書評

原ひろ子『子どもの文化社会学』(晶文社、1979)

 我々は教育というものはあらゆる人間社会に普遍的に存在するものである、と考えている。本書はヘヤー・インディアン社会をもとにして、人々の思い込みを打ち砕いてくれる。

 ヘヤー・インディアンの話すヘヤー語には「だれだれから習う」「だれだれから教えてもらう」という表現が存在しない。

ヘヤー・インディアンの文化には、「教えてあげる」、「教えてもらう」、「だれだれから習う」、「だれだれから教わる」というような概念の体系がなく、各個人の主観からすれば「自分で観察し、やってみて、自分で修正する」ことによって「○○をおぼえる」のです。(180頁)

 彼らの世界には「教えてもらう」ということはなく、「自分で学ぶ」ことしか存在しないのだ。狩猟の仕方も皮のなめし方もカヌーの作り方も、大人がするのを見て自分で試行錯誤して学ぶ。自律的・自発的・能動的な学びが実現しているのだ。
 現在の日本社会では、この自発的な学びが無くなり、「他律的・強制的・受動的にさせられる行為に転化していく状態」(イリイチ『脱学校の社会』)となっている。言葉をかえれば、「学習のほとんどが教えられたことの結果だ」(『脱学校の社会』32頁)と勘違いをしてしまっている。教えられない限り学ぼうとせず、逆に「自分で学ぶのは危険だ」というメンタリティーになってしまう(通信教育が溢れているのは「自分で学ぶのは危険だ」との思想の表れであろう)。この日本の状況を原は次のように説明する。

現代の日本を見るとき、「教えよう・教えられよう」という意識的行動が氾濫しすぎていて、成長する子どもや、私たち大人の「学ぼう」とする態度までが抑えつけられている傾向があるのではないかしらという疑いを持つようになりました。(175頁)

 まさにイリイチが批判した「学校化」が日本で起きているのだ。原は日本社会をみて《子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました》(201頁)とも書いている。本来、「教える」のは一人で生きていける/一人で学んでいけるようにするために行う行為であった。けれど、「学校化」され「制度化」された日本社会では皆が「教えられる」ことに忙しすぎるようになってしまっているのだ。だからヘヤー・インディアンのように「学ぶ」ことを重視した生き方が必要ではないか、と原は提案している。
 最後に、私にとって興味深かった点を紹介しよう。

「教える」、「教えられる」という概念がない、ひいては「師弟関係」などが成立しないという、このヘヤー文化の基礎には、「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっているのです。ここどえは、親といえども子に対して指示したり命令したりすることはできない、と考えられているのです。人間に対して指示を与えることのできる者は、守護霊だけなのです。(187頁)

イェーリング著、村上淳一訳『権利のための闘争』(岩波文庫、1982)

 かつてシェイクスピアの『ヴェニスの商人』を読んだ時、はっきりいって≪血を出さずに肉だけを1ポンドきっかり切り取れ≫と裁判官に言われたシャイロックが、気の毒で仕方なかった。そのため、イェーリングがシャイロックの弁護にあたる論理を展開している本作は、非常に興味深かった。

このユダヤ人(石田注 シャイロックのこと)は権利を騙し取られた、と言ったのは私の言いすぎだったろうか? むろんこれは、人道のためになされたことである。しかし、人道のためであれば不法は不法でなくなるものであろうか? かりに神聖な目的が手段を正当化するとしても、なぜそのことを判決の中で行わず、判決を下したあとで行ったのであろうか?(18頁)

 「権利を騙し取られ」ることに対し、イェーリングは注意を促している。

何の苦労もなしに手に入った法などというものは、鸛(こうのとり)が持ってきた赤ん坊のようなものだ。鸛が持ってきたものは、いつ狐や鷲が取っていってしまうか知れない。それに対して、赤子を生んだ母親はこれを奪うことを許さない。同様に、血を流すほどの苦労によって法と制度をかち取らねばならなかった国民は、これを奪うことを許さないのである。(41~42頁)

 日本国憲法は別名「権利のカタログ」。あらゆる権利が突然認められた。そのため日本人にとって権利は「何の苦労もなしに手に入った」ものである(昔からこんなことをいう人って結構いますね)。ゆえに自己の権利は簡単に奪われてしまう。
 そのため、イェーリングは「権利のための闘争」を行え!と叫ぶのであるが、それは別にクレーマーになれ、ということを意味しない。

自己の人格を害するしかたで権利を無視された者はありとあらゆる手段で戦うのが、あらゆる者の自分自身に対する義務なのである。そうした無視を黙認する者は、自分の生活が部分的な無権利状態に置かれることを認める結果[権利能力の部分的放棄]となるが、そんなことにみずから手を貸す自殺的行為は誰にも許されていないのだ。(52頁)

 「自己の人格を害する」時に、「権利のための闘争」を行うべきなのだ。
 現在、私はフリースクール全国ネットワークのボランティアをしている。そのネットワークの中でオルタナティブ教育法という法律案の作成が続いているが、これもフリースクールに通う子どもたちが「自己の人格を害」されているからこそ、作成するものなのだ。不登校というだけで付きまとう「ダメな人」という視点、行政側から何のサポートもなく教育を自費で受けるという点えとせとらetc。こういう「権利のための闘争」は積極果敢に行っていかねばならないはずだ。

 本作のラストはゲーテの次の文章の引用で締められる。

智慧の最後の結論は斯くの如し。
自由と生を享受して然るべきは、
日々それを勝ち(石田注 原作だと旧字体)得ねばならぬ者のみ。(140頁)

 〈自由になろう〉とする者のみが、自由になることができるのである。同様に、権利を勝ちとるために戦う者のみが権利を勝ち取れるのだ。
 権利とは誰かに与えられるものではない。自分の力で、勝ち取るものなのである。かつて、高校現代文の教科書に『「である」ことと「する」こと』(岩波新書では『日本の思想』に掲載されています)という丸山真夫の文章が出ていた。その結論は、≪権利を行使「する」ことなく、権利者「である」ことに安住すると、自分の権利がなくなってしまう。ゆえに権利のためには常に権利を行使し続けないといけない≫というものであった。おそらく丸山も『権利のための闘争』を参考にしてこの文章を書いたのであろう。

塾という教育の場(トポス)

 一之瀬学『誰も教えてくれない[学習塾]の始め方・儲け方』(ぱる出版、2007)読了。 

 塾経営の難しさを知る。
 そこにあった一文。

この経営者は、そのノウハウが時代に合わず、通用しなくなったからこそ、生徒が減り続けているという現実には気づいていない。錆付いた過去の栄光にしがみつき、それを手放そうとしないからこそ、経営がうまくいかなくなっているのに、である。これは塾だけでなく、どの業種でも成功した個人事業者が最も陥りやすい自己過信の弊害である。(208頁)

 現実に対応し続けることの大切さを思う。
 塾は、学校のサブとして捉えられる。だから塾で成績があがっても、表立ってあまり感謝されない。塾はいつでも「成績を上げるためのツール」としてしか捉えられないのだ。塾特有の寂しさを感じる。けれど、一之瀬は次のように語る。
子供たちとの接点は、ほんのわずかであっても、その一瞬にすべてを注いでいく。しかも学校とは違って、明日にはその子は辞めてしまうかも知れない。だからこそ、今という瞬間を絶対にムダにはできあに。それが塾の現場だ。
 たとえ一瞬でも、たとえお礼の言葉をかけてもらえなくても、人生のほんのわずかな時間的空間を共有できたことに感謝したい。いつか、一人ひとりの心に蒔いた種が、小さな花を咲かせることを願って。(197頁)
 一期一会の出会いを大切にし、生徒と相互行為(社会学的な言い方です)を結べた一瞬の輝きを大切にする。塾経営者が大事にする視点だろう。塾という教育の場(トポス)で現実に教育を行い続ける筆者の熱い志が感じられる。ぜひお会いしてお話をしたい人だ。
 この本からは塾業界での成功の仕方と言うよりも、「プロフェッショナル論」を教えられた。
 

シュタイナー教育について学ぶ。

最近、子安美知子『シュタイナー教育を考える』を読んでいる。シュタイナー教育の概要が詳しくわかってくる本だ。

外から教えるのでなく、子どもの内側から発露してくるものを大事にする授業。それを実現するために、オイリュトミーやフォルメンを行う。子どもの内なるリズム・発育時間を大切にし、それに沿って少しずつ授業のやり方を変えていく。

ホリスティック教育といわれるものの中でも、一番ホリスティックな教育がシュタイナー教育であるようだ。

 ただ、1点、読み進める中で疑問を感じた。子どもの自然な発育を待ち、それに合わせて授業を行うというシュタイナー教育。これ、ものすごく周到な洗脳教育プログラムでもあるのではないか。
 むろん、シュタイナー教育のプログラムが邪悪な意図を持って作られたものでないことは確かだ。けれど、善なる意思を持って「その子のために」教育プログラムをつくることが構わないとするなら、公教育プログラムに対してもそう言えてしまう。
 シュタイナー教育やフレネ教育、モンテッソーリ教育など、「~~教育法」というものを色々私は学んできた。公教育よりよっぽどましな教育であることは確信している。けれど、これらの「~~教育法」は、子どもに対する押しつけ・洗脳・強制であるように感じられるようになってきた。よい教育プログラムを用意することは、そのプログラムに適応するようにしか、子どもは育つことができないことも意味する。あらゆる「~~教育法」というと呼ばれる存在に、私は「気持ちの悪さ」を感じてしまうのだ。本来、子どもという存在はそれ自体において価値がある存在であると考える。その存在に対し、他者が「よい教育をしよう」と言って何らかの教育プログラムを強制することは権力的作用ではないか。
 『フリースクールとはなにか』という本の中でも、次のようにある。

伝統的な学校教育ではなく別のものを求める、というとき、シュタイナー、モンテッソーリ、フレネその他、はっきりした教育思潮と方法論をもって世界的に広がっている教育もある。それらは、オルタナティブ教育と呼ばれても、フリースクールとは呼ばれない。フリースクールは、オルタナティブスクールのなかの一つであって、学校教育以外であればフリースクールというわけでもない。
 フリースクールが、他のオルタナティブ教育ともっとも違う点は、子どもを主体とすることであり、教育内容を自由につくりだす、ということであろう。○○を○○のために教える、活動させる、というのではなく、子どもの興味、関心、意欲に依拠して作っていくことになる。それは、子ども中心であるがゆえに、教師と生徒の関係を含め、あらゆる側面が変わることになる。(NPO法人東京シューレ編『フリースクールとはなにか』教育資料出版会、2000年、17頁)

 教育プログラムが優れたものであるほど、そのプログラムに子どもを(無理矢理でも)合わせようとする。イリイチの言葉を借りるなら、「制度化」である。「子どもが成長すること」という本来的な目標を忘れ、教育プログラムの遂行のみを目的と取り違えてしまうようになる。フリースクール以外のオルタナティブスクールでは、ともすればそういった価値の転倒(=価値の制度化)が起きてしまう可能性があるのだ。子どもを主体とする教育。それ以外のものに、私は「違和感」「気持ち悪さ」を感じてしまうようだ。

 そういえば宮台真司の『14歳からの社会学』にあったことを思い出す。世界が精密にプログラムされている現状。それに気付いた時、人は離脱しようとするのだ、と映画『マトリックス』などを基に説明をしている。教育に対してもそれは言える。教育プログラムが精密であればあるほど、「俺って、いなくてもいいのかもな。どうせ、誰に対してもこんな教育をするんだろうし」と「自己疎外」が発生する。学校教育における落ちこぼれや不良とされる人々は、「自己疎外」ゆえに教育プログラムを離脱しようとするのだろう。

追記
●ちなみに、70年代西ドイツで起こった「反教育学」という流れは、フリースクール的な教育機関と親和性があるようです。

ボウルズ/ギンタス著『アメリカ資本主義と学校教育2』(岩波現代選書、1987)

 上・下2巻に渡るこの本で、著者は何を明らかにしたかったのか。

経済の変革と教育の変革とが対応した過程を通じて起こるという、この歴史的な解釈にもとづくとき、教育制度とイデオロギーの主要な転換は必ず、生産構造、労働力の階級的構成、抑圧されている集団の性格の変移によって惹き起こされてきた。(182頁)

 教育社会学において、〈教育〉の使命は単純明快。「選別」と「社会化」である。社会が要請する人材を選び出し(「選別」)、とりあえず社会の構成員になってくれるよう育成する(「社会化」)のが〈教育〉なのだ。ここでいう社会の要請とは、要は経済界の意向なのである。この主張はボウルズとギンタスがネオ・マルキストであるために起こっているのだろう。マルクスは経済の規模やシステムの変化が、社会構造の変化を招いたと説明する。経済が政治体制・社会構造を決めるのであって、その逆でない。ゆえに〈教育〉も経済の構造から抜け出すことはできないのだ。
 教育を語るなら、経済を知らなければならない。

何故、わが国の青少年に対して権威主義的な学校という重荷を負わせようとするのであろうか。何故、若い人々が、その日々の大部分を無力感、人間の尊厳を犯すような独裁的な規律、絶えざる退屈感、行動の矯正という雰囲気のなかですごさなければならないのであろうか。何故、民主主義的な社会で、各人が最初に公的な機関と接触するのがこのような徹底的に反民主主義的なものにならざるを得ないのであろうか。
 最近多くの人々がこのような疑問を投げかけてきた。ここからフリースクールという新しい運動が起きてきたのである。(177~178頁)

 この部分の後、しばらくフリースクールの話が続く。近代教育批判者の一団として、「ジョージ・デニスン、ジェームズ・ハーンドン、ハーバート・コール、ジョナサン・コゾールの私的日記から、ジョン・ホールトのプラグマティックな主張、チャールズ・シルバーマンの本格的な社会的分析」(178頁)と名前を挙げている。非学校論者として、私もこれらの人々の本を学んでいくこととしよう。
 ボウルズとギンテスはフリースクール運動に必要なこととして、≪運動のなかに、学校が社会から独立したものであるという考えをはっきり否定し、学校をその社会的、経済的な文脈の中で具体的に位置づける分析的立場の展開がなされなければならない≫(179頁)。これは、本書において経済が教育を大きく変化させてきたことを述べていることと関係が深い。つまり、「よい教育をしよう」としても学校だけで教育を成り立たせることの不可能性を知らなければならない、ということである。『日本を滅ぼす教育論義』において著者が主張したのも、教育と経済との密着不可分性を認識することの重要性であった。

 この本は、結論的に社会主義革命によってしか社会変革を根本的に行えないことを主張する本である。ネオ・マルキストの本であることを認識しておかないと、誤読をしてしまう。

 気になる部分を抜き書きして、本稿を終えよう。

教育制度は人々を教育して、経済生活で地位を得て仕事をすることができるようにするわけであるが、教育制度自体の社会的関係は、事務所や工場の社会的関係に合うようにつくられている。したがって、学校教育の抑圧的な側面は決して非合理的ないしは邪道なものではなく、むしろ、経済的現実を、体系的、普遍的に反映したものとなっている。解放された教育ということだけでは職業的なミスフィットと職場ノイローゼの蔓延をもたらすことになる。それだけでは、教育の自由化には役立たない。抑圧の原因が学校制度の外部に存在しているからである。かりに、学校がより人間的な形態をとるべきであるとするならば、職場もまたより人間的なものでなければならない。(179~180頁)

基本的には、教育制度は、経済の分野から起こってくる不平等や抑圧の度合いをつよめたり、弱めたりすることはない、むしろ、教育制度は労働力の教育と階層化の過程においてすでに存在しているパターンを再生産し、正当化する。このことはどのようにして起こるのであろうか。このプロセスの核心は、教育的な体験の内容あるいは情報伝達の過程にあるのではなく、その形態、教育的体験の社会的関係にある。これは、経済の分野における支配、従属、動機づけの社会的関係に密接に対応している。各個人は教育的体験を通じて、成人して労働者となったときに直面する、無力感の度合いを受け入れるよう誘導される。(205~206頁)

追記
●本書はフリースクール運動の欠点の指摘(180頁など)をしている。またイリイチの『脱学校の社会』に対するコメントも本書には掲載されているので、修士論文を書く際には読み返すこととしよう。

佐藤公治『認知心理学からみた読みの世界』(北大路書房、1999)

 学びとは、個人的な営みなのだろうか? 私は最近、それを考えている。結論的には「個人的な営みだ」と考える。しかし、本書では「集団の営みだ」と主張されている。

 あとがきから見てみよう。 

本書では、学習者の主体的な理解活動や知識構成の過程に焦点をあてながら、同時に学習はまさに社会的な過程であるという社会的構成主義の立場から、個々人の理解や知識が、いかに対話と社会的相互作用のなかでその影響を受けながら形成されるかを明らかにしていくことがめざされた。いまなぜ、対話や協同的な学びなのかということは、本書のなかで述べたことなので繰り返さないが、学校教育のなかで学びがともすると個人の自立を強調して、自分の力だけで学びを完遂していくこと、そのための能力の育成といったことに目標がおかれがちであることに対して、学びというものは本来、個人の閉じた系ではなく、もっと他者との相互交流、相互の支え合いのなかで行われる開かれた系としてとらえ直していくことが必要なのである。(240頁)

 このことが、「本書で私が読者の皆さんに伝えたいメッセージであ」ると述べられている。
 確かに学びは集団の営みである点であることは否めない。しかし、近代社会において個人が所属する集団は年々変化する。ずっと同じ学校の同じメンバーで学びを進めるわけでないのだ。集団による学びは基本的には一期一会。教室の中でずっと続くようでも、数年したら全く違うメンツと関わるようになる。会社内でも部署移動はしょっちゅうだ。そのように、集団による学びは構成メンバーが常に変化する。
 とすれば、重要なのは「一人で学べる」力ではないか。特定の人がいるから学ぶ、というのでは常に学び続けることは出来ない。現代の社会においては、いつリストラされるか、いつ別の業種を行うことになるか、だれも予想できない。そんな時代では、必要な時に必要な能力を身につける/学ぶ力が必要不可欠だ。「一人で学べる」力がないと生活できなくなることもあるのだ。
 おまけに、「みなで学ぼう」とすると、無責任になってしまう。
  
 そのため、集団的学びの重要性は非常に良く分かるが、結局「一人で学べる」力を身につけないと後々困ることになるのは事実だろう。「一人で学べる」力がないと、イリイチのいう「制度」に依存した人間になってしまう。いまも、ユーキャンなどの通信教育が流行ってますよね? 本当はそんなサービスに頼らなくても、自分で学べるのが本当の人間のはずである。
 
 「一人で学べる」(「一人立つ」とも言えるか?)人びとが集まったとき、集団的学びがさらに発展するであろう。

池谷壽夫(いけがや・ひさお)『〈教育〉からの離脱』青木書店、2000

 この本を、私は大学の図書館で借りた。久々に、「購入したい!」と思う本と図書館で対面することができた。
 例によって、アンソロジー的に紹介したい。
 なお、池谷のいう〈教育〉とは、≪近現代に特有な教育のあり方を、それ以前のいわば共同体に埋め込まれて営まれていた教育と区別する意味で、〈教育〉という言葉で表現≫(9頁)するために、岩崎弘昭の『講座学校1 学校とは何か』(柏書房、1995)にならって持ってきた概念である。それにより、「人間が生きていくうえで不可欠な活動様式のひとつである教育一般」(同)と「近代に特有な教育のあり方」(同)とを区別できる。その上、≪〈教育〉を否定しそのオールタナティブを求めたとしても、それは教育一般を否定することにはならない≫(同)という良さがある。そこに続く≪近代的な〈教育〉は、人類が生き延びていく上で、資本主義的生産様式のもとで作り上げてきた活動様式とシステムのひとつの選択であり、そのあり方こそが今問われているのである≫(同)という指摘も興味深いものだ。

近代日本においては、公教育の成立と同時に、まずは家庭とそこでの教育が学校教育を補完・強化するものとして位置づけられる。次いで、家庭は国家社会の基礎をなすものとして積極的に位置づけられる。ここでは、家庭の親のいっさいの行動と文化が「卑猥か清浄か」という〈教育〉的規範に基づいて点検され、〈教育〉的なもの(「健全な」「清浄な」もの)となるように促されるばかりでなく、性別役割分業にもとづいた「スウィートホーム」の中で、積極的に子どもに「服従」「愛情」「責任」「公徳」などの徳を涵養することによって、家庭は「小国民」を教育する場とならなければならない、とされるのである。まさに近代社会にあっては、家族とそこでの教育は国家の戦略のうちに組み込まれているのである。(33頁)

「愛情」の名のもとで生徒を保護し指導しようとする〈教育〉のあり方を、「〈教育〉的パターナリズム」と呼ぶことにしよう。このパターナリズムのもとでは、教師は生徒のことを思って一生懸命努力し生徒を一定の方向に導こうとするが、その〈教育〉的な世話に対して、生徒は反逆することもできない。教師のこうした世話を受ける代わりに、「受身の黙認」(R.セネット『権威への反逆』)を余儀なくされるからである。「先生が一生懸命僕のことを思ってやってくれるのだから、その期待に応えなくては」というふうに考えてしまうのである。(49頁)

近代社会は、タテ・ヨコ・ナナメといった多様な人間関係を破壊し、人間関係を「親―子」関係と「教師―生徒」関係というきわめて単純な人間関係、しかもタテの垂直的な関係に還元してきた。しかもそこでは、他者に依存せず「自立」することが目標とされている。(…)つまり、子どもは教師の言うとおりに行動するように強制されながら、たえず「自立」的であることが自分のライフスタイルや自己価値を規定するものとしえ求められる、という矛盾した生を生きることに案る。文部省の言う「自ら主体的に判断し行動するために必要な資質や能力の育成を重視する教育」、すなわち「新しい学力観」は、まさにこうした矛盾した心性を生徒に引き起こすことになる。(57~58頁)

(石田注 母親と娘の会話を池谷は紹介する。娘の「汚い」言葉を母親が「そんな言葉はいい子は言わないわよ」と言って注意する。それにより、娘の「いい子」の部分は≪今後はうそをつかないで母親を裏切らないようにしようとする。しかし、もうひとりの自分はこう考える。「お母さんがわたしが悪いと言うのはあたっている。お母さんが好意的に考えてくれても、わたしは悪いことをしちゃうし、お母さんがだまそうとさえしちゃう。わたしはそんなにいい子じゃないもの」と。こうして、この子はしだいに「悪い子」を実現してしまう≫(70頁)に続けての引用。
〈教育〉的関係のもとでは、親や教師が今ある子どもを価値評価したり断定したりして、ある特定の「よりよい」方向へと変えようと望めば望むほど、子どもは逆にその価値評価や断定を実現しようとしてしまう。結局のところ、〈教育〉はその当初の目的さえも遂げることができない。(70頁)

世俗での子どもの「成功」を求めれば求めるほど、大人たち自身と現実世界が汚れていく。だからかえって逆に、世俗にまみれない純粋さや「無垢さ」が、汚れた自己を清めてくれるものとして、あるいはそうした自己から解放させてくれるものとして、大人の側から子どもに求められもすることになる。
 このように見てくると、「無垢なる」子ども像は、大人の〈教育〉的願望とその目標であると同時に、大人の側の強制的な〈教育〉行為をいわば「免罪」し浄化してもくれる、そうしたものとして要請され求められた、と言うことができよう。(95頁)

→灰谷健次郎的「子ども尊重」思想には、この池谷の指摘が当たっているような気がしてならない。

親の愛情は〈教育〉目的達成の手段であり、子どもは〈教育〉操作のたんなる客体であり、大人も〈教育〉のためにすべてを犠牲にしなければならないという点では、〈教育〉の奴隷にほかならない。しかもこの中で子どもは、親に呪縛され、そこから逃れることもできなくなる。(123頁)

80年代にかつてない高度情報・消費社会が到来し、子どもの世界を襲ったことである。今や子どもたちは、一方では、資本(大人たち自身)によって仕掛けられたこのサブカルチャーの世界に入り込むことによって、大人世代から自らを隔離しつつ(隠れつつ)、消費・情報を通じて同世代としての自己確認をしている。しかし同時に他方では、学校や社会では市民的権利への通路は保障されていないとしても、いわば「消費・情報的な市民」としては、大人との境界を越えて大人世界へと参入してもいる。(181頁)

→ポストマンは「子どもはもういない」を書き、「子ども期の消滅」の理由をテレビの普及に求めた。池谷は「消費・情報的な市民」という概念で「子ども期の消滅」を描いているようである。

子どもが大人と共同する場所があれば、意図的な〈教育〉がなくても、何らかの学習がそこでは行われるということである。すなわち、意図的な〈教育〉がなくても学習は存在するし、学習は〈教育〉から相対的に自律したものとしてある、ということである。たとえば、ヘアー・インディアンの社会のように、子どもの自発的な学習があっても、大人の側に〈教育〉的な営みがない社会もある。ここでは子どもたちは大人がしているのを見よう見真似で学んでいるのである。(195頁)

 この本の後半部は「性教育」を人々がどのようにとらえてきたかの時代史が語られる。
 昨年の8月にフリースクール全国ネットワーク主催の「子ども交流合宿 ぱおぱお」が早稲田大学早稲田キャンパスを舞台に行われた。オープニングのセレモニーの際、あるフリースクールの代表として壇上であいさつした子のセリフが印象的だった。
 「ここでは、普通に下ネタが話せるから、いい」
 学校において、下ネタはタブーである。それが自然に・普通に話せる環境であるということは、池谷が終章でも書いているように、フリースクールが子どもにとっての「居場所」であるからだろう。

アーレントの他者概念。

 読書会で使用するため、岩波書店の志向のフロンティアシリーズの『公共性』を読了した。アーレントをもとに公共性を説く。若干、理解に及ばないところもあったが、だいたいにおいて興味深い内容であった。

 悩みや葛藤・「ためらい」がある状態こそ人間の本源的状態である、と内田樹は言う。アーレントもその認識に基づいている(あ、時期的に見ても真逆か)。自己の中にひとつのイデオロギーが確固として存在している状態を、危険な状態だと彼女は指摘する。個人の中に多くの他者の声が響き、その中で悩み、考えることに人間の崇高さを説く。
 アーレントにとって、「他者」とはコミュニケーション可能な存在のみをさすのではない。重度の障害者や赤ん坊すらも「他者」と認識する。

 世界は他者の数の分だけ豊かになり、誰か一人が世界から退場することはそれだけ世界が貧しくなる、とアーレントは説明する。ここでいう世界とは人間世界だけでなく、「わたし」の内面世界のことでもある。
 異質な他者を尊重するのは、その分だけ自分の内面世界が豊かになるからである。異質な他者を排斥することは自分の内面世界をそれだけ貧しくすることにつながる。
 
 ひとりの他者をどこまでも尊重する(平易に言うと、「一人を大切にする」ということ)という行動は、自己の生命(=内面世界)を豊かにするための戦いであるともいえる。他者の他者性を尊重した分、自分の内面世界に「他者」が増え、より豊かに生きれるようになる。はずである。

イヴァン・イリイチ『生きる思想』より、「静けさはみんなのもの」を読む。

 「コンピューターに管理された社会」。イリッチの本講演はこんなテーマのフォーラムにおいて行われた。冒頭においてイリッチは「人間の真似をする機械が、人びとの生活のあらゆる側面を侵害しつつあること、そして、そうした機械が、機械のように行動することを人びとに強いること」(40頁)と述べ、それまでのフォーラムの議論をまとめている。「機械のことばをつかって『コミュニケート』することを強いられる」(同)ようになるという言い方で、人間の機械化を批判する。

 たしかに、現在の学校教育では「情報」の時間にパソコンの使いかたを扱っている。私も、小学校で「パソコンを使う際は、パソコンの動きを待つようにしましょう」と教わった記憶がある。あれは子どもという小さな主体者を、機械に従属させる存在に変えることを意図した授業であったのかもしれない。

 イリッチが人間の機械化を批判するのは、人びとが「自分自身を統治できなくな」(41頁)り、「管理されることを必要とする」(同)ためである。何故そうなるのだろうか。私は人間の主体性が機械によって浸食され、サービスや機械がないと何もできなくなる為であると思う。自分で行っていたものを外部(サービスや機械)に頼るようになると、自分で何も出来なくなるのだ。私はイリッチが各種論文(本書『生きる思想』や『脱学校の社会』)を書いたのは〈人間性の回復〉を訴えるためであると考えているが、機械の存在が人間性を奪っていくということをイリッチは伝えたいのであろう。

 論を進めるにあたり、イリッチは「コモンズ」と「資源」という二項対立を示す。下に両者を整理して書いてみる。

コモンズ[みんなが共有するもの]commons

「人びとの生活のための活動subsistence activitiesがそのなかに根づいている」(43頁)

「いりあい(入会)」という日本語に近い。

「人びとの家の戸口を超え出たところにあり、人びとの私有財産ではありませんでした」(44頁)

皆が利用できる雑木林など。

資源resouces

「現代人が生きていくために依存しているさまざまな商品を経済的に生産するのに使われる」(43頁)

「警察によって守られることを必要とします。そして、いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)

イングランドの牧草地など。

 「資源」のところに「依存している」という言葉が出てきたところに注目したい。イリッチは依存自体には批判的でない。それはイリッチ思想のキー概念であるコンヴィヴィアル(convivial)を、「相互依存」と示す訳者がいることからも分かる。問題なのは何に対する依存か、ということである。他者に対する依存であれば(助け合いということ)問題ないが、依存の対象がサービスや制度・機械であるならば問題になる。「資源」を批判するのは「商品」(ここにはサービスも入る)に依存してしまう結果となるからであろう。

 産業革命が起きた時(近代の初め)のイギリスでは「囲い込み運動」が行われた。入会地に柵を作り、資本家が自らのものとして扱う。それにより、入会地は「商品としての羊の群れを育てるための資源に様変わりした」(46頁)。この流れは、私有財産制度と登記制度により加速されたことだろう。日本でも近代の初め、「入会地」に所有者がついた[1]。国有地など公の所有[2]になったところもあるが、それにより自由にその場所を使用することが出来なくなった。「コモンズ」の消滅である。「コモンズ」にいた人びとは「土地を追われ、賃労働に追いやられ」、「絶対的に貧困化した」(46頁)のである。イリッチは近代の初めにおきたこの一連の出来事を批判し、もう一度中世の「コモンズ」の復興を呼びかけているのである。

 では、具体的にイリッチは復興した「コモンズ」像をどのように想像していたのだろうか。イリッチはメキシコ・シティの旧市街の話をする。「道端にすわって野菜や炭を売っている人びとがいるかと思えば、路上に椅子を並べてコーヒーやテキーラを飲ませている人びとがいました」(47頁)などと続く。「それでも歩行者は、ひとところから他のところへ移動するためにその道路を利用することができました」(同)。現在のイタリアの広場にあるバールをイメージすると良いだろう。ちなみに、バールとは喫茶店やバーのようなものである。島村菜津の『バール、コーヒー、イタリア人』(光文社新書)によると、次のようにある。

イタリアには、広場という空間がある。そして、この広場に寄生するようにしてあるのが、バールだ。多いところには何軒もある。バールのない広場は珍しいといえるほど、この二つは分けがたく、どうやって権利を手にしたものか、公共の場である広場に堂々とテーブルを並べている。(島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人』2007年、光文社新書、8頁)

 路上や広場に、様々な人やモノが入り乱れるような状態。それがイリッチの「コモンズ」の現代的イメージなのだ。

 なお、日本の「コモンズ」は「入会地」だけではなく、「路地」でもあった。日本では子ども社会の間にも存在したようで、それが教育学的には大きな意義があるように思える。鶴見俊輔の文章から示しておく。

モースというアメリカ人の動物学者が明治の初めに日本に来て驚いたんですね。東京には「路地」というのがあって、路地で年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいる。で、年長の子供が責任を持って、一種の共同体をつくっていると。彼はボストン近郊の出身で、そういう光景はボストンあたりにはないわけです。モースはそれにびっくりして、そのことを『日本その日その日』という本に書くのですが、これは大変重大なところを見ているんですよ。(鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社、2010年、8081頁、鶴見の発言から)

 かつて、路上は「コモンズ」であったのだが、近代化のため「通りはもはや人びとのものでは」なくなり、「いまや自動車やバスやタクシーや市街電車やトラックのための通路」(48頁)となってしまった。効率化/スピード化の結果(スローでなくなった)なのであるが、本来の路上にあった豊かな文化性がいっぺんに失われてしまう。その結果、「場所性」も失われどこに行っても同じような町並みになってしまった。いま山手線のどの駅で降りても、駅前にはたいていマクドナルドが位置している(現在の日本では個性的な「食堂」が消え、かわりに「吉野家」や「大戸屋」に置換されているように最近私は感じている)。

 では「コモンズ」を復興するにはどうすればいいのか。イリッチは「資源」が「警察によって守られることを必要と」(54頁)する、と指摘する。「いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)と本講演を締めくくっている。早稲田大学の側にある戸山公園でサッカーをするには、たしか公園側からの許可が必要だったと思うが、そういった許可制度の廃止をすることが最初の一歩となるのだろうか。

※本項目の冒頭にイリッチが《「コンピューターに管理された社会」という都留[重人]さんが提案されておられるテーマは、一つの警鐘のように響きます》(40頁)と語っている。この都留重人とはハーバード大学で名誉学位も受けた経済学者である。思想家・鶴見俊輔の師匠でもある。

 本文でも引用した『ぼくはこう生きている君はどうか』(鶴見俊輔・重松清)にはこうある。

私にとって生涯の師というのは都留重人しかいないんですよ。(…)日本のインテリはそのときどきに合わせて、権力の動きに合わせて変わっていくわけですよ。だけど都留さんは死ぬまで権力に同調して自分の考えを変えることはなかった。終生、私にとって必要な指針となったんです。都留さんは経済学者なんだけれど、何か個別的な問題に取り組んでいるときに、その問題よりもっと応用範囲が広いことを思いつく。それが哲学なんだ―と。そういう都留さんのプラグマティズムを私は引き継いでいるんですよ》(147148頁)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「静けさはみんなのもの」

掲載:『生きる思想』pp39-54

形態:「朝日シンポジウム『科学と人間―コンピューターに管理された社会』」での講演。

講演の実施日:1982321

講演の場所:東京


[1] 「日本」の一部となった朝鮮半島でも、同様のことが行われた。所有者の分からない土地は朝鮮統監府が接収した。山川出版の『日本史B』教科書には「これによって多くの朝鮮農民が土地をうばわれて困窮し、一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった」(274頁)と書かれている。日本に在日と呼ばれる人びとがいる理由の一つになったのである。

[2] わが故郷・兵庫県多可町の柳山寺(りゅうさんじ)地区では、年に一度公の財産の「松茸山」の使用者を決める話し合いが行われている(と、父に聞いた)。競りを行い、勝った人がその山からとれる松茸を一年間手に入れる権利が与えられる。おそらく、公の財産になる前は各人が勝手に松茸を採取し、勝手に食していたのであろう。10年ほど前に父が500円で購入した山からは、ついに1本も松茸をとることができなかった。代わりに怪しげな紫色の椎茸(みたいなキノコ)を採ってきて、父が食べていた。

クリステン・コル『コルの「子どもの学校論」』(新評論、2007年)

 デンマークの教育を、草の根から変革した人間、それがコルであった。19世紀に師匠・グルントヴィの教育思想を実践した人物だ。教育論者ではなく、教育者である。ヒラ教員の立場からでも一国の教育変革が可能であることを、コルは教えてくれる。

 本書はコルの残した数少ない書物のひとつ「子どもの学校論」の翻訳である。本書に通底するテーマ、それは「そもそも学校では何を行うべきか?」である。
 19世紀のデンマーク(あるいは現在21世紀の日本でもよい)では「死んだ」知識が重視されていた。読み書き計算(教育学者は気取って3R’sと呼ぶ)の習得が「目的」となっていた。無理やり読み書き計算を教えられることに、本当に意味があるのか? コルは考える。
≪書くことを教えるなら、子どもが「書きたい」と思うまで待つべきではないか? 筆算の仕方を教える前に、〈数とは、一体どんなものなのか〉子どもが分かるよう、身の回りから数について考えられるようにしたほうがいいのではないか? 本来ドラマティックな聖書の物語を、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」(153頁)させられるなんて、無意味ではないか?≫などと。
 それゆえ、コルは読み書き計算を無理やりに教え込もうとする現状に「No!」を叫んだ。教育現場における口頭による関わり合いを重視したのだ。コルは人間が語る「生きた言葉」による、対話の重要性を訴えた。清水満は本書の「解説」で次のように語る。

書かれた文字による教育が、すでにその文字を知り、多くの文献を知る識者が上から一方的にそれを教え込む上下の関係であるのに対して、「生きた言葉」による「対話」にはそのような専制的な関係が生じない。また、とりわけ教育の対象となる青少年たちは想像力と感性の豊かさに富んでいる時期であるから、理性的な文字よりも生きた言葉の音調、つまり耳の言葉で想像力を活性化させるにふさわしい存在となる。(200頁)

 コルが偉大であるのは、実践者であった点だ。自分でフリースコーレ(本書の清水満訳では「フリースクール」となるが、日本に存在する「フリースクール」とごっちゃになることを危惧し、ほかの訳者が使った「フリースコーレ」の語を使用した)を建設し、自分で運営をする。そこで育った子どもたちも、のちにフリースコーレを各地に作る。そしていまでは全デンマークに普及したのである。

 最後に、本書から印象深い言葉をいくつか引用しよう。

子どもたちの教育にかかわる者はみな、精神的に強い人間でなければならない。古代ギリシャにおいては、教育にかかわる人間がその国でもっとも精神的に強い人間であった。一方、古代ローマでは教育には奴隷を使ったので、ローマの教育レベルはそれに応じたものにしかならなかった。(139頁)

ただ、心から出たものだけが心に響く。良かれ悪しかれ、特別な訴求力をもつとされるものはすべて心の深いところでつくられ、そこから表出して言葉と行動へ向かわなければならない。表面的な生は、ただ浅薄なものと幻影を生み出すだけである。無知蒙昧な者にとってはそういう生があたかも実在するかのように見えるが、現実には存在しないのである。(141頁)

国家権力は私たちが思っているほど子どもたちを愛していないし、愛することはできない。私たちは子どもたちが好きだし、だからこそ子どもたちを一番よく元気づけることができる。そういう大事な事柄で、私たちは脇に立って傍観者のように見守るだけで満足するつもりはない。私たちは、子どもの教育の全責任を引き受ける。そして、援助を必要とする。私たちは、自分たちでこの援助を調達するので、国家はむしろそこから手を引かねばならない。(175頁)

 本当に最後は訳者の清水満の言葉。

グルントヴィとコルの伝統に連なるものとしては「教育の自由」がある。もともとはグルントヴィがイギリスの大学と市民社会から学んだ市民的自由が基礎になっているが、コルに率いられたフリースクール運動などによって地域の民衆が自分たちで学校をつくることができる自由として認められ、公教育ではない教育を少数者が行う自由という意義をもつようになった。いうなれば、デンマークの教育権は「教育を受ける権利」ではなく、自分たちで自分たちの考える「教育をつくる権利」なのである。(243~244頁)