教育論

学校で文章の書き方は教えられているのか?

 「学校」が作られたのは何のためか? 『子どもはもういない』の著者ニール・ポーストマンは〈読み書き能力が人々に要求されるようになったためだ〉、と説明する。それまで、子どもは「小さな大人」として扱われており、子どもと大人を分けるものは殆どなかった(アリエス『子供の誕生』)。けれども「印刷技術の発展を経て、書物を読むことが一定の階層や特定の職業従事者のみの問題でなくなった今、すべての民衆が文字の世界に参入することが重要な課題となってくる」(今井康雄編『教育思想史』)。読み書きというスキルの習得には時間がかかる。それゆえに「学校」の中に子どもを囲い込み、文字を習得させる時間と場所を用意したのだ。

 前に大学のあるクラスメイトのレポートを見せてもらったことがある。酷い出来だった。段落わけがなされておらず、引用の書き方もどこからが引用の始まりか、よく分からない。全体を読んでも意味が不明瞭。「悪文」の典型であった。読む気が失せてしまう。

 大学生のレポートが悲惨な出来であるのを見ると、文字を書くことができても「文章を書く」技術は習得されていないようである。しかもそのクラスメイトは早稲田大学生。早稲田合格者ですらそのレベルなら、他の大学生については推して量るべきである。

 読み書き能力を子どもに習得させるための学校であるのに、なぜか「文章」を書くことすらできない生徒を産み出している。それは何故か? 簡単に言ってしまえば、書き方を教えるはずの学校で、文章の書き方が教えられていないのだ。これでは「学校」が何のためにあるのか分からなくなってしまう。何のために子どもを実社会から隔離してまで学校教育を行っているのであろうか。

 大正デモクラシーが華やかなりし頃、日本では「新教育」という運動が起きた。児童中心主義の教育実践を呼びかける行動である。その中心人物・芦田恵之助(あしだえのすけ)が広めたのが生活綴方(せいかつつづりかた)運動だ。これは子どもが自らの「生活についての認識や感情を綴方(作文)に表現させ、そのことを、主として学級集団のなかで検討しあうことによって主体的な行き方を探求させ」る実践のことだ(『教育学用語辞典 第四版』学文社)。芦田から広まった生活綴方運動の最高到達地点が『山びこ学校』(無着成恭)である。無着成恭が自分の受け持つ小学生たちに書かせた作文を本にまとめたもの。有名な「雪」という詩は非常に情感豊かだ(「雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮らしているのです」)。他にも村で流行していた「おひかり様」というカルトに対し小学生たちが批判する文章も掲載されている。『山びこ学校』には詩や随筆ばかりか社会に対する批評までも納められているのだ。無着の実践では「文章を書く」ことが小学生に習得されていた。

 翻って今日の学校を見ると、「文章を書く」ことは本当に果たされているのだろうか。書き方を教えるはずの学校で文章の書き方が教えられていないなら、誰が教えると言うのだろうか。いま一度、生活綴方の伝統の復権が必要であるかもしれない。

里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、2010

 この本を私は、長野に向かうバスのなかで読んでいた。高速道路から見える緑の風景。ブラジル生まれの教育学者パウロ・フレイレが活躍したのも、こんな景色の中であろうか。残念ながらブラジルに行ったことがないので詳しくは分からないが。

 本書はフレイレ(1921-1997)の著書『被抑圧者の教育学』の解説書である。フレイレの教育思想は一体何をテーマにしたものであったかを、著者の里見は検討していく。

 フレイレは教員の一方的な教えこみによる教育を「預金型教育」といって批判をする。預金型教育は人を受動的にしていくからだ。タイトルにあるように、「被抑圧者」にさせられるのが「預金型教育」である。

 そうではなく、教員ー生徒、あるいは生徒どうしの対話による「問題化型教育」が必要であるとフレイレは主張した。彼の「識字教育」は「問題化型教育」の実践である。実際にブラジルの農村をまわり、フレイレは「問題化型教育」を行う。それが当局に批判され、ついには亡命を余儀なくされてしまうのであるが。

 フレイレが危険を冒してまで実践したこのねらいは何か? それは抑圧を受けてきたものが、教育を通じ、自分自身の主体者となることである。

「『読み手』として世界に向きあうこと、それをフレイレは『意識化』とも呼んでいます。(…)フレイレにとっては、識字は『意識化』と同義でした」(154頁)。

 つまり、フレイレの識字教育は世界を読み取る主体に人々を変えていく行為であった。これは受動的な存在から、主体的に世界に関わる存在へと転換することを意味する。「被抑圧者」が、教育によって「人間化」するのだ。「人間化、フレイレの教育学の、これが根幹です」(49頁)と里見はまとめる。フレイレにとっては人間化のために教育が重要なのだ。

 興味深いのは、フレイレが書いた次の記述である。「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすら、自由にすることができない」(85頁)。被抑圧者が「人間化」され、自由になるとき、はじめて抑圧者自身も自由になる。人が人を抑圧するということも「非人間化」されているのである。

 フレイレの本を読むと、あらためて教育の意義や「輝き」を感じられる気がする。

子守り学級に学んだ子どもの明治44年(1911)・卒業式答辞(旧開智小学校(長野県・松本市)に置かれていた資料)。

私共は不幸にして学校へもあがらず子守にまいりましたが先生やご主人のおかげ様で文字や子供のしつけ方などおしへていただき今日めんじょうをいただくことになりましてまことにうれしく思ひます。こののちは一そうべんきょうして御恩にむくひたいと思います。

明治四十四年三月二十五日

子守生徒総代

(原文は旧かなづかいが使用されている)

コメント

 当時、生活の都合上、子守りをしつつ学んだ一群の生徒たちがいた。写真を見ると、一つの教室に座机を並べ、赤ん坊を背負った子どもたちが座っていた。そんな状況で授業を行う(読み書きなどについてを)。教育のもつ、輝きを見るようだ。

 不覚にも、泣きそうになった。自分はイリイチ流の脱学校論者であるはずなのに。

「内職」の研究。

 授業中、関係ない科目を勉強すること。生徒の間では「内職」と呼ばれる行為である。なぜか教員は「内職」を目の敵にし、内職をする生徒を叱る。

 学校という空間において、なぜ「内職」という生徒文化が発生したのだろうか。なぜ生徒は「内職」をするのだろう。私が高校時代に常に内職をし続けたがゆえに、その点に非常に興味がある。そのため、現在の大学生に高校時代のことを振り返ってもらいつつ、調査を行いたいと考えている。

●先行研究:CiNiiで調べたところ、学校における内職の実態についての調査は存在せず、大学の授業改善の論文内で「内職を禁止させる」ものとして桜井の論部と川口の論文が紹介されているだけである。(桜井芳生 メディアのダーウィニアン社会学序説–IT時代における「内職・私語封じ」にもなる「大学授業改善(FD)テクニック」の紹介もかねて  地域政策科学研究、川口啓子 学生参加型授業の試み : 2005年度「福祉経済論」における学生たちの多彩な報告 大阪健康福祉短期大学紀要)

 それゆえ、今回は大学以前の段階での「内職」の実態を探る調査を行うことに意義があると考えられる。

 後述するアンケートを大学生に配布し、高校時代を振り返る形で調査を行えればと思っている。

●今後の問題意識としては、

「内職」という語は、いつ登場したか。

「内職」を、教員はどのように扱ってきたか。

「内職」を、なぜ教員は叱るのか。

…を研究していきたいと思っている。

●私の内職体験について。

 「内職」という文化の存在を知ったのは和田秀樹の受験勉強術についての本であった。中学生の頃である。受験に関係のない科目は内職をして勉強時間に変えろ、などの主張が印象的であった。私が内職を始めたのは高校1年生から。大学の付属校であるため、大部分がそのまま系列大学に進学するが、私は初めから外部の大学への進学を希望していた。そのために受験勝利を目指し、ひたすら授業中は内職をしていた。

 各種問題集を説き、単語帳(英語・国語)を開き、授業を半分聴きつつ勉強していた。そのように熱心にやることが「真剣さ」の証であると考えていた。

 結果的に、第五志望の早稲田大学教育学部に現役合格。これは内職のお陰なのか、内職をしたために「第五志望」合格であったのか、未だによく分かってはいない。

●アンケートの中身について。

以下の内容を考えている。以下、引用。

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 「内職」に関するアンケート。

①あなたは学校で内職をやっていましたか?

はい/いいえ

②「はい」と答えた方に質問します。

⑴いつごろから、内職をはじめていましたか。

小学校から/

中学校1年から/2年から/3年から/

高校1年から/2年から/3年前期(4~9月)から/3年後期(10~3月)から

⑵どのような「内職」をしていましたか(複数回答可)。

あ:授業中に単語カードを読む

い:授業中に授業科目の参考書を読む

う:授業中に授業科目以外の参考書を読む

え:授業中に授業科目の問題集を解く

お:授業中に授業科目以外の問題集を解く

か:授業中に授業に関係しない本(小説・新書など)を読む

き:授業中に授業に関係しない雑誌(漫画・週刊誌など)を読む

く:その他

⑶「その他」と答えた方に質問します。具体的には、どのように内職をしていましたか。

⑷内職をしていたのは何故ですか。

あ:受験勉強を進めるため

い:授業がつまらないため

う:暇であったため

え:授業についていけないため

お:教員が嫌いだったから

か:友人が内職をしているから/内職を薦めるから

き:その他(内容をお書きください                )

⑸内職をしていた教科は何ですか(複数回答可)。

英語(リーディング)/英語(オーラルコミュニケーション・文法)/英語(ライティング)/数学1・A/数学2・B/数学3・C/現代文/古典/漢文/日本史/世界史/地理/倫理/現代社会/政治・経済/物理/化学/生物/地学/保健・体育/家庭/芸術/総合学習

⑹内職をして、教員に見つかったことはありますか。

ある/ない

⑺⑹で「ある」と答えた方に質問します。

その際、教員の反応はどうでしたか(複数回答可)。

あ:叱られた

い:黙認された

う:その他(具体的にご記入ください                   )

③あなたについてお答えください。

⑴あなたの出身高校はどちらですか。

国立/公立/私立

⑵あなたの出身高校名をお教えください(任意)。

       高校    科

⑶あなたの大学はどちらですか(任意)。

      大学       学部     年

ご協力、ありがとうございました。

イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシックス、1998年

 フーコーの関係で言うと、「生涯教育」は一生涯のディシプリンである。恐ろしいことであり、人間はいつまでたっても自由に/わがままに生きることができなくなってしまう。

 イリイチはこう語る。もともと、教育の場では限られた場所(学校)で限られた時間に、限られた教科の手ほどきをうけるために教師の前にさらされていたが、「新しい知識の商人はいまや世界が自分の教室だと考える」(197頁)。たえず「学び続ける」ことが強制されるのだ。一見、自律的に見えるが「ムリヤリ」やらされる自主学習であることを見落としてはならないはずだ。イリイチは続ける。「教科の教師は自ら教科をあえて学ぼうとする非学生のみを資格なきものとすることもできたが(藤本注 これも、非常に皮肉で面白い。自発的に学ぶ学生はもはや学生ではないのだ)、一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練」「政治化」の新しい管理者は、自分が同行しない行動様式をすべて一般大衆の眼の中で貶めようとするのである」(197~198頁)。「一生、くりかえされる「教育」「自覚化」「感性訓練(フーコーの「規律・訓練」だ)」「政治化」」というのは、まさに生涯学習や生涯学習の批判になるものだ。本来、学びは勝手にやるものである。やらなくても別に構わないものだ。それが本田由紀のいうポスト産業社会型スキルでは常に学び続ける姿勢やモチベーションや「さわやかさ」が求められる。人々が無理矢理学ばされ、それを「生涯学習」という美談でまとめてしまっている。恐ろしきことではないか。

イヴァン・イリッチ著、金子嗣郎訳『脱病院化社会 医療の限界』晶文社クラシックス、1998年

環境教育は本当に必要か?

 環境教育について、昨日大学院の授業の中で議論になった。方法論についてが問題となるなか、私は「そもそも環境教育は不要ではないか」という発言をし、非常に「浮いた」存在となった。皆が思うほど、環境教育の自明性は確立していないのではないかと感じたために私は質問をしたのであった。

 いま地球環境は悪化している。「だから」環境教育をしないといけない。どの論者の意見にも、この論理が含まれている。私はそれに対し、「なんで?」と感じる。地球環境の悪化はよくわかる。ではなぜ環境教育の実践が必然となるのだろう。
 学校「教育」にはお金と時間がかかる。「やったほうがいいこと」と「やらなければならないこと」を区別し、優先順位の高い「やらなければならないこと」に費用と時間をかけていくことが必要となる。環境教育を、多くの人は「やらなければならないこと」だと認識しているため、私の昨日の発言は「浮いた」ものとなるのだろう。私の認識では環境教育なんて所詮は「可能なら、やったほうがいいこと」である。お金と時間が余っていたらやろうかな、のレベルである。
 例えば、私も習った高校の「現代社会」教科書にはインフォームドコンセントという言葉があった。これを言葉だけで知っているだけでなく、実際に行うという体験学習をしたほうが生徒には深く理解することができる。でも、それをやらない。何故か? 必要性が低いと感じられているためである。それでも、人によっては「やるべきだ」という論者もいる。

 「ノーベル賞取得者を増やす教育を」という提言も、一昔前に出された。これは実践もされないままに忘れ去られようとしている。何故か? これも必要性が低いと感じられたためである。
 私は納得できないが、環境教育はどこかの時点で人びとに「必要性が高い重要な教育だ」との合意が形成されてしまったのだろう。ただ憂えるべきは実際に教育を受ける側が、たとえ嫌がったとしても「環境教育」を受けなければならないということなのである。
 環境教育において、これを学校で行う限り、「反環境」的意識を持つ人びとは排斥をされるか悪い評価を与えられてしまう。個人の心情を教育機関が「評価」し、価値付けを行ってしまう。環境教育のように、目指すべき方向や結論がハッキリしたものを学校で行うことは茶番のような気がしてならない。
 

フリーについて。

いまパソコンで文章を打っているが、これを誰かが盗み見て管理することは可能である。いまの技術では人間の興味関心をgoogleが管理し、その人向けの広告を提示する。苫米地も言っているが、無料で(フリーで)何かを得るということはその分自由を喪失することになるのだ。そして、この無料による支配は国家がかねてより行っていたことなのだ。
 たとえば無料の学校制度。近代公教育の3つの前提は①義務制、②無償性、③宗教的中立であった。②の「無償性」がなぜできるかというと、それは国民を国家が統制するためである。もっと言えば近代的な「国民」を作り出すために、おこない始めたのが公教育なのである。この「国民」は近代社会の労働にも耐え、「国家」という幻想の共同体思想を信じるという人々のことである。つまり、無償で行ってもその分のリターンがあると信じているために無償性の教育制度ができたのだ。決して、啓蒙的精神を人々に与えるためや「子どもの幸福のため」にできた制度ではない。
 そこから考えれば、国家がフリースクールなどのオルタナティブスクールを恐れる理由がよくわかる。なぜならばわざわざ「無償」で提供している公教育を否定して「ここに本当の学びがある」「本当の教育がある」と訴えかけるからである。どんどん国家の策略が崩れていってしまう。故に国家としてはフリースクールは廃止したい。けれどそうしないのは、「不登校」という現象の方が、国家にとってはより深刻な「公教育否定」であるからだ。わざわざ無償にしているのに、登校しないなんてどういうことだ、と。
 ちなみに、1999年にはイギリスのサマーヒル・スクール(フリースクールの本家)は廃止されそうになり、抵抗を示すことで存続できることとなった。国家は廃止のタイミングを目指している。

里見実『学校でこそできることとは、なんだろうか』太郎次郎社エディタス、2005年

 本書は近代学校教育を批判するという「よくある」本である。けれど、1点違うのは〈「学校」がダメなのはよくわかるが、逆に学校でこそ出来ることはいったいなんであろうか〉という点である。著者はデューイやフレネの行う経験主義に基づく学校教育のなかに、今後の「学校」教育のヒントを求めている。

個のレベルでの学びを大胆に追求した教育実践家たちの多くは、学習の個別化と学びの共同性の追究を、二律背反のこととは考えていない。一方の深化は他方の深化をうながすのだ。(47頁)
クラスをもった教師たちがまず最初にとりくむのは、学級づくりであり、あたたかで協力的な子どもの関係性をつくりだすことだ。勉強そのものよりも、この子どもの関係づくりに教師は自分をかけているといっても過言ではないだろう。それがなければ「勉強」も進捗(石田注 しんちょく)しないことを熟知しているからである。(51頁)
たんなる情報蓄積型の学習ならば、共同性は、おそらく無用であろう。昨今、学力向上の名目で、いわゆる「学習の個別化」、そのじつは「学習の一律化」が推奨されるのは、その学力観が徹底的に情報蓄積型であり、同化・吸収型であり、預金型であるからだ。こうした学習像の行きつくところ、それは、電子メディアによる「学習の個別化」の徹底、その「能率」化、すなわち学校の解体であると思われる。そうした「ポスト学校」社会へのシフトは、教育産業だけでなく、今日の学校の内部で、すでにはじまっているといってよいだろう。
 だからこそいま、学校で何が可能かを、われわれは深刻に問わなければならないのだ。(52頁)
→「銀行型教育」はフレイレが批判した概念である。「銀行型教育概念にあっては、知識は、自分をもの知りと考える人びとが、何も知っていないとかれらが考える人びとに授ける贈物である」(フレイレ『被抑圧者の教育学』67頁)。このとき生徒は教員の言葉を頭の中に「預金」するのみであり、その預金を活用することがない。教員―生徒の間に「対話」は成立しない。ゆえにフレイレは「課題提起教育」という教員―生徒間の「対話」が成立する教育法を提唱したのであった。そのときに「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師teacher-student with students-teachersが登場してくる」(同81頁)。
習熟主義的な「学力向上」は、最終的には学校否定に行きつくことになるのではないかと、ぼくは思っています。つまり、それは学習を本質的に利己的なもの、個人主義的なものとしてとらえていて、他者とのやりとりのなかで解発され、高められていく場のなかの行為としてはとらえられていないのです。となれば、学習の成否を一義的に規定するのは、その子どものアタマのよさ、遺伝子的に決定された知的能力といったようなものになっていくでしょう。それはなんとも「貧しい」学習ではないでしょうか。(199頁)
→ここで里見が言う点は、非常に重要な概念である。正統的周辺参加論legitimated peripheral participationを思い起こす。「徒弟制度などの下で、新参者が当該の実践的共同体の営みに参加することを通して、古参者からその知識や技能を修得していく過程を学習論として一般化した理論である。この理論によって、文脈を欠いた知識や技能を個々に獲得するのではなく、本物の実践を組織することで状況の文脈に埋め込まれた学びを共同的に展開することの重要性が指摘された」(浜田寿美男「正統的周辺参加論」、佐伯胖編『「学び」の認知科学事典』大修館書店、2010年、118頁)。「学び」は個人的プロセスである点は否めないが、集団内だからこそ学べる点もあるのである。それが「暗黙知」であったり、「こつ」であったりする。
*『「学び」の認知科学事典』より、暗黙知について。「暗黙知(tacit knowledge):実戦的経験からインフォーマルに獲得された非言語的な知識。学校や書物を通して教えられる形式的、言語的な知識と対比される」(楠見孝「大人の学び」、同書257頁)。
 なお、解発とは「特定の反応または行動が一定の要因によって誘発されること」(『広辞苑』第5版)。
事物とかかわり、また他者と恊働する場を保障しないかぎり、個人の成長もまた期待しがたい。社会成員としての人間の成長と個人の個性の開花を、デューイは二項対立と考えませんでした。それを対立項にしてしまう社会と教育のありかたこそが問われなければならないのです。(205頁)
 最後に、後学のための引用。
約束の土地であった西部のフロンティアが消滅した十九世紀の後半以降、学校が新しい「西部」として登場したと、『アメリカ資本主義と学校教育』の著者、S・ボウルズとH・ギンタスはいう。学校の階梯をよじのぼることによって、貧困や肉体的苦役から個人は解放されると期待された。そしてこの競争は、すべての者にたいして均しく開かれており、チャンスは平等で公平でなければならなかった。それこそがアメリカの民主主義の証たるべきものであった。(18頁)

山口昌男『いじめの記号論』(岩波現代文庫、2007年)

柳田国男は、子供は彼ら自身の独立国、共和国を築いていたといういい方をしています。ガキ大将もいたけれども、子供は仲間で遊ぶ。お互いに学校に行くようになっても、だいたいその圏内にある全員が面倒を見合う。子供組というきっちりした関係でなくても、子供たちにはいわば自主的な遊び仲間があったといっています。そのなかである程度いじめられるかもしれないけれども、それは鍛えるという意味があって、陰湿ないじめではなかった。(92頁)

 かつての子どもコミュニティを≪子どもの共和国≫と呼んでいたセンスを、私は興味深く思う。この共和国は大人が作ったものではなく、子どもたちが自然発生的に作り上げたものだ。
 子どもの共和国はおそらく、構成員を少しずつ変えながら変遷してきた。橋本治の『勉強ができなくても恥ずかしくない』(1)には、そんな子どもの共和国が描かれている。その中では中学生になると、そのコミュニティから去るというプロセスが描かれていた。気付けば参加していて、やがていなくなる。子どもの共和国の構成員は流動的なのだ。地方では子どもの共和国をさかのぼると自分の父母や祖父母、そのまた前の先祖、地域に人が住み始めたころまでさかのぼれるものもあるかもしれない。

たとえばすぐ塾へ行かなくちゃいけない。塾は、仲間をつくるためではなくて、仲間をつくらないために行くところでもあるわけです。子供の遊び仲間の代替物にはなりません。遊びの塾までができるような世の中では私のいうことは通用しないのかもしれません(93頁)

 山口の言うことは、以前私が書いた『子どもにとって「夕暮れ」とは何か?』と関連があるように思われる。仲間を作るという働きを奪うために、あえて塾に行かせる。「地域の子と遊んじゃ駄目よ」といいつつ。地域の多様な子ども集団(これも郊外化で大分幻想になってきたが)でなく、「塾」という同質の集団内にいさせようとする。子どもが異質な他者と出会う場を奪っているのだ。私が「夕暮れを子どもから奪ってはいないか」というのは、夕暮れが子どもが他者(地域の子どもや大人、異界など)と出会う時間帯であったからである。

 …まあ思うのは、「ガキ大将」も神話だったのではないかという点である。日本全国どこでもガキ大将はいたのか? そんなことはないだろう。いるように皆が信じているから、いたように感じられるのではないか。同様に、「ガキ大将を中心にした子ども社会があった」と聞くことがあるが、これも一種の神話あるいは都市伝説だったのではないだろうか。

 あと「子供組」はあくまで子どもの自発性から生まれた概念であるが、現在の「子ども会」は大人が中心に作ったものだ。ともすると、大人が押しつける子どもコミュニティになってしまう。小学生の時、少年野球チームの名前に「中町スポーツ少年団」というものがあった。スポーツをする集団を大人が無理に作ってはいなかっただろうか、と思うのである。
 この件が重要なのは、よく「教育活性化」と称して大人が子どものために何らかのコミュニティを作りだすことがある。あるいは自分がやりたいからと言って、「フリースクール」を作る者もいる。子どもの内発性に基づかず、外発的な集団。確かに成功して子どもが喜ぶこともあるが、子どもの自主性に応じていないため子どもの興味がなくなることもままある。そんなとき、大人は「こんなに俺が頑張っているのに、何故この子は楽しまないのだ」とフラストレーションがたまる。小学生の少年野球時代、えらく理不尽にコーチから怒られていたことを思いだす。〈コーチたちは楽しみのために野球をやっているのかもしれないけれど、僕は小学校の皆が野球チームに入っているから仕方なくやっているだけなのだ。どうしてそんなに怒られないといけないのだ〉と感じつつ、プレーをしていた。
 大人が自らの興味に基づいて「子どものため」と称して何かをするのは間違いではないか。子どもの内発性を信じようではないか。子どもに自由を与え、そこから出てくるものを採用することこそ、これからの時代にふさわしいのではないだろうか。 

なぜ妖怪物語の舞台が高校に移ったのか?

 『かのこん』というアニメを見た。主人公・小山田耕太(おやまだ・こうた)はいつも源ちずると犾森望(えぞもり・のぞむ)という「恋人」たちに振り回されるという単なるラブコメ(ただしR指定が付く)。ちずるも望も実は「妖怪」で、物語の裏テーマに妖怪との共生が描かれている。

 観ていて一つ気づいたことがある。それは《妖怪の出る高校》が舞台である点だ。

 90年代後半に連載されていた『地獄先生ぬーべー』と『かのこん』は非常に似ている。妖怪の出てる学校が舞台で、登場人物達はその妖怪に振り回され、主人公の活躍で妖怪が退治される、というストーリー運びに共通性が見られる。違うのは『ぬーべー』が小学校が舞台なのに対し『かのこん』は高校が舞台であるという点だ。
 昔から妖怪と出会う物語の主人公は、学齢期以前か小学校の年代の子どもであった。座敷童が見えるのは小学生低学年ごろまでであった。『となりのトトロ』では二人姉妹がトトロという妖怪(と言って悪ければ異界の存在)と出会う物語であり、『ゲゲゲの鬼太郎』は鬼太郎と小学生たちの交流を描いた物語であった。
 一昔前は妖怪が見える(言葉をかえるなら「異界と出会える」)のは小学生までの子どもであった。けれど『かのこん』において妖怪と出会うのは高校生。段々と妖怪と出会う物語に出てくるキャラクターの年齢が上がってきているのだ(アニメ化されると言うことは「高校生が妖怪と会うなんてありえない」と言う声よりもこの舞台設定を受けいれる読者が多いということを意味する)。
 昔、妖怪を含め「異界」と出会うのは文字通りの「子ども」のみであった。彼らはよく世の中を理解できないため、説明不可能なものを「妖怪」と感じたこともあっただろうが、「子ども」でしか見えない/出会えない世界があった。それが「異界」であり、「妖怪」であった。異界は成長するにつれて、段々見えなくなっていく。そのため、以前ならば中学校以上を舞台にした「異界」「妖怪」ドラマは成立しなかった(というか、読者というオーディエンスの側が受容したがらず、物語が作られることがなかった)。いま『かのこん』という高校を舞台にした妖怪ドラマが存在しているということは、その分、妖怪の存在を受容する年齢が上がってきたことを意味しているのだろう。
 いまのところ、「大学」に異界が広がるアニメやドラマは存在しないように思える。しかしそれも程度問題である。知らない間に大学を舞台にした異界との出会いを描く物語が登場することだろう。そうなったとき、日本人の「幼稚化」はさらに進むであろう。
 あるいは異界と現実が混じり合っていた中世に逆戻りするのかもしれない。ポストモダンとを中世回帰のように認識する人もいるが、それこそ日本の未来の世界ではないだろうか。
 スピリチュアルな言動を見聞することが最近多いが、「異界」との出会いを人々が求めている証拠と言えなくもない。
追記
 民俗学では「妖怪が見える」ことを非科学的だ、と批判することはない。「なぜ妖怪談義が語られるか」に問題意識を持つ。同様に「何故子どもは妖怪物語の主人公になるか」と言えば、それは子どもという存在がカオスに包まれた存在だからである。
再帰
 冒頭の「妖怪との共生」について。
 本作では耕太少年はちずるという先輩に振り回されつつも彼女を受容し、彼女を愛そうとする。それが「妖怪」との恋愛であることを百も承知で、耕太は日々生活を送っていく。ちずるの「母」たちが耕太少年へのテスト(結婚することを見越した上で、ちずると耕太を結婚させるべきか否かのテスト)を行っても、耕太とちずるの仲は深まっていく一方であり、周囲からも承認を得られていく。
 多文化共生社会となった昨今、我々は異質な「他者」と共生を余儀なくされる。ちずるが「妖怪」であることは、「他者」概念の比喩なのではないか。つまり、他者との共生を「妖怪との共生」に置き換えることで、このドラマは急に現代的テーマを持ってくるのである。
 映画『ビッグ・ファット・ウェディング』には保守的ユダヤ社会と陽気なギリシャ社会との「共生」の困難さとそのダイナミズムが描かれる。『ビッグ・ファット・ウェディング』では新郎側が在米ギリシャ人コミュニティに加わることで共生(ここでは結婚)を実現していた。結婚することが決まっても、共生をスムーズに行うためあえて時間をかけて新郎側と新婦側が交流をしている。『かのこん』でも「新郎」である耕太少年が妖怪社会を受容することで源ちずるとの共生を実現させようとしているのである。その受容と妖怪コミュニティからの「承認」には時間がかかるため、本作(アニメ版)では「一線を超える」ことなく恋愛関係を続けている。
 結論。「共生」にはコミュニティへの受容が必要である。そして受容され「承認」されるには時間が必要である。下手をすれば結婚を決めるまで以上に時間がかかることもあるが、それを素っ飛ばして結婚しても、結局はうまくいかない。
 従前は親やコミュニティが結婚相手を決めていた。その際、新郎側と新婦側のコミュニティの間に受容と承認のプロセスが存在していた。結婚が「愛し合う二人の問題」になった現在、新郎・新婦両コミュニティの承認なく結婚関係を行うことが多くなった。『かのこん』や『ビッグ・ファット・ウェディング』は、異文化を持つ相手と結婚をする際には両コミュニティとの間で受容と承認のプロセスを持つべきであるということを描いた作品なのである。