教育論

テキスト論で読む小説『エミール』

テキスト論で読む小説『エミール』

 ルソーの書いた教育小説『エミール』は、終始エミール少年の家庭教師の目線から書かれた物語である。これを一種の教育実践記録として読むとどのような読解が可能かを少し試みたい。
本書『エミール』では教員のみが語ることを許され、エミールの発言は教員によって記録されたもののみが残る。エミールには自由に発言することが許されなかった(発言してもどうせ教員の選んだ言葉・教員がきれいに解釈した言葉しか残らない)。小説内には掲載されていないだけで、実際のエミールは教員に相当反発をしていたのだと考えられる。小説『エミール』の世界では、教員が生殺与奪の権を持っている(窓ガラスを割ったエミールが凍える寸前までいくことからして、文字通りの意味を持つ)。教員の想定したルートを通らない限り、エミールは記録されることも物語ることもできない(消極教育を謳った小説『エミール』内の実践が、実は教員のこまかな計画のもとに行われていたとの指摘はかねてより多く存在する)。教員の教育計画上の予想通りに行かない場合、小説内では教員の失敗ではなく、エミール自身の失敗として処理される。
考えてみれば、小説『エミール』の成立する環境自身、異常なものである。エミールは田舎の一軒家に、両親から切り離され、尊敬を要求してくる教員と、二人だけの生活を幼少のころから押し付けられてきた。教員が幼児性愛者・同性愛者であった場合、エミールは記録されないが数知れない虐待を受けていた可能性が考えられる。教員が仮に変態性愛者であると考えた場合、小説『エミール』の持つ意味は変わってくる。エミールへの性的虐待の疑いをかけられた(実際に虐待しているかもしれないが)教員が、自分の正当化(言い訳)のためにエミールとの「関係」を美しく整理・記録・公刊した実践記録であった可能性が出て来るのだ。
ブルジョア家庭しか家庭教師を雇えない時代に、エミールは幼少時より家庭教師を付けられて育った。実家は相当な財力を持っているわけだ。しかし教員の教育の成果は、エミールを手工業者に変えただけであった。実家を継ぐという話も、「帝王学」を学ぶという話もいっさいなく、小説後半では両親・実家の姿が完全に消えていく。両親も実家も健在である場合、(a)エミールが教師にさらわれたと考えることも、(b)エミールが教員になつき実家を捨てたと考えることもできる。が、(a)・(b)両方とも我々の眼には不幸な出来事して読み取ることができる。家庭教師の自己認識的には最高の教育をおこなったはずであった。泥棒から貴族まで、教え子が望む生き方ができるようにする教育を、教員がエミールに与えたはずであった。その結果が自営業の手工業者とは、なんともお粗末な実践であったと言わざるを得ないのではないか。

実は『エミール』には続編が執筆されている。続編の『エミール』は教員ではなくエミール目線から書かれた書簡形式の小説である。恋人ソフィーとの苦い別れと教員への一応の感謝が述べられている。先ほどの実家との関係は、やはり文書として登場してこない。形式上、文書中ではエミールはこの書簡を出すかもしれないし、出さないかもしれないと留保して記録している。
この書簡をエミール少年自身が書いたと見る場合、①手紙を元教員に届け、元教員が公表したという見方と、②エミールは元教員に書簡を出さなかったが内容を公開した場合の2つのケースが想定される(読者の目に私的な書簡がさらされているということは、誰かが何らかの意図を持って公刊したというわけだ)。①の場合、書簡中の教員への賛辞は文字通りの意味をもつ。純粋にエミールは教員に感謝しているのだ。本書簡を読者が読めるのは当然①か②の手法によりどこかに公開されたためであるが、①の場合は教員の教育実践の最終的成功を暗示する内容になっている。
②の場合、話は逆になる。エミールは確かに教員に手紙を書いたのだが、教員に届けることを選らばなかった。教員への感謝の念も記された本書簡を届けたくはなかったのだ。けれど本書簡は公開され、読者は『ルソー全集』に収録されたものを目にすることができる。とすれば教員への感謝の念は本物ではなく、あくまで儀礼的に書いたものであるという読み方ができる。わざわざ本書簡を公開するということは、教員に届けるつもりではなく、形式的に書かれた教員への賛辞を世に示すことで結果的に家庭教師の教育実践の最終的失敗を示しているのである。エミールの復讐ともいえる。先に挙げたようにエミールが性的虐待を受けていた場合、教員への異議申し立ての意味合いがあったのだ。

補足

無論、これを矢野智司の「贈与」枠組みで説明することも可能であろう。「私」ことエミール自身が家庭教師の教育=贈与をあえて否定することで、自己の生き方を構築するという意志のあらわれを見てとることができるからだ(むしろ石原千秋の『こころ 大人になれなかった先生』の図式に近い)。

あるいは私はルソーの専門ではないのでわからないが、あまり有名でない『エミール』続編をルソーが実は公刊せず、手元に原稿として残っていたものを後世の研究者が整理して発刊したのかもしれない。その場合、積極的意図なしでエミールの書簡が公表されたという結果となる。その場合、①と②の図式が崩れてしまうことは言うまでもない。

授業中の内職の持つ意味 軽い考察

 Second bestとしての内職。授業中に「内職」によって学習を行うということは、自習室で学ぶよりも恐らく困難な行為であると考えられる。内職に関するアンケート調査より、教員に隠れて行われる内職が多く存在することが読み取れるためだ。人間の集中する能力から考えると、内職は一人で学習するよりも困難になる。
 しかし、内職は現になされている。教室から出て行き、別の場所で学習をする選択はあまり取られていない。それは内職という次善の策で納得/満足するようになっているからだ。竹内の図式で言うと縮小cooling-downになる。
 内職は自発的にやるものであると言うことは、アテネ(2001)に現れている。授業が自分に役に立たないと認識される場合、授業時間と授業空間を有効に活用するために生徒は内職を行う。これは自発的である分、自らが選択したことになり次善の策であっても納得をせざるを得なくなる。次善を選ぶという縮小作用は能動性が伴うからこそ冷却となるのである。なお、この図式は竹内洋が『選抜社会』で記録した内容でもある。納得の構造が内職において成立していると言える。
 生徒が内職を行っても、ゴフマンがいうように最低限の敬意を表していることは否めない。生徒にとってはあくまで授業を乗り越えるため・受験勉強を行うためという選択になるが、教員にとっても内職をされることで少なくとも教授行為自体は成立した構図が維持される。また、受験勉強を進めることになるため学校側も進学実績を入手することができる。内職は教員ー生徒双方に有効な戦略であったのである。

PISAの調査結果報道から見えてくること  ~各紙社説の検討から~

0、目次

 本稿は以下のように構成されている。

1、はじめに
2、「社説」から見えてくること
2.1. PISA調査の重要度認識の違い
2.2. 内容の検討
3、調査結果の社説報道の問題点
3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識
3.2.教育問題を煽る社説
3.3. 他のアジア諸国への言及
3.4. 社説の最終部分の記述
4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策
4.1. 教育問題の「格差」性への検討
4.2. 教育目標の検討
4.3. 教員の自己教育力の養成
5、終わりに
6、参考文献

1、 はじめに

 PISAの調査結果をもとに日本の義務教育の内容・方法について考察を行うのが本稿のテーマである。そのために、まずはPISAを巡るマスメディアの言説を探る点から行っていく。
 本稿では各紙に掲載されたPISA2009年調査の結果を受けての「社説」の内容の検討を行う。対象となるのは全国紙5紙(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞・日経新聞)に地方紙1紙(東京新聞)の朝刊である。なお、本稿では各紙を略称で扱うものとする。
 図表1に、検討する社説の掲載日とタイトルをまとめている。

図表1 検討する新聞社説と掲載日の一覧

新聞名 掲載日 社説タイトル
読売 12月9日 国際学力調査 応用力を鍛えて向上めざせ
朝日 12月8日 国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 12月8日 国際学力テスト 向上の流れを確かに
産経 12月9日 国際学力調査 「8位」で手綱を緩めるな
日経 12月8日 「考える力」をどう育てるか
東京 12月9日 国際学力調査 順位に一喜一憂ではなく

2、「社説」から見えてくること 

2.1. PISA調査の重要度認識の違い

図表1をみると、PISA関連の社説の掲載日には2010年12月8日のグループ(朝日・毎日・日経)と9日のグループ(読売・産経・東京)の2つがあることが分かる。
12月9日にPISAに関する社説を掲載した読売・産経・東京も、8日の1面にはPISAの記事を掲載している 。1面に掲載するほど重要であると認識されたPISA調査について、社説で取り扱うのが9日になった理由は一体何であるか。それは、12月8日の社説においてPISAよりも重要だと認識される内容を、社説で取り扱う必要があったためであると考察できる。図表2に12月8日の各紙の社説をまとめている。

図表2 各紙の12/8の社説

新聞名 上段/下段
読売 日米韓外相会談 中国と連携し対北圧力強めよ/諫早湾開拓訴訟 「開門」命令が問う政治の責任
産経 民社「復縁」 数合わせで国益害するな/日米韓外相会談 連携して対中圧力強化を
東京 菅内閣半年 課題に挑む気迫感じぬ/日米韓外相会談 中国も北の暴走止めよ
朝日 朝鮮半島 外交で打開する以外ない/国際学力調査 根づいたか「未来型学力」
毎日 日米韓外相会談 中国は「北」説得に動け/国際学力テスト 向上の流れを確かに
日経 中国は北朝鮮の蛮行封じ込めへ行動を/「考える力」をどう育てるか
斜体はPISAに関する社説である。

 各紙社説に日米韓外相会談に関する社説が掲載されている点は6紙共通の特徴である。2枠ある社説欄のもう1欄において、読売・産経・東京はPISAではなく「諫早湾開拓訴訟」(読売)・「民社『復縁』」(産経)・「菅内閣半年」(東京)と、いずれも政治面、特に政府批判の内容を掲載している。朝日・毎日・日経のように8日にPISAの社説を掲載しなかったのは、読売・産経・東京が政府批判の文脈が強いためであると考察できる。つまり、PISA調査よりも政府批判の社説掲載のほうを優先したと考えられる。
 今回のPISA調査結果において、日本の子どもの学力が改善したと報道をされている。読売・産経・東京にとっては現政府の政策の取り組みを肯定する評価を下すことになる。そのためあえて社説発表を9日にずらした可能性を考察することができる。
 実際、読売・産経・東京のPISAに関する社説では、民主党政権への批判が取り上げられている。読売は全国学力テストが「PISAと同じ応用力を問う問題が出される」意味合いで有効と述べたのち、「民主党政権はコスト削減を理由に抽出方式に変えたが、全員参加方式に戻すべきだ」と記述している。産経は「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢に欠ける」と言及。東京は「国を挙げての〝受験対策″が軌道に乗り始めただけだ」と指摘する。いずれも現政府への批判となっている。一方、朝日・毎日・日経では政府批判の内容は掲載されていなかった。
 政治的色合いのもとで、各紙はPISA調査に関する内容を報道していることが見て取ることができる。
 なお、産経・読売については筆者の想定する「ストーリー」を述べたいと思う。一般的に保守的とされる産経・読売は、今回のPISA調査で日本の順位が上がったことを真っ先に報道したいと考える。いわば「国益」とも言えることだからだ。しかし、現状は「民主党政権」である。素直に日本の順位が上がったことを述べてしまうと、現政府に花を持たせることになる。そのためにあえて12月8日に現政府批判の社説を掲載し、翌日にPISA調査に関する社説を出したのではないか。その際も、「民主党政権」への批判を書くことを怠らずに行うことで自社のスタンスに反しないようにしているのである。

2.2. 内容の検討

 朝日の社説では「日本の子が苦手とされてきた「読解力」の分野で、国別順位が改善した」ことを述べたのち、「だが、21世紀を生き抜くための力が日本の子どもたちに備わってきたと、本当に喜んでよいのだろうか」と指摘する。「言葉という道具を駆使して他人と交わり、考えを深め、社会に役立ててゆくような力強さはまだまだ。そんな日本の子の姿が浮かぶ」とまとめた後、「朝読書」などの事例を述べている。しかし全体として何が言いたいのか不明瞭になっている。
 日本の新聞メディアにおいて、今回のPISAの調査結果を「改善」と見る動きが強い。しかし、「社説」では記者がいろいろ「本当に喜んでよいだろうか」(朝日)などと教育内容を煽る。その割に記者が提案するのは「朝読書」(朝日・東京が言及)のなかで「感想を話し合い、違う意見もとりいれて発表する」(朝日)など、教育学プロパーから見て低レベルな内容でしかない。
 新聞記者の視点にはリテラシー能力向上の「手法」は「朝読書」くらいしか入っていない点に注意をしたい。
 教育行政全体の変革を述べていたのは毎日と日経のみである。毎日は「状況を大きく前進させるには入試改革が不可欠だ。思考や表現を重視する授業を普及させるには高校、大学が手間をかけた試験を避けてはならない。暗記知識の多寡でコンピューター処理をするような試験は、PISA型学力からは最も遠い」とまとめている。ここで考えるべきは、毎日の社説が言うような「コンピューター処理」する入試を経ずに入学する生徒が現状では6割いるという点である。「暗記知識の多寡」で受験者を選別できる学校は、いまでは数少なくなっている。毎日の提案は現状とミスマッチなのである。
その点、日経は毎日同様に大学入試改革を述べてはいるものの、「教育課程の弾力化と、地域や学校現場の創意工夫を生かす教育行政の分権が欠かせない」と書いていた。提言として妥当なのは日経のこの提起のみである。
  
3、調査結果の社説報道の問題点

3.1.教育問題の「格差」性への各社の認識

 近年、教育における「格差」の存在が言及されることが多くなった。今回のPISA調査の結果を受けた社説をみると、「格差」について言及をしている社説と全く言及のない社説の2つにわかれた(図表3)。朝日・日経を除く4紙はいずれも「格差」について言及をしていることがわかる。

図表3 「格差」への言及の有無
新聞名 格差への言及
読売 「低学力層」
毎日 「学力格差」「経済格差」
産経 「格差も解消されていない」
東京 「所得格差」
朝日 ×
日経 ×

 「格差」についてもっとも多くの文字数を使って言及をしていたのは毎日であった。学力二極化の傾向への指摘にとどまらず、「経済格差」にも言及があった 。読売は毎日同様「低学力層」の存在の指摘を行った後、教員への要望を述べている 。東京は「成績の良い子と悪い子の二極化が依然目立つ」との指摘後、「背後には所得格差の問題が潜んでいる」と述べ、不明確な形ながら「格差」の存在を匂わせている。
 興味深いのは産経の記述である。参加国と比較し「日本は学力下位層が多く、格差も解消されていない」と言及した次の箇所で、「民主党政権は学力テスト方式を全員参加から一部参加に変えた。『競争』から目をそらしている。教育の成果を適切に評価する取り組み姿勢にかける」と述べている。「格差」解消を目指しつつも「競争」を重視する姿勢に矛盾を見て取ることができる。
 一方、教育問題が経済格差などとつながりを持っている点について、朝日・日経では指摘がされていない。教育問題の持つ「格差」性についての認識をマスメディア自身が持つことが必要であろう。

3.2.教育問題を煽る社説

 なぜ学力の向上を行う必要があるのか。その哲学性や理念についての言及が6紙の社説には現れていない。産経は「国力」やノーベル賞受賞という記述があるが、教育問題をなぜ社説で扱う問題であると考えるのか、その点の考察が必要である。現状ではただ教育の現状を嘆き、教育の改善を煽る紙面になってしまっている。

3.3. 他のアジア諸国への言及

 今回のPISA調査では初参加の上海が全領域でトップの結果を示していた。そのことについて言及しているのは読売・産経・東京・日経の4紙である。12月9日に社説を掲載したグループに日経を足したものである。一方、朝日・毎日は自国の調査結果に関する内容のみで終始した内容である。
 東アジア諸国への言及があった4紙でも、記事の扱い方は異なっている。読売・産経は「アジアのライバルの学力向上熱は高い」(産経)、「アジアの優秀な学生を日本の本社で採用する企業も現れ始めた。日本の若者が各国のライバルと就業を競う時代に入っている」(読売)と、明確に「各国のライバル」と日本の若者が競うことを言及した内容となっている。一方、東京・日経は上海を含めたアジア諸国のPISA結果が高かった、という事実の記述にとどまっている 。
 まとめると、PISAが国力を競うものとして騒がれる傾向が読売・産経では強く表れている。一方、東京・日経は調査結果として「アジア勢」の結果が上位に並んだことを掲載したのみであり、朝日・毎日は全く他国の結果を掲載していなかった。

3.4. 社説の最終部分の記述

 次に、新聞社説の最終部分について比較を行う。この部分を比べるのは、照らし合わせた際に各紙の主張や傾向が強く表れていたためである(図表4)。
 図表4をみると、朝日・東京は「腰を落ち着け、学びの質をかえてゆくときだろう」(朝日)・「一喜一憂する必要はない」(東京)と、教育政策の方向性を漸進的に変化させる方向性での記述がなされていることが分かる。また日経は朝日同様、「学びの質」を改善する内容を述べていることで共通している 。
 一方、読売・毎日は今後の教育政策を「自己表現力」などを高める方向性で変えていく必要性について述べている。産経は若者への呼びかけで終えている点が特徴的である。

図表4 各社説の最終部分の記述
新聞名 最終部分の記述
読売 「自己表現力や対話能力も問われる。見劣りしない能力をつけさせることは国の責務だろう」
朝日 「未来に向けて腰を落ち着け、学びの質を変えてゆくときだろう」
毎日 (入試改革の提言をした後に)「暗記知識の多寡でコンピュータ処理するような試験は、PISA型学力からは最も遠い」
産経 「将来の日本が世界と競い合うためにも、若い世代はひたすら学ぶしかない」
日経 「子どもにしっかりものを考えさせる、本来の意味での『ゆとり』が大切だ」
東京 「順位に一喜一憂する必要はない」

4、日本の義務教育の内容・方法について、今後改善すべき課題ないし改善策

 ここでは今まで検討してきた各紙のPISAをめぐる社説の記述から見えてきた点をもとに、日本の義務教育をめぐる改善すべき課題と、改善策に関する筆者の私見をまとめる。

4.1. 教育問題の「格差」性への検討

 先に図表3において各紙の「格差」報道を見てきた。「『社会生活を営む上で支障があるレベル』とされる低学力層の割合が、日本は三つの分野とも1割を超えていた。上位10か国・地域の中では目立って高い」(読売)。この「社会生活を営む上で支障があるレベル」の低学力層の割合が高い点は、読売・毎日の記述に述べられていた。安彦(1996)が述べる「基礎」と「基本」に義務教育の範囲をたてわけ、「基礎」だけは個別指導や特別授業を行ってでも底上げをするという改善策が考えられる。
 また、所得格差問題についても毎日において指摘があった。これを是正するためには、生活保護の受給を容易にする点や、北海道三笠市のように給食費無償化を実現する点などを方法として挙げることができる。

4.2. 教育目標の検討

 3.2.において、各紙の社説が教育問題を煽って終わりになっている点を述べた。
 教育方法を定めるには、目標goalが必要である。そうでなければPDCAサイクルをそもそも動かすことができない。「ゆとり教育」には学力低下などの批判がさらされたが、「生きる力」という目標が定められていた点に一つの意味があったと考えられる。目標や理念が曲がりなりにも定められていたため、「ゆとり教育」という目標の妥当性を議論できたのである。 
 PISA導入後、「リテラシー能力」や「基礎・基本の徹底」などが新たな目標として語られるようになったが、これらはあらゆる方向に向けられたものであり、結局のところ何を目指すのか不明確になっている。
 次の4.3.でも述べることではあるが、義務教育において何を求めるのか、議論が必要であろう。それは教育行政のみではなく、職員会議(現状では校長の方針を打ちだすのみの場になっている)や教育委員会内での真剣な議論が必要であると考える。

4.3. 教員の自己教育力の養成

 各社説には現場教員への提言も3紙に述べられていた。「先生が細かく目を配り、つまずきを克服するまで指導することが大切である」(読売)・「授業をどう工夫するか先生の力量がますます問われる」(東京)・「教科書の使い方や教科を横断するような形式の授業にも、工夫が必要だ」(朝日)。
 実際、現場教員自身の自己教育が今後の必要となるであろう。PISA型学力への転換、「考える力」重視の教育実践も、最終的には教員の創意工夫によって実現されることである。むろん、一方的押しつけにならないよう十分に議論して政策を行う必要はある。しかし、教員自身の取り組みが「良い教育」を支える根拠となることは確かであろう。
 アーレントは空間をprivate-public-socialの3つの側面から考察する(Arendt 1957)。画一的なsocialたる教育行政・教育政策のみでなく、その学校・その教室独自の公共性publicを作っていくことの重要性を、アーレントの概念枠組みから読み取ることができる。彼女は理想の公共空間として、他者との網の目の空間に「現れ」、議論・行為するなかで正義を実現することを述べている(同)。理想の教育空間(あるいは場)は教員-生徒間で作り上げていく必要がある。そのためにこそ、教員自身の自己教育が必要となる。これが教育行政に使役される形で行われるならば、イリイチのいうシャドウ・ワーク(賃金の支払われない他律的労働)になるが(Illich 1981)、国家の権力に対抗する形で行うこともできる。
 上から言われた通りに行うだけで「効果」が出るわけでないのが教育現場である。教育目標が「ゆとり」や「学力向上」の間を揺れ動く中、自分に関与する児童・生徒との間での教育実践をアーレントの言うpublicの図式に合う形で行うことで、国家の力を制限することができる。
 ちょうど向山洋一の教育技術法則化運動も、教員自身の自発性・能動性に支えられていることも思い起こす必要がある。向山は新任校での自己紹介を朝会で行う際、5分のあいさつのために何時間もかけて指導案の作成・検討・練習を繰り返したという(向山 1987)。教員自身が国家や行政とのバランスの中で「良い教育」を実践するためにも、教員自らの自己教育が必要であるということができる。

5、終わりに

 本稿では各紙社説の検討後、それを基にして今後日本の義務教育段階で行っていくべき提言を3点提示した。具体的な方法論についての検討はできなかったが、数ある方法の中から児童・生徒の現状を見て必要な方法を用いられるよう、教員の自己教育力の養成(4.3.)や教育目標をpublicな議論によって決定すること(4.2.)が養成されると考察できる。また、教育実践を行うための土台となる「格差」の是正を政治・行政のレベルで行うこと(4.1.)が必要であるといえる。
 本稿の課題点を述べる。今回はPISA調査を受けての社説記事の出る日付が12月8日と9日に各紙が分かれていた点を取り上げている(図表1)が、前回・前々回などのPISA調査結果報道の際は社説掲載日にずれがあったのか、検討することができなかった。その点について今後検討する必要があるだろう。

6、参考文献

安彦忠彦(1996):『新学力観と基礎学力』、明治図書出版。
Arendt, Hannah(1957):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
向山洋一(1987):『子供を動かす法則』、明治図書出版。
Illich, Ivan(1981):玉野井芳郎・栗林彬訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2005。

『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』読書メモ

Brinton, Mary C.(2008):池村千秋訳『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』、NTT出版、2008。

・日本の若者の中で最も就職状況が厳しいのは普通高校低偏差値校であることを実証した本。アメリカでは職探しの際「ウィークタイズ」(グラノベッター)が強いが、日本では「ストロングタイズ」によって探すことが多い。
・高校の就職先あっせんのシステムが動かなくなり(普通高校。工業高校や商業高校はまだ口が見つかりやすい)、自ら高校生が動く必要が出て来る。

・かつては「場」が物をいった日本社会だが、だんだん場が衰退しており、アメリカ同様「資格」中心に動くようになってきた(95)。かつては学校や会社が「場」(男性の場合。女性は家庭であるという)の働きを持ち、なんらかの安定した場の一員であることが決定的に重要な意味を持っていた。「しかし今日の若者にとって、そうした「場」は減りはじめている。社会におけるアイデンティティーを学校と職場から得られない若者が増えているのだ」(99)。
 「正社員にならない若者が増えていることに関して日本の政府とマスコミは若者の姿勢を批判するが、重要なことを見落としがちだ。その重要な側面とは、この章で指摘してきたように、高校の序列がはっきりわかれていて、求人の数に高校によって大きな格差があるという現実である」(143)。
 「かつて日本人にとって、幸福や安心の源泉であった、企業や学校という場に所属する機会は、ロスジェネにとって、大きく失われてしまった。なかでも、偏差値レベルのそう高くない高校を卒業した後、大学に進学しなかった男性ほど、「場」を失って彷徨い続けているのだ」(240頁の玄田有史の解説)。

フレイレ『伝達か対話か』読書メモ

「人間として生きることは、他者および世界とかかわって生きることである。それは、世界をそれ自体で独立した、認識可能な客観的現実として経験することである」(15)

「存在するということは、人間と人間、人間と世界、人間と創造者のあいだの永遠の対話を包摂するダイナミックな概念である。人間を歴史的存在にかえるのは、この対話である」(44)

「もし教育にたずさわるものが、新しい社会の生誕になにか特別に寄与しうるものがあるとすれば、それはほかでもなく、批判的態度の形成をたすける批判的な教育を生みだすことであったと思われる」(71)

「われわれの状況が求めている教育とは、自分たちが生活の場で直面している諸問題をだいたんに議論し、それにとりくむことのできる人間を育てるということである。こうした教育は、現代の危険がどこにあるかを人びとに気づかせ、ともすれば他人の決定に服従することによって自分というものを放棄してきた人びとに、それらの危険にたちむかう自信と力を与えるものとなるのである」(74-75)

民主主義の学習は「実践」をもって学ばれる。
「じっさい民衆は、民主主義の実践をへてこそ、それを習得することができるのだ。民主主義の知識は、他のすべての知識とおなじように、経験をくぐらせてこそ血となり肉となるものなのだから」(80)
→だからこそ「ことばだけで民衆に伝えよう」(同)とすることは無意味なのだ。そういう意味では、学校を民主主義育成の土台にしようとしたデューイに連なるものがある。「真の交流をつくりだすのは、対話だけである」(99)というフレイレの言葉をかみしめる必要がある。

識字について。
「識字というのは、日常の生活世界とは切れている生命のない対象物である文章、単語、音節を記憶することではない。むしろそれは、創造と再創造の態度を身につけ、各自が現実にかかわる姿勢を生みだす自己変革の力を獲得することなのである。/かくして教育者の役割は、具体的現実に関する非識字者との対話にひたすら身を投じ、かれが自分で読み書きを自学自習できるための道具を、完全にかれに与えることである。」(105)
→「自学自習できるための道具」とは、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」を思い起こす。

 他者との対話による教育を想定したフレイレ。この対話は「学校」でなくとも成立する(むしろ学校が「言葉」を教えこんで「沈黙の文化」に民衆を陥れている)。フレイレの「脱学校」思想はそういった意味でのものなのだ。

フレイレ1967=1982『伝達か対話か』亜紀書房、里見実ほか訳

イリイチの論理性が弱いことをどうとらえるか?

 ある学会発表にあったが(あとで追記する)、イリイチは「あえて」論文的でないエッセイ調で、彼の主著を書きあげた、という。『脱学校の社会』も『シャドウ・ワーク』も『ジェンダー』も、論文というよりはアジテーションあふれるエッセイの寄せ集めという感を呈している。
 イリイチは「あえて」エッセイ調で記述をしたとすれば、なぜこのような書き方をしたのかという疑問が付きまとう。実際、イリイチは論理の飛躍・論理破綻が多く指摘される論者である。特徴的なのは『ジェンダー』である。男女の性差に規定した「分業」が中世社会にあったことを指摘した本書は、上野千鶴子らによって徹底的に批判された。私から見てもイリイチは上野らに批判されて仕方のない論理展開をしている。どこか話に無理があるのだ。しかし、これをイリイチの論理力のなさとして批判することはできないと私は考えている。
 イリイチはCIDOCという研究センターにおいて60~70年代は研究活動に励んでいた。研究者同士のセミナーのなかでの議論が、イリイチの諸著作のアイデアの源になっている。萩原(1988)の『解放への迷路』にも、イリイチの著作がイリイチ以外の人びとによっても構成された点を指摘している。ここから考察すると、イリイチの論理性の無さというよりは、研究者どうしの種々の言説の寄せ集めであるがゆえの論理不一貫が起きていると言えるのではないか。
 あるいは教育詩学のように、教育の本来持つ豊かな可能性を様々な表現技法で示すという営みに近いものであるのかもしれない。「今の社会についてこうも言うことができる」と述べるためにイリイチは「エッセイ」を書いたのではないか。

子どもを子ども扱いする社会への批判。

 私は既存の教育学が子どもを「他者」として認識していない点に疑問を感じている。メーハンのIREではないが、教育的眼差しは子どもに「評価」の眼差しをおく。しかし、我々は友人に対して時間を聞いて「ありがとう」と言わず評価のみをすることは全くないはずだ。教育的関係においてのみ、子どもたちは「よくできました」と教育的眼差しで見られる。
 共同体社会の時代から共同体維持の成員育成が「教育」で行われてきたわけであるが、その教育自体の持つ「社会維持」の機能についてはあまり批判がなされていない。「子どものため」の「よい」教育であっても、子どもをまさに「子ども」扱いする。幼児段階はそれでいいが、小・中学生や高校生、はては大学生を同じ眼差しでみてもいいものなのであろうか。当然、「教える」エートスが求められるのは現在の社会(後期近代の社会である)そういった姿勢を要求するためである。
 その辺りを考察すると、教育的な眼差しをもって子どもを見ることが「気持ち悪い」と思ってくる。教育行為をどんなに奇麗な言葉で飾ったとしても、要は現在の社会の構成員になってもらいたい、あるいは構成員にさせる行為にすぎない。人々がそれに自覚的でないだけである。そのため、子どもに敬語を使ったり、逆に偉そうに振る舞う親や教員・大人たちをみると、その人々が「子どものため」と信じて行っていればあるほど、教育の共同体維持機能を無視しているように見えてしまい、「気持ち悪さ」を感じてしまうのだ。
 だからあえて私は考える。思いっきり、「大人げない」態度を子どもに行ってはどうか。無論、ピアジェ的には発達段階論で「大人げない」眼差しへの批判がアルであろう。しかし考えるべきは、我々大人は親しい関係にはまさに「大人げない」態度で関わっているのではないか。嘘をつけば、ネタとして友人を「いじる」。それはまさに汝−我関係という対等の立場に存在しているからである。しかし、子どもに対してはどんなに親しくなっても汝―我関係を成立させることはまれである。
 そんな理由から私は既存の教育学を根本から批判する脱学校論(非学校論)や半教育学が好きなのだが、あまり共感がなされないのが現状である。

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

0、目次

 本稿は以下のように構成されている。

1、はじめに
2、シャドウ・ワークとは何か 
(1)教育におけるシャドウ・ワーク性
(2)学習行為のシャドウ・ワーク性
(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い
(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク
3、シャドウ・ワーク概念への批判
(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ
(2)教育の否定
4、教育への展望
(1) 「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育
(2) CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観
(3) CIDOCでの実践の評価
5、終わりに
6、今後の課題
7、参考文献

1、はじめに

 オーストリアの思想家イバン・イリイチ(Ivan Illich 1926-2002)は「シャドウ・ワーク 」(shadow-work)という概念を提唱している。これは当初ジェンダー 論の文脈で用いられたものであり、今まで自明視されていた主婦業を影の経済・苦界の経済として概念化したという意義がある。現在では一般用語として使用される機会も増えている(例えば関 2002、大西2002)。
 イリイチは著作の中において、教育に対してもシャドウ・ワーク概念が適合されると示唆する。「賃労働を補完するこの労働を、私は〈シャドウ・ワーク〉と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる」(Illich 1981:207-208)。学校の試験が生徒の自宅での勉強という労働によって補完されていることが示されているわけだ。
 イリイチはシャドウ・ワーク概念が教育に関しても当てはまるということを指摘している。しかし、具体的に教育のどの側面がシャドウ・ワークに当たるかを提示してはいない。シャドウ・ワーク概念の教育への適用については山本(1983、2009a)の研究があるが、山本は適用について語るのみであり、そもそもなぜシャドウ・ワーク概念をイリイチが教育に対し当てはめようとしたのかの検討はなされていない。そのため、本稿の狙いはこの解決にある。
 近年に入り、『生きる意味』や『生きる希望』といったイリイチ最晩年の著書が刊行・翻訳された。それにより、イリイチ思想を彼の著作全体から探ることが可能になった。そのため、本稿では、晩年のイリイチの著作も参照しつつ、教育におけるシャドウ・ワーク概念の教育への適用可能性について考察する。
 なおイリイチの著作の邦訳名は、研究者によって多様なものが使用されている。例えば山本(2009b)はイリイチの“Dischooling Society”を『脱学校の社会』でなく「学校のない社会」と訳す。同様に山本は『脱病院化社会』も「医療ネメシス」と訳している。本稿では混乱を避けるため邦訳の表題をそのまま使用している。

2、シャドウ・ワークとは何か

 ここではイリイチのシャドウ・ワーク概念の整理と、その教育への適用可能性を見ていく。

(1)教育におけるシャドウ・ワーク性

 まず、シャドウ・ワーク についてのイリイチの定義からみていく。本概念はイリイチ自身が様々に意味を拡大/拡散させながら使用しているので、『ジェンダー』でのシャドウ・ワーク概念の整理から論をすすめていく。
 シャドウ・ワークとは「財やサーヴィスの生産とちがって、商品の消費者によって、とくに消費的な世帯でなされるもの」(Illich 1982:94)であり、「消費者が、買い入れた商品を使用可能な財に転換する労働」(同)を意味する。「買い入れた商品に、それが使用に適するようになる価値を付加するために支出されねばならぬ時間、煩労、努力を、シャドウ・ワークと名づけるのである」(同)。つまり「シャドウ・ワークとは、人々が商品を媒介に自分たちのニーズをみたそうとすればするほど従事しなければならぬ活動」(同)なのである。それは「ますます孤独で、ますます生気のない、ますます非人格的な、ますます時間濫費的なものとなってきている」(同:95)。
 イリイチは論を教育にも広げて行う。前近代社会において、子どもはヴァナキュラー(土着、あるいは場所ごとに異なった、との意味)な言語と文化を学習していた。みな方言を話し、将来的には自分のいる共同体の一員になることが期待されていたのだ。近代社会になり、その共同体に学校「教育」が入り込む。近代学校制度はヴァナキュラーな言語でなく、標準語化された「国語」が習得されるシステムである。また近代社会の構成員を作り出すプロセスでもある。近代社会が産業社会である以上、近代国民化される子どもたちは、「労働力が資本化されるプロセス」(同:100)に巻き込まれ、近代社会を構成する国民に社会化されていく。
 この近代教育の結果、保護者も学校教育に協力的であることが要請されるようになる。イリイチの言う、「教育制度の枠内で教師の助手となっている」(同)状況が現出するのだ。早く子どもが「国民」や労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス(経済人間)」に社会化されるよう、家庭にも学校的あり方が要請されるのである 。
 つまり、教育におけるシャドウ・ワークとは、国家の要請する「国民」と、労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス」とに子どもを形成するプロセスそれ自体を意味する。後に労働主体・消費主体になるよう、また「国民」になるよう、子どもたちが働きかけられる営みをシャドウ・ワークというのである。『脱学校の社会』を書いたイリイチの問題意識は本概念にもつながっており、近代教育の否定ないし教育行為の否定を訴えたのがシャドウ・ワークなのである。
 イリイチはコンピュータ技術が進んだ社会ではシャドウ・ワークという「新型経済活動」(同:96)が「生産的労働よりも経済的にもっと根本的なもの」になると指摘をしている。教育は近代社会の構成員を作り出す故に、教育におけるシャドウ・ワーク性が社会を支えることになる。まして、後期近代と言われる現代は、前期近代に比べ情報化・再帰性が飛躍的に高まった。前期近代の学校には要請されることのなかった「キャリア教育」や「総合学習」などが学校に求められるようになったことはその表れである。

(2)学習行為のシャドウ・ワーク性

(1)で見てきた内容が基本的な教育へのシャドウ・ワーク概念の適用だが、イリイチはそれを拡大させて使用していると述べた。(2)においてその具体例として学習行為のシャドウ・ワーク性を見ていく。
シャドウ・ワークは他律の行為だが、自ら進んで行う従属の行為であるという特徴がある。賃労働には給料が発生する。しかし、シャドウ・ワークは無償の行為である。その上、シャドウ・ワークの担い手が逆に金を出すことで経済社会を支えることになる。具体的な例でいえば、消費者は企業の新製品を受動的に受け取るという意味のシャドウ・ワークを行っているといえる。これを学校において言えば、教員の一方的な授業を黙って受け取るという行為がシャドウ・ワークとなる((4)で見ていく「専門家支配」でもある)。

賃労働にとって人は選択されるが、一方〈シャドウ・ワーク〉の場合は、人はそのなかに置かれる。時間、労苦、さらに尊厳の喪失が、支払われることなく強要される。けれども、よりいっそう経済成長をすすめるためには、〈シャドウ・ワーク〉の支払われることのない自己開発が、ますます賃労働よりも重要なものになってくる。(Illich 1981:209)

教員によってなされる教育サービスは、生徒のシャドウ・ワークによって支えられているのだ。山本(2009a)は、次のようにシャドウ・ワークを解説する。

隠れた支払われない労働がある、それはサービス労働の裏側に構成されている、たとえば教師のサービス労働にたいして生徒の消費ワークがある、(中略)これらは「させられている」行為、他律行為の働きかけによってなされている受け身的な消費行動になっている。このインダストリアルなサービス商品を消費していると考えられてきたものを、隠れたシャドウのワークであると切り替えたのだ。つまり、産業的な価値を産み出しているワークである、消費ではなく生産であるという切り替えである。(山本 2009:238頁)

学校での授業は、傍目から見れば教育の受け手である生徒がサービスを受動的に消費しているように見える。本当はそうではなく、教育サービスを受けることはシャドウ・ワークという「生産」を行っていることなのだ。生徒たちは後に「ホモ・エコノミクス」や「国民」になるよう、自らを生産しているのである。他律行為であるシャドウ・ワークは教育によって個人に内面化されるため、この従属は自発的に行われることになる。

(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い

 イリイチは大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークとを立て分けている。「現代社会での労働のいくつかの形は、最初は支払われないもののようにみえても、最終的には金銭的評価で高い報酬となる。大学の学習は往々にしてよい例である。(中略)一般には、大学卒業の人間の生涯所得のほうが、卒業しなかった彼の兄弟、姉妹たちの所得よりもはるかに高いだろう」(Illich 1981a:265)。
 この人的資本論的認識のために、大学生は「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者といった本物の〈シャドウ・ワーカーズ〉にあてはまるものではない」(1981a:266)シャドウ・ワーカーとなる。つまり、大学生はいま自分たちが大学で単位獲得のために行うシャドウ・ワークこそが将来「大卒」として得られる所得につながると認識している。その点が、例として挙がった「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちと違う点である。大学生が単位獲得のために行うシャドウ・ワーク(=授業への参加や卒業するための学習)は、将来において給与が支払われることを見越した行為なのである。山本(1983)も大学生たちを指して「彼らは支払われないが、特定の時間拘束され相当のコストがその教育にかけられている。大学生はそれによって社会的な特権ないし収入の価値を自ら高めている」(山本 1983:214)と指摘する。山本の指摘は、現在の大学では就職活動のために各種資格取得を目指す大学生の姿に見て取ることができる。
まとめると、大学生は将来の稼ぎを見越して〈シャドウ・ワーク〉的学習を行う傾向があるというのが、イリイチの述べた「大学生のシャドウ・ワーク」の中身である。

(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク

 では、大学生と違う「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちのシャドウ・ワークにはどのような意味が込められているのか。先の引用文の後、スウェーデンにおいて主婦の一部に賃金が支払われるようになったことをイリイチは指摘するが、まさにそのことによって「スウェーデンは、社会的なサーヴィスにおける訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉を雇用する試みに、新しい世界を導いているようだ」(Illich 1981a:267)と皮肉を述べる 。「これは、社会的部門における〈シャドウ・ワーク〉を賃労働より一層早く増加させる計画である」(同)と続けている。
 この部分を理解するには、イリイチ最晩年の著書『生きる希望』に登場する新約聖書「ルカによる福音書」10章25節にある「善きサマリア人」の寓話とイリイチの解説文を持ってくる必要がある。この寓話はイエスが律法学者の悪意ある質問に対し語った物語である。強盗に襲われ、傷ついたユダヤ人が道に倒れている。ユダヤのラビはそれを目にしつつも素通りをしていった。その後に通りかかったのがサマリア人である。ユダヤと敵対関係にあるにも関わらず、そのサマリア人は傷ついたユダヤ人に施しの手を差し伸べた、という内容だ。
 イリイチはこの物語が‘傷つき倒れた人間にはこのように手助けをすべきだ’という画一的な救済のやり方を示すものであると、一般的に解釈されるようになったことを批判する。「寝る場所を必要とする人々に対して、なにがしかの制度、豪勢なホテルでないにしても、特殊な簡易宿泊所があるべきだとするのは栄光に満ちたキリスト教西欧の観念です。こうして、困っている人々すべてに対して開かれた試みが、客人に厚誼を与える気持ちの低下とケアを与える制度によって置き換えられることに帰結するのです」(Illich 2005:108)。 
初期のキリスト教において、困窮者の救済は「我と汝」の関係で行われていた。個々の他者に応じた対応の仕方であり、吉本隆明のいう「対幻想 」の段階である。共同幻想的に画一的な発想で他者に対するのでなく、対幻想的に個々の他者に応じた対応の仕方をこそ、イリイチは主張したのであった。「人間の関係は、二人の人間の間でなされる自由な創造としてしかありえません」(Illich 2005:102頁)。それが「困っている人々すべて」という抽象化および制度化をした結果、他者性が薄れ、個々人への救済という意味合いが弱まってしまう。結果的に、「共同幻想」として他者への画一的救済を目指すようになったのだ。画一的という意味合いで、山本哲士はサービス批判を行う(山本 2008)が、個々の他者に応じた関係、つまり「我と汝」関係に当てはまるものが山本のいうホスピタリティにあたるのである。
まとめると、「善きサマリア人」の寓話からイリイチが述べたのは個別性が失われ、画一的サービスが行われるようになることへの指摘であった。専業主婦の家事労働に政府が賃金を出す。これは社会サービスの一部に専業主婦が吸収されたことでもある。行政の社会サービスの代理人として「訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉」が要求されるゆえんなのだ。専門家たちが作った制度に人々が従わされる「価値の制度化」の状態において、人々は専門家のいうがままに行為を行うようになる。「素人、言い換えると客を自分たち(藤本注 ここでは専門家のこと)の監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」(同:12)のだ。
 山本(1983)はここでいったような「家事に支払いをする」ことや「通勤時間を労働力の拘束において定義し、交通費のほかに賃金をうけとっている」(山本 1983:214)ことを指摘したのち、賃労働体制が転換してきたことを「労働組合や社会革命がすでに忘れてしまっているのも、この「シャドウ・ワーク」が編制してきた生活世界のためである」(同:215)と述べている。
 先に大学生のシャドウ・ワークを見てきたが、大学生でない人びとのシャドウ・ワークは専門家の作り出す制度につき従わされるということも意味している。つまり、「専門家支配」(Illich 1978)が行われ、自助としてのシャドウ・ワークを行わされるのである。
イリイチの『専門家時代の幻想』において、専門家と呼ばれる存在への批判が行われた。本来、人々が自分たちで行っていた領域に「専門家」が入り込み、専門家支配に従属してしまうことを批判するのである。『脱病院化社会』においては医者が健康・不健康を定める権力を手に入れたことをイリイチは指摘する(Illich 1975)。同様に、『脱学校の社会』でも「学校化」とは「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と認識することだ、と指摘している(Illich 1971)。教育専門家による教授/教育活動の独占(「根元的独占」あるいはラディカル独占)を否定し、自主・自律的な学びを志向するのがイリイチである。教育専門家への依存も、教育のシャドウ・ワーク性である。この専門家の存在があるからこそ、学校制度に頼らず自分たちで学ぶということが危険なことであると非難されることになる。フリースクールの実践も、学校制度という専門家支配の構造を揺るがす存在であるため批判され続けてきた経緯がある。奥地(2005)も、フリースクールを東京で作った際、教育委員会やマスコミなどによる批判が集まったことを述べている。
 まとめると、シャドウ・ワークを成立させる背景には専門家依存が挙げられる。この専門家依存は近代社会・産業社会が要請するものである。シャドウ・ワーク概念は近代社会批判につながると述べたが、専門家依存への批判という点からも近代社会への批判を行っているということができる。
 イリイチは大学生のシャドウ・ワークのみを他と区別したが、大学教育がユニバーサル化した現在の状況を見ると、大学生のシャドウ・ワークとその他を分ける必要性は下がってきているように考えられる。大学生に対しても「それ以外のシャドウ・ワーク」と同じ専門家支配が当てはまっているのである。例えば、現代社会では一コンピュータ企業の作り出す「ワード」や「エクセル」・「パワーポイント」等のソフトの操作法を学校でもパソコン教室でも学習させられる状況がある。人々は「ワード」・「エクセル」・「パワーポイント」を自在に活用できるようになることを期待されるのだ。企業にとっては顧客を会社の活動を支える助手であるかのように動かすことができる。その意味で「自助」としてのシャドウ・ワークを行っていると認識することができる。また「専門家支配」を行うことも可能になる。
 
3、シャドウ・ワーク概念への批判

 イリイチのシャドウ・ワーク概念を見てきたが、疑問も生じる。本節では2点にわけてイリイチのシャドウ・ワーク概念への批判を行っていく。

(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ

イリイチはシャドウ・ワークの対概念には「生活の自立・自存の仕事」(Illich 1981:51)、すなわちコンヴィヴィアリティ (conviviality)があると述べる。このコンヴィヴィアリティは「自立共生」ないし「相互親和」と訳され、主として共同体内での助け合いを描いた概念である。コンヴィヴィアリティのある社会こそ、イリイチが思い描いた理想社会である。このコンヴィヴィアリティが成立していた時期・成立する時期の「助け合い」を、イリイチはシャドウ・ワークであるとは述べていない。確かにここまで見てきたように、シャドウ・ワーク概念は近代社会・産業社会批判のための概念であった。しかし、シャドウ・ワーク概念の中身を検討すると、共同体社会・中世社会にもシャドウ・ワークが存在するのではないかと述べることができる。近代の社会におけるホモ・エコノミクス化が「シャドウ・ワーク」ならば、共同体のための教育もまた「シャドウ・ワーク」となるのではないかと考えられるのである。
コンヴィヴィアリティ概念では、他者性を担保し他者とともに生きる姿勢が述べられている。そうであれば、必然的に他者同士の協力関係を想定においていることになる。これら無償による共同体内の「助け合い」行為は、確かにイリイチのいうような産業社会の手段にはなっていない。しかし、この助け合いを共同体維持のためのシャドウ・ワークであると言うことも可能なはずである。この部分の詳細は次の「教育の否定」で見ていく。

(2)教育の否定

 第2の批判点として、ジェンダー役割的に母親が子育てをおこなう家庭教育の無給性とシャドウ・ワークの関係を取り上げる。イリイチは「現在ある部分の婦人運動者が、母親たちを無給の教育業務に携わらせることに批判を向けていますが、これは、工業化社会体制に対する今日可能な最も根本的批判の好例でありましょう」(Illich 1980:176)と述べている。理由は「今日、無給労働力が(男も女も)、せっせと教育を受けており、それはますます多くの人間を彼らの自立自存から引き離し、僅かばかりの賃労働と、広範囲のシャドウ・ワークをするための教育なのです」を挙げている。彼が「無給の教育」を批判するのは、子どもが産業社会システムに取り入れられること、すなわち消費主体化・労働者化することを進めてしまうからである。
 イリイチは次のようなアジテーションを雑誌上で行っている。「教育への対案は、このような意味で、共同体の側からのフォーラム(集会)要求です。断乎として、消費欲求とともに教育を解消して、自立自存を築き上げることを求め続けましょう」(Illich 1980:176)。この主張に対し、まずは自立自存(=コンヴィヴィアル)を成立させるのは一人ひとりの構成員であることを考える必要がある。この共同体の構成員の育成は、まさに教育によるのではないのか。パーソンズのAGIL図式でいう「統合機能」や「パターン維持・緊張緩和」作用たる教育行為がなければ社会システムは維持されない。確かに、言葉上で「教える」・「教育」という概念のない社会は存在する。原(1979)がヘアー・インディアンの社会に「教える」を意味する単語がない点を指摘しているからだ。しかし、そのことは教育作用が当該社会に存在しないことを意味するわけではない。部族内の人間が「教える」行為や「教育」行為だと認識しないだけであり、部外者である原はヘアー・インディアン社会に「教える」や「教育」に当てはまる行為を見いだしているからだ。言葉としての「教育」を無くすことは可能であっても、社会システム維持にかならず構成員の再生産機能が必要である以上、イリイチの主張をそのまま認めるわけにはいかない。つまり、学校「教育」を行う必然性はないが、教育なしで構成員の育成が可能であるわけではないのである。少なくとも、残存する社会システムには何らかの教育機能があったゆえに存在し続けていることを考える必要がある。
イリイチが理想とする、共同体の構成員となるための教育活動は中世においてもおこなわれてきた。まさに個人の意志など関係なく、その「場所」の構成員になるための教育活動が「学校」制度を使わなくとも成立していたのだ。そうでなければ後継者を欠き、当該社会は消滅している。この構成員になるために行われる教育行為はシャドウ・ワークではないのか。シャドウ・ワーク自体が産業社会のみを批判するのであるならば成立するが、イリイチの著書群を見通すと近代社会・産業社会におけるシャドウ・ワークの状況へ批判と、コンヴィヴィアルな共同体での人々の暮らしについてのイリイチの説明はほぼ同様の内容となっている側面がある。
 イリイチは、ソーシャル なものを排し、場所のパブリックに生きる姿勢の提唱をした。つまりイリイチにとって国家や近代社会(=ソーシャル)の体制維持は想定にないのである。それゆえに“Anarchist Studies”(『アナーキスト研究』)にイリイチの名前が載ることになったのだ。近代社会が必要とする人材にならないこと/なるのを拒否することが、究極のところでのシャドウ・ワーク性を排した教育の実現と言うことになる。しかし、これでは現状の社会体制の中では何も言ったことにならない。近代国家というソーシャルなものをなくしたあり方は、前近代、つまり中世の復興を意図しているということである。イリイチの想定にそもそも近代社会の維持はない。また、イリイチの教育批判の文脈を見ると、仮に中世社会への回帰を図ることができたとしても、当該社会の維持を行うことは不可能だと言わざるを得なくなる。つまり、イリイチの主張を検討すると社会の破壊を意図していると言わざるをえない。なお、イリイチは『脱学校の社会』以後、教育へ否定的まなざしを持つようになり、『対話・教育を超えて』において教育を否定するようになった(Illich/Freire 1980)。
 要するに、共同体内に教育作用が存在したことをイリイチは見落としているのである。中世回帰がイリイチ思想の特徴である以上、イリイチの主張をそのまま受け入れることは近代社会の破壊を意味する。必要に応じてイリイチの主張を整理して受け入れていく必要がある所以である。
 イリイチの発想にはコンヴィヴィアルな社会(convivial society)という理想の共同体社会が描かれているが、ユートピアは実現不可能な故にユートピアであることを思い返さねばならない。教育を否定してユートピアに生きるよう人を煽動するイリイチには、ユートピアを成立させる構成員の教育には無頓着なのである。

4、教育への展望 

 ここまで、シャドウ・ワーク概念の整理とその批判を見てきた。シャドウ・ワーク概念は近代社会だけでなく、そもそも人が共同体をつくっていた頃の「教育」行為すら批判する働きがある。しかし、その射程を近代教育への批判のみに向けて使用した際、現在の教育実践へのパースペクティブとして使用できる箇所が見いだせると考えられる。
 そのため、ここでは近代教育批判として、自由な学びを志向する立場からイリイチを読み返していく。

(1)「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育

 イリイチは、シャドウ・ワークから「開発を逆転させること、消費財をその人自身の行動におきかえること、産業的な道具を生き生きとした共生の道具に変えること」(Illich 1981a:51)によってコンヴィヴィアリティが達成され、「賃労働と〈シャドウ・ワーク〉はそれこそ影をひそめるだろう」(同)と述べている。何故なら「従順な消費として評価されるよりも、むしろ主として、創意に富んだ活動のための手段として評価されるからである」(同:52)。象徴的な例として「レコードよりもギターが、教室よりも図書館が、スーパーマーケットで選んだものよりは裏庭でとれたもののほうが、価値があるものとされる」(同)ようになるとまとめている。
 イリイチはこの状態に達するための条件として「労働者が道具および資源の自由な消費者となる場合に限る」(同)と指摘している。「道具 」(tool)というのはイリイチ思想において独自の位置を持つ。「道具とは、ある目的を達成するために設計された装置」(Illich 1992:161)を意味する言葉である。「一定の強度を超えて発達する場合、道具というものはいかに不可避的に集団から目的へと転じてしまい、目的達成の可能性を阻むことになってしまう」(同)という「逆生産性」(couterproductivity)が発生することとなる。この状態をもたらす制度を「操作的制度」(manipulative institution)と呼ぶ。「一定の強度を上回って生長するとき、不可避的に、その利点を享受しうる人びとよりも多数の人びとを、その道具がつくられた目的から遠ざけてしまうという事実をあらわすのが、この概念」(Illich 1992:163-164)である。
結論的には、人間の自立・自存的な生き方をもたらすために必要だと指摘するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)である。人間が機械や制度に使われるのでなく、「創意に富んだ活動」を主体的に行う教育のあり方が、シャドウ・ワークではない教育を行うための条件となるであろう。注目すべきは「道具」を用意することである。これは学びを誘発させる環境であると言ってもよい。『脱学校の社会』での「脱学校」(deschool)の実現例として、町のなかに例えば工場の仕組みを解説するコーナーを設置するといったプランや、「学習のためのネットワーク」(learning webs)として教えたい人間と学びたい人間を引き合わせる条件整備を挙げている。

(2)CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観

次に、イリイチ自身の実践から、この条件整備としての学習を見ていく。彼はメキシコ・クエルナバカにおいて異文化間資料センター(Center for International Documentation: CIDOC)という「オルターナティブな大学」(Illich 1992:119)の設立に携わった 。協力者には他にパウロ・フレイレ、ジョン・ホルト、ポール・グッドマン、ジョエル・スプリングらがいる。CIDOCは1967年から1976年まで開設していた。「一日に五時間、四ヶ月間続ける」(同:304)スペイン語の集中レッスンの講座 を開き、そこから得られた費用を「元手に、図書館を設立したり」「毎年四、五十人の人びとを、あらゆる社会階層から、そしてメキシコ以外の中南米のあらゆる方面から招待した」りした(同:141)。「ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、北アメリカ、オーストラリアなどからの神父や研究者、学生たちの交流する一種の知的センター」(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)であった。また各種セミナーが行われるなど、通常の大学に近い運営がなされていた。学生も存在しており、山本哲士も学生としてCIDOCに学んでいた(山本 1979)。CIDOC運営の目的についてイリイチはこう述べる。

われわれの目的は、学生を教育することではありませんでした。われわれの招いた客人たちがお互いに、あるいはわたしと、そしてまた、われわれの会話に参加することを希望した学生たちと、話し合うことができるようにすることがわれわれの目的だったのです。(Illich 1992:304)

一方的に教育を行うのではなく、あくまで本人の意思に基づいて学べるよう、学ぶ道具としての条件整備を行うイリイチの姿が見てとれる。客人やイリイチとの会話も、また図書館にある本 も、自発性に基づいて行われる学びのための「道具」であった。
 CIDOCは研究機関でもある。学術誌発行 のほか、『脱学校の社会』等のイリイチの諸著作はCIDOCでの討論が元になって書かれたものである。それゆえCIDOCは「省察の座」と称されることがしばしばあったという(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)。
スペイン語の集中レッスンの話は、『脱学校の社会』における「ドリル学習」(drill instruction)の文脈で行われている。イリイチによれば自発的に行うドリル学習の場合、短期間に効率的に学ぶことができる(Illich 1971)。「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる、とフレイレを実例にしてイリイチは自らの非学校化の考えを主張さえした」(山本 1996:174-175)のである。
イリイチは理想の研究手法として「わたしはまた、真理の探究が、講義室ではなく、食卓を囲んだり、一杯のワインを傾けたりというユニークな方法で追求される様を示したかったのです」(Illich 2005:254-255)と述べている。おそらくCIDOCでの研究作業も同様の狙いの下で行われていたと考察できる。大学のなかだけでなく、自由な雰囲気のなかでの対話に基づく学びが重視されたのだ。これはフレイレの文化サークル内での対話による「問題化型学習」と同一の発想である(Freire 1970)。「わたしの考えでは真理の探究はフィリアの成長を前提としているということです」(Illich 2005:260)との言葉は、フィリアつまり友情の深まりによる真理探究、すなわち友人・仲間との対話の中での研究の重要性を説いている。
CIDOCの実践 から言えるのは、コンビビアリティに基づく学習の重要性である。他者との対話による学び、あるいは自発的に行う学習こそが、「教育」および「学校化」の弊害から逃れた教育活動であり、シャドウ・ワークでない学習の形態なのである。また国家や社会のためでない学習のあり方でもある。
 イリイチにとって、学習はあくまで自発的意志に基づいて行うものであった。その教育観はニイルに近いものである 。イリイチの学習観・教育観を支えるものはまさに「創意に富んだ行為」を誘発するための道具の存在である。人間の自立・自存的活動を支えるものとしての「道具」をいかに多くの人びとにもたらすかが、シャドウ・ワーク性を教育から遠ざけるための条件となる。
教育のシャドウ・ワーク性は、制度スペクトルでいうところの「操作的制度」に学習者が置かれている点にある。そこを抜け出す方法としては、「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)を学習者が自発的に用い、学びを(広く、あるいは深く)行っていける条件整備を行う点を指摘することができる。『脱学校の社会』では、「コンヴィヴィアリティのための道具」を意味する「相互親和型社会」という概念が提唱されている。これは、イリイチが「制度」の諸類型を直線上に配置した「制度スペクトル」において左端に置かれる制度である。この「相互親和型社会」の例として、電話や郵便 が出されている。これらは「利用することが自分の利益になるのだと制度的に説得される必要なしに人々が使用する制度」(Illich 1971:107)である。
 「制度スペクトル」もう一方の端には「操作的制度」が置かれている。イリイチは例として高速道路を示す。高速道路は車を所持する人が自動車に乗るときにしか利用されえない。使用する母体が限られるにもかかわらず、全国民の税金を用いて行われる点で「偽りの公共事業」である。一方、電話や郵便はすべての人が使用する時だけ料金を払い、使用した分だけ費用を支払えば済む制度である。イリイチの目指す、シャドウ・ワーク性のない教育というものも、電話・郵便と同じ比喩を用いることができる。必要とする人が、必要とする時だけ利用できる制度としての教育である。条件整備を行い、万人に道を開いた学びのあり方を担保するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育である。
 「最良の場合には、図書館は自立共生的な道具の原型である」(Illich 1973:124)との指摘は示唆的である。「私たちはまず、学びたいと欲するならば何が人々に必要なのかという問を発し、それから人々のためにそういう道具を供給するようにしなければならない」(同)。実際にイリイチはラーニングウェッブという形で、実現可能性を説いている。梅田(2007)はこのような自立共生的な学びの道具としてインターネットの利用を説いている。
ここから考察できることは、条件整備としての学習環境の重要性という結論になる。人と人とが出会い、そこから学びを起こしていき、必要に応じて学びを行っていく環境の重要性である。

(3)CIDOCでの実践の評価

 CIDOC期のイリイチらの教育実践については今後の研究が必要だが、CIDOCでの教育/研究実践が、シャドウ・ワーク性を取り除いた教育実践、すなわちコンヴィヴィアルな学びを実現していた可能性があると言ってよいだろう。この実践が実現した背景にはスペイン語習得講座での収入があったため、国家からの援助を受けなかった点がポイントとして指摘できる。近代国家形成の主体となることを拒否し、自由なエートスのもとに研究できたと言う意味で「シャドウ・ワーク」性を排しているのだ。つまり、近代国家の構成員にならないとの思いのもとに成立した束の間の「ユートピア」がCIDOCであったのである。それゆえ、国家の管理から逃れ、財政的に立ち行く状況のみで成立する概念であるのだ。
 なお、CIDOCが存在したのが60年代から70年代であったことも考察していく必要がある。コミューン的あり方が流行したこの時代だからこそ成立し得た可能性があるからだ。

5、終わりに

 シャドウ・ワーク概念はイリイチが随所で述べる内容でありながら、統一的な見解があまり見られないものである。本稿においては主として『シャドウ・ワーク』と『ジェンダー』での記述をもとにシャドウ・ワーク概念を整理し、その解読や批判の手がかりとしてイリイチの諸著作に当たっていった。その結果、本稿が「専門家支配」・「コンヴィヴィアル」などのイリイチの術語のパッチワークとなってしまった感は否めない。しかし、これらイリイチの述べた諸概念は繋がり合ったものであり、これらを用いなければシャドウ・ワーク概念の理解と批判は困難になる。
本稿の成果としては、1点目にイリイチのシャドウ・ワーク概念が近代社会批判・教育批判を狙ったものであるとの整理ができた点があげられる。2点目に、「シャドウ・ワーク」が行われる状況への批判を徹底すれば、前近代社会の共同体すらも破壊する側面があるとの指摘があげられる。3点目に、シャドウ・ワークが行われる状況への批判を近代教育の改善に絞った場合、今後の教育へのヒントとしてイリイチのCIDOCでの実践を用いることができるのではないか、との示唆を行った点が挙げられる。
しかし、課題とすれば本稿においてシャドウ・ワークに関する記述と教育への展望との内容に乖離を感じられるようになってしまった点があげられる。

6、今後の課題

 本稿においてはシャドウ・ワークの教育への適用可能性について考察してきた。しかし、シャドウ・ワーク概念の成立の背景について論を進めることがほとんどできなかった。思想史上の系譜を見ると、「シャドウ・ワーク」概念はフェミニズム運動の流れの上にある。フェミニズムにより主婦業の自明性が疑われるようになった際、独自の立場から「シャドウ・ワーク」との新語をもとに問題提起をしたのがイリイチであったのだ 。そのため、シャドウ・ワークの理論的下地を構築した各種研究を整理することが必要である。
 また、本稿の鍵となるCIDOCでのイリイチの実践には、山本(2009a)以外にまとまった研究が存在しないのが現状である。たとえばCIDOC開始時にいた研究者名については論者によって記述が大きく異なっており、統一した見解が存在していない。コンヴィヴィアリティに基づく学び・研究実践のヒントがCIDOCの実践から得られるのではないかと考えられるため、CIDOC期のイリイチの活動やCIDOCそれ自体の研究も今後の課題としていきたい。

7、参考文献

Arendt, Hannah(1958):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
Freire, Paulo(1970):小沢有作ほか訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Holt, John(1976):田中良太訳『21世紀の教育よ こんにちは』、学陽書房、1980。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』、日本エディタースクール出版部、1989。
Illich, Ivan(1975):金子嗣郎訳『脱病院化社会』、晶文社、1979。
Illich, Ivan(1978):尾崎浩訳『専門家時代の幻想』、新評論、1984。
Illich, Ivan/Freire, Paulo(1980): 島田裕巳ほか訳『対話・教育を超えて』、野草社。
Illich, Ivan(1981a):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2006。
Illich, Ivan(1981b):栗原彬・横山紘一・山本哲士監修・フォーラム・人類の希望編『イリイチ日本で語る 人類の希望』、新評論、1981。
Illich, Ivan(1982):玉野井芳郎訳『ジェンダー』、岩波現代選書、1984。
Illich, Ivan/Sanders, Barry(1988):丸山真人訳『ABC 民衆の知性のアルファベット化』、岩波書店、1991。
Illich, Ivan(1992):D=ケイリー編・高島和哉訳『生きる意味』、藤原書店、2005。
Illich, Ivan(2005):D=ケイリー編・臼井隆一郎訳『生きる希望』、藤原書店、2006。
Kahn, Richard, 2009,“Anarchic epimetheanism”, Amster, Randall ed., Anarchist Studies, Routledge, pp. 125-135.
一條和生/徳岡晃一郎(2007):『シャドーワーク』、東洋経済新報社。
梅田望夫(2007):『ウェブ時代をゆく』、ちくま新書。
大西廣(2002):「シャドウ・ワークの風景」、『季刊 本とコンピュータ』、2002年春号、大日本印刷株式会社ICC本部、63-65頁。
奥地恵子(2005):『不登校という生き方』、NHKブックス。
萩原弘子(1988):『解放への迷路 イヴァン・イリッチとはなにものか』、インパクト出版会。
栗林涁(2010):「隠された労働」、井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』、世界思想社。
関礼子(2002):「佐々木看護婦という存在 『瘋癲老人日記』におけるシャドウワークの領域」、『日本文学』2002年2月号、日本文学協会、72-76頁。
鶴見和子(1980):「工業化社会に警告」、朝日新聞1980年12月23日朝刊。
徳岡晃一郎(2006):「シャドーワークが価値を生み出す」、『人材教育』2006年4月号、日本能率協会、16-22頁。
原ひろ子(1979):『子どもの文化人類学』、晶文社。
宮台真司・藤井誠二(1998):『学校的日常を生き抜け』、教育史料出版会。
山本哲士(1979):「イバン・イリイチの「自律共働性」と「非学校化」に関するノート<自律的学習>の甦生のために : CIDOCからの帰国報告」、『人文学報 教育学』14, 41-65, 1979-03-31 、東京都立大学。
山本哲士(1983):『消費のメタファー』、冬樹社。
山本哲士(2008):『新版 ホスピタリティ原論』、EHESC出版局。
山本哲士(2009a):『イバン・イリイチ』、文化科学高等研究院出版局。
山本哲士(2009b):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
吉本孝明(1968):『共同幻想論』、角川文庫、1982。     (総文字数:17581字)

フレイレ『自由のための文化行動』抜粋ノート

Freire, Paulo(1970):柿沼秀雄・大沢敏郎訳/補論『自由のための文化行動』、1984。

「第三世界の非植民地化によって切り拓かれた道、それは全人類の真の解放へ向かう道か、あるいはもっと巧妙に仕組まれた飼いならしへ向かう道か、ふたつにひとつしかない。したがってそれは、教育の意味と方法の再検討を迫っている状況なのである」(4頁)

「どんな教育も中立ではありえないということである。飼いならしのための教育か、自由のための教育か、このふたつがあるだけである。教育は、常識的には条件づけの過程と考えられているけれども、同時に条件を突破するための道具にもなりうる。教育がそのどちらになるか、最初の選択は教師の手に委ねられている」(6)

「私たちの行う選択が人間のためのものであるならば、教育とは、自由のための文化行動であるがゆえに、記憶行為ではなく、認識行為にほかならない。それを明らかにすることが、成人識字過程を論ずるこの本の根本目的のひとつである」(11)

「それゆえ、(構造の―訳者)内側で生きる存在になるのではなく、自己解放を遂げて人間になること、それこそがかれらの問題を解決することなのだ。なぜならば、その実かれらは、構造に対してマージナルな存在なのではなく、構造内部の被抑圧者だからである。疎外された人間であるかれらは、自分たちを従属させるにいたっている構造そのものに統合されることでは、その従属性を克服することができない」(18)

「根本的には、私が『被抑圧者の教育学』で指摘したように、被支配階級が支配者の生活様式を再生産するわけは、被支配者の内部に支配者が宿っていることにある。被支配者が支配者を放逐できるのは、支配者から距離をとって、みずからを客観化する場合だけである」(31)

「何よりもまず、人間を、世界のなかに、世界とともにある存在として批判的に捉えることから始めなければならない。意識化のための基本条件は、その行為者agentが主体、つまり意識的存在でなければならないということである。したがって意識化とは、教育と同様に、すぐれて人間的な過程なのである」(59)

「真の親交には、当然、世界によって媒介される人間と人間との交流communicationが含まれている。意識化を実現可能なプロジェクトにするのは、唯一親交という脈絡のなかにすえられた実践だけである。意識化は協同の事業である。それは、この協同の事業に取り組む他者のなかにいるひとりの人間の内に、つまり自分たちの行動によって、またその行動と世界に対する省察とによって結ばれた人びとのなかで生きるひとりの人間の内に生起するものである」(105−106)

次はイリイチへの批判とも察せられる内容である。
「人間は、未完成の、そして未完成であることを意識している歴史的存在である。だからこそ革命は、教育がそうであるのと同様に、人間の自然で永続的な次元なのである。教育はある時点に至ればなくなってよいのだとか、革命は権力を握ればそれでおしまいにしてよいのだ、などと考える者がいるとすれば、それは機械的心性の持主だけである。革命は、それが真正であるためには、永続的な出来事でなければならない。そうでない場合、革命は、革命であることを止めて硬直した官僚制に変質するだろう」(117)
→永続革命としての教育である。つねに自身がドクサにとらわれいないかに自明的である必要がある。

(訳者あとがき)「フレイレの方法が日本における生活綴方の教育方法と実によく似ていることに気づかされる。書くということに執着したこの教育方法が、子どもを取り巻く生活現実に取材し、書き、書いたものを読み、討論する主体をあくまで子ども自身にすえた、という点でも、フレイレの認識主体論と共通している」(189)

(訳者あとがき)「識字とはたんなる文字言語の習得ではない。それは、ことばあるいはみずからの表現を奪われて〈沈黙の文化〉の淵におとしめられている人間たちが、他者や物・事との親しい交わりのなかで、みずからのことばと表現を奪い返し、沈黙を強いる抑圧的な現実世界の深層に潜む文法を読み取って、その現実を変革する批判的主体にみずからを形成していく〈意識化〉の文化過程を指すものである」(191)

フレイレ『希望の教育学』

Freire, Paulo(1992):里見実訳『希望の教育学』、太郎次郎社、2001。

 ブラジルの教育学者パウロ・フレイレ(1921-1997)。彼は対話による教育を生涯実践し続けた人物である。代表する著作は『被抑圧者の教育学』であり、晩年の著『希望の教育学』はフレイレ自身が『被抑圧者の教育学』を読み直したものとなっている。読んでいて気付くのは社会変革につながる識字教育と文化サークルでの対話の実践であり、教育と研究が2つに切り分けられることなく営まれることを提唱する内容となっている。マルクスを土台に理論を立てているのにもかかわらず、フレイレがいわゆる「マルクス主義者」から批判を受けていた理由もよくわかる。いわゆる「マルクス主義者」にとって、マルクスやレーニンの発想がアルファでありオメガである。そこには現実に存在する「民衆」の声を聞く必要性はなく、〈自分たちが民衆を引っ張って革命を導くのだ〉という傲慢な思いが表れている。フレイレの行動は人々との対話のなかにあった。それが「マルクス主義者」とフレイレの実践の大きな違いとなっている。
 本書において、フレイレは対話による学び(里見の訳では「問題化型学習」となっている)の重要性を何度も訴える。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」(163-164)

 この対話を成立させるには、条件整備が必要である。

「教師の専横下で対話が成立しないように、自由放任主義の下でもやはり対話は成立しない。対話的な関係は、しばしばそう考えられているように、教える行為を不可能にするものではない。逆だ。それは教える行為を基礎づけ、それをより完全なものにし、また、それと関連するもう一つの行為、学ぶという行為にも刻印されることになるのだ」(164)

 本書ではフレイレとよく比較されるイリイチとの違いが明確になる箇所がある(そもそも本書冒頭の謝辞の欄には多くの人名を挙げて自らの思想形成の感謝を述べているが、そこにイリイチの名は無い。また本書においてイリイチの思想が直接に言及される箇所はなく、ただ文章の流れの中でのみ数か所イリイチの名が挙げられている)。

「どの時間と空間にも立地しない、抽象的で不可侵な観念だけをとりあつかう中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない」(108)

 フレイレは教育を一つの権力であると認めている。どんな教育実践にもイデオロギーが含まれている(例えば、「やる気のない授業をする」と認識される教員は、「学校で一生懸命やるなんて馬鹿げている」というイデオロギーを提示することになる)。フレイレに対して多く寄せられた批判である「教育実践は中立的であるべきだ」との意見に応えたものとなっている。

「基本的にいえば、ぼくにたいしてなされるこの種の批判は、意識化という概念にたいする誤解と、教育実践にたいするあまりにも甘いビジョンに由来するものだ。それは教育実践をあたかも中立たりうるもの、人類の福祉への貢献とみなすばかりで、危険をおかすことなしには実践しえないという点にこそ、教育実践のとりえがあるということが、まるで見えていないのだ」(108)

 イリイチも、教育は権力であると認識する(山本哲士はさらに進んで、教育は政治であると指摘する。『教育の政治 子どもの国家』を参照のこと)。違うのはその認識後のふるまいである。教育は権力だ。そのため教育というものは放棄しなければならない、といったのがイリイチである。一方、フレイレは〈教育は権力性を逃れられない。だからこそその権力性を自覚したうえで人々の解放につながる教育実践をすべきだ〉と主張したのである(この対立が明確に表れているのが『対話 教育を超えて』である)。