな人は「この本」を一度読むと良いでしょう。

書評はこちらをご覧ください。

 

片岡さんの『君はいつでもはじめられる』でも、こういう指摘があります。

 

完璧思考の人はいつまでもその位置にいたままだ。ある起業家は僕に「目指せ60点」と言われ、何だかすべてが楽しくなったという。「赤点でなければいい。続けよう」と前に進めるようになって、次第にやっていることも充実していったという。(122)

 

あえて不完全でも良いから始める。

重要な指摘ですね。

 

さて。

片岡さんの『君はいつでもはじめられる』。

私にとっても、得るものの多い本でした。

読みやすく、すぐ読み終えることができます。

 

慶応大学卒業後、大手銀行に勤務。
そこに「なにか違う」と思い起業し、
全国で市民活動やNPO・ボランティア活動等を支援している人です。

 

何かやりたいときに読むと、元気が出る本。

この後は抜粋を載せておきます。

 

気軽にはじめてみればいい。自分のゴールに向かって小さくても一歩踏み出せば、不安は解消してしまうし、きっと自分への可能性が見えてくる。そうすれば、もう君の目の前には自由な階段が広がっているのと同じだ。そこには面白いことがたくさん待ち受けているにちがいない。(19)

 

要するに、一流の人間は自分で考え出して、自分の仕事をつくり、自分で食っていく。二流は専門職。自分の専門性で勝負する。その人がいてもいなくても成り立ってしまう大企業で働くのは三流なのだ。(48)

 

まずはじめたことをしゃべりまくる。熱く語るとまず、仲間が共感し、口コミで広がる。そのうちマスコミが取材に来る。そこでも熱く語る。そして、マスコミに出るとちゃんとしたビジネスだと世間も思いはじめて、そのビジネスは僕の口先から離れて一人歩きしていく。(32)





面白いことをやると人が動く。生産も消費もそれが動機づけになっている。
そのためには自分が面白がらないとはじまらない。これが本当にいいのか、面白いんだろうかと悩んでいるうちに面白いものもどんどん変わっていく。それでは面白さに乗り遅れる。面白いことに直感的に乗っかっていこう。
今の時代は変革期。やりたい放題やるヤツがチャンスをつかむのだ。(94)

 

僕の場合、サラリーマンを辞めた後、最低限の生活を実験した。新聞、つき合い、車も全部捨てた。新聞を見ないから考える。車がないから歩く。するといろいろなものが目につく。景色がまったく違った。小さな花が咲いている、風が吹いていることも気づかなかったサラリーマン時代の自分に気づいた。気づかないというのはビジネスにとっては致命傷だ。(97)

 

僕は24時間以上迷わないことにしている。時間をかけたからって、上手くいくことなんてない。放置せずその場で決めてしまうことが肝心。(114)

 

 

・・・さあ、早速動こう!

今日は北18条で作文教室ゆうの授業日だし。

 

宇宙飛行士というノマド。

この前、札幌市立の青少年科学館にいきました。

 

そこにあったのが、宇宙飛行士・山崎直子さん関連の展示。

 

日本人女性としては2人目の宇宙飛行士

山崎さんが宇宙に持って行ったという品々を飾っていました。

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この展示、なかなか「面白かった」です。

 

それは宇宙飛行士というシンプルライフを垣間見た気がするからです。



宇宙ステーションもスペースシャトル内も、
限られた荷物しかもっていけません。

 

こっそり荷物を増やすだけで、
燃料費が変わってきてしまうことも・・・。

 

ギリギリまで「私物」をしぼっている感じ。

 

とっても面白かったです。

 

宇宙にも「ポストイット」は必要だったり、
ドライバーやハサミをまとめた「多機能ナイフ」を使っていたり。
(飛行機だと持ち込めないのですが、宇宙船だと持ち込めるのがいいですね)

 

 

けっこう使える「テープ」。
やっぱり積み込まれていました。

 

宇宙飛行士を参考にすると、
持ち物を減らせる!

 

そう感じました。

 

宇宙ステーションを模した展示も、なかなか力を入れています。
中に入ると・・・。

 

ある工夫が見つかりますが、
それはお楽しみに!!!

 

 

そんな札幌市立の青少年科学館。
最近リニュールアルオープンしています。

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展示がパワーアップ!
特にプラネタリウムはこの4月に新しくなりました。

星の数、なんとこれまでの10倍、1億個。
ぜひ行ってみてください〜。

 

大人も、けっこう楽しめますよ(たぶん)。

札幌市青少年科学館

 

こちらもどうぞ!

 

  1. 夢と、思いと、今の自分と。 (2)
  2. 「自己啓発」はあなたを不幸にする!〜リチャード・ワイズマン, 2009,『その科学が成功を決める』文秋文庫〜 (2)
  3. ノマド・スタディという発想 (2)
  4. 苫野一徳, 2014, 『「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学』① (2)

「この店、わかっている!」と言われたい!〜ストーリーとメッセージ〜

Martという雑誌を知っていますか?

「もっと生活遊んじゃおう!」をテーマに
発行されている雑誌です。

 

 

 

2004年に創刊され、発行部数を伸ばし続け、広告収入も順調。業界では独り勝ちと言われる雑誌である。
「Mart」が近年注目されているのは、ヒット商品をいくつも生み出してきたからだ。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』119)

 

「食べるラー油(食べラー)」も、「Mart」発のブームだそう。
なるほど、なるほど。

 

この雑誌の愛読者を「Mart族」と言うそうです。

この「Mart族」のメンバーには、あるキーワードがあります。

 

「Mart族」と呼ばれる「Mart」の読者の方々は、会話のなかで「わかってる」という言葉を頻繁に使うそうだ。読者コミュニティのメンバーとお茶会などを開くと、奥さん同士で「あのさ、あの店」「そうそう、あの店ね」と盛り上がり、次いで「あの店はわかってりよね」「あのブランド、ちょっとわかってないでしょう?」という言葉が出てくる。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』119-120)

 

「わかってる」ってなんでしょう?

 

お気に入りのカフェやお店は内装からレイアウト、
インテリア、もちろん商品に至るまで
「自分たちの気分をわかってくれていると感じ」(同 120)られるように作られています。

 

「この店、わかってるじゃない」
「あの人は、わかる人だ」

 

そういうお店にリピーターは集まるのです。

 

現代の消費者は飢えている。
そして「わかってる」と感じる相手を切望しているのである。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』121)

 

その理由は「それだけ「わかってる」と思える相手が少ないから」(同 121)。



 

これ、私も教員の経験のなかで学んだことです。

 

生徒から人気が集まるのは「わかってくれる先生」です。

 

 

「あいつ、うざいけどウチラのこと、わかってくれるよね」
「先生だけだよ、わかってくれるの」

 

生徒たち、とくにヤンチャ系の生徒たちがこういうセリフを言うのを数限りなく聞きました。

 

私の前務めていた学校には、
一定数「前の高校が合わなくて(あるいは辞めてしまって)転校してきた」生徒がいました。

 

それだけ「わかってくれる」相手、「わかってくれる」学校を求めている証拠でもあります。

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「わかる」こと、「わかってるね」と思ってもらえること。

 

ビジネスにかぎらず、
人間関係でもそうです。

 

ただ、問題になるのは、
お客自身(あるいは生徒自身)が
「どういう状態であれば、【わかってる!】と感じるか、知っていない」という点です。

 

・・・ややこしい言い方になりました。

 

 

 

言い方を変えましょう。

 

よく言われる例を出します。

 

iPodを例に出します。

 

もうiPodブームは過ぎ去ってしまいましたが、
「何千曲も聴ける音楽再生機」の衝撃は大きなものでした。

しかし、iPodが出来る前に、
「自分の持ってるCDすべても持ち運べたら良いのに」と考える人は(ほぼ)いなかったはず。

 

iPodができて初めて、
「そうそう、こういう音楽プレーヤーを待ってんだ!」
「こういう使い方をしたかった!」という
人たちが現れたのです。
「iPodを欲しい!」という、需要が創発されたのです。

 

iPodによって、はじめて「持っているCD全部の曲を持ち歩く」というライフスタイルが作られました。

 

そうなってはじめて、

「iPodを作ったアップルは、やっぱり【わかっている】」
「スティーブ・ジョブズ、【わかってる】じゃない」

・・・なんていう人たちが現れたのです。

 

お客さんはカンタンに
「このお店、わかってるね〜」といいます。
そうするため重要なこと。
それは、お店自身が「どういうストーリーをお客に提供するか」「どんなメッセージを伝えるか」明確にすることです。

 

さっきからちょくちょく引用していた本が
小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』です。

 

 

「モノ」が売れない現代。
本書では、新たなマーケティング手法を提唱します。

 

それが「ワクワク系マーケティング」。

 

「モノ」をただ売ることだけを考えていても、「モノ」は売れません。

 

「モノ」を手に入れることによる「ワクワク」感や
お店自体の「ワクワク」感によって、
お客は動くということを提案しています。

 

この「ワクワク」の土台には、嬉しい」という思いがあるそうです。

 

買いたいものに出合ったことによるワクワク感。親切にしてもらって「ああ、よかった、大切にされている」と感じること。「いい雰囲気の店だなあ」という気分の良さ。そういったものすべてが「嬉しい」に含まれる。
そうしたあらゆるものが「嬉しい」を生む。
であるならば、この「嬉しい」をたくさん作ることが、これからのビジネスの目的になるのではないだろうか。(124)

 

 

ここで、最初に書いた「わかってる」という感じを思い出してください。

 

「わかってる」がキーワードになるのは、
純粋に「わかってくれている」と嬉しいと感じるから。

 

目指すべきは、「嬉しい」という感情をお客に提供することだったのです!

 

「嬉しい」を感じる時「心の豊かさと毎日の精神的充足感」(124)が得られます。

ビジネスは、「便利さ」をもたらす挑戦から、「嬉しい」を生み出す冒険になったのである。(124)

 

この「嬉しい!」という感覚。

 

あらゆるビジネスに当てはまります。

 

普通のお店はもちろん、
塾・学校もあてはまります。

 

小阪さんの本書『「心の時代」にモノを売る方法』には
ある新聞販売店が取り上げられます。

 

この新聞販売店、ひと味違います。

 

新聞を提供するという行為を
「リゾートホテルのルームサービスのような、優雅な朝」(180)を提供する行為に読み替えました。

 

以前、このブログで書いた「定義すること」に近い話です。

 

自分たちの仕事は「〜〜だ」という定義を、
新たにし直すということです。

 

「リゾートホテルのルームサービスのような、優雅な朝」に必要な物は、何か?

 

それを「焼き立てパンの配達」と考えました。

 

単にパンの配達をするのなら、
ただの「宅配パン屋」です。
「リゾートホテル」なのだから、
パンを届けるのに高級感のある箱を用意したり、
パンをビニールではなくしゃれた紙につつむようにしたり、
メッセージを明確に伝える工夫をしました。

 

ある意味、効率を度外視しています。

でも、その結果、新聞が売れない時代にも関わらず、
この新聞販売店のお客さんが増えているのだそうです。

 

きっと、この販売店から毎朝
新聞とパンを受け取るお客さんは

「この販売店、わかってる!」

そう感じているはずです。

 

 

「モノ」が売れない時代だからこそ、
お客の「嬉しい!」を提供できる
「メッセージ」なり「ストーリー」なりを考えていく。

とっても大事なことですね。

 

 

 

カフェを「サヨナラ」する日/新たに始める日〜『カフェという場のつくり方』〜

きょう、ブログで取り上げた山納洋さんの『カフェという場のつくり方』。
(参考:「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

 

そこに書ききれないくらい、この本は得るものが多い本、でした。

 

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その中で気になったのがカフェに「サヨナラ」する日と、
カフェを新たに始める日についての記述です。



まずはカフェに「サヨナラ」する日について。

 

アメリカの文豪・ヘミングウェイ

 

「老人と海」「武器よさらば」の著者と聴くと、
「ああ!」と気づく人も多いかもしれません。

 

ヘミングウェイは売出し中の若手時代、
カフェでチャンスをつかみました。

 

ですが後年はカフェの「悪徳」に気付き、
カフェに「サヨナラ」しているのです。

 

パリに着いたなかりの頃、ヘミングウェイは先輩の助言を受け入れ、文学界で最も重要な人物たちを探して歩きました。そしてカフェに集っていた作家や編集者たちと出会い、語らう日々を送ります。こうしたカフェでの出会いから、彼は雑誌で作品を発表する機会を得ていきましたが、やがて彼はカフェに集う人々の中に”悪徳と集団の本能”を見て取るようになり、名声を得てからはこうしたカフェ的生活から距離を置くようになっています。(173-174)

 

口悪くいうと、「だから悩みを相談する人がいなくなって自殺したんだ!」という人も居るかもしれませんが・・・。

 

さてここから著者の山納さんは、

カフェという場には、人それぞ卒業するタイミングがるという事実を示しているように思えます(175)

とまとめます。

 

一方、カフェを新たに始める日についても書いています。

 

「カフェをはじめる!」だけでなく、
「カフェで自分の学びを伝える!」
「カフェでイベントをする!」ということもあてはまります。

 

例として、フランスの哲学者マルク・ソーテを例に挙げます。

 

フランスのパリ政治学院哲学教授の職を捨て、
日常生活を哲学で考える「哲学カフェ」を始めた人物です。

 

つまり、ソーテにとってのカフェとは、仕事や立身出世の機会を得る「インプットの場」ではなく、今まで培ってきたものを発信するための「アウトプットの場」だったのです。(176)

そのことを受け、著者はこう綴ります。

 

人生においていろんなことを経験し、自分の果たすべき役割を見極め、その先に社会や人と関わることのできる場所を求めて、カフェを志向するようになる。こういう人はもはや、大きな心の揺れに翻弄されることはないでしょうし、より多くをお客さんに与えることのできる存在になっているでしょう。そしてそういう場が増えることは、地域社会の活性化にも繋がるのではないかと思います。(176)

 

これ、実は怖い指摘です。

「自己肯定」「自己承認」されたいから
「お店を始める」という「シーズ発想」の人に、
カフェは合わない、という残酷な指摘でも在るのです。

 

 

だからこそ、人生の一時期にバランス良くカフェと関わることができる方法も、今の時代に必要なのではないかと思っています。
例えば、3年から5年の間だけ、多額の投資をすることなくカフェを開業することができて、辞めるタイミングが訪れた時には、そのお店を次の人に引き継ぐことができる、そんなシステムがあれば、カフェを通じて自分の可能性を広げられる人がもっと増えるのでは、と思っています。(176-177)

 

そうです。
この本、
カフェ、みんなやろうよ!楽しいよ!」というよりも、
カフェはキツイよ。でもやりたいなら真剣にやると、道が見えてくるよ!」という激励の書なのです。

 

実際、カフェはキツイです。
「その先」に輝きが見えてくるものなのです。

 

 

こちらもどうぞ!

  1. 上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社. (3)
  2. 少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日
  3. 心理的サヨナラ主義の考察。

「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

今年2016年の5月から、「育てるコワーキング札幌」の運営に関わっています。

私もメンバーの一員である「一般社団法人Edu」のコワーキング事業部が運営する「育てるコワーキング札幌」。

札幌駅北口徒歩3分、
北海道大学正門横にある
札幌カフェ」を土曜日に借りて運営しています。

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さて、その関係で「カフェ運営」についての本を最近読んでいます。

最近、良かったのが『カフェという場の作り方』。

 

 

ホワイトボードのない職場・大阪府庁〜『私と橋下知事との1100日』』

橋下徹さんが府知事に就任したのは2008年。
そして大阪市長に就任が2011年。
その間、2010年に「大阪維新の会」を設立し、
「日本維新の会」などで一世を風靡。

昨年の2015年に大阪市長を辞めて、
今年辺りから再びバラエティ番組で姿を見るようになりました。

 

これだけ短時間に政界に影響を与えた「タレント議員」はかなりめずらしい存在です。

 

大阪府知事時代、
橋本府知事の「特命機関」として、
「都市魅力化」が発足しました。

 

そこの課長に、民間人から無試験で選ばれたのが中村あつ子さん。

私と橋下知事との1100日』の著者です。

 

サブタイトル「民間出身の女性課長が大阪府庁で経験した「橋下改革」」。

 

一見「暴露本かな?」と思い手に取りました。

 

中身は全く逆。

 

大阪府庁という「堅い」お役所に入っていった女性経営者の奮闘の様子が描かれていました。

 

その中で「大阪府庁は”ケッタクソ社会”なのだ」(63)という指摘があります。

 

 

大阪弁で「けったくそ悪い」といえば「気分が悪い」とか、「いまいまいい」といった意味で、あくまでオフィシャルではなく内々に表現する時の言葉です。「卦体(けたい)」、つまり占いの結果が悪いことに「糞」を付けて悪いことを強調しています。(63)

 

そのケッタクソ社会。

 

たとえば、別の部局と連携して仕事をしなくてはならない時などに、府庁では(とくに男性は)「相手の誰が話をもってきたか、どのように言ってきたか」などに異常にこだわるのです。それで釣り合いの取れないような相手だったり、手順に納得がいかなかったりすると、仕事の内容はさておき、
「ケッタクソ悪い、やめとこか」
となったりするのです。要するに、男の面子が立つかどうか、それが大切なわけで、府民が喜んでくれるかどうかというところに仕事の価値基準があるわけではないのです。(63-64)

 

そこに民間出身の女性課長として入っていった苦労。
大変なものだったと思います。

 

3年間働いたうちの1年目は、それこそ「お役所」のルールに振り回されて終わってしまった、とのこと。

2年目。
周囲と軋轢とストレス。

 

3年目には、少しずつ周囲とも協力し「仲間」として仕事ができるようになってきたそうです。

 

同じメッセージを伝え続ける。

その大事さを知りました。

 

 

この本で印象的だったのは、
著者の中村さんが大阪府庁に入った際、
「あるもの」がないことに衝撃を受けた部分です。

 

 

それは「ホワイトボード」。

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いまどきホワイトボードのない組織も珍しいですが、
大阪府庁には「なかった」そうです。

 

 

それは会議の際、
紙を配りそれに目を落とすだけなので
「ホワイトボードがいらない」のです。

 

著者の中村さんは「ホワイトボード」を予算で買おうとしました。

が、総務の許可が降りませんでした・・・・。

 

仕方なく倉庫に眠っていた古いホワイトボードを引っ張り出してきます。

 

 

ホワイトボードを導入したことで、どんな変化があったのでしょう?

 

 

会議の際、
書類だけだとただ書類を見て終わりになります。

 

ホワイトボードを導入すると・・・

 

時間が効率的に使えるし、論点がはっきりし、頭の整理ができます。それで目線が上向きになり、出席者が顔を向けあうようになりました。
職員が一緒に考えることに意味があるのです。そうすることで前向きな議論ができて会議が活性化します。そんなミーティングを経て「大阪に恋します。」という局の合言葉を誕生させたのは、先にも触れたとおりです。(109)

 

私もファシリテーションをやる側なので、
ホワイトボードの意義はよくわかります。

 

ホワイトボード。
議論を整理する以上に
メンバーの「一体感」すらも出すことが出来る
便利ツールなのです。

 

中村さんは、ホワイトボード導入でアイデア出し・「職員の一体感」を出すなどの「小さな工夫」を積み重ねていきます。

 

課内の全メンバーとの30分ずつの面談の実施もその一つ。

 

「小さな工夫」と「小さな達成感」の積み重ね。
そこからメンバーとしての一体感や大阪府庁という
「ケッタクソ社会」すらも変えていくことができます。

 

そういう点で印象的でした。

パクリ魔・寺山修司伝〜『虚人 寺山修司伝』を読む〜

昭和を代表する作家で劇作家の寺山修司

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高校在学中から「短歌」の世界で注目され、
大学中退後、ラジオドラマを書き、
テレビドラマ、映画脚本、戯曲、競馬評論などを立て続けに書き連ねる。

作詞も行うし、テレビにも出演する。

そして自分の劇団「天井桟敷」を旗揚げ。
映画監督としても、映画史に残る『田園に死す』などを残している。

 

著作も数知れず。

 

 

 

職業を聞かれた際、

「職業は寺山修司です」

そう言ってのけるほど、マルチな才能を発揮した寺山修司。

寺山修司の20代はじめはテレビ黎明期。
まだテレビドラマのほとんどが「生放送」だった時代です。

 

ビデオテープのような録画装置がバカ高かった頃。

そんな頃からずっとドラマ脚本を書き続けている人なのです。

 

あしたのジョー」のテーマ曲の作詞家、といったら驚く人もいるかもしれません。

「サンドバッグに・・・」のあの曲です。

 

「あしたのジョー」に出てくる、ライバルの力石徹が作品中で死亡した際、
力石徹のお葬式が行なわれました。

その葬儀委員長も寺山修司。

 

ほんと、よく分からない人です。

 

 

死後30年以上たったいま現在にも熱烈なファンのいる寺山修司。

かくいう私もその一人。

 

わざわざ、青森県の何もないど田舎にある
寺山修司記念館」までノコノコ行ってしまうほどです。

 

衝撃を受けたのが、
寺山修司記念館のバス停。

 

「冬期間のバスの営業はありません」

 

自家用車、あるいはレンタカーなりタクシーなりでしか来れない。
それでいて「郷土の偉人」と言い張る青森県。

ほんと、素晴らしいですね!

 

 

さて、今回紹介する『虚人 寺山修司伝』は、
「カッコよくない」寺山修司の姿を赤裸々に書いた本。

 

輝ける天才・寺山修司が、
実は「パクリ魔」だったことを当時の証言を元にまとめている本なのです。

 

帯紙がいいことを書いています。

 

「徒手空拳で青森から上京し、草創期のテレビ界を舞台に、さまざまな人物と交流しながら名声を求めた寺山修司。
彼の作品−−俳句、短歌、ドラマは模倣の連続であった。」

 

・・・あまり知りたくない話ですが、事実です。

 

 

寺山修司作の短歌として、最も有名なのはこちら。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

叙情的で、なおかつ社会風刺すら込められた短歌。

 

私も大好きな短歌です。

 

 

ですが、この短歌も「元ネタ」があります。

 

「一本のマッチをすれば湖は霧」(170)

 

このレベルだと、モデルをもとに創造をした、といえるものです。

 

ですが、『虚人 寺山修司伝』は彼の「剽窃」(パクリ)が筋金入りであることを述べています。

 

高校在学中の「短歌」も友人のパクリの短歌が多い上、
初めて書いたラジオドラマにも剽窃疑い。
これまた初めて書いた戯曲やテレビドラマのシナリオも
「パクリ疑惑」が起きているのです。

 

 

そう、実は寺山修司は「パクリ魔」だったのです!!!

 

ただ、彼が優れているのは「パクった」作品に、
彼自身の世界観をうまく落としこむ所。

 

寺山修司のあらゆる作品には「田舎・青森」と「都会・東京」の相剋と、母と子の葛藤が込められています。

 

コラージュ。断片の集積。コピーのオリジナリティ。この田舎者の国の戦後に何か一番の核を突きつけたのが修司だったのではなかろうか。そう和田(注 和田勉のこと)は思うのだ。(210)

 

ただ、寺山修司がなぜ剽窃までして自分の作品を創りださなければならなかったのでしょう?

 

本書の作者は寺山修司の家庭環境にその理由を求めています。

 

幼くして父を亡くし、母と2人ぐらし。
その母も、仕事のため寺山修司を置いて九州で働きに出る。

ある意味「捨てられた」状態で、縁戚の映画館で生活する。

そんな状態のため、とにかく有名になって「承認」を得たかったのではないか???

 

そのためなら剽窃だろうがなんだろうがやるし、
「短歌」で有名になったら次は「戯曲」「脚本」「小説」と、
次々仕事を行っていく。

 

寺山修司にとって、
短歌も戯曲も小説も評論もなにもかも、
自己を承認「してもらう」ための手段に過ぎなかったようです。

 

これ、相当つらいことですよ!?

 

そこまで頑張らないと、自分が満たされないわけですから・・・。

 

私は、寺山修司がただただ、才能にあふれていた「天才」なのだと考えていました。
本書を読んで、急に身近に感じられました。

 

そんな寺山修司。
末期の病を宣告された後も、「映画監督」や「演劇の演出」にこだわりました。

彼にとって、「末期の病」の宣告は何を意味していたのでしょうか?

 

私は、はじめて「承認」を必要としない仕事に出会った「喜び」があったのではないか、と考えています。

 

「承認」を求めて仕事をしていた寺山修司。

さすがに「このままだと余命は1年ない」と言われた際、
「本当にやりたいことをやる」意識に変わったのではないか。

 

私はそう思っていますし、
そうあってほしいな、と思っています。

 

若者に「家出のすすめ」などでアジ気味の励ましを送っていた寺山修司が、
最後の最後まで自己承認のために仕事をしていたとは「思いたくない」のです。





寺山修司が自分の劇団旗揚げの際、
俳優として依頼したのが美輪明宏(当時、丸山明宏)です。

紅白歌合戦はもちろん、
テレビにも未だに出ています。

 

美輪明宏も生きているし、
寺山修司をラジオドラマの世界に引きずり込んだ
谷川俊太郎もまだ生きています。

 

寺山修司は「若い日本の会」に入っていました。

 

日本が「政治の季節」だった60年代に、
「若手」文化人として声を上げたのが「若い日本の会」。

「若い日本の会」のメンバーはそうそうたるもの。

石原慎太郎や劇団四季の浅利慶太も、
永六輔大江健三郎もそのメンバー。

しかも、まだ生きている人が多いのです。
(もう若くない・・・)

 

それを考えると、
1983年、47歳にして他界した寺山修司が不運に見えてきます。
同年代がまだ活躍しているのを見ると、
若すぎた死!」という思いが抜け切らないのです。

 

だって、今の時代を寺山修司がどう解釈するか、
見てみたいですもん。

 

特に短い警句たる「アフォリズム」に秀でた寺山修司がもしツイッターをしていたら・・・。

とてつもなくグイグイ引き込むツイートをしていたはず。

 

そう考えると、残念で仕方ないのです。

 

2Q==-1☆こちらからお求め頂けます。

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『トランクひとつのモノで暮らす』を読む。〜著者のエリサさん宅を訪れて〜

前の職場で教員として働いていた際、
ときおり私の家にある家具の少なさ・家電の少なさを自慢していました。

 

「僕の家にある電化製品、何があると思う?」

 

よく生徒に質問していたものでした。

 

大体は「テレビ!」「冷蔵庫!」「電子レンジ!」などという答えでした。

 

「残念、全部ありません!」

そんなケムに巻くような返答をよくしていたものでした(懐かしい思い出)。

 

帯広勤務時代のはじめ1年の生活は、本当に家電のない生活をしていました。

 

家にあったのは洗濯機とティファールの湯沸かしポット(下の写真)とPCのみ。

 

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北海道なのでストーブは据え付けです。

誇張ではなく、それだけで生活出来ていました。

 

 

 

むろん、「ほぼ外食」「ほぼコンビニ生活」をしていたからですが・・・。

 

 

何を隠そう、帯広時代、住んでいたのはコンビニのあるマンションの最上階でした。

 

 

コンビニは冷蔵庫でもあり、
電子レンジでもあります。

 

PCさえあれば、インターネットもDVD鑑賞も音楽の再生もできます。

 

「自称ミニマリスト」を言っていた時代です。
ただ、世間的に「料理を自分でやろう」と決意してからは
炊飯器と電子レンジをついに買いました。

 

その2つを買った半年後、
冷蔵庫を知り合いからもらいました。

 

最終的に、自宅にあった家電は
ここに書いたものだけでした。

 

そうそう、もう一つ、使わないけれど「掃除機」がありました。

・・・使わないと言っても、「ほうき」で掃除していたんですからね!(ちょっと強調)。





 

さて、そんな元「自称ミニマリスト」の私にとって、
最近、非常に感銘をうけた本があります。

 

バルーンアーティストでもあり、
ミニマリストのエリサさんの書いた本。

トランクひとつのモノで暮らす』です!

 

 

 

 

自分の人生を見つめなおすため、
海外短期留学に行った際の気付きから生き方を変えていったエリサさん。

 

「トランクひとつでも、全然困らない」。

そこからモノを少しずつ減らしていくようにしたそうです。

 

モノが減っていくと、最初は単純に部屋がきれいになることが気持よく感じられました。さらにモノを厳選しようとすると、今度は自分の心の奥底にある気持ちと向き合う必要が出てきました。その結果、自分が何を大切にして生きたいのかが見えてくるようになりました。大切なモノがわかれば、そうではないモノを持たないという選択ができます。時間も空間もお金も有限だから、大切なモノだけに使ったほうが幸せです。
「トランクひとつのモノで暮らす」のは、目的ではなく幸せに生きるための手段のひとつだったのです。(はじめに)

 

この本、よくある「断捨離」系や「シンプルライフ」系の本とは少し違います。

 

「断捨離」系・「シンプルライフ」系の本には、
「修行」を強いるような内容のものもあります。

 

そうではなく、モノを減らすことで
「自分は何をしたいのか」
「自分は何を目指しているのか」明確になる点が伝わってくるのです。

 

例えば、食器を7つに厳選したというエピソードが出てきます。

さまざまな料理への包容力のある食器7つに厳選したエリサさん。
家事も楽になったほか、いろんな気付きがあったそうです。

「いろいろな料理に合う包容力の高い器があると、少ない数で使い回すことができます」(95)。
「ひとつひとつに温かい思い出があるから、使うたびに幸せな気持ちになるのです」(95)。

 

そう、モノを減らすことに目的があるのではないのです。

 

モノが本当に必要かどうか、じっくり判断する。
そして、「いらない」と思えば感謝して手放す。

 

そうすることで自分の「価値基準」が磨かれていく。
だから、モノに縛られる人生から、
モノを使って人生を楽しむ生き方に変わっていくようです。

 

 





エーリッヒ・フロムというドイツの思想家がいます。
彼はユダヤ人ゆえナチスによって「強制収容所」に送られます。

人々が絶望で死にゆく中で、
「いつか、自分が市民講座でこの強制収容所の様子を講義する」イメージを持ち続けたフロム。

辛い現状も、遠い未来に「どんな風に講義するか」考えることで乗り越えていった人物です。

そんなエーリッヒ・フロムの著書『生きるということ』。

そこには「持つこと」「在ること(あること)」という2つの概念が出てきます。

 

何かモノを「持つこと」、
地位や権力を「持つこと」。

一方、自分らしく生きるという「在ること」。
人生を肯定して楽しみ、自分として「在ること」。

この2つを対比します。

 

詳しくは省きますが、
フロムはこの「在ること」を重視したのでした。

 

自分という存在は、別に「モノ」が成り立たせているわけではない。
「モノ」を持っているなら、それをどう自分の人生に役立てるか。

そのことを重視するのがフロムです。

 

エリサさんの本を読んでいると、
モノに縛られるのではなく、
モノをどう自分の生き方につなげていくか考えることができます。

 

実際、エリサさんの本業はバルーンアーティスト。

 

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実は、今日、エリサさんのご自宅に伺いました。

 

ご自宅のなかは著作内の写真通り、何もない状態。
シンプルライフを地でいく場所です。

 

そんな場所でも、バルーンアーティストとしての仕事で使う道具が大事に収納されていました。

 

単にモノを減らすことが目的ではなく、
モノを自分の人生にどう役立てるかを深く追求されている様子が伝わってきました。

 

 

ただ、人間生きていると、
どうしてもモノが溜まってしまいます。

 

なかには、モノを手放すのを罪悪視する人もいます。

 

 

フリーマーケットやリサイクルショップ、Amazonなどをつかえば、
「もっと必要な人が使ってくれれば」というカタチで手放すこともできます。

 

今日、エリサさんに伺った名言にも、次のものがありました。

 

 

「モノが増えて、『引き出しが足りないな』というときは、
まずモノを減らす方向で考えています。
こういうのを『アルゴリズムの転換』と呼んでいます」

 

そう、モノが溢れてきたら「収納法を考える」よりも、
「モノを減らす」ことから考える。

大事な発想ですね!

 

 

実は私の妻がエリサさんのファン。

勧められて私も読み、私もファンになりました。

 

お話の中でいろんな気付きも得ましたので、
このブログでまた書いていこうと思います。

 

エリサさん、非常にファンサービスのいい方で、
記念に風船の作品を作っていただきました!

 

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大事に家に飾っています!

 

記念写真も!

 

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いやー、エリサさん、
本日はお忙しい中、お時間作ってくださり、ありがとうございます!!!!

なお、本書は、エリサさんのブログ「魔法使いのシンプルライフ」から派生してきた本です。

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だからこそ、
読みやすく分かりやすく、写真も分かりやすい本に仕上がっているのです。

 

ブロガーとしても活躍されているんです。
「にほんブログ村ランキング」など、シンプルライフ部門のブログで1位を獲得されています!

 

一応ブロガーの私も、見習いたいなあ、、、と思っています。

 

 

 

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