education

『無駄学』をもとに、仕事を考えてみた。

きのう、珍しくテレビをチラチラ見る機会がありました。

ちょうどやっていたのが「ソレダメ!」。
テレ東の情報提供バラエティーです。

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日常の常識が、実は間違っている!
そんな部分を指摘している番組でした。

 

ちょうど、そこに東京大学の西成活裕氏が出演して、
「家事の時短」についての常識のウソをあばいていました。
(西成活裕氏のプロフィールはこちら)。

 

「複数の部屋を掃除するとき、1つひとつの部屋を掃除していると時間がかかる。だから、掃き掃除・拭き掃除・窓拭きをするなら掃き掃除だけ全部屋、拭き掃除だけ全部屋、窓拭きだけ全部屋すると道具を持ち変える時間が無い分速く家事が終わります」

たしかこんな内容でした。

何を隠そう西成氏、『無駄学』を書き、「無駄」を科学することを提唱する人物なのです。

 

本当に偶然ですが、『無駄学』を読んでいたばかりなので、印象的でした。

 

職場における無駄
〈机の上〉
仕事の効率を決める基本は、まず自分の机の整理だ。机の上は、レイゾウコだと思えばよい。つまりこれからする仕事に関する資料を置いておくところなのである。机にいろいろな資料が雑然と積んである状態では、探す無駄が発生し、時間をロスするだけでなく、机の上のスペースが圧迫される。したがって、理想は1日分の仕事のみを机上に置いておき、帰るときに翌日分の仕事を置くという繰り返しの習慣をつくればよい。もちろんこの背後に業務の「平準化」が必要であることは言うまでもない。例えば月末に業務が集中していれば、その時期の仕事で前倒しできるものをあらかじめ今のうちにやっておく。また、昨年度の手帳を見て、どのような業務が今年これからあるのかを予測することも大切だ。そして一度自分の担当の業務の発生回数や必要時間をすべて書き出す「業務棚卸し」をしてみるのも効果的だ。(145)
☆太字は藤本。

ただ「忙しい、忙しい」と言っているのではなく、
一度「自分の仕事は何か?」
「どの仕事にどれだけ時間がかかっているのか?」
書き出してみることが必要なようです。

そう、仕事は「自分は何を貢献できるか?」考えていくところに本質があるのです(ドラッカーより)。

仕事における「無駄」は、「貢献」を邪魔してしまいます。



 

・・・と、こうして『無駄学』を読んでみると、
ふとあることに気づきました。

 

会社って、大きなムダの固まりだ。

 

ことしの4月からフリーランスとして札幌で仕事していますが、
何をやるのも「自分」の決定で動ける自由さを日々実感しています。

 

例えば、昨日お片付けの家庭教師Douro-wmさんの相談に乗っていました(その模様はこちら)。

話を聞いている中で、突如
あ、これ、この切り口でイベントにしたらいいだ!!!」と気付きました。

その勢いで日程調整。

会場予約とチラシ作り。

それでできたのがこのチラシ↓。

片付けられない人と、片付けられない人の家族のためのセミナー

 

イベントページも早速複数サイトで作りました。
FBイベント版
アテンド版
サツイベ版(申請中)

 

組織の場合、こうは行きません。

 

(1)まずは根回し。
(2)定例会議に上げる前の資料作成。
(3)会議での賛同。
(4)やっと会場予約が出来る・・・。

 

特に(2)の「定例会議に上げる前の資料作成」に時間がかかりがちです。
(帯広の学校勤務時は、この(2)がなかったので、スピード感がありました)

(1)〜(3)の途中で、だいたい潰されちゃったりしますよね。
(4)に来た時には、「もう会場、いっぱいです〜」なんてことも。

 

学校教員をやっている時。
途中で案が潰されるのが「イヤ」だったので、
本当にやりたい企画は勝手に休みの日にやっていました。

 

 

さて、さきほどの(1)〜(4)。
フリーランスだと、いきなり(4)に飛べる。

これ、すごいことです。

おまけに、自分言い出しっぺイベントの場合、
関係者の会議をする・しないも自分で決められます。

イケダハヤトさんの『まだ東京で消耗してるの?』にも、
東京時代の「打ち合わせ」のムダが多く書かれていました。

☆私の書いたブログ記事はこちら。みてね!

 

組織にいることの「ムダ」。
なかなか意識できませんでしたが、
辞めた後気付くものかもしれませんね。

 

 

大卒後すぐにフリーランスになった場合、
そのありがたさに気づけないかもしれません。

【New!】論理カウンセリング、実施中!

「自分は何をすればいいんだろう・・・」
「この団体の方針、どうすればいいの・・・」

悩むことの多い人生。
「どう言葉にしていいかわからないけど、
何かモヤモヤが残る・・・」

そんなとき、日本ノマド・エジュケーション協会に相談しませんか?

ちょうど「論理カウンセリング」というのをはじめています!

論理カウンセリングとは?

 

 

(1)論理カウンセリングの流れ

相談される方の声を傾聴し、まずは書き留めて「」にします。
その作業を通す中で「自分は何を考えていたか」「どう思っていたか」が見えるようになります。

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考えが見えるようになると、案外「問題」の解決の糸口が見えたり、
「悩み」がスッキリします。

悩みの大部分は「何で悩んでいるか分からない」「今後どうしていいか分からない」ところから来ています。

論理カウンセリングは悩みの「見える化」をお手伝いします!!!

作文などで自分の考えを書く場合も、
一度「論理カウンセリング」を受けてみることで、
「何を言いたいか」「何を書こうとしているか」見えてきます。

団体の場合も、各メンバー同士の思いがスレ違いあい、
「そもそもみんな、何をしていきたいの???」がわからなくなることが多いようです。

ここで、「団体の方針をもう一度考えたい」ということでご相談いただきました、お片付けの家庭教師Douro-wmのお二人より、本サービスの感想を伺います。

お客様の声:

「こちらの思いややりたいことを言葉としてあらわしてくださいました。
『私が言いたかったのは、それ、それ!』という感じが強くなりました」
「自分のワクを超えたところから話をしてくださいました」
(渡辺美紀さま)

「イベントをどうするかなど、自分では考えられなかったところを的確なイメージでまとめてくださいました」
「自分たちでは表せなかった点をまとめ、パッケージ化してくださいました」
「自分一人ではできなかった所なので、思いを形にするお手伝いをしてくださいました」
(伊藤さま)


IMG_5781Douro-wmの渡辺さま(右)・伊藤さま(左)

※ お片付けの家庭教師Douro-wm(ドーロ ダブルエム)の渡辺さまも伊藤さまより、団体の運営方針や「目指すもの」についてのご相談を受けました。
現在、団体の新たな方針を定め、今までなかった切り口での講座を実施していこうと取り組まれています。

※ お片付けの家庭教師Douro-wm様との「論理カウンセリング」をもとに、この度私の「本業」であるイベント立案を行うことにつながりました!
これは「論理カウンセリング」も「作文」も「イベント立案・運営」も行っている、日本ノマド・エジュケーション協会ならではのことですね!!!

「片付けられない人と、 片付けられない人の「家族」のための 片付け講座」

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(2)「さっそく相談したい・・・」。その窓口です!

論理カウンセリング費用は以下のとおりです。
 30分3,000-(税込み)
 60分5,000-

※ 遠方でもOK! お電話・スカイプなどでもご相談に乗ります!
※ 論理カウンセリングによって「必ず悩みが解決する」というわけではございません。悩みの解決に向けてのお手伝いを行うことを目的としております。カウンセリング後の返金には応じかねますので、予めご了承ください。

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「やってみたい!」をカタチにしよう。〜私がイベントを乱発するようになった理由〜

その昔。
私が大学院生だった頃。

ネコワーキング」というところで、
インターンシップをしていました。

フリーランスや企業の人が、気軽に「ゆるやかにつながる」中で仕事をできるカフェ。

ネコワーキングには「ネコ」という癒やしがあり、
密かに人気スポットでした。

残念ながら閉店してしまいました・・・。でも伝説は健在です)

 

私のFacebookの写真も、
このインターンシップ生時代に撮ったもの。

いまから思うと、いい思い出です。12794601_10209451237943077_3010245940574006288_n

さて。

そんなネコワーキングでのインターンシップ時代。

当時の社長の方針は「インターンシップ生の報酬は、自分で稼げ!」

「インターンシップは、ある意味企業の業務を体験させてもらう場。だから、アルバイト代は出せません」
「でも、このネコワーキングという場を活かし、自分でイベントを企画しなさい。そこから収益が上がるならそれを収入にしてもいい」

インターンシップ先で、ネコの世話や掃除、運営のお手伝いなどをしていました。

「アルバイト代をもらえる」レベルのことをしていたように思いますが、ネコワーキング社長の申し出はある意味「驚き」でした。

だって、何も経験がない大学院生がイベントをやって、その上収益もあがるものなんでしょうか?

 

はじめ、「無理!」と思いました。

でも、このままだとタダ働き決定となる・・・(タダ働きでも、得るものは多い場所でしたが)。

 

そこで私は考えました。

「よし、なんでもいいからイベントをやってやろう!」と。

 

自分は何を伝えられるか?
自分は何をできるか?

 

 

真剣に考えました。

 

 

ですが。

自分で何かをお話するイベントをするのは、無理だと気づきました。

 

やばい。

このままだと完全なタダ働きだ・・・(繰り返しますが、タダ働きしてでもいいくらいの「学び」があった場所でした)。

 

 

 

私はまた考えました。

 

そうだ、自分が話せないのなら話せる人を連れてこればいい。




大学院生たる当時の私の唯一の強みは、「大学院生」とつながりがあることです。

いくらでも専門的なこと「しか」していない「大学院生」と無限につながりがありました。

その人たちから、「話せる」人を探してきて、お話してもらおう!

 

 

ネコワーキングという場にはたくさんのフリーランスの方・そうそうたる企業の方が来ていました。

そのころは2011年冬。
ちょうど「コワーキング」という言葉が出始めた頃。

「意識の高い人」の間で「コワーキング、一度行ってみようか」という思いが高まっていた頃でした。

 

「大学院生」につながりがあり、
なおかつ「フリーランス」「社会人」ともインターンシップの場でつながりのあった当時の自分。

 

「よし、大学院生のなかの【すごい人】に自分の専門を元に話してもらうイベントをやればいいんだ!」

 

そうしてイベントを立てたわけです。

 

そんなこんなで企画したのが「英文アブストラクト講習会」でした。

当時の(貴重な?)写真です。

9E44AD01-1879-4DEA-91D8-40ABB4017846「英文アブストラクト」とは、論文を書く時に英語で「要約」を書くことです。

これ、大学でも大学院でも特に学ぶ機会がない技術です。

それを英文学科の大学院生の友人にお話してもらうというイベントでした。

 

 

初めてのイベント。
ですが、収益がきちんと上がりました!

 

 

 

これ、私のなかですごく大きな出来事でした。

 

 

「別に自分がすごくなくても、すごい人を連れて来て、すごい人に話してもらうだけでイベントになる!」

 

この気づきを元に、そこからは「他人のフンドシで相撲をとる」イベントを乱発していました。

 

電子書籍の書き方講座もしました(講師はiPadにやたら詳しい大学院の友人)。
ボイストレーニング講座もしました(講師は早稲田の演劇研究会の顧問として関わっているボイストレーニングの専門家)。

 

 

「他人に何かしてもらうイベント」をやり続けるなかで、
私のなかで何かが変わってきました。

 

人と新たに会うたび、こんなことを思うようになってきました。
「この人のこの話、こういう切り口でイベントにしたら人が来るんじゃないかな?」
「この人、こういうイベントやったら面白んじゃないかな?」

 

 

教員として札幌に行ったあとも、この発想から数限りなくイベントをしました。

例えばこちら↓

2012年を振り返る〜私と、日本ノマド・エジュケーション協会と、日曜バー〜

 

札幌で2年経た後行った帯広でも、「ビブリオバトルin帯広」や「オビゼミ!」「十勝コーヒー部」など、いろんなイベントを行いました。

帯広時代、授業にいろんな外部講師を呼んだのも、
「どうやったら授業が盛り上がるか」
「どうやったら生徒にメッセージが伝わるか」と考え、
授業をイベントとして捉えたことがきっかけとなっています。

 

 

 

いろんなイベントをこれまでしてきましたが、
その原点はすべて「ネコワーキング」から来ています。

 

 




ネコワーキングで火がついた私の「イベント」熱。
札幌→帯広、そして再度の札幌ときて、また高まってきています。

きょうも、これから積極的に関わっていく「札幌カフェ」の土曜企画の打ち合わせをしていました。

 

来月の5月より、JR札幌駅北口前の「札幌カフェ」の土曜日の運営を、
私も所属する一般社団法人Eduとして行うこととなりました。

私はその責任者として、「札幌カフェ」でのイベントを活性化していくこととなります。

 

イベント。

やってみたら意外にカンタンで、楽しいものです。

ですが、どうしても「最初の一歩」を踏み出すのって、すごく大変です。

 

かくいう私も、「英文アブストラクト講座」開催にあたって、相当うつ状態に落ち込みました。

「うまくいかないんじゃないか・・・」
「失敗するんじゃないか・・・」

でも、案外うまくいってしまい、「よし、もう一度!」とイベントを乱発するようになったのです。

 

「札幌カフェ」の土曜部門は「育てるコワーキング」という名称で行います。

これまで北18条駅そばで運営されていた「育てるコワーキング」を、
もっとアクセスのいい場所である「札幌カフェ」に持ってきた、ということです。

「育てるコワーキング」という名称は、
「こういうことをやってみたい!」という人の後押しをすることを目指しての名称です。

 

そこのイベント関連の責任者として、
「こういうことをやってみたい!」という人を支えながら、
「はじめの一歩」を踏み出せるようにしていきたいと思っています。

 

自分でやったイベントが上手く行ったときの爽快感。
やった人にしか、得られない感動だと思います。

 

こういうイベント、札幌カフェでやってみたい!
札幌カフェじゃないけど、こんなイベントをやってみたい!」という方、ぜひお気軽に以下までご連絡くださいませ。

「はじめの一歩」のお手伝いをできれば、と思っています。

 

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【お知らせ】ポストモダン思想が分かりやすく学べる『高校生と語るポストモダン』販売中です!

私が昔、書いた『高校生と語るポストモダン』という本があります。

大学入試で出題されるのに、高校ではほとんど学べない「ポストモダン思想」
それを対談形式で、分かりやすくまとめた本です。

一部知り合いには売ったこともありますが、このたびネット版で販売いたします!

「ポストモダンって、何?」
「近代思想って、なんだっけ?」

そんな方、ぜひお読み下さいませ〜。

高校生と語るポストモダンnote版イラスト☆こちらからお求め頂けます。

こちらもオススメ!

  1. 簡単に学校を作るための、ただ1つの方法。① (2)
  2. 「一人ひとりの声に耳を傾けます」批判〜よりよいカウンセリングのために〜 (2)
  3. 「定義」すること (2)
  4. 廃墟のユートピア〜またはグリュック王国に思うこと〜 (2)

齋藤孝『語彙力こそが教養である』

「あの人、教養があるよね〜」

そんな言葉をよく聞きます。

 

 

また「教養」を謳った本もたくさんあります。

 

Z☆『おとなの教養』。私も身に着けたい・・・。
(こちからお求め頂けます)

 

 




ところで。

 

次の問に答えられますか?

 

「では、教養ってなに?」

 

 

 

この問い、けっこう難しいです。

 

「教養って何?」と考えず、
とにかく教養を身につけなくっちゃ!」と焦る人すらいます。

 

 

教養とは何か。

 

 

齋藤孝さんはまさに「語彙力こそが教養である」というわけです。

9k=こちらからお求め頂けます。

 

 

語彙力(語彙をどれくらい知っていて、どれくらい使いこなせるか)=教養

・・・というわけです。

 

 いちばん伝えたいのは、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」ということ。人生そのものが楽しくなるということです。
思考は、頭のなかで言葉を駆使して行なわれます。つまり、何かについてじっくり考えて意見を持つためには、先にたくさんの言葉をインプットすることが必要不可欠です。英語が苦手な人は、英語で深く思考することはできないでしょう。それと同じように、乏しい語彙力では、それをとおした狭い世界しか見ることができません。(6-7)

 

ものを考えるとき、人は「言葉」を使っています。

 

ためしに、「言葉」を使わずにものを考えてみてください。

 

例として「言葉を使わずに、坂本龍馬のやったことを頭のなかで考える」をやってみましょう。

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

いかがでしょうか?

 

 

たぶん、大河ドラマのワンシーンを再現するはできても、
「大政奉還の建議」や「薩長同盟の実現とその意義」は
言葉なしではできないはずです。

 

 

人間は「言葉」を使ってしかものを考えられない以上、
「言葉」の数を増やすことは「ものの考え方」も増やし強化することにつながります。

 

「言葉の数」とその使い方を学ぶことが、「語彙力」というわけです。

 

 

語彙力を高めるため、齋藤孝さんはアドバイスをしていきます。

 

夏目漱石などの文筆家の本を「音読」する(160ページ)。

何か知らない言葉があればとにかく「検索、検索、また検索」を繰り返す(111ページ)。

良質なテレビ番組をもっと見ていく(118ページ)。

 

語彙力の向上は、日々「なにをするか」です。

日々、語彙力アップのための「習慣」を身につけることです。

 

語彙力は、「やるか/やらないか」、そして「いかに”今日から”始めるか」が5年後、10年後の語彙の大きな差につながります。日々の生活が忙しいのは、私もよくわかりますが、インプットにかける時間は多少無理をしてでも確保してほしいところです。(121ページ)

 

齋藤孝さんが言っている、夏目漱石などの文筆家の文章の「音読」。
実は私もやっていました。

 

高校の頃、やはり齋藤孝さんの本に、

国語の力を伸ばすなら、夏目漱石の『坊ちゃん』を音読するといい。

 

・・・とありました。

 

 

さっそく、『坊ちゃん』を買ってきました。

そして、音読。

 

日曜の昼過ぎからはじめ、終わった時は夕方を過ぎていました。

 

高校の寮のベランダで音読し続け、
読み終わった時に見た夕焼けはいまだに心に残っています。

 

 

「ああ、読みきった〜〜〜!」
達成感がありました。

 

音読してみた結果。

夏目漱石の言葉の「リズム」に馴染んだ気がします。

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これも、一つの「教養」ということなのでしょうか。



 

ちなみに。
本書『語彙力こそが教養である』の内容は「作文教室ゆう」のサイトにも掲載しています。

 

 

ぜひご覧ください↓

「作文教室ゆう」作文のコツ65 「すごい」禁止令。

9k=

こちらからお求め頂けます。

キム・ナンド『最高の自分をつくる 人生の授業』。

ちょっと前、「ハーバード白熱教室」というNHKの番組が流行ってました。

その模様をまとめたのが『これから正義の話をしよう』。

Z☆マイケル・サンデルの著作。こちらからお求め頂けます。

話題になりましたね〜。

 

 

 

当時、大学院生だった私の周りでは、
マイケル・サンデルの「正義」論に関し賛否両論が出まわってました。

 

 

 

「リベラリスト」たる私としては、「コミュニタリアン」マイケル・サンデルは「あんまり好きじゃないな〜」というものでした。

 




 

 

 

 

 

さて、そのマイケル・サンデルの後を受けて放送されたのが「ソウル白熱教室」。

ソウル大学の人気教授、キム・ナンドの授業の模様です。

「ソウル白熱授業」の内容に近いのが『最高の自分をつくる人生の授業』。

2Q==☆こちらからお求め頂けます。

ソウル大学で最も希望者が多く集まる「人気ナンバーワン」教授です。
(こういう自己啓発系の授業に人気が集まるって、大学としてどうなのかな〜)

 

 

こういう自己啓発本、私はけっこう読みます。

大体は日本かアメリカで書かれたものです

 

韓国の著者が書いた自己啓発本を読むのは「はじめて」でした。

 

 

 

読んでいて気付くのは、こんなこと。

「日本と韓国の文化って、近いな〜。」

日本の著者が書いたんじゃないかな?と思ってしまう箇所、満載です。

受験競争がやたら厳しかったり、
子どもの塾通いに親が借り出される様子が書かれていたり。
「日本的光景」と思われるものが多数出てきます。

やたら「焼き肉に行った」「焼き肉で打ち合わせ」など、
「焼き肉」ばっかり出てくるところで
「さすが韓国!」と思った次第です。

 

なかなかの名言揃いです。

本当にきみを幸せにし、満足させてくれるのは、昇進でも昇給でも、周りに認められることでもない。それは、きみ自身の成長だ。(・・・)会社はつらいからやめるものではなく、これ以上の成長が望めなくなったからやめるんだ。(26)

 今日一日だけ生きよう。そのために必ず覚えなければならない呪文がある。(・・・)
運命愛。あなたの運命を愛しなさい。
今日一日だけがんばろう。すべては過ぎていく。(77-78)

 

 人生が本当につらいと思うたび、ぼくは愛する人のことを考える。彼らに愛されたいという願い、彼らに愛されるべき人間になろうという誓いで、ぼくはまた必死で生きようとする。
だから、あなたの人生には価値がある。愛する人がいる限り。(92)

 

 ワーキングマザーは、”人類の歴史上、最も搾取の激しい2つの組織”職場と家庭の両方で、フルに働くことを求められている。(220)

 



【本書の処方箋】

 

この本を読んでグッと来るのは次のような人たちです。

「こんな会社、やめてやる!」と、仕事を辞めようと思っている人。
「なんで私ばっかり、不幸ばかりやってくるのだろう・・・」という人。
「どう生きたらいいの・・・」という迷っている人。
「結婚しようかな・・・」という人。

 

以上のどれか1つでも当てはまる方、ぜひ読んでみてください。

 

なんか「スッ」とします。

 

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大平レポート⑥ ロビイングの方法を知ろう!

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

社会起業家として有名な駒崎弘樹さんの新刊を読んで、ロビイングの方法について勉強になったことをまとめてみました。

審議会、委員会、協議会に入って地域課題の解決に取り組むというのも一つの方法として有効だと思います。

大きいのは審議の内容が報告書などにまとめられて、それを基に政策立案されることです。

住んでいる自治体で委員を公募していることもあるかと思うので、応募してみるのも楽しいかもしれませんね!

大平 亮介さんの写真

おおたとしまさ『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』③

前の記事の続きです。
前の記事はこちら

本書『ルポ塾歴社会』では、【サピックス小学部→鉄緑会】というコースをたどった人たちへのインタビュー記事が前半部分を占めます。

このインタビュー記事の部分。
なんというか・・・。

 

 

前回も書いたとおり、
「いまいちピンとこない・・・」感満載です。

それは私が「中学受験って、なんですか?」という片田舎に育ったことも大きいです。

どうも「首都圏の子どもは大変だなあ・・・」という思いを持つ本でした。

「大学に入るまで塾に頼り切る生き方は、もしかしたら私から、何かを深く思考する能力を奪ったのかもしれないとおもうことがあります。もともとそういうことがニガテだったのかもしれませんが、そのことに目を向けず、お山の大将に慣れてしまうシステムなのかもしれません。そういう生き方が向いている人も必ずいるわけですから、それが一概に悪いことだとも言えませんが」(45)
(桜蔭→東大文Ⅰ→東大ロースクール→弁護士の女性へのインタビュー)

 

小学生のうちは、目標の学校に入るためにどれだけの学力が必要で、そのためにどれだけの努力をしなければいけないのかなど、子供本人がわかるはずもない。塾の指導に右向け右になることはやむを得ない。しかし、それが強烈な成功体験として刻まれ、中学・高校生になっても塾に頼り切りになってしまうと、主体的な学習習慣を身につける機会が奪われてしまうのかもしれない。(45-46)

そして、【サピックス小学部→鉄緑会】という黄金ルート日本のエリート教育をある意味「固定化」「制度化」させてしまう危険があることを本書『ルポ塾歴社会』は危惧しています。

 

その一つが〈サピックス小学部のほうが、名門中学校の入試問題に対し「こんな設問をしている限り、うちの塾からはその中学校への進学を勧められない」というクレームが入る〉とということかもしれません。

 

ただ、本来的に塾は「学校で足りないこと」「学校でできないこと」を補う働きをしてきています

塾の生徒からも、「学校の授業はつまらない。だけど、友だちと遊べるから学校に行っている」という言葉を聞くことがあります。

「塾のほうがわかりやすい」という声も聞きますし、
「これって、こういう意味だったんだ!」という素朴な感動を、
塾で授業をしていて共有することもあります。

 学校とは別に塾という学びの場があることで、子供たちは自分に合う学習スタイルを見つけたり、より多角的な刺激を受けたりできるのである。
「学校歴×塾歴」で、教育のバリエーションが無数に増える。日本の学校制度が平等で画一的であったからこそ、教育の多様性をもたらすために、塾という「変数」が自然発生したようにも私には見える。(146)

 

その意味で、塾と学校は決して敵対しないもの。
同じ子どもを、違う立場からサポートしていけるものなのです。

 逆に言えば現在は、塾があるからこそ、学校は学校でいられる。目先の大学合格だけでなく、生徒一人ひとりの人生の20年後、30年後をも見据えた本質的な教育に力を注ぐことができる。だから学校の多様性も担保される。その意味で、塾は学校教育を陰で支えるパートナーなのだ。(144)

 

かつて、札幌で塾を運営する能正章寛さんという人は「塾は学校と地域・家庭の究極の裏方」という名言を述べていました(いまも述べています)。

教育という点で、子どもを「究極の裏方」としてサポートしていけるのが塾である、という観点です。

本書を読んで再確認した気がします。

☆たまたま見つけた「札幌人図鑑」の動画より。

 

公教育が「与えられた教育」であるとするならば、民間教育は「自ら求める教育」と言える。その2つがあることで、日本の教育は常にバランスを保ち、かつ、柔軟に進化し続けることができた。これは世界でもまれに見るハイブリッドな教育システムなのである。(145)

札幌で新たに作文教室ゆうをはじめる者として、「世界でもまれに見るハイブリッドな教育システム」を支える一員になりたい、と思っています。

 

 

 

さて、この『塾歴社会』を元に、4/9(土)に読書会を開催します。

【Facebookイベントページ】『ルポ塾歴社会』読書会

4/9(土)22:00-23:00、会場は札幌市営地下鉄「幌平橋駅」徒歩5分の
個別学習塾はる】です。

ぜひ本書片手に語り合いませんか?

ご参加お待ちしています!
(参加希望の方はこちらからご連絡ください)

おおたとしまさ, 2016, 『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(幻冬舎新書)。
2Q==☆こちらからお求め頂けます。

大平レポート④ アイスブレイク・ゲームをやってみよう!

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

初対面の人と話すのって緊張しますよね。
とくにあんまり知らない人が集まって話す場だとなおさらです。

そんなときに役立つのが「アイスブレイク」というゲームです。
アイス=氷、ブレイク=壊す、を合わせたことばで、緊張した雰囲気を和らげるために行います。

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今の時期だったら新入社員の研修、新入生のレクリエーションなどに使えます。

たとえば、初対面同士の名前とその人の特徴を覚えるのに役立つアイスブレイクがあります。

■名前を覚えるアイスブレイク
・参加者の名前を自己紹介に付け足して全員の名前を覚えるアイスブレイクです。
たとえば、「〇〇です」→「○○さんの隣の○○です」→「○○さんの隣の○○さんの隣の○○です」といった感じにどんどん名前を付け足していきます。
「名前+好きなこと、もの」を入れると、その人を印象づけることができるのでオススメです。

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■座り方は車座で
・よりアイスブレイクを効果的に行うには座り方のちょっとした工夫が必要です。
対面式に座ると緊張するので、参加者全員の顔が見えるように車座(サークル)になります。
こうすることで話を聞こうという雰囲気が共有されます。

ビブリオバトルやワークショップを行う前に行うと経験上、すごく効果的ですのでぜひ試してみてください!

9k=-1☆こちらからもお求め頂けます。

おおたとしまさ『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』②

前の記事の続きです。
前の記事はこちら

 

この4月から作文の塾を開設する私にとって、本書『ルポ塾歴社会』は参考になる1冊でした。

ハッキリ言うと、北海道では「サピックス」(SAPIX)も「鉄緑会」もほとんど縁がありません。
(サピックスは「北大増進会」内にSAPIXメソッドコアマスターというコースがあったり、代々木ゼミナールと合同で「Y SAPIX」を運営していますが・・・)

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学力危機北海道』ではありませんが、北海道は全国的にみて「低学力」が問題とされています。

9k=☆こちらからお求め頂けます。

札幌はともかく、私が先月まで居た北海道帯広市はまだまだ「受験競争が激しい」とは言いがたい雰囲気の場所です。

受験熱、特に中学受験熱なんて首都圏と関西のみのもの・・・
本書『ルポ塾歴社会』を読んでも「ああ、そんなことがあるのね」という「関係ない感」をもってしまいます。

 

そのため、サピックスや鉄緑会についての話よりも「第4章 塾歴社会の光と闇」が一番勉強になりました。

 

某有名進学校の校長はこう言う。「私たちが高校生だったころは、高3になると、東大に合格した先輩の家に行って、勉強方法を教えてもらい、先輩が使っていた問題集をダンボールごとごっそり譲り受けて受験勉強をしたものです。それが学校の伝統でもありました。しかしいつしか塾が台頭し、いつまでにどの問題をやればいいのかをすべて指示してくれるようになってしまった」
そうなれば、プロの力を借りたほうが有利になるのは当たり前である。それを突き進めた先に、塾歴社会」があった。(141)

かつて、受験勉強の際は次の自問自答をしながら勉強をすすめるものでした。

「自分はどこを目指すか、自分はどの教材を使い、自分はどんな計画のもと受験勉強をするか」

いま、これを自分で考えることを放棄する受験生が多い気がしています。

自分で考えないからこそ、塾・予備校を「ペースメーカー」として使うことになります。

例)「数学は高3の夏までに全分野一通り終わらせられるよう、カリキュラムを組んでいます」

そうなると、自分で考えることは「ペースを乱すこと」になります。

下手に自分で考えて「別にいま数学をやんなくてもいいんじゃないか」とすることは「危険」(=不合格)な発想になるのです。

 

これこそ、思想家イバン・イリイチが語った「制度化」です。

2Q==-1☆イバン・イリイチ研究の第一人者、山本哲士の本。

自分で考え、自分で勉強する力がなくなり、
「塾/予備校」という「制度」がいうことを無目的に信じ、行動するようになるのです。

当然、自分で考えて受験勉強を進めると「うまくいかない」「一生懸命やったけど、志望校に落ちた」という結果もありえます。

【サピックス→鉄緑会ルート】の若者を描いた『ルポ塾歴社会』では、保護者の声として、息子が「第1志望合格を逃したことを、今でも自分の判断ミスだったと悔やんでいる」(78)との記述があります。

受験生自体が「自分の失敗だ」と捉え、「じゃあ、次はこうしよう」とはせず、単に「判断ミス」として親が「悔やむ」構造もあるのです。

また、サピックスも鉄緑会も、超スピードで進みます。
「ふつうの子」ならついていくのに一杯いっぱい。
その結果、学校の勉強も塾の勉強も中途半端という生徒も出てしまいます。

どこかで、「じゃあ、サピックスを辞めて、自分はあの塾でまた頑張る」「別のやり方を試してみる」をすればいいのですが、それをできず、やり続けてしまう。

ある意味ですごく素直です。

言われたことを純粋にただやる。

「地頭」のいい受験生なら「まあ、適当に手を抜くけど一応やっておくか」と相対化できます。

そうでない「ふつうの」受験生なら、それこそ学校の授業中に塾の宿題を必死にやるという「イタイ」ことをしてしまいます。

かつての「自分で考える」主体性を求められていた受験勉強に、
塾による「制度化」がはじまっているのです。

続きます
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