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感動!ビートたけしの著書『新しい道徳』のエピソード

ビートたけしの人生最大の決断とは?

ビッグ3といえば、それはビートたけし

日本の芸能界の「ビッグ3」といえば?

1980年代に言われていました。

はじめは萩本欽一・ビートたけし・タモリ

欽ちゃん引退後はビートたけし・タモリ・明石家さんま。

おそろしいのは
そこから30年たっても、いまだに「ビッグ3」に変化がないのです。

只者ではない。

特にすごいのは自分で「軍団」も持っているビートたけし。

 

タレント、映画監督など多彩に活動しています。

あまり知られていないのが画家である点と、作家でもある点です。

今日は著書『新しい道徳』を見てみましょう。

 

『新しい道徳』のグッとくるエピソード
ビートたけしの人生最大の決断とは?

この本、私はただ面白おかしく読んでいるだけでした。

ですが。

最後の方に、グッとくるエピソードがあったんです!

ちょっと感動しちゃいました。

引用しますね。

 

これまでの人生でいくつもの決断をしてきたけれど、いちばん大きかったのは、やっぱり大学を中退するという決断だった。

大学を辞めて、俺は芸人の世界に飛び込んだ。それは、俺にとっては、群れから飛び出すということで、自殺するにも等しい決断だった。(・・・)

浅草でのたれ死にしてもいいと、本気で思っていた。

芸人ならのたれ死にしても格好いいやなんてうそぶいていたけれど、内心は内心はそんな格好いいものではなかった。ただ、今でも忘れられないのは、そうすると心に決めたとき、見上げた空がほんとうに高くて広かったってことだ。ああ俺は、こんなに自由だったんだなあって思った。(143-144)

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どうです?

なんかグッと来ません?

 

最後もまたいいんです。

芸人になることについてのお話です。

 

何度でもいうけれど、成功する保証はまったくない。

はっきりいえば、ほとんど成功しないだろう。そんなことは当たり前だ。芸人は何千人もいるのに、まともに喰える奴はほんの一握りなんだから。

ただ、成功はしなくても、自分の頭上の、何もない、高くて広い空を見上げることはできる。

もう一回この世に生まれたら、のたれ死にすることになっても、あの空を見上げるためだけに、やっぱり俺は群れを飛び出すと思う。

格好つけているのではなく、のたれ死にしてもいいやと思えるなら、なんでもやれるということだけのことなんだけれど。(146)

私もこんな青空、見てみたいです。

いま、こういう「格好いいビートたけし」は映画の中だけのように感じます。

ビートたけしは毒満載の本を書いています。

『だから私は嫌われる』とか、すごくいいんです。

暴論なんだけど、納得。
「モヤモヤ感じていたことを言葉にしてくれた!」
そんな快感があります。

テレビや映画のビートたけしだけでなく、
本のビートたけしも奥深い。

そう感じています。



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大平レポート⑲ 投票の時に知っておきたい、良い候補者の見分け方

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

選挙のときってどの候補者に投票しようか迷いませんか?

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候補者が何十人もいるなかで、たった一人に投票するとなると正直、何を判断基準にすればいいかわからないですよね。

住んでいる地域の議員さんの名前を選挙ではじめて知ったという人も少なくないと思います。

こんなときに良い候補者を見極める方法があれば便利です





■良い候補者の見分け方


先進的な議会改革で有名な千葉県流山市議会の元市議会議員・松野豊さん。
松野さんの【「統一地方選挙 良い候補者の見分け方」 10の法則】という記事が勉強になったのでまとめてみました。

記事のなかでこれは参考になった3点を紹介します。

① 立候補の目的が明確か

⇒議員に当選することは目的ではなく手段。
候補者のHP、チラシ、選挙公報などから「なぜ、立候補したのか」、理由を見極める。

② 情報発信力の有無

⇒HP、ブログ、SNS、会報、駅立ち、市政報告会等で、普段から自分の活動や市政についての報告をしているどうかをチェックする。
現職の場合、選挙の時点からまったくHP、SNSが更新されていない場合は要注意。

③ 自分と近い候補者か

⇒自分の置かれている立場(世代、性別、経歴、居住地等)に近い立場の候補者で選ぶ。
興味のある分野に関する政策に取り組んでいる、取り組もうとしている候補者を探すのもポイント。




選挙が近くなったときに、投票の判断材料となる情報を収集するのもなかなか大変なので、普段から議員さんの活動は注視しておくことが意味のある一票になるはずです。

 

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大平レポート⑯ 「なんで選挙に行かないの???」

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

これまで、「選挙」に関して記事を書いてきました。

「どうして選挙に行かないのか?」
この問いに対する一つの答えがあります。

「合理的棄権仮説」

合理的に物事を考えられる人ほど、選挙では棄権するという考え方です。





たとえば、日本には小選挙区の有権者が約33万人います。

小中学校のクラスでの「学級委員選挙」では、
せいぜい30人くらいしかいません。

 

 

それが、33万人もいると次のように思いませんか?

「自分の持つ一票は33万人分の1なので、1人くらい棄権しても社会に影響を与えるほどのものではない」

 

 

 

それならわざわざ休日の貴重な時間を使って投票に行くよりも他のことに時間を使いたい。

その結果、合理的な判断として棄権するのです。

 

こういうのを「合理的選択論」というそうです。
さきほどの小中学校の学級委員選挙では、
「棄権をする」場合、「誰が棄権したか」すぐ分かります。

だからこそ、「投票する」という「合理的選択」をするわけです。





 

では、投票が合理化するためにはどのような方法があるのでしょうか。

① 候補者同士が拮抗している
⇒自分の一票で選挙結果が大きく変わると認識される場合。

② 選挙に関するコストが小さい場合
⇒投票所が近所の近くにあると、労力、時間的なコストも小さいので、投票行動を促しやすい。例として、大学内、大型ショッピングセンター、駅の中に投票所を設置することで、ついで投票を促すことができる。

③ 時間的余裕
⇒退職者で自分の時間を自由に使える人は選挙に足を運びやすい。

④ 選挙結果が自身の利益に関連する場合
⇒自分のイデオロギーや考え方を代弁する候補者、または嫌いな候補者と対立する候補者に勝ってもらいたいときなど。

この考え方を使って投票率を上げたいものです。
(^-^)

実際、「駅での投票」も可能になるようですし・・・。

9k=☆『合理的選択』。こちらからお求め頂けますよ。

大平レポート⑬ 女性参政権から70年・・・。

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

【女性が投票権を得てから70年!】

日本で初めて女性が選挙に参加したのはいつか、ご存じですか?

 

 

 

 

それは1946年。

終戦の翌年です。

 

 

 

ちょうど一昨日4/10で、70年を迎えました。
日本では女性の議員が極端に少ないことは以前から指摘されていますが、
十勝管内の議員比率はどうなっているのでしょうか?




■全国平均よりも高い女性議員の比率だが...

 

北海道新聞社の調査によると、2015年6月1日現在、
十勝管内では31人の女性議員が活躍しています。

また、市町村議の女性比率は国内平均12.1%、全道11.3%、十勝管内12.4%となっています。

十勝管内は国内平均並みなのですが、
女性議員の比率は10人に1人なので、
決して高い水準とはいえません。

議会は多様な民意を反映することが望ましいので、当事者性をもった議員が果たす役割は大きいと思います。

■多様な民意を反映させるクオータ制度
議会の構成比率が男性層や年齢層に偏っている現状を変える方法の一つに、
「クオータ制度」の導入があります。

 

クオータ(quota)とは、「割り当て」という意味です。

たとえば、定数のなかに年齢枠や女性枠を設ける。

20代~40代は定数の4割、
50代~70代の定数は4割、
女性が当選できるように30%を女性枠にするなどです。

逆差別、立候補の原則に反するなどの批判もありますが、
配分比率を男女ともに同じ規定することも可能でしょう。




男性も女性も、同じ「一票」。
そうであれば、議員も男女同数とすることで、
有権者の声を議会に平等に反映させる事ができるはずです。

大平 亮介さんの写真

佐々木敦『ニッポンの文学』を読む。

お笑い芸人・ピースの又吉直樹さんが芥川賞を取ったこと。
昨年2015年、とても話題になりましたね。

文学とお笑い。
つながらないと思われていたような2つがつながる面白さ。

話題の裏にはそんな要素もあったように感じます。




 

今日取り上げる『ニッポンの文学』は、
早稲田大学教授・佐々木敦の『ニッポンの〜』シリーズの3冊目。

ニッポンの思想』(浅田彰から中沢新一、宮台真司に東浩紀が続く流れの説明、とても分かりやすいものでした)、
ニッポンの音楽』(音楽に興味ないので、まだ未読)ときて、
ニッポンの文学』となります。

思想・音楽・文学という「テーマ史」から、
いまの「ニッポン」が見えてくる興味深いシリーズです。

 

2Q==☆『ニッポンの文学』。こちらからもお求め頂けます。

エピローグの中において、
著者は「テン年代」(2010年代)に起きた文学史上の出来事が
「文学」を飛び越え/解体していく様子をあげています。

ここから引用を始めますが、「テン年代に入って起こった三つの出来事」は引用後半を読むと分かるようになっておりますので、念のため。

テン年代に入って起こった三つの出来事は、いずれも「芥川賞」と「文芸誌」の乗算によって構成される「ニッポンの文学」という「制度」の現在形を映し出すものです。黒田夏子は「新人賞」としての芥川賞の意味と価値を問い直し、阿部和重と伊坂幸太郎の『キャプテンサンダーボルト』は「文学」と「エンタメ」の二項対立に楔(くさび)を入れ、又吉直樹の「火花」は「文学=芥川賞」に「外部」をこれまでにない仕方と規模で持ち込みました。これらはどれもこの何十年かの間にさまざまなレイヤーで進行してきた「文学」なるものの絶えざる相対化が行き着いたさまを示しています。
もちろんこのプロセスはこれで終わりではないでしょう。今後も「ニッポンの文学」は果てしなく相対化されていくだろうと思います。(315-316ページ)

☆乗算・・・かけ算のこと。

格式張った「文学」が、だんだん崩れていく様子が描かれています。

(あまり「純文学」という言葉も使わなくなりました)

その崩れた「文学」に対し、新たな表現・切り口を出していくことで
「文学とは何か」再定義されていくのです。

そういう意味で、「これから」の「ニッポンの文学」が、
「文学」をどう料理していくか、楽しみになってきます。

さて、なぜ『ニッポンの文学』を読んでいるのかというと、
来月以降「札幌カフェ」で土曜日に行っていくイベントの「下調べ」のためでもあります。

それは、「札幌をラノベの聖地にしたい!」という目標のもと、
活動している団体と知り合ったからです。
(ラノベ・・・ライトノベルの略)

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☆Facebookページはこちら。「いいね!」してね!

 

札幌カフェのイベント。

単に「騒いで終わり」なのではなく、
「北大」のとなりにあるゆえの「文化性」を発信していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

そのために、まずは私も勉強しないと・・・・。

大平レポート⑫ 地方議会のあり方って???

〜大平亮介さんのFBからの記事です〜

ラジオを聴いて勉強になったので書きます。
地方議会のあり方についての話です。

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■地方議員の不祥事はチェック不足から生じる

市民団体やNPOなどによるチェックがある自治体は議員の不祥事が生じにくい
なぜならば明らかにおかしなことはおかしいと指摘されると、嫌でも襟を正さざるを得ないからです。

指摘を放置すれば次の選挙に落選する可能性が高まるからです。





■限られた人だけが立候補する

昔は、各業界の利益団体が自分の組織から利益代表を議会に送り込み、応援するという構造がありました。

今はどの利益代表にもコミットしないという有権者が増えている。

しかし、どの団体にもコミットしない代表がいない。

なぜならば、議会は平日の昼間に開会され、仕事をしているサラリーマンは議員になりにくいからです。

そうすると、平日の昼間に議場に行ける職業の人しか議員になれないという実態があります。

議員になれる人の人材が限られるので、立候補する人が少なく、いつも決まった人しか立候補しなくなる。

その結果、どんどん有権者の関心が下がり、投票率の低下にもつながるのです。

 




■ごく一部が得する選挙の構造

有権者の関心が下がれば下がるほど、自分たちの利益代表を出して、得をしている人たちの存在が大きくなります。

逆説的にいうと有権者が関心をもたなければ特定の人だけの権限や利益が増えていくのです。
一部の人たちの関心は高まり、その人たちの投票率は高くなります。

つまり組織票の割合の比率がどんどん上がるのです

そうすると組織がない人はなかなか選挙に勝てない、しかも仕事を辞めて立候補しようと考える候補者は限られる。

こうした選挙の構造はできるだけ得をしている人にとってはブラックボックス化して動かしたくなくなってしまいます。

地方議会での選挙のあり方、考えたいものです。

【藤本追記】
地方での「選挙」の実態については、これがいい「参考文献」になりますよ〜↓!

9k=☆こちらからもお求め頂けます。

 

貼りっぱなしのポスターをはがしてみよう。

 

 

田舎の公民館や何か行くと、たいてい「古いポスター」が貼ってあります。

こんな感じです↓

 

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http://klear.com/profile/Hirunekingyo

貼った人は毎日見ているので、風化に案外気付きません。

また、不特定多数が使用するばあい、「誰かが貼ったから、うかつにはがせない」ということでダラダラ残り続けます。

学校にも、ときどきとんでもなく古いポスターがはってあります。

 

ですが、こういうものがあると、建物自体も古くダサいものとなります。

皮肉な話をしますが、「地域活性化の話し合いをしよう」と住民センターに集まってみると、10年以上も前の盆踊りのお知らせポスターが貼ったままになってあることがあります。

まずはここをはがすところじゃないかな?と思ってしまいます。

古いポスターが人に与えている「ダサさ」に、誰かが気付き、勇気を出してはがすことがすべての始まりのようです。

 

宇山卓栄, 2015, 『日本の今の問題は、すでに{世界史}が解決している。』①

社会保障制度やTPPなど、今の日本をめぐる課題はたくさんあります。

この課題に如何に答えていくか?
本書は「世界史」からアプローチします。

「歴史から教訓を得る」などという仰々しい考え方は、捨てたほうがよいのかもしれません。この表現を、私は「歴史から視界を得る」という表現に書き換えたいと思います。歴史から得られるものは、「教訓」という普遍のルールではありません。(…)歴史を習得しようとする試みは、まさに、「山の上からの広い景観を獲得し、その景観を眺望し、俯瞰する行為」と言えます。自分の周りは、川に囲まれているのか、田に囲まれているのか、野原に囲まれているのか、その全貌を理解・解釈・分析することができます。(11)

さて、本書は「世界史から日本を見る」スタンスの本です。

世界史から見てみると、日本の幕末〜明治近代化の流れは決して日本人のみで成し遂げたものではないことがわかってきます。

 日米修好通商条約の締結後、アメリカは日本に無理難題を押しつけて、日本を支配しようと画策していました。ところが、実際には、そうならなかった。なぜでしょうか。
1858年の条約締結後の1861年に、アメリカを揺るがす大事件が起こりました。南北戦争です。5年間に及ぶ、この内戦で、死者が60万人を超え、アメリカ社会は荒廃しました。その後も、数十年間、戦争の後遺症に苦しめられます。
アメリカが南北戦争の混乱の中にある時、日本にしばらくの猶予期間が与えられます。日本は、この期間に明治維新をなしとげ、近代化へと進みます。日本にとって、1860年代の十年間の猶予は、まさに天の助けともいうべきもので、その間に、封建社会の眠りから醒め、新たな時代へと進むことができました。もし、アメリカで、南北戦争が起こらなかったならば、日本は近代化の機会を失い、アメリカに主権を奪われ、従属させられていたかもしれません。(15)

実際、独立し国際的にも承認されていた「ハワイ王国」はアメリカに併合されてしまいました(ハワイ併合)。

1898年のことですから日清戦争の頃。
日本がモタモタしていたら、ハワイの次、あるいはハワイにかわって「アメリカ51番目の州」になっていたかもしれません。

 

 

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「あきらめ」の夏。

夏になると思い出す歌がある。
それが「夏をあきらめて」。

桑田佳祐作詞作曲、研ナオコが歌うこの曲はTUBE的な「キラキラの夏」の対極にあり、私は結構気に入っている。

曲全体にただよう物悲しさが、「大人」な恋愛観を示しているように思われる。

さて、坂口安吾の作品に「諦めている子供たち」というものがある。

そのなかで、安吾は新潟の子ども達の「あきらめ(=諦観)」を述べた。

諦観のドン底をついておって自分の葬式まで笑いとばすような根性が風土的に逞しく行き渡っているのである。それが少年少女に特に強くでる。なぜかというとオトトやオカカは自分の生活苦があっていかに生れつきの持前でも多少は自分を笑いたくないような悲しいやつれがあるが、子供にはそれがないから、彼らの諦観はむしろ大人よりも野放図もなく逞しく表れてくるのである。

新潟の子供たちは小にしてすでに甚しく諦観が発達しており、こういう言い方をするのが決して珍しくはないのである。それというのが彼らのオトトやオカカが常にそういう見方や感じ方や言い方をしているからで、要するに先祖代々ずッとそうだということになる。

何かに対するあきらめをもたらすこと。
社会学では「冷却作用」という。

アーヴィング・ゴフマンが提唱したこの概念だが、現代社会の「自己啓発」風潮に水を差す(文字通り「冷却」)ものとして有益な概念である。

「何かをしたい!」
「立身出世だ!」という人びとの願望は、全て叶えられることは決して無い。

自己啓発関係の本は「夢は叶う!」と主張するが、叶わない夢のほうが圧倒的に多い。

そんな人びとの思いを冷やし、現実的な方向性を考えさせる。
それを「冷却作用」という。

坂口安吾の文章では、新潟という場所自体が「冷却作用」をもっていることになる。

こういう諦観はおそらく半年雪にとざされ太陽から距てられてしまう風土の特色と、も一つ新潟は生えぬきの港町で色町だった。つまり遊ぶ町だ。

太陽から隔てられることにより、子ども達のレベルまで「あきらめ」が浸透する。
そして色町=遊ぶ町が持つ刹那性が、人生という高尚なものへの思考を停止し、「あきらめ」をもたらす。

「夏をあきらめて」の切なさは、かつての「キラキラ」「若いころ」の情熱が冷めかけた時、つまり「冷却」されたあとの恋愛模様を描いているところにある。

「冷却」され、冷めてしまうと、ふと「自分は何をしてるのだろう・・・?」という疑問がわく。

お盆休み。
実家ですることもなく過ごしていると、急に感じるわびしさ。

普段の自分の日常への「冷却作用」である。

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↑ 元祖ゴミ屋敷ともいえる安吾の部屋

「静かな変革者」になるには?〜『だから日本はズレている』〜

おそらく、著者がすーっごく「気を抜いて」書いたであろうこの本。
よくよく厳密に考えると矛盾あふれる記述の多いこの1冊。
(「ノマド」批判のあとに来る、シェアハウスに住む若者の話、など)

本日6/27(土)、読書会@札幌・帯広にて開催しました。

 社会は、ちょっとずつ変えていくしかない。ということは、社会をよくするためには「静かな変革者」を少しずつでも増やしていくしかない。
「静かな変革者」と対照的なのが、自称「保守」の人々の間に広がる相互不信や他者攻撃だ。誰かをバッシングして自分のちっぽけな自尊心を満たすくらいなら、実際に日本の役に立つことを出来る範囲で、明日から始めたらいい。少なくない若者たちは、既に動き始めている。(203)

自分が関わるコミュニティ、および自分の周囲から社会を変えていく。
ありがちな主張ですが、「けっきょくはそこからしかできないよね」というスタート地点でもあります。

ただ、やり方がまずいと、第二の「オウム真理教」的な「変なコミュニティ」が生まれる可能性も・・・。

それを防ぐ方法は、「反権力」、それの行き過ぎの「反社会」とならない方法を取ることだ。

日本で、わかりやすい「反権力」運動が成功したことはない。それを学んだ「静かな変革者」たちは、既存の社会システムと協調することを好む。行政に協力を仰ぎ、時には共に行動する。
僕も「静かな変革者」に対するインタビューをよく行うが、彼らは「社会にいいことをしたい」とか「国のために何かしたい」とはあまり言わない。そんなのは、彼らにとってもはや自明のことだからだ。当たり前のように被災地支援をしたり、自然エネルギーの啓蒙活動に取り組んだり、地域の教育問題を解決しようとしている。
彼らは、大きなことを言わない代わりに、粛々と身の回りの100人、1000人を確実に幸せにしている。だけど、その活動は規模が小さい文、あまり目立たない。(202)

 

これこそ、いまの日本人、特に若者ができる、日本社会変革の方法なんだよなー、と思う。

無理もないし、それこそ札幌のエルプラザや帯広のとかちプラザによくいる市民活動団体のやっていることと同じだからだ。

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