自己洞察

「当たり前」の「有り難さ」

最近わかったのは、「当たり前のことは当たり前じゃない」ということです。
 誰かからの温かい励ましも、自分が大学に通っていることも、マックブックでブログを書く余裕があることも、すべて当たり前じゃない、ということです。
 教育実習中、いろいろ気づいたことがありました。その前後に、私の身辺にもいろいろありました。そして気づいたのは、私が当たり前と思っていたことの「有り難さ」(存在しにくい、との意味の)でした。

価値の制度化について。

次回、私がゼミの発表をする。前期2回目。まさかの無茶振り。ネタを捜すため自分のブログを読み直す。たいてい、使えるネタが落ちているものだ。読んでいて「ああ、この文章、自分の感性にあうなあ〜」と思ってしまう(当たり前)。

ざーっと読んでみた結果、《イリッチ『脱学校の社会』に見る、「価値の制度化」の持つ意味合いとは》というテーマが頭に浮かんできた。小中さんとの勉強会が役に立つ。

追記
●何気なく〈価値の制度化〉とgoogleで検索すると、本ブログがトップでヒットした。驚きである。自分がよくわからないから検索しているのに、自分のサイトが出てくるなんて…。困っちゃいますね。
 ただ、日本語の分かる人間のうち、何人がこの言葉を検索するのだろうか。心もとなくなる。

あきらめ

 大和少年野球クラブに私は入っていた。兵庫県にある八千代西小学校という1校の生徒から構成されている、地域の野球クラブである。町の中には(注 その当時、わが八千代町は合併前でした)北小・南小で構成された八千代少年野球クラブも存在した。なかなかに練習がハードであった。
 実力はなく、弱々しい私であったが、人数が少ないのと、たまたま「9番目」前後の力量を保っていたため9番ライトのレギュラーだった。一番軽い場所にいたわけだ。よく考えると、ギリギリ「レギュラー」というあり方は今のサークルでの私の立ち位置と同じである。
 少年野球をやっていたとき、はっきりいって私はやる気がなかった。けれどやめるのも色々面倒なので(チームメンバーとは基本的に学校でも会うため気まずいのだ)、しかたなく不本意ながらやっていた(でもやってる中では楽しくなるんだけどね)。これ、いまの私のメンタリティーとも共通する。
 人生、〈気づけばイヤイヤながらやってしまっている〉ことが多い気がする。あきらめが肝心なのかもしれない。そう、辛くて当たり前だと認識して、「少しでも楽しむにはどうしたらいいか?」考えていく姿勢こそ必要なのだ。

追記
●タモリの「やる気のある者は去れ」との言葉は私のためにあるのかもしれない。

さらに追記。
●教育実習にいたとき、大和少年野球クラブが無くなったことを知る。ショックである。クラブの横断幕はどこへいったのだろう?

少年法と、中学時代の私。

 一昔前。少年犯罪の凶悪化が叫ばれたことがあった。私がまだ「少年」の定義に入るころである。周りの大人が〈最近の子どもはキレると何をするか分からない〉と子どもを見つめている時、私は子どもであった。
 少年犯罪の厳罰化も、まさにリアルタイムで経験した。「ひとごと」だと思ってはいたが、それでも気にはなった。
 さてさて。もし仮に私が中学時代、新聞に報道されるほどの悪事を働いたとしよう(仮に、ですよ、ほんとに)。周囲の大人たちが「あんな真面目そうな子が…」というコメントがつく(当時は今よりはるかに真面目でした)。家族に多大な迷惑をかけ、家のガラスは投石で割られてしまう。親戚付き合いはなくなる(当然ながらお年玉もない)。
 時間が経過する。
 どんな重大事件でも、〈ほとぼりが冷める〉時は必ず来る。現にいまの高校生に「サカキバラ事件って、知ってるよね?」と聞いても「どんな事件ですか?」と逆に聞かれる。宮崎勤氏の死刑執行があったニュースを聞いても、今の大学生は「それって、何をやった人ですか?」と聞き返す。
 ほとぼりの冷めた後、私は色々あったけれども21歳の誕生日を迎えた。私は「昔は色々あったな…」と遠い目をしてワイングラスを傾ける。回想される記憶。その中にあの少年犯罪が蘇る。けれど私は疑問に思う。「ああ、昔はあんなことがあったな…。ところで、あの事件って、本当に俺がやったのか? 全然覚えていないんだけど」。
 そうなのだ。意識して思い返さないと中学時代の記憶は戻ってこない。忘れ去られた記憶はたくさんある。少年非行/少年犯罪をしていたとしても、忘却している可能性はある。親から「あなたの中学時代はこんなことがあったわね」という話を聞くとき、その話はほぼ100%私の知らない物語である(それだけ私は記憶力が悪い)。中学時代の私は今の私と本当に同じ人物なのだろうか? 
 2003年7月。長崎県で中学一年生の少年(12歳)が4歳の男の子を立体駐車場(7階建て)の屋上から突き落とす、との事件があった。現在、この子は18歳になっているはずだ。さらに2年経ち、20歳になった時、この少年は事件のことを本当に覚えているだろうか? きっと覚えていないんじゃないかな。
 私は大学に入って、ようやく人を呼び捨てで呼べるようになった(遅いけど)。それまでずっと〈ためらい〉があったのだ。人との接し方という面で、現在の私と中学時代の私は違っている。身長・体格だけでなく、発想の仕方もまったく違っている。中学時代の私と現在の私に連続性・一体性は本当にあるのだろうか?
 内田樹がレヴィナスを引いて語るように、過去の「私」は「他者」である。現在の私にとって、中学時代の私はやはり「他者」である。
 少年法が加害者保護の側面が強いのは何故だろう。サカキバラ事件を例にすると、犯行時の14歳の少年Aと現在26歳の少年Aとは全く同じ人物といえるのだろうか、ということである。現在26歳になった少年Aにとって14歳の時の少年Aは「他者」ともいうべき感覚を抱く対象なのではないだろうか。そのため「この犯罪は昔、お前がやったんだ」と言われても、もう一つピンとこない感覚を、加害者が持つことになる。少年期は人の考え方・性格が大きく変わる時期だ。だからこそ少年法は加害者保護の立場が大きいのかもしれない。

追記
●世の「正論」をいう方々は、人間が常に完璧な形で過去の記憶を保っていると確信をしているようである。けれど、事件の被害者も加害者も案外忘れてしまえるところがあると思う(フラッシュバックやPTSD、トラウマとかはもちろんあるが)。少年犯罪ならばなおさらだ。「そんな昔のことは覚えていない」とカサブランカのリックのように答えることはできないのであろうか? 

●少年院は《刑の執行を受ける者を収容し、矯正教育を授ける法務省の施設》(明石ほか『教育学用語辞典』131頁)である。ここにある矯正教育は《少年院が在院者を社会生活に適応させるために、その自覚に訴え規律ある生活のもとにおこなう、計画的、組織的な教育活動》(同76頁)である。
 昨年春に榛名女子学園という少年院を訪問した。そこでは自らの犯した罪についてを自覚し、「これからどうしていくのか」を問いかける教育がおこなわれていた(無論、それ以外の学習―例えば通信教育で高校卒業資格などを取る―もなされている)。これは下手をすると忘却してしまう自分の犯罪を記憶に叩き込むためにおこなうものではないだろうか。

習慣づけ

 腹が立ったとき、あるいは「キレそう」なとき、その場から逃れるのも一つの道徳である。
 自分の癖を見て、〈不注意〉を起こさないための習慣づけ(腹が立ったらその場から離れるなど)を身につけることが必要だ。

 前にO先生の話として道徳について書いた(https://nomad-edu.net/?p=487)。ここにある〈偽物の不幸〉にあわないように自分の癖を見ながら改めていくべきである。
 重要なのは「正義」を正すことでなく、また「納得する」ことではない(時と場合によるけどね)。それよりも次の行動にプラスになることが大切であるはずだ。
 

陸上とは精神論なり。

中学時代、私には運命的な教員に出会った。永田先生である。

所属した陸上部(私は部長)の顧問であったのみならず、1年生から3年生までずっと担任であったという奇跡。それだけでなく、永田先生の厳しくも優しい姿勢に私は多くを教わった。今年教育実習を母校の中学で行う。まだ残ってくださっていることを祈る。

その永田先生は「走る」ということについて印象深いことを述べておられた。

「走るのは、一人になるためだ」

陸上部の伝統・練習日誌への毎日のコメント、クラスと部活での直接の会話など、私の中で「永田語録」は多数あるのだが、この一言がやたらと印象的であった。

走っているとき、人は自己と向き合わざるを得ない。試合の時は自らを追い込むため、「まだ闘うか」、それとも「もうあきらめるか」を自分自身で決定せねばならない。走るとき、走ることに体が集中するため、五感の機能が一時的に低くなる。回りと話す余裕も無ければ、よそ見をするゆとりも無い。

徹底的に自分を追い込むのだ。レースでは、〈どこまで自分を虐めることができたか〉で勝負は決まる。

陸上競技はギリシャの昔から存在していた。陸上ほどシンプルかつ歴史の長いスポーツは存在しない。

陸上とは精神論なり。シンプルゆえに人類にとっての永遠の課題を抱え続けている。その課題とは「自己とどう向き合うか」である。

自己と向き合う、とは「孤独になる」ことを意味するかもしれない。走るとき、「私」は絶対的に孤立する。他のスポーツに付き物の〈チームワーク〉なんて存在しないのだ。あるのは「自己」のみ。自らの身体の発する「もう、走るのやめようよ。限界だよ」との声に「否!」をどれだけ叫べるかである。

頂いた本と、内田樹。

恩師よりいただいた『居場所のない子どもたち』を読んでいる。著者の鳥山敏子は〈居場所のない子どもたち〉のためにシュタイナー学校・東京賢治の学校を作った。なかなか読み進まないが、必ず次回のゼミまでに読了しよう。ちなみに東京賢治の学校の5月30日の見学日には是非行きたいと考えている。

今日、もう一人の師匠より天文学の本をいただいた。これもありがたいことだ。天文学は門外漢だが、教養をつけるため読ませていただく。

本日、内田樹の『下流思考』読了。「教室は不快と教育サービスの等価交換の場となる」(48頁)という発想にウロコが落ちる。
この感動をお伝えするために、内田の議論をまとめる。

旧来、子どもは「労働主体」であった。
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そのため家事手伝いを通じ、家計に貢献をし、家族の一員であるとの実感を得た。
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家電の発展などにより、家事労働の負担は軽減される。
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子どもはおとなしくすることが要請される。なぜなら邪魔になるからだ。
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けれど、一方的に家庭内でサービスを受けたままでは居場所が無い(反対給付が必要となる)。
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自分の父を見ると、帰宅後「不快感」をあらわにする。
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不快感を示すことが、父の労働の証しになっていると、子どもは考える。つらいお勤めをしてきた、ということを示しているのだ。なぜなら、近代社会では父が労働する姿を子どもが目にすることはほとんどないから。必然的に父の疲れ果て、「不快感」を示している姿から「不快感と引き換えに収入を得ているのだ」との実感を持つ。
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父と同様に、母も不快感をあらわにしているのを目にする。父の存在に耐えるという形で(つまり「不快感」を示すことで)、母は家庭における自らの存在を位置づけている。
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子どもも父母の姿をみて、「不快感」を示すことで家庭内における自分の位置をしめそうとする。そのための「努力」をしている。先に書いたように、現代社会では子どもには母のじゃまをしないことが重要であるから。
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子どもが家庭内では家事の手伝いをするという「労働主体」になれなくなった。
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けれど、子どもは店にいくと立派なお客として扱われる。「消費主体」として扱われる。
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現代の子どもは「労働主体」として扱われる前に「消費主体」として扱われるようになった。
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「消費主体」といっても常に貨幣で等価交換するのでなく、学校において(先の説明では家庭においても)「不快感」を貨幣として教師の講義と等価交換することを無自覚のうちにおこなっている。
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「消費主体」としての精神性で、子どもは行動するようになる。学校においても「消費主体」として行動する。「不快感」を貨幣として。
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そのために授業中に意図的にだらだら「起立」をし、私語をし、授業を無視する。「不快感」を示すことの代償として、教育サービスを受けているのだ。

うーむ、どうも内田のいいたいことをきれいにはまとめられない。原文を読んでいただくしか無いのだろうか。

他にも示したい箇所がいくつか。

子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません。(…)
 まず、学びがあり、その運動に巻き込まれているうちに、「学びの運動に巻き込まれつつあるものとしての主体」という仕方で事後的に学びの主体は成立してくる。私たちは自らの意思で、自己決定によって学びのうちに進むわけではありません。私たちはそのつどすでに学びに対して遅れています。私たちは「すでに学び始めている」という微妙なタイムラグを感じることなしに、学び始めることができないのです。(64頁)

この文章により、無時間モデルをとる「消費」モデルが教育にはあてはまらないことを説明する。生まれたこどもは「日本語を学ぼう」という「自己決定」によって日本語を学ぶわけではないのだ。だから子どもたちの「それを学ぶのは一体何の役に立つんですか?」との疑問は答えることができないし、そもそもそのような問いかけをすべきものではない、と答えている。「教育権」は「社会権」と同様に〈なぜ必要か〉説明のできないものなのだ。「社会権って、何で必要なんですか?」と聞かれたら、「必要だから、必要なんだ!」としか答えられない。「人を殺しては何故いけないか」同様、問うてはいけない問いなのだと内田は綴る。

また、内田は刈谷剛彦を引いて〈学びから逃走することで、あえて自分の自己肯定感を高めようとする子ども〉の存在を私に教えてくれた。学びの否定は将来でなく現在を充実させようと意図的に働きかけるため、他と違う自分のかけがえの無さを示すことに使われてしまっている、と内田は語る。

もう一つ引用して論を終える。

「多文化共生」といいますけれど、おっしゃる通り、そういうところだって、要するに均質性の高いエスニック・グループが混在しているだけで、グループ内部の均質性は場合によっては(筆者注 アメリカは)日本社会より強かったりするんじゃないかと思うんです。

内田樹『狼少年のパラドクス』より

 研究者に必要な資質とは何か、ということをときどき進学志望の学生さんに訊ねられる。
 お答えしよう。それは「非人情」である。それについてちょっとお話ししたい。
 大学院に在籍していたり、オーバードクターであったり、任期制の助手であったり、非常勤のかけもちで暮らしていたりする「不安定さ」を「まるで気にしないで笑って暮らせる」能力である。(…)
 あえてこの道を選ぶ以上、それは「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」というようなライフスタイルであっても「ま、いいすよ。おれ、勉強好きだし。好きなだけ本読んで、原稿書いていられるなら」と笑えるような精神の持ち主であることが必要である。(…)
「非人情」の人間の場合、「私はこうしたい、これが知りたい、これを語りたい」という強烈な欲望だけがあって、他の人が自分に何を期待しているか、その結果を他人がどう評価するか、自分の言動が他の人にどういう影響を与えるか、というようなことはほとんど念頭にのぼらない。(…)
 で、私が思うに、研究者に限らず、独りで何かをやろうとする人に必要な資質はこの「非人情」である。(…)
 非人情でなければ「不条理」に耐えてなおかつハッピーに生きて行くことはできない。四畳半でカップ麺を啜りながら、自分の原稿を読み返して「おいおい、おれって天才か。勘弁してくれよ。そういえば、心なしかおいらを祝福するように空がやけに青いぜ」と温かい笑みを浮かべることができるようなタイプの人間だけが、いまの時代に幸福に生きることができる研究者だろうと私は思う。
 大学院進学を予定している学生さんたちは自制して、自分がどれほど「非人情」であるかをよくよくチェックすることをお薦めしたい。(pp178~181)

→「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」とあった。梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』にも〈ジャンクフードしか食えないけれど、プログラムを組んでて幸福〉という若者像が描かれる。
→私も結構「非人情」かも。下の投稿みたいに〈誰にも頼まれていない原稿〉を書いて読み返すのが好きだし。

頼まれていない原稿を書く。

ブログを書く。定期的に。

このことで私はいろんな発想(それこそブログを書く行為をしなかったら決して出てこなかった発想)を得ることができる。

不思議なことだが、「話さなければならない」「書かなければならない」状況に追い込まれた時、人は何かを語り、何かを書くことができる。平常時なら思いつかなかったことも、何故か出てくる。

 




 

古来、知識人はよく手紙を書いた。ベートーヴェンの書いた手紙も、ネルーが娘に書き送った手紙も、〈名著〉として今も残っている(ちなみに『ベートーヴェンの手紙』と『娘に語る世界史』である)。手紙を書くとき、無意味なことを書けない。ひょっとすると、あえて手紙を書くことで何らかの発想を得ようとしたのではないか。

私は〈知識人とは、出版社の原稿依頼を受け、それから発想する人〉だとイメージしていた。子どもの考える漫画家像そのままである(これに編集者から如何に逃れるかという展開がついてくると、完全に手塚マンガの世界だ)。けれど、おそらくは原稿依頼がなくても何がしかの原稿を書いているのが真の知識人なのではないか。

日々、誰に言われなくてもブログを書くとき、〈頼まれていない原稿〉を書いていることになる。人間は自由すぎると何もしない。だからこそ「毎日、何かをブログに書かないといけない」状況に意図的に自分を追い込んでいれば、日々何かを発想できるのではないだろうか。

 

 

 




追記
思えば私はこうした〈頼まれていない原稿〉を結構書いてきた気がする。小三のときの係決め。黒板に書かれた〈係リスト〉には無かった壁新聞係を発案した。結果、初代新聞係に就任。題字・アンケート企画・記事・四コマ漫画、全て自分一人で書く。好評ではあったが、マンネリのため一学期のみの発行に終った。
高校。寮の中で清掃委員長になる。頼まれてもいない〈清掃委員マニュアル〉を勝手に作り、清掃委員に代々伝わるようにしようと努力。最近寮生に聞いたらまだ私の文章が残っているらしい。赤面。学校で生徒会長をしていた時も、やたら議論を書き残そうと一人パソコンに向かい文章化。「議論の見える生徒会」がテーマだったが、結局パソコンの小さな字を誰も読まなかった(それよりも、生徒会の活動に誰も興味を示さず、読む気もしなかったというのが事実かもしれない)。
大学。サークルの集まりの際、『めもらんだむ』というミニ新聞を作って配っていた。書評や自分のエッセイなどが書かれていた。
別のサークルでは年に2回、講演会を企画。その際に配る言論誌には毎回必ず原稿を書いた(たぶん今年も書く。めざせコンプリート)。昨秋の言論誌作成ではちょっとした波紋を起こす。「書いてくれ」と言われていないけれど、私は原稿を8本書いた。他の人は1本がやっと。とうとう原稿を書かなかった人もいた。結果、採用されたのが3本。クオリティはけっこう良かったのに。それだけで終らず、「お前が原稿を書けるのは分かった。けれど、その分の努力を1年生が書けるよう手助けしてあげるべきではなかったのか」と怒られてしまう始末。「確かにそうなんですけど…」と不満が残った。批判は〈原稿も書かず、1年生の手助けもしなかった上級生〉にこそしてほしかった(それに私は1年生が原稿を書けるようにネタを教えてあげたり、レポートで1年生が書いたものを原稿化できるようアドバイスもしたんですよ)。
O先生のゼミでは毎回書評を書いて持っていった(ほとんどの人は持ってこないのに。私はKYな奴である)。
概観すると、私は書くことが大好きな人間なんだと思う。それも〈誰にも頼まれていない原稿〉を書くことが。結果的に他人に悪く言われることも多い。おお、不運。
教訓。〈誰にも頼まれていない原稿〉は需要がない分、無駄に終るか、他人に評価されないで終るか、キレられてしまうかというマイナスの結果をもたらすことが多い(ますます不運)。
でも、書いてしまうのが俺なんだよな…。ブログがあって、本当に良かった。ブログを書いても、誰からもキレられないで済むからだ。

再記
頼まれない原稿を書くと、なぜマイナス要素が発生するのだろうか? それはまさに〈頼まれていない〉からだ。
需要の無いところに供給をしても反発をされるだけだ。
ブログは将来の需要を見越して先に供給されている(だってGoogleで検索すればすぐ出るからね)。

さらに追記。
●ルターやホセ=リサールが迫害を受けたのも〈頼まれていない原稿〉を書いたからではないか。往々において、〈頼まれていない原稿〉は現体制に批判的であったりする(だって誰も依頼しないからね)。

大学生なら授業は潜れ。

授業は潜った方がいい。たとえ正式な学び方でなくても。

単位のために勉強するなんて、バカらしくないですか?

重要なのは大学で何を学んだかであって、何を教えてもらったかではない。それはイリイチが口を酸っぱくして人びとに伝えてきたことである。教えられるのを待っていると、そのうち〈教えてもらう〉ことだけに価値があると考えるようになる。

「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習することを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。(『脱学校の社会』13頁)

大学生って、何かを学んでいる人のことだと思う。単位のためとか就職のためとかを気にせず、自分が「学びたい!」という熱意に突き動かされてしまう人。それも自分と同年代の若者が週に40時間労働しているなら、「同じくらいは学んでやろうじゃないか!」という人。現代では少数になった「変人」。それこそ大学生だろう。

私はここに書いたような大学生ではない(念のため)。まあ、目指してはいるんだけどね。単位申請していない授業に出る際(つまり潜るということです)、ちょっとかもしれないけれど理想の「大学生」気分に浸ることができるのだ。

ちなみに今年は潜り率50%です。