自己洞察

スペアキー

早稲田駅前の鍵屋さんで、我が家のスペアキーを作った。

オリジナルを元にして、おじさんが機械で削る。その時間、3分弱。

あっという間にスペアキーができた。

不思議なことに、スペアの方がオリジナルのキーよりも鍵の開閉が楽なのだ。今ではもっぱらコピーを愛用するようになった。オリジナルの方がスペアになったのだ。

 スペア(コピー)の方が、オリジナルよりも価値的。
 考えてみれば不思議だが、現実社会でもオリジナルよりコピーの方が扱いやすいことが多いのではないか。タブローに描かれたモナリザも、印刷され人びとの手元に美術集として掲載された方が多くの人に見てもらえる。多くの人が芸術に親しめる。案外、遠くにあるものよりも手身近なもののほうが価値を感じるようだ。
 昨日、やはり早稲田駅前の あゆみBOOKS で『叶恭子写真集』が売られているのを目にしたが、これも写真で鑑賞する方がオリジナルの叶女史よりも美しいのではないのだろうか。
 モーセがシナイ山にいるあいだ、イスラエルの民衆は「遠くの目に見えない神より、近くの神がいい」といって金の子牛を作った。オリジナルの神よりコピーの方が価値的だと感じたのだ。
 コピーがあるにもかかわらず、「オリジナルの方が価値が高い」とされるのは何故だろう。コピー/オリジナル問題は、オリジナルのもつカリスマ性を認知されるか否かにかかってくる。

 話は変わるが、私の座右の書『小論文を学ぶ』には、コピー/オリジナル論が出ている。そこには「オリジナルとコピーの境界がなくなるとき、それはオリジナルの権威も失墜することを意味する」(p110)とある。

「オリジナル」と「コピー」が融解して何がホンモノで何がニセモノであるかわからないような世界のありかたを、フランスの社会学者のボードリヤールというひとは、「シミュラークル」という概念で言い表そうとしているが、現代はハイパー・リアルな「シミュラークル」化した世界になろうとしているといっていいだろう。(p110)

 作者の長尾氏はオリジナル/コピーが対等であるというシミュラークルを元に議論をしている。
 けれどこの論に【時にはコピーの方が価値が高いことがある】という事実についても含めて、考察をすべきなのかもしれない。
 私の家の鍵のように。

今後の卒論の流れの案。

フリースクールの運営に関する、社会学的考察。

1、3年時の研究を振り返って。

 私は3年生の間、フリースクールを専門に研究をしてきた。フリースクール関連のみの流れを示すと、下のようになる。

①発表および見学
●(2年時の研究)東京シューレ理事長・奥地圭子氏へのインタビュー
●(2年時の発表)フリースクールに関する、教育社会学的考察
→フリースクールの定義と東京シューレの実践例の紹介。
●(発表)八王子市立高尾山学園の事例検討
→フリースクール的手法を取り入れた公立学校の事例紹介。
●(見学)東京シューレ葛飾中学校への見学。
→東京シューレが作った学校。
●(発表)フリースクールきのくに子どもの村学園の事例検討
→ニイル思想にもとづく、学校法人をもつフリースクール。
●(見学)フリースクール夢街道子ども園の見学
→未発表。2008年夏に見学に行く。
●(発表)イリッチのラーニング・ウェッブの研究
→イリッチのいう「学習のためのネットワーク」は現代のブログによって実現可能ではないか、という考察。

②書評
●『教育なんていらない』
→教育こそは権力である。教育関係にある限り、人は他者からの支配から逃れることはできない。この点を著者独特のスタンスから追求する本。
●灰谷健次郎の小説・エッセイ(『灰谷健次郎の幼稚園日記』『いのちまんだら』など)
→子どもへのまなざしや現在の教育への批判、あるべき教育像の考察。
●広田照幸『教育には何ができないか』
→人びとは過去に幻想をもっている。「昔はしつけが行き届いていた」など。けれどこれはあくまで幻想でしかない。現代にないものが過去にはあった、と人びとは思い込んでいる。

2、4年時の研究について

 3年時、いくつかのフリースクールへの見学と、そのフリースクールの見学報告としての発表を行った。実際にフリースクール関係者の話を伺うことで、研究の視点も広まってきた。
 けれど教育学の書籍(特に近代教育批判のもの)は読んできたが、オルタナティブスクールやフリースクールに関する書物はまだまだ読めていない。
 4年時では見学に数多く行くのは当然として、オルタナティブスクールに関する書物を中心的に研鑽していきたい。また4年時からNPO法人フリースクール全国ネットワークの運営をボランティアとして手伝わせて(主に雑用だが)いただくことになったので、そこからも学んでいきたい。

3、卒論の方向性

 現在の日本のフリースクールの取り組みに着目した上で、これからのフリースクール運営のあるべき姿を考察する。
 不登校の子どもなど既存の学校教育があわない子どもは多くいる。けれどその人たちが皆フリースクールに通っている訳ではない。その理由には A,情報の不足(フリースクールを知らない、あるいはどこにあるのか分からない)、B,資金の不足(フリースクールに通いたくとも家に費用がない)、C,設備の不足(フリースクールが近くにない)、D,理解の不足(主に心理面。「フリースクールに通うのは恥ずかしい」など)の4点があると考える(注 A~Dの項目は、ヒト・モノ・カネ・情報という四要素に対応している)。
 子どもの教育権を守るためにも、このA~Dの解決を図っていくべきだ。フリースクールの見学で得た知見や書物による学習、NPOやボランティアについての研鑽を踏まえた上で、卒論ではこの方向性を探っていく。
 全体の構成は次のものを想定している。

⑴フリースクールの定義説明
⑵ ⑴の補足説明のために、フリースクールの実例を紹介する(東京シューレを元にする)。
⑵必要とする子どもがフリースクールに通えるようにするための四要素の提示(上のA~D)。
⑶四要素の解決のための方策の提示。
⑷結論

 なお、現時点ではBを解決するための方法として下のものを考えている。

「B,資金の不足」を解決するために。

①フリースクールの学校化。
 いまの学校行政のシステムでは、私立学校には私学助成が行われる。これを活かすことにより、学校の授業料を減らすことができる。東京シューレ葛飾中学校はこれを活用したため、フリースクールの東京シューレよりも毎月の授業料を1万円近く削減することができた。
 奥地圭子は「東京シューレの葛飾中学校を作って、フリースクールだったら絶対にこなかった親や子どもと関われるようになった」と言っていた。「学校」の名であるので、心理的負担なくフリースクールに関わることが可能になる(Dの解決にもつながる)。

②公立学校にフリースクールの手法を取り入れる。
 公立学校にフリースクールの手法を取り入れることで、フリースクールにかかる費用を削減することができる。公立の学校であるためだ。
 八王子市立高尾山学園という公立学校がある。小四から中学生までが通う学校だ。この学校は八王子の公立校で不登校になった子どもを中心的に受け入れている学校だ。

③フリースクールに現在以上の公的支援を行う。
 地方公共団体や政府からの支援を行う。これについて次の2つの視点から考えていく。

a,税金が学校に使われているという視点から。
 これは【学校に通っている子どもには、年間95万円分、税金が入っている】という点から考えることができる。現在、フリースクールに通う子どもは、この95万円を無駄に使っていると言える。奥地圭子は「フリースクールにも利用可能ならば、学校バウチャー制度を導入すべき」といっていた。
 全てとはいわないまでも、フリースクールに通う子どもに税金が使われなければ、何のために税金を納めているのかが分からなくなる。

b,NPOへの支援としての視点から。
 近年、政府や地方公共団体からNPOの事業に支援が入ることが多くなった。NPO法人が制度で決められてから10年が過ぎ、NPOの重要性が意識されるようになってきたのである。フリースクールをNPOとして運営する所も今は多い(東京シューレや夢街道子ども園など)。NPOの活動へ支援が多くなっている今、フリースクールにも支援が増えていくべきであろう。
 けれど、ただ支援を受ければいい訳でない。委託事業という支援形態がある。資金の支援があるが、「この資金はこの事業に使わなければならない」という資金である。フリースクールがこの資金を受けた場合、本来のフリースクールの運営以外の所に資金を使わなければならなくなってしまう。おまけにこの委託事業は一年単位。継続性が難しい。
 政府や地方公共団体からの支援は必要だが、自覚的に支援を活用しなければ、活動がかえって疎外されてしまう危険性がある。

④寄付/会費を増やす。
 ①~③はいずれも公的支援を受けるための方法である。けれどフリースクール本来の働きを行うためには民間/個人からの寄付を多く集められる運営が好ましい。公的支援を受けると、どうしてもフリースクール本来の活動ができなくなる恐れがあるからだ。自由な活動が制約される恐れがある。
 財政面の安定化のために会費を集める/寄付を多く集められる工夫を行っていくことも重要である。

⑤利用者負担を可変勾配化する。
 保育所の中には入所時に親の源泉徴収を提示する必要のある場所がある。額により、保育料金が変化する仕組みだ。これが可変勾配である。無認可保育園でも、親の納税額にもとづいて可変してくれる。フリースクールでもこれを実践すべきではないか。安易に料金を低く一定化することは必ずしもよいことではない。よい教育に金がかかるのは事実である。これを認めた上でなるべく多くの人が利用できるように考えていくべきであろう。

以上。

人生、うまくいかない

 人生、うまくいかないことの方が多い。早稲田大学に入るまでもそうだし(私は早稲田の教育学部は第5志望だ)、早稲田に入ってからもそうだ。弁護士を目指すも予備校で落ちこぼれた。私の今までの経験からも、また私の見てきた幾多の人びとの姿からも、帰納できることである。

 人生、うまくいかないことの方が多い。
 ずっと勝ち続けることができればいいが、それは理想にすぎない。すっきり「全てに勝った」状態を見たことがない。
 現実には勝利を目指していても一日単位・一時間単位で「もう嫌だ!」と投げ出したくなることがある。

「葛藤しているときが人間はいちばん自然で、いちばん安定しているのです」とは内田樹の言葉だ。

 日蓮は「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」と書いている。

 うまくいかない方が自然だ。こう考えた方がよいのではないだろうか。逆に、順調にいく方がレアなのだ。

 人生、うまくいかないことの方が多い。だからこそ、途中の失敗に恐れないことが重要なのではないか。勝つことよりも、負けないことの方が大事なのだ。仮に負けても、自分には負けない。「どうせ俺はこんな奴だ」と腐らずいくことだ。

 人生、うまくいかないことの方が多い。だからこそ、負けないことが大事なのだ。途中の勝ち負けを気にせず、次の勝利を目指すのだ。

「やらないルール」作りのすすめ

梅田望夫は『ウェブ時代をゆく』のなかで、新年の決意を実行できないのは何故か、と考察する。そして、それは「やらないこと」を決めていないからだ、と指摘。新たにやることばかりを言っていると、絶対に実現不可能だ。だから絶対にやらないと決めたことを絶対にやらないようにするところから、始めるべきだと。

私は多いに影響された。そのためにいろいろリストを決めた。

 よくチマチマした節約をする人がいる。ペットボトルにお茶を入れてジュース代の節約、コピーの裏紙を使って節約…。けれどそれをやって節約できるのは一日500円くらいであろう。そういうことをしている人に限って、「たまには海外旅行に行こう」と飛行機に乗る。十数万円を費やすことになる。
 先の梅田の言を借りよう。私は「なるべく帰省しない」ルールと「海外に行かない」ルールを作った。これをするだけで少なくとも大金は減らなくなる。

梅田自身は「年上の人と会わない」ルールを決めている。
友人にこれを話すと「そんなの無茶だよ」と笑った。その通りだと私も思う。けれど、実行不可能に見える「やらないルール」を定め、実行していること自体には誰も文句を言えないであろうと思う。

学問とお笑いの間

今ではすっかり売れっ子になった漫才師・オードリー。私も好きなコンビである。冷静に話を進める若林と、途中理不尽なツッコミをいれる春日。「ズレ漫才」の名にふさわしく、絶妙にずれあって話が進まないまま時間となる。

彼らは順調にお笑い界を生きてきた訳ではない。NHKのお笑い登竜門「爆笑 オンエア・バトル」では史上初の「7連敗」を喫している。ここまで評価されないのも珍しい。それでも彼らはめげずにやってきた。M1では敗者復活で勝ち抜き、決勝トーナメントまで進む。惜しくも優勝は逃すが、彼らのキャラクターが理解され、各種バラエティやトーク番組に引っ張りだこである。筆者としたら「消える芸人」にならないことを祈るばかりである。

お笑い芸人たちはたとえ売れなくても、真剣に闘い続けている。小さなステージや番組の前セツなどを経て、ようやく番組に出られるようになる。それまでの苦労は半端ない。
 ここまで見てきてふと、お笑い芸人の精神と学者の精神の一致点に気づいた。学者は食えない。大卒後、職を得るまで長い長い下積み生活がある。その間、バイトをしながら自己の学問の研鑽に励む。芸人も食えない。やはりバイトをやりながらネタを作り、練習に励む。
 ようやく自分に非常勤の口がやってきた。あるいは助手でもいい。これは芸人では前セツをできるようになったことに相当する。ようやく助/准教授。これはレギュラー番組を持つことにあたるか。
 そして自分の冠番組を持ち「天下を取る」。学者ならば教授のポストに就くことにあたる。

こうしてみると、芸人の上を目指すハングリー精神は、学者の精神性とも一致する。いまは全く理解されなくとも、常に研究に励む。

 だから私は芸人的真剣さを持って教育学の研究に精進したい。

 最後に下手ながら歌をひとつ。
「芸人と/学者のつながり/深しかな/ともに理想を/めざす仲なら」

過去の自分との再会

昨日、自分の著作集をまとめていた。

自宅での試しコピーの際、裏紙を使用した。何気なく本文を見て驚く。
その裏紙は、私が1年生のときサークル内で発案した「早稲田大学合格体験記・記事募集のチラシ」であった。

昔の自分の行動を、こんな形で知ることになるとは…。ワープロ文の下に書かれた手書きの補足説明。稚拙な文字で恥ずかしくなった。

黒澤明が官僚制批判を行った映画『生きる』。その主人公を思い出す。かつての意欲を失った市民課長たる彼が、ハンコを拭くために引き出しから紙を出す。それは何十年も前に自分が書いた’役所業務の効率化私案’の文章であった。何の気無しにその束を破り、淡々と判を拭う主人公の姿が記憶に残っている。

過去の自分は乗り越えられるべき対象なのか。それを乗り越えた時が自分の成長と言えるのか。粛々とハンコを拭く主人公は若かりし自己を乗り越えたのか。

映画では主人公は「余命半年の間、死ぬ気で働き、市民の要望する公園建設を断固成し遂げよう」と決意する。そして奮闘の結果、公園が完成するのだ。

1日8時間の勉強、について

アメリカの大学は学生が平日1日8時間勉強をすることを基準にしている、と言う。高卒で働いている人と同じだけは学べよ、ということだ。これは「勉強=労働」と見ていると言ってよいだろう。

また佐藤優はいまも「1日6時間の読書」を日課としている。それも仕事で使う本ではなく、6ヶ月先のトレンドを見据えて(もちろん思想のトレンドである)読書をしている。’自己の内面で熟成するのを待つ’のだそうだ。(『「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー』 )

学生たるならば、休日をレジャーで過ごすのはあまりにももったいない。まして学者を目指すならば、1日8時間の勉強は最低すべきではないか。

…とはいうものの、なかなか難しい物である。

高校生と語るポストモダン 〜近代と教育と構造主義を語る〜

高校生と語るポストモダン
〜近代と教育と構造主義を語る〜

扉の言葉

 学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである
林竹二『学ぶということ』)

  私は早稲田大学教育学部の学生である。本業としての教育学の研鑽とともに、ボランティアとして母校の高校によく行く。大体、週1回は。高校生の悩みを聞い たり、勉強を教えたりするためである。ふざけ話に花が咲くこともあれば、1対1の真剣な対話になることもある。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりため になる。そんな時もある。
 あるとき、自分が書籍や友人との会話・授業などで学んできたポストモダン思想を、高校1年生のH君に語った。彼は私の話を熱心に聞いてくれ、「へー、こんな考え方があるんですか!」と驚嘆していた。この本はこの際の対話を文章化し、再構成したものである。

  よく考えれば、大学受験の「国語」ではフーコーやデリダなどの思想家がざらに登場する。けれど高校の授業ではポストモダン思想について何の説明もなかっ た。かくいう私も受験生の頃は訳も分からず問題を解いていた気がする。ポストモダン思想を高校時代に学んでいたら、受験「現代文」ももっと解けていたこと だろう。この本の執筆動機のひとつには高校生に分かりやすくポストモダン思想を伝えたい、ということがある。

 高校の授業は20世紀以前の科学観を学ぶところだ。少なくとも、一昔前の科学が教科書に載っている。現代文も然りである。
  私の大学での専門はオルタナティブスクールの研究だ。オルタナティブスクールとは、近代公教育制度のアンチテーゼの発想である。近代の持つ問題点を乗り越 えようと闘い続けている教育となっている。これを学ぶにつれて、「高校時代に知っていればよかったのにな」と思うようになった。近代教育には「国民育成」 の発想がつきまとう。無理矢理に子どもに「日本人」意識を芽生えさせる教育。それゆえ子どもの意思は問題にされない。私は高校までの学校での学習のなかで 常に気持ち悪さを感じてきた。ハッキリ自覚するようになるのは中学からだ。ニュースや読書によって知っていた情報を、授業の中ではさも知らないかのように 振る舞わなければならない。特に高校からだが、教員の話と私のすでに知っていた知識とが食い違い、「どっちが正しいんだろうか」と迷うようになってきた。 〈子どもは何も知らない白紙のような存在だ。だからこそ全てを教えなければならない〉というテーゼが存在しているかのようだ。子どもに無理矢理に多くを教 え込む教育を、パウロ=フレイレは「銀行型教育」と批判する。預金者たる教員が銀行である生徒に、知識という貨幣を預金していく。銀行はそのお金を活用で きないまま歳を取っていく(本当の銀行ならば預金を貸し出し利益を得るのだけれど、「銀行型教育」の銀行はただ蓄えることしか出来ない)。だんだんと「ど うせ教えてもらえるのなら、予習しなくてもいいや」と思うようになってくる。教えてもらうのを待つようになってくる。こうして近代教育は受け身の人間を作 り出すのに成功したのだ。私はこの〈教えてもらうのを待つ〉姿勢を崩すのに、大学1年目の大半を使ってしまった。
 この本を書くことで、私は私の 大学までの学校生活の’清算’をしたいと思っている。学校生活のなかで感じた学校文化の気持ち悪さ・居心地の悪さを再確認したいのだ。本文にもあるが、学 校制度は人類史から見ればほんの最近にできた代物である。まだまだ試行錯誤段階である。教育学者を目指すものとして、まだ学校生活を終えて早い間に、自分 が感じた「学校の気持ち悪さ」を書き残しておきたい。

 この本を読まれる高校生の方。もしあなたが今通っている学校に居心地の悪さを感じ ていたとしても、それはある意味当然のことなのです。「学校なんて、そんなものだ」と諦めておくのがよいかと存じます。学校は完全ではないのです。もし気 持ちの悪さを抱いているのでしたら、それはあなたに問題があるのではなく、学校とそれを支えている近代思想に問題があるのです。居心地が悪かったとしても 決して中退することなく、しなやかに・したたかに学校生活を終えていただくことを念願しております。

目次

●序

●近代学校はいつできたのか?
●近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。
●近代教育観の見直し。
●フリースクールとは?
●偏差値文化の日本。
●環境問題の、本当の解決法とは?
●対話の不可思議さ。
●一流に触れよ!
●参考文献

●あとがき

近代学校はいつできたのか?

 A君は早稲田大学 教育学部の3年生。著者である私の分身である。一見博識なようだが、たまに繰り出すギャグの寒さは有名である。対するB君は「序」のH君の分身でもある。高校1年生だ。A君がB君の元にやってくるところから物語は始まる。

A:ちは、B君。元気?
B:あ、先輩。はい、元気ですよ。
A:お、勉強中か。どう? 進んでる?
B:うーん、まずまずですね。受験があるから仕方なくやっているんですけど。
A:勉強は大変だよね。「強いて勉める」って書くくらいだからね。無理にさせる、っていう通り、楽しそうな響きのない言葉だからね。
B:マイナスばっかりの言葉ですね。
A:だから勉強が楽しいはずはないんだよ。だって無理矢理にやっているんだもの。だから僕は意識的に「学び」という言葉を使ってるよ。
 「さあ勉強しよう」ではなく、「さあ学ぼう」の方が軽い感じがしないかな?
B:確かにそんな気がします。Aさんの「学び」って具体的にはどんな意味なんですか。
A:「学び」というのは意識的に自分から知っていくことだね。
 辞書には「(1)まなぶこと。学問。(2)まね。まねごと」と書いてあるよ(『大辞林』)。回りや本を見て、それを真似ていく。その姿から出た言葉だね。
B:「強いて勉める」勉強と違って、「学び」は自分から真似るところから始まるんですね。
 学校では「勉強しよう」とは言っても、「学びをしよう」とは言いませんね。
A:「学び」自体は、きっと人類が始まったころからあっただろうね。赤ちゃんって、まわりの大人の話を聞くなかで、「ダーダ」とか言ってまねしていくよね。そして段々ちゃんとした言葉がはなせるようになってくる。少しずつ、ゆっくりと修得していくイメージだね。
 「学び」と違って「勉強」は集中的に学習するというイメージになるね。学校や塾では「真似をしていこう」とは言わないしね。だいたい、赤ちゃんに「勉強しよう」とは言わないね。
B:そういえばそうですね。「一生懸命、勉強しよう」などと僕もよくいいます。
A:ところで学校って存在は、昔はなかったんだ。だからB君がこうやって学んでいるのは人類史のほんのひとときにすぎないんだよ。
B:え、本当ですか? いったいいつ、学校ができたんですか?
A:日本においては明治の近代化の途中だ。日本史で明治維新ってやったでしょ? 
B:日本史選択でないので、やってないです。
A: じゃ、中学の記憶を思い出して。明治維新の途中の1872年(明治5年)の《学制》っていう法律により、日本では学校を作ろうとしたんだ。きちんと今みた いに義務教育制度が確立したのは1900年の《小学校令》という法律が出たときである、と言われているけどね(安彦ほか2004)。
B:Aさん、すごいですね。よくそんなこと知ってますね。
A:まあ、教育学専修だからね(意気高々)。
 ともあれ、《小学校令》によって義務教育制度はひとまず成立する。
B:中学校は?
A:当時は小学校のみが義務教育の対象だったんだわ。そしてしばらくは4年間だけが義務教育だった。1907年に6年間になるんだけどね。
 こうして、近代を支える義務教育制度が成立する。
B:義務教育って、単に学校へ皆が行くだけじゃないんですか? 「近代を支える」って大げさじゃないですか。
A:それがちょっと違うんだ。近代において教育というものは、国家の権力の現れなんだよ。明治政府は近代学校を通じて「日本人」を作り出そうとしたんだ。
B:えっ、じゃ明治時代までは「日本人」って概念がなかったの?
A:そうなんだよ。さっき「概念」っていっていたけど、まさにそのとおり。「日本人」という抽象的な存在は近代になってできたんだ。江戸時代には「日本人」はいなかった。強いて言うなら坂本龍馬や勝海舟くらいかな。
 日本史の教科書だと、確信犯的にはじめから「日本」や「日本人」という概念が存在していたように書いている。でも本当は違うんだ。
 ところでB君、出身はどこだっけ?
B:神奈川です。
A:昔は神奈川でなく、相模の国とよんでいた。
B:レストランにもそんな名前のがありますね。
A:うん、そうだね。
 相模の国。これはつまり「国」なんだよ。明治時代までは、全国的な国家というものはなかったんだ。あるのはそれぞれに王様がいるいくつもの「国」だけ。藩じゃないよ。
B:でも江戸時代には幕府の将軍がいましたよ。
A:当時は王様である大名の上に、さらに権力者がいたという感じなんだ。日本だとあとは天皇もいるし。
 こんな感じに、中世はバラバラな時代だったんだ。
 あ、中世って知ってる?
B:実はあんまり・・・(笑)。
A:高校じゃ、しっかり中世とかの区分を教えないから、歴史がわからないんだよね。中世っていうのは、日本だと鎌倉時代から江戸時代まで。鎌倉から室町までを中世とし、安土桃山時代から江戸時代を近世ということもあるよ。
  中世は封建制の時代なんだ。中学校の歴史で鎌倉幕府の「御恩と奉公」って習ったじゃない。これは次のようなシステムなんだ。まず各地の実力者である武士 が、鎌倉幕府に忠誠を誓う。何かあったときや幕府に呼ばれたとき、すぐに参上する。「いざ鎌倉」ってやつだね。こうやって幕府に忠誠を示すんだ。「奉公」 という。
 「奉公」する代わりに、幕府から自分の支配している土地の支配権を認めてもらう。また、功績があれば幕府からご褒美として新たに別の土 地の支配権を受け取る。これが「御恩」。言ってしまえば、幕府が一応日本全体を支配しているけれど、実際のところ支配者である武士が各地にたくさん存在し ているんだ。  
 日本全体がバラバラな時代。それが中世なんだよ(安藤1994)。
B:うーん、難しいけど何となくわかります。
A:何の話だっけ? そう公教育の話だ。明治以前は相模の国とかがあって、日本列島はバラバラだったんだ。そこでは方言が普通にしゃべられていた。いまよりもずっとキツい方言がね。いまは標準語というものがあるけど、明治時代まで統一的な日本語はなかったんだ。
B:へー。じゃ、いつ日本語ができたんです?
A:これも近代に入ってからだ。ここでは近代の開始を明治維新ということにしておくよ。
  皆が方言をしゃべると、日本国民としての統一感がなくなる。同じ「日本人」なのに言ってることが理解できなかったら困るからね。だから日本の標準語を作っ た。東京の山の手あたりではなされていた方言を元にしてね。面白いことに、標準語は東京から遠く離れた山口弁の影響も受けているんだ。当時は長州藩出身の 政治家・役人が明治政府の要職を占めていた。伊藤博文とか長州、つまり今の山口出身だね。そのために山口弁の影響を多く受けたらしい。
 で、新しく作った標準語をどうやって徹底させるか? それを行ったのが公教育なんだ。公教育の中には「国語」や「歴史」の時間が設けられた。それにより日本語をしゃべり、日本の歴史を学び、「日本人」という意識を持った「日本国民」が形成されていくわけだ。
 この標準語政策が特に厳しく行われたのが、B君が修学旅行に行く沖縄だ。
B:僕らの代から、東北になるらしいですよ。
A:えっ、マジで? それは寂しいな。何で変えちゃうんだろう?
 ・・・まっ、とにかく沖縄では学校で方言をしゃべると、「方言札」というのを首からかけさせられ、厳しい罰をうけたらしい。まだ子どもなのに、ね。
B:ひどいことをするもんですね。
A:近代の負の側面の一つだろうね。ともあれ近代は統一を重視する。江戸時代までみたいにバラバラなのを嫌うんだ。

近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。

A:近代では土地所有制度も変わった。土地は、地主だけの物となったんだ。これ、当たり前じゃないんだよ。
 中世までは〈誰でも利用してOK〉の、農村の入会地(いりあいち)という土地があった。いわば共有地だね。この入会地も、「誰それさんの土地」や「国有地」などに変わった。
 中学校で地租改正ってやったでしょ? 地券(ちけん)というものを発行し、その地券をもっている人が土地所有者として、年に土地の値段の2.5%を政府に納税するっていう制度。この地租改正により、日本のあらゆる土地の持ち主が明確になった。
  近代までは、土地をもっていても他人に奪われる可能性があった。だから貴族・皇族・寺社・武士など有力者に「この土地の支配権をあげます」と土地を寄進し た。有力者の方は「ありがとう。収入の一部をいただく代わりに、あなたにその土地を管理してもらいましょう」といって、保護をするんだ。ややこしいのは、 この次。寄進をしてもらった有力者といえども、絶対的な力を持っている訳でない。だからその有力者は自分よりエラい有力者に、さらに土地を寄進する。する と、どうなるか?
 表面的には土地のすぐそばに住む武士が、土地を支配しているように見える。でも実際の持ち主はその武士が土地を寄進した有力者 や、その有力者がさらに寄進した相手である。あー、ややこしい。近代に入って、このごちゃごちゃした土地制度を解消するために、「この地券をもっている人 が本当の支配者よ」ということにしたんだ(安藤1994)。
 ・・・「チケン」か。危ないバイトみたいだ。
B:何の話ですか?
A:いやいや、こっちの話。大学に入ればきっとわかるよ。
 さて。「日本」とか「日本人」とかは抽象的な物だ、ということは話したね。そしてこの「日本」「日本人」っていう概念は近代において出来上がった、と。これ以外にも、近代ではいろいろなものが新たに成立した。その一つが「国家」であり、公教育なんだよ。
B:そうなんですか。勉強になります。
A: だから近代において成立した物は、絶対的な存在ではないんだ。僕らは「もともとあったんだ」と思ってるけどね。フーコーも言ったけど、人間は自分の見てい る物は「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるだけなんだよ(内田 2002)。

近代教育観の見直し。

A:今の世の中を見ると、学校制度って言うものが、さも〈昔からあった〉ように思える。けれど、学校制度は近代までは存在していなかったんだ。
B:寺子屋は?
A: あれは余裕のある人だけがいったんだ。多くの子どもたちが寺子屋に行った地域で8割、ほとんど行っていないところでは2割も通っていないんだ。《皆が学校 に行く》という制度は近代になってからできたんだ。だいたいね、寺子屋は民間経営なんだ。幕府が意図して設立した訳ではないんだよ(安彦ほか2004)。
 寺子屋の数がすごいんだわ。江戸時代、総人口は四千万人に満たなかったのに全国には一万六千の寺子屋があったんだ(谷沢1995)。いま日本には小学校が約二万二千校あることを考えても、驚異的な数だね。
B:子ども全員が言った訳じゃないのに、本当にたくさんあるんですね。
A:学校はよく見てみると、非常に近代的な物なんだ。否定的な意味でね。フーコーっていう学者がいるんだけど、知ってる?
B:はい、《フーコーの振り子》ですね。
A:そのフーコーは科学者のレオン=フーコー。ここではミシェル=フーコーを指すよ。フーコーはフランスの哲学者。代表作に『狂気の歴史』がある。
 フーコーは、‘学校はあるものをモデルにして作られた’といっているんだけど、そのモデルって何だと思う?
B:うーん、寺子屋とか?
A:答えは監獄。
B:え、牢屋ですか?
A:そう、そうなんだよ。監獄では看守が受刑者を見張るシステムができている。
 学校には怪談話があるでしょ? トイレの花子さんとか。
B:小学校にありました。音楽室のベートーヴェン像が笑うとかでしたっけ。
A: 学校という、子どもが生活する場所において怪談が語られること自体、学校が過ごしやすい場所でない象徴なんじゃないかな? 学校が非人間的な物である証拠 かもしれない。だいたい、学校制度は完成された制度じゃなく、多くの不備を抱えているからこそ常に何らかの教育問題が騒がれているんだよ(田中 2003)。
 ある人がこんなことを言っていた。「教育こそ問題なのだ。教育の問題ではないのだ」(林1989)と。これを学校って言い換えると、実に的確な指摘になる。
 B君は学校を休むと「悪いことをしたな」と思うでしょ?
B:はい、思いますね。
A:それも近代特有な物かもね。この弊害は結構大きい。
  不登校の子っているよね。不登校の子は、結構苦しい思いをしている。それはその子自身が「学校には何があっても行かなければならない」と思っているからな んだ。いま学校に通っている人たちの中にも、同じ思いの人がいるんじゃないかな。「学校は何があっても行くべきだ、たとえいじめがあったとしても」と。
 この近代特有の思い込みのせいで、つらい思いをしている人がいる。本当は教育が子どもの幸福のためにならなければいけないはずなのに、残念なんだわ。

フリースクールとは?

A:B君はフリースクールって知ってる?
B:たしか不登校の子たちが通う学校では?
A:そうそう。
  僕の尊敬する人に奥地圭子っていう人がいるんだ。この人は22年間、小学校の教員だった。あるとき、奥地さんの息子さんが学校に行けなくなる。《どうした らいいんだろう》と途方に暮れたんだけど、それがきっかけで不登校の子どものための学び場を作ろうと考えられたんだ。海外にあったフリースクールを元に 〈東京シューレ〉っていうフリースクールを作ったんだ(奥地2005)。
 近代公教育制度は、たしかに日本の近代化に役立った。近代公教育が多くの子どもたちに有効であったからこそ、今日の日本の繁栄があるんだろうとは思う。けれど制度を作るとそこから外れる人が必ず出てくる。不登校の子どもは絶対存在するんだ。
 子どもの個性は一人ひとり違う。同じ場所に行っても、楽しいと思うかそうでないかは人によって違う。ディズニーランドも「嫌いだ」って言う人、いるでしょ?
B:そんな人、みたことないよ。
A:おかしいな…。俺の友人が変なのか?
  …えっと、子どもの個性は一人ひとり異なる。学校があわない、っていう子は必ずいるんだ。でもそういう子たちを無理に学校に行かせようとしてきたのが今日 の教育制度だ。本当はそういう子たちが行きやすい学校や教育機関を作っていくべきじゃないの? 靴のサイズが合わないとき、足を小さくしようとしないよ ね、靴を選び直すよね?
B:そうですね。
A:奥地圭子さんは不登校の子のための学校を作った。そこがすごいね。
B:フリースクールだとどういう授業を行っているんです?
A: 厳密にいえば、フリースクールによって違う、としかいえないかな。〈東京シューレ〉のケースで話すよ。東京シューレでは、子どもたちは来たいときにきて、 好きなときに帰ることができる。そして、子どもたちは思い思いに時間を過ごす。勉強したければスタッフに教わる事もできるし、自分だけで学ぶ事もできる。 勉強したくなければ、遊んでいても、何をしていてもいい。そんな所だった。
 僕が見学に行ったときは、問題集をやっている子の横で漫画を読んでる子がいた。キッチンではスタッフとともにクッキーを焼いている子もいたし、4人くらいでボンバーマン(テレビゲーム)をやっていたわ。外でバドミントンをしている子もいたしね。
 皆、不登校だったとは思えないくらい生き生きとしている。もし東京シューレがなければ、ずっと暗い思いにうち沈んでいたのかもしれない。
B:フリースクールって、重要な意味を持ってるんですね。
 でもフリースクールって民間が運営してるんでしょ? 月謝とか、かかるんじゃないんですか。
A: うん、金銭の問題はどうしようもない。実際、東京シューレでは4万円くらいかかるみたい。だからフリースクールに金銭的理由で通えない子どもはいるだろう ね。ある程度、親に年収がないと結構きつい。矛盾しているようだけど、フリースクールに行けるのはある程度のエリート層であるといえるかもしれない。
 ただ、いま日本には奨学金制度があるね。フリースクールに通っている子にも支給されるようになったらもっと通いやすくなるだろうね。
B:もっと活動に支援が与えられるといいですね。
A:フリースクールの運営にはお金がかかるんだ。場所代・設備費・光熱費とかだね。ここは必ず必要な費用だから、自然とスタッフの給料が減らされることになる。まあ、ボランティアの人にはあんまり関係がないけど。
 フリースクールのスタッフの雇用条件は結構悪いところがあるよ。最低賃金を割ってしまっているところもざらにある。フリースクールをやる人って、「子どものために何かしたい」という人がけっこういるみたいで、賃金がほとんどなくても善意で行っている。
 「NPO30歳限界説」というものもあるね。
B:何ですか? それは。
A:ボランティアみたいな活動ができる限界は30歳、っていう説。
 NPOの運営には当然お金が必要だね。建物を借りたり、道具を買ったりする。大きな組織では会議の運営や報告書作成のためにスタッフを雇ってこなければならない。でも元々こういう組織は儲からない。人びとの「なんとかしたい」という思いによって行っているから。
  若いうちは給料が少ない、あるいはゼロでもアルバイトなどして生きていくことができる。でも結婚を考えたり、「アルバイトでなく、もっと安定のある仕事に 就きたい」と思ってくる時がある。それが30歳前後。そのためにNPO30歳限界説がある。NPOだけでは食っていけなくなるんだ。

偏差値文化の日本。

A:ところで、B君はどこの大学目指してるの?
B:一橋です。
A:あ、俺の落ちたところだ(笑)。がんばってね。
 日本だとよく、偏差値の話が出るね。「オレ、偏差値低くて」とかよく聞くでしょ? 日本人はこれを一生背負っていくみたいだよ。別に学歴社会は日本だけじゃなく、アメリカとかのほうがひどいけどね。
  日本だと、学校ごとに序列があるじゃん。この学歴とか偏差値で人が分断されるのも近代特有だね。たとえば、中学の友人に「俺、早稲田行ってるんだ」という とき、僕自身優越感を感じてしまう。これ、本当は捨て去らなければならない感覚なんだけどね。僕も近代に毒されているわ(上野2002)。
 この近代の限界が、いまいろんなところに現れている。学級崩壊とかそうだね。30年ほど前はこんなことはなかった。学校で学ぶのが当たり前だと思われていたからね。でもいまはこの〈当たり前〉っていう感覚が崩れかけているんだ。近代公教育制度の限界を感じるわ。

近代の発想の限界。

A:近代の限界は、環境問題がその最たる物なんだわ。で、近代的発想っていうのは、フランスの哲学者デカルトからきている。デカルトのいった有名な言葉があったね。
B:「我思う、ゆえに我あり」ですか。
A:そう、それ。コギト・エルゴ・スム。
 「世の中の物は、本当に存在するのか? ひょっとすると、俺の妄想にすぎないのではないか?」。デカルトはこの疑問を長い間持ち続けた。そしてあちこち旅をする。あるとき、突然浮かんだのがさっきの言葉だ。
 「すべては疑わしい。実際には存在しないのかもしれぬ。でも俺という存在、つまり〈考えている〉実態がある。これだけは確かだ」と気づくわけだね。一切の存在を疑うという行為をしている、自分自身の理性の存在に気づいたんだ(青木1997)。
B:一つのドラマですね。
A:このデカルトの発見は、科学文明に絶大な影響を与えた。「我思う、ゆえに我あり」というとき、自分という存在は観察する物から離れた存在となる。よく客観的、とかいうでしょ? この客観的っていう言葉は、デカルトの発見を元に成立している。
  観察する自分がいる。そして観察される物がある。(鉛筆を持つ)ここに鉛筆があるね。客観的に見るとは、この鉛筆を自らの思いを一切入れず、そのまま見つ めることになる。いったい、この鉛筆は何からできているのか。なぜこのような形状なのか。こんな感じでひたすら観察する。
 このとき、「これを使うと勉強がはかどりそうだ」とか考えてはいけない。自分の思いを押し殺して、「客観的」に冷静に見つめるんだ。自分の解釈は入ってはならない。
 …とまあ、デカルト以来、人類はこんな観察態度をすべてのものに対して、向けるようになったんだ。
B:へー、「客観的」ってよく言ってますけど、そんな意味合いがあったんですか。
A:この観察の仕方により、人類の科学は飛躍的に進む。それまで中世の神話や迷信によって遮られていた世界の解釈が、可能になったんだ。
 デカルト的に物をみることにより、水という物質の性質が観察され、蒸気機関が発明される。産業革命だ。蒸気機関に必要なのは水もそうだけど、水を沸騰させる燃料。当時は石炭を使った。
B:ああ、中学で学びました。スチーブンソンとかですね。
A:電気という目に見えない物すら、人間は観察できるようになった。
 このデカルト的な見方が、今の社会をもたらした。デカルト的な見方は、自分と対象をたて分ける。そして相手を徹底的に観察する。この考え方が、自然と人間という二項対立を成立させた。ここに、キリスト教の一説が反映される。
 こんな一節だ。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。(中略)あなたたちは産めよ、増えよ。地に群がり、地に増えよ」
(『旧約聖書』創世記 第9章)

 ここを解釈し、「神は地上の物は人間のために活用していいといっているんだ」と考えた。そのために人間とは無関係である「自然」の破壊が進んでいった。だって、人間は何をやってもいい、人間こそがすべてだ、といっているんだからね。
B:聖書の一節とデカルトの発想が結びついたんですか。この2つにより自然破壊が進んでいくんですね。
 でも、不思議ですね。世界中に近代が広がっているのに、キリスト教の影響をうけて近代が成立しているなんて。
A: それは簡単だよ。近代はヨーロッパで生まれた発想なんだから。そしてヨーロッパは、近代の初期において世界をリードした。産業革命、植民地の建設などはす べてヨーロッパ発なんだ。で、ヨーロッパはキリスト教の影響が強い。だから近代は非常にキリスト教の影響を受けた時代であると言えるんだ(山本 1992)。
 さて、無反応な自然に対し、人間は徹底的に手を加え、活用していく。結果として地球上では砂漠化、温暖化、資源の欠乏などの深刻な被害が出始めている。
B:最近、ほんとうによく騒がれてますね。

環境問題の、本当の解決法とは?

A:環境問題の難しいところは、近代的発想法をしている限り、絶対に解決できないからなんだ。だって、近代は自然と人間をたて分けたデカルトの発想に縛られた時代でしょ? この考え方を人間中心主義という。
  環境問題の解決のため、「資源を大事にしよう」とか「ありがたさを感じよう」とかよく言われているよね。「倹約しよう」という考え方だ。でも、これじゃ問 題は解決しないんだ。「資源を大事に」と言っている人は、仮にみんなが倹約して経済の発展が落ち込んで生活が不便になっても、不満を言わないんだろうか。
B:言ってしまいそうですね。
A:倹約思想は、結局人間中心の発想だ。いままで人間がやりたい放題にやってきたから、それを反省しようというレベルの考え。でも事はそんなに簡単じゃない。
 デカルト的な考えと、キリスト教の考えが融合して環境破壊が起きた。この環境破壊が「近代」っていう発想によって生じた物であるのだから、近代を乗り越える発想がなければ、根本的な解決はできない。人間中心主義を乗り越える新たな思想が必要だ(長尾2001)。
B:そんな思想、あるんでしょうか。
A:ポストモダンっていうやつさ。 
B:何ですか、それ。
A:ポストっていっても、街角にある赤い物じゃない。
B:いや、さすがにわかりますよ。
A:失礼、ギャグのつもりだったんだけど。…寒いね、しかし。
 「ポスト」とは「それ以後」とか「その次」とか言う意味。つまりポストモダンとは「近代を超えたもの」という意味だ。このポストモダンって言葉やポストモダンの考え方は、現代文の入試評論に頻出ワードだから知っていると得するよ。
B:わー、じゃ集中して聞こっと。
A:環境問題を解決するには、一人ひとりが近代の人間中心主義を乗り越え、ポストモダンの発想を持たなければならないんじゃないか、と僕は考えているんだ。
B:それはどんな内容なんですか?
A:近代は、人間のエゴが無秩序にあらわれた時代だ。自然を意のままに操ろうとした。この状態の解決のためには、自己の事だけでなく、共同体意識を持つ必要がある。そして共同体のために自らの欲望を制御する必要があるんだ。
 最近、「持続可能な発展」っていうことばがよく語られるようになってきた。聞いた事ある?
B:はい、現社でやりました。
A:いまあちこちで語られているからね。
 さっき、《倹約しよう、という人は経済が落ち込んだとき不満を言うだろう》という話をしたね。これを乗り越えるのが「持続可能な発展」だ。ESDともいう。
 経済成長と地球環境の保全を両立させる道を探そう、という概念だ。地球環境を安定した状態に保ちつつ、開発を進めていく道を探っていくわけだね。そのためにいまの僕たちの産業構造や意識の構造を見直していかないといけない。そこが難しい。
 開発しなければ、経済成長は見込めない。でも開発すれば地球規模での破壊がおこり、人類は遅かれ早かれ破滅してしまう。このジレンマを抱えているの「持続可能な開発」なんだ。
B:「持続可能な開発」をすれば、環境破壊の問題を解決できるんですね。
A:そうはいうけど、難しいよ。
 個人の自由を保障しながら、未来の子孫を含む人類全体の安定を図っていく。これが難しい。自分の欲望をどこかで抑えないといけない。それも、意識的に、継続して。
 「持続可能な開発」のためには、人間の発想の根本的な変革がいるんだ(長尾2001)。
B:本当に大変なんですね。
A:端的に言うと、次のような発想をすることが、「持続可能な開発」を行う事じゃないかな。
 《可能な選択肢はたくさんある。けれど、世界のため、未来の子孫のために、あえて自分に不利益をもたらす選択をするのを辞さない》。こんな行動をする人が増えないといけない。
B:どうやって増やすんです?
A:うーん、対話をしていくことだろうね。それしか人間の意識レベルからの変革は図れないからね。
 近代を乗り越えるためには、究極的には人間の生命次元からの、根源的な変革が必要だろう。対話の実践によって、ね。これがなければ世界が終わってしまうことになるんだ。
 ここの部分は非常に難しいから、もっと勉強していくつもりだけどね。

対話の不可思議さ。

A: さっきからこうやって対話してるけど、対話っていうものも不思議なものなんだよ。対話をしてるとき、よく自分の中にあるメッセージがそのまま口に出てくる と思うじゃない? でも本当は違う。構造主義っていう考え方があってね、それによれば人間の話す内容はその人が作り出すのでなく、いままでその人が会った 人、読んだ本などの無数の影響を受けているんだ。また日本語を話す限り、日本語に基づく内容でしか話すことができない(内田2002)。
B:当たり前じゃないですか。
A:そうとも言い切れないんだね。B君が僕に話すとき、はじめにB君の言いたいことがあって、それが言葉の形で表現されている、って思うでしょ?
B:はい、そう思います。
A:20世紀に入って、その考え方は否定されるんだ。僕らは日本語っていう言語で話すね。この言語というものを離れては、人間の意識や意思は存在することができないんだ。人間の意識はつねに言語的なものとして言語に規定されている。
 ためしに、言語を使わずに考えてごらんよ。できる?
B:(しばらく沈黙)…できないです。
A:ね。つまり僕たちは言語を離れて物事を考えることはできない。自由に物を考えているつもりでも、「言語」の制約がかかるんだ。
  また、対話をするとき、相手の発言によって「自分の心の中にある思い」が引き出されて口からでてくる、と普通は思う。でもこれも違う。「自分の心の中にあ る思い」は、言葉によって「表現される」と同時に生じるんだ。心の中で考えるときも、日本語の語彙を使って、日本語の文法規則に従って、日本語で使われる 言語音だけを用いて作文をしているだけなんだ(内田2002)。
 自分が言葉を語っているとき、言葉を語っているのは自分そのものではない。自分 が習得した言語規則、自分の学んだ語彙、自分が聞き慣れた言い回しや他人から聞いたり読んだりしたことが、自分の「思い」・「考え」になるんだ。よく「僕 の持論は…」とかいうね。この持論にいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」なんだ。
 また、対話だったら直前に聞いた相手の発言をうけて、いままで思ってもいなかったことが「自分の思い」として出てくることがある。つまり、純粋な自分の思いは、存在しないんだ。
B:へー、恐ろしい!
A: こんな感じで、対話をしているとき「これは自分の考えだ」と思っても、それは自分の住んでいるところの文化・規則(先の話で言う日本語の規則のこと)や直 前の対話、いままで読んだり聞いたりしたことの結果として表現されるにすぎない。このような考え方を構造主義という。

一流に触れよ!

A:さっきフーコーの話を出したけど、フーコーは構造主義の代表人物だね。構造主義とは人間の意識や考えは、言語や文化などの「構造」の影響を受ける、ということをいっているんだ
B:構造主義ですか。さっきの説明を聞くと、よくわかります。
A:人間は、自分が見聞きしたものの影響を受ける。また自分が見聞きしたものにより、自分の考えが作り出されていくんだわ。
  だからこそ、一流のものや人に意識して触れていかないといけない。二流・三流の雑誌やつまらないゴシップ記事ばかり読んでいては、自分の考えもそれらに毒 されてしまう。しかし、一流の本や一流の人物に触れていれば、自然に自分の考えも一流のものとなっていくはずなんだわ。
 骨董品のお店に弟子入り すると、まずしばらくは一流品、つまりホンモノのみを見るように命じられるそうだよ。そうするうちに、自分の精神も一流となり、偽物・まがい物をみても直 感で「これは偽物だな」と気づくようになるそうだ。両替商で偽金を判断するための訓練としても、似たようなことを実践していたらしい。
 だから、読んでも無駄な本・雑誌は極力読まない方がいいよ。知らない間に自分にマイナスの影響を与えるからね。読むなら一流の名著を。一人、気に入った作者が見つかったら、その人の言葉を自らのものにする、との決意で徹底的に読む。
 いまのは読書論だったけど、対人間に対しても同じことが言える。「この人は、すごい人だ!」と思える人を探し求めていくことだね。もし自分がとてつもなく尊敬する人物、つまり師匠と言える人間に出会ったときは、その師匠からどん欲に学んでいくといい。
B:はー、なるほど。これからもっと本を読んでいきます。師匠も探したいです。
A:だいぶ話し込んじゃったね。
 では、勉強がんばって! 邪魔したね。
B:いえいえ、学校では教えてくれないことを教えてくださり、ありがとうございました。
A:…取りようによっては、まるで僕がアブないことを教えたみたいだね。

 Aは左手首に目をやった。彼の腕時計は、話し始めからきっかり2時間経過したことを示していた。夕焼け空が、校舎の窓に広がる。(了)

参考文献

 本書執筆の際、参考にした書籍を挙げさせていただく。本文に挙げた問題をさらに考察する場合に、これらの本を開いてみると参考になるはずである。
 なお、本の並び方は著者名の五十音順である。

青木裕司『青木世界史B講義の実況中継 文化史編』(1997年、語学春秋社)
安彦忠彦・石堂常世編『現代教育の原理と方法』(2004年、勁草書房)
安藤達朗『日本史講義 時代の特徴と展開』(1994年、駿台文庫)
イヴァン=イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
内田樹『先生はえらい』(2005年、ちくまプリマー新書)
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)
上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(2002年、太郎次郎社)
奥地圭子『不登校という生き方』(2005年、NHKブックス)
田中智志『教育学がわかる事典』(2003年、日本実業出版社)
田中智志・今井康雄編『キーワード 現代の教育学』(2009年、東京大学出版会)
谷沢永一『人間通』(1995年、新潮選書)
長尾達也『小論文を学ぶ』(2001年、山川出版社)
パウロ=フレイレ著・小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』(1979年、亜紀書房)
林隆造『教育なんていらない』(1989年、大宮書房)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(2005年、岩波新書)
山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉』(1992年、講談社現代新書)

あとがき

 もともとこの本はH君との対話がなければ生まれなかった。彼に最大限の感謝をしたい。誰かとの対話が、行動を生むことがある。それを今私は実感している。

  この本の中で、どうしても気に入らない点がある。それは啓蒙的な「大人」(A)と啓蒙される「子ども」(B)との対比だ。「A→B」の一方向性のみが描か れている。本当の意味での「対話」が成立していない。なお教育学における対話とは「教員→生徒」の図式を崩し、「教員⇄生徒」の関係性に持ち込むことをい う。ブラジルの民衆教育者・パウロ=フレイレはこう語った。

対 話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同 時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教え られると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。
(パウロ=フレイレ著、小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』亜紀書房、1979年、81頁)

 パウロ=フレイレのこの言葉を自覚していきたい。
  ポストモダン思想を語っている割に、非常に近代啓蒙主義的な構図を持つ作品となってしまった。もっと対等な関係性の対話劇・対話型専門書にしたいのである が…。いささか難しい。なんとかして、AとBとの関係を「⇄」の関係にしたい。これは次回以降の『高校生と語るポストモダン』の続編以降の課題としたい。

 つまらない本になってしまいましたが、この本を私の師匠に捧げたく存じます。

平成21年3月16日 早稲田駅前のカフェ・シャノアールにて。

ペンネームをかえました

以前のペンネームは、私が小学校三年生のときから使ってきたものだ。

しかし、同姓同名の者がいる関係上、やむなく変更することにした。

考えたのが「石田一」である。

小学一年生ですべて読めるようになる。

それぞれの言葉には意味を込めた。

石・・・意志。または四字熟語「心堅石穿」より。
田・・・早稲田の「田」。心田。
一・・・一流を目指す。

だから、私のペンネームに文句を言うのはやめて下さい。

私のスタイルを変えた本

ごく短い人生経験しか持ちえていない私。そのため、「自分の座右の書」や「座右の銘」など、聞かれても出てこない。「私を変えた一冊」なんて、何だろう。
 しかし、話をミクロにかえよう(私はよくマクロ視点とミクロ視点を交互に使おうとしている。マクロで話が詰まればミクロ、と逃げているところもある)。私の人生それ自体を変えた一冊や、何度も読みたいという本はまだ思い浮かばないが、自分の読書スタイルを変えた本なら、一冊ある。それが齋藤孝著『三色ボールペンで読む日本語』である。
 この本はベストセラーとなったので、御存知の人も多いであろう。本を読み、「まあ重要」というところは青、「すごく重要」には赤、「面白い」箇所には緑で線を引くというやり方を提唱した本である。私の読書の仕方は、この本を契機に大きく変わった。まず、「本を買って読もう」と思うようになった。線を引き、自分の形跡の残った本を座右に残しておくために。これは続編の『三色ボールペン情報活用術』に影響されたことでもある。‘よく情報をカードやパソコンに打って活用しよう、という人がいるが、本それ自体を残しておくほうが、情報は活用しやすく、またなくなりにくい’といった内容が書かれていた。
 また、ペンを片手に、本を読む習慣がついた。「お前、こんなに線引いて意味ないだろう」といわれようが、わが道を淡々といけるようになった。本を携帯する習慣がついたため、常にペンも携帯しようと思うようになった。それで私の携帯にはミニ・ボールペンのストラップがついている。
 齋藤氏の著書には、批判もいろいろ寄せられているが、私は『三色』の本がなければ今の自分のスタイルは成立していなかったであろうと実感している。その意味では、齋藤氏に感謝の念でいっぱいである。まんまと齋藤氏の主張にのせられているが、齋藤氏の言う「読書の型」を習得できたことは、自分の財産になっているような気がする。
 齋藤氏以外の読書法の本を、私は死ぬほど読んできた。速読術という怪しげなものにも挑み、それに対抗した「遅読術」なるものにも興味を持ったこともある。「ワルの読書術」は名前に引かれ、「私の読書法」なる本は暫く私の制服のポケットにあった。けれど、結局は高校受験の帰りによんだ『三色』に行き着いてしまうのだ。それだけ、私にマッチしていたのだろう。最近も、少し浮気をしていたが、新たな読書法を教えてくれる本を三色ボールペン方式で読んでいる自分がいて、浮気は駄目だと実感した。
 本を読むときに、ペンを持つ。これだけで、本に対し、意識的に向かえるようになる。意識的にならない読書は、漫然とテレビを見ることに等しい。何か見たような気はしても、結局何も残らない。ついにはコマーシャルや作り手の意図的な編集が、無意識層に残り、私の生活を裏でコントロールするようになる。
 何ももたずに本を読むことは、私にはできない。そんなときでも本の角を折ることで、意識的に本に対抗する。存在論ではないが、本はそれ自体に意味はないと思う。読む側である「私」の存在なくしては、本は単なる所有物やオブジェに過ぎない。「私」が書を開き、そして意識的に読むときに、初めて本は「本」になることができるのであろう。

 先ほどの言を訂正。この本は読書スタイルだけでなく、私がノートを多色ペンで取るようになったきっかけを築いた。また、メモの地色を青にする契機にもなった。私は、小中学生はともかく、高校生にもなってシャーペンを振りかざして学習するのは能率的でないといつも考えている。消しゴムで消したところで、どうせ自分以外誰もこのノートを読まない。だいいち、ノートをユダヤ系三宗教の信者のバイブルの如く、何度も読むなんてことは恐らく無いはずだ。ならば、ボールペンでシャッと二重線で訂正する。このほうがシンプルだ。