小説

「小説 母の弁当箱」へのコメント。

 「母の弁当箱」という小説を、本ブログで書いた。これを現役高校生であるK君に読んでもらった。

「中学生にもなって、ポケモンの話を友人としないし、弁当を捨てて何か買って食べるなら、弁当以外もの、たとえばお菓子を買いますよ」
 おっしゃる通りのコメント。
「中学生は、小学校の〈あのね帳〉みたいな文章を書きませんよ」
 これまたおっしゃる通り。
 大人は自分が子どもだった時のことを忘れる。この言い回しを時々聞くが、まさにそれを実感した。私が中学生だった時のことを、いまの私はすっかり忘れてしまっているのだ。というより、中学生だった時の私と今の私は連続する存在ではないのではないか、という思いすらしてくる。
 何かの漫画にあった。ある日小学生の「私」が野良犬のようなものを拾ってくる。実は大人になった「私」はその野良犬のようなものが変化した存在で、小学生のときの「私」はどこかへ消えたのではないか。そのことに気づいた時点で漫画は終る(永井均『マンガは哲学する』に紹介されていた物語である)。
 この寓話は、「大人は大人は自分が子どもだった時のことを忘れる」ことを身にしみて実感させてくれる物語であるように思われる。

小説 母の弁当箱

 早稲田駅前。ぼくは大学生たちと逆行する形で、夕方にこの駅から地上に出てくる。気楽な大学生たち。背中に背負った大きなバックには、なにが入っているのだろう。全部本だとするなら、ぼくは大学生になった時、ちゃんとやっていけるんだろうか。 
 そんなことを考えながら駅を出て数秒歩き、100円ショップ・キャンドゥの横を曲がったぼくは、大きな「W」の文字を目にする。ぼくの第二の学校・早稲田アカデミーだ。
 「おはよう」 。友人のIがぼくに声をかける。ぼくも「おはよう」と答える。ここの中学生の間では、夕方に出会っても「おはよう」なのだ。中1のときは不思議だったけど、いまでは慣れてしまった。
 授業のあいまに、ぼくは弁当箱を広げる。お母さんがいつも作るヤツじゃない。そばのファミマで買ってくるお弁当だ。チンしてもらうと、おいしそうな香りが湯気と一緒に立ち上ってくる。IとかNたちといつも食べている。話の内容はだいたいポケモン。
 青い早稲田アカデミーの看板の前でサヨナラをいったあと、ぼくはいつも講師室のそばの給湯室にひとり行き、母のお弁当の中身を生ごみ袋に入れて帰る。箱はもう一度きんちゃく袋に入れて、カバンにしまう。
 それがぼくの一日の終わりです。

 レポートで使う資料を探すため、僕は押入れの段ボールをあさっていた。偶然見つけたのが汚らしい原稿用紙。中学生の時に学校の宿題のために提出した文章だ。なぜこんな文章を書き、しかも学校に提出したのか、さっぱりわからない。何かに怒っていたのかもしれない。作文を出した後、担任が悲しそうな顔をしながら「もっと別のテーマで書けないのかな?」と話したことが思い返される。結局、そのときは宿題の再提出をしなかったのだった。
 作文に出てくる大学生が背負っていたバックには、テニスセット一式とジャージが入っていたことを僕は知っている。大学はあんまり勉強しなくてもやっていけることも学んでしまった。けれど、母の弁当を「まずい」と言ってすべて捨てて帰るほど、僕の人間性は悪くはなくなった。 それにしてもひどい子どもだったものだ。

 しかし。
 あの頃の僕よりも、母のほうがもっとひどい人間だった。今でも覚えているが、中三の冬(あ、受験直前だったんだ)、いつもより早起きした僕は台所で母の姿を見てしまったのだ。セブンイレブンのビニール袋から出したコンビニ弁当を、僕の弁当箱に詰め替えている姿。僕はそっと後ろに下がり、ゆっくりと布団の間に戻った。
 いつも「まずい」と捨てていた母の弁当。代わりに食べていたファミマの弁当。けれど、母の弁当も所詮はコンビニ弁当だったのだ。レンジで温めなかったために、まずくなっていた。
 それだけだったのだ。

戯曲・眼鏡(めがね)

(引き出しやタンスなどがおかれた室内。A、眼鏡をかけて、何かを探している)
(B、上手より登場)
B:お、何か探し物?
A:うん、ちょっと見つからなくて。
B:手伝うよ。
A:ありがとう。
B:何探してるの?
A:めがね。
B:(けげんそうに)めがね?
…え、めがね?
A:そう、メガネ探してるのよ。
B:え、本当に?
(独り言のようにつぶやく)そうか、もう一つ別のメガネを探してるのか。近眼用と老眼用を使い分けてる人もいるしね。
A:何か言った?
B:いや、別に。(手を動かす)見つからないなあ。
A:そうだね。あの本棚かな?
(A、下手より退場。しばらくしてC、上手より登場)
C:や、久しぶり!
B:ああ、君か。
C:何してんの?
B:うん、Aの手伝いで探し物。メガネを探してるんだ。
C:ふーん、メガネ?
(A、下手から登場)
A:あ、C、来てたの。
C:えっ!(Bに)本当にメガネ探してるんだよね?
B:そうだよ。
C:(しばし沈黙。独り言のように)あ、そうか。別のやつだよね。
A・B:何か言った?
C:いや、別に。
A:見つからないな。
B:枕元においたんじゃない?
A:そうね。ベッド見てくるね。
B:俺も行くよ。
(A・B、下手より退場。しばらくしてD、上手より登場)
D:お、Aのところにきたら君がいるとは。最近、どうなの?
C:バイトがキツくてね。君は?
D:よく聞いてくれたね。いいバイト見つけたのよ。
C:(手を動かしつつ、視線を外して)嬉しそうだね。
D:うん、この話は長くなるよ。
C:じゃ、いいや。
D:おい! …ところで何してんの?
C:Aがメガネ探してんのよ。
D:そうなの。Aはどこにいるの?
C:Bも来ているから、Bと一緒に寝室にいるよ。
D:え、あの二人、そんな関係?
C:ちがうちがう。メガネ探してるの。
D:ああ、そうなんだ。
C:がっかりするなよ。
(A・B、下手より登場)
C:あった?
A:無かったよ。
(D、驚いてAを見る)
D:おい、C、Aの奴、本当にメガネ探してるのか?
C:そうだよ。
D:(独り言で)ああ、別のやつね。そういやアイツ、赤フレームのも持ってたよな。
A・B・C:なんか言った?
D:いや、独り言だよ。俺も手伝うよ。
(ナレーター、上手より登場)
ナレーター:1時間後。
(ナレーター、上手より退場)
C:もう、疲れた!(足を投げ出す)
B:お前がへばるなよ。俺もくたくただ。
D:ああ、本当にしんどいな。
A:こんなに探してもないんだから、もうメガネは諦めるよ。
B:…そんな悲しいこと言うなよ。
C:もう少し探すと見つかるよ。
D:でも、少し休もうぜ。俺がお茶でも入れるよ。
(D、上手より退場)
B:どこで最後にメガネを置いたか、覚えてない?
A:うーん、それが全然覚えてなくて…。
(D、湯のみ4つをお盆に乗せて上手より登場)
D:お茶入れさせてもらったよ。はい、A。
A:どうも。
(飲もうとして、メガネがくもる)
あ! メガネ付けてた!
B・C・D:いまさら言うな!
fin.

誰かへの手紙

 西早稲田のアパートに一人暮らしを始めて、もう4年になる。6畳の空間に、私の身体もすっかり適合してきた。すっかり「自分の城だ」といえるようになってきた。

 最近、クローゼット内のスーツを出そうとしていると、天井部分に隙間があることに気づく。携帯電話ディスプレーの明かりで照らしてみると、なにやら天井を構成するパネルが外れるようであった。

 興味を持った私は、引き出しからLED式の懐中電灯を取り出し、パネルをどけ、天井裏を見てみた。埃や昆虫の死骸の間に、1枚の茶封筒がある。

 埃を吹き払いつつ茶封筒の中を見ると、この部屋のかつての住人が書いたのであろうか、数葉の便箋が入っていた。再び封筒に目をやると、9年前の干支がついた「お年玉つき年賀はがき」の景品切手が貼られている。宛名は書かれていない。

 以下は便箋の全文である。



前略

 俺はこの手紙を出すのかもしれないし、出さないのかもしれない。まあ、届いたならば気休めに読んでもらいたい。君とは長い付き合いだし。

 俺は最近ずっと、「人間とは分かり合えるものなのだろうか」ということを考え続けている。サークル内での話し合いや人間関係が面倒くさすぎるのだ。何故かまわりと理解しあえない。

 知ってると思うけれど、自分は人間関係を構築するのが得意ではない。周りが笑っていて、自分だけが笑っていないとき、どうしようもなくつらい思いがする。

 他者は常に謎として現れる。どんなに理解したと思っても、他者は謎なままだ。「理解した」といっても程度の問題。

 こんなことを書くと、「あなたは不幸な人ですね」といわれるであろう。けれど、それが私の実感だ。 

 前に無性につらいときがあってね。誰かが自分に言った一言が、心の中で何度も響き続けるんだ。歩いていても、自転車に乗っていても、耳の奥で何度も再生されている。自分が今までやってきたことは、全部ムダだったのかな、って思えてきたのよ。

 急いで家に帰り、思わず流しにあった包丁を手に取ったんだ。そしてその包丁の刃先を左手首に押し当て、手前に引いた。包丁、全然研いでなかったからね、ほら、手に輪ゴムを巻いておくと白い後が残るじゃない? あんな感じに手首に白い筋が残ったんだわ。血も何も出ない代わりにね。じっと見ているとその線はゆっくりと消えていった。それを見ているとね、なんと言うのかな、ものすごく泣き叫びたくなったんだわ。ひざを抱えるようにして、そのままカーペットに横になったよ。泣き叫ぶなんて、どれくらいぶりだろうね。しばらく泣き続けていた。

 こんな日に限って、人と会う約束があったんだ。少し落ち着いた後は椅子に座り、ボーっとしていた。涙も乾いた頃、待ち合わせ場所である早稲田駅に向かう。最悪の状態でも、人と話すのっていいもんだね、自分の実存的な寂しさが、人と話している間は忘れてしまえたよ。

 最近、けっこうバイトやなんかを多く入れている。暇な状態でいるのが怖いんだ。忙しくしている間は、自分のことを考えないですむ。それに、何かやっていると少なくとも世の中の役に立っているような気がしてくる。

 今日ツタヤに行ってきて、さだまさしのCDを借りてきた。さだまさしって、けっこういい歌を歌ってるんだよ。思わず何度も聞いてしまったのは「普通の人々」という歌。多分、知らないだろうけどね。

「退屈と言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆く程 暇もない毎日」

 この歌詞、非常に刺さってくるんだわ。暇がありすぎると、自分の孤独や不幸さと向き合ってしまう。多くの人、つまり「普通の人々」は忙しさを武器にこれらと向き合わないようにしているんじゃないか、と思う。でも、さだはこの歌の中で、こういう「普通の人々」の行動では本質的な解決にはならないことを伝えようとしているんだ。

 いま、「孤独死」が増えているって、知っている? マンションとかで一人で誰にも看取られずに死ぬこと。お年寄りだけが対象だと思っていたけど、そうじゃないみたいだね。ものの本によると、孤独死しているのは45から60くらいの男性が多いみたい。奥さんに離婚された後、生きている気力がなくなり、そんなタイミングで病いにかかってしまう。それくらい、「孤独」ってこわいことみたいだね。

 だから仕事で寂しさを紛らわしていることって、なにかの機会で孤独死してしまう可能性があるよね。

 先日、大学1年生のときの友人と会ったよ。俺の酒の量が増えているといっていた。「昔はビールでも赤くなっていたのに、ウイスキーのロックを普通に飲んでいる」とね。そういえば寂しさに任せて、家でけっこう飲むようになっていたな。なんとかしないと、自分も孤独死することになりそうなんだ。アル中で死ぬ人もいるしね。

 さだの「普通の人々」は、次の歌詞で締めくくられてるんだ。

「何も気にする事なんかない なのに何か不安で

 No Message

 寂しいと言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆くほど 孤独でもない

 生きる為の方法は 駅の数程あるんだから

 生きる為の方法は 人の数だけあるんだから」

 さだの音楽を聴いていて、自分の「生きる為の方法」を探すしかない、と思うんだよね。なかなか、難しいことだけれど。

 ちょっと前の話だけど、イベントのビラをもらった際、「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」というフレーズが載っていた。俺の実感と非常にあっているような気がした。 

 中世や前期近代と違い、僕らが生きている近代成熟期、いわゆるポストモダンの時代は「こうすれば生きていける」「こうやれば幸せになれる」という図式が完全になくなっている。何をやってもいい、だけれどもそれで自分が幸せかは別問題。それでいて、まだ社会には前期近代の考え方が残っていて、「そんな生き方、許されると思っているのか」といわれることもかなり多い。「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」ことが、まだまだ難しい。でも、将来的にはそういう生き方をするほうが幸せになれる気がする。

 元の話に戻るけれど、どうせ人間は分かり合えない。それは否定しようのない事実だと思うんだ。けれど、そこで諦めるんじゃなくて、それを乗り越える方法が必要なんだろうね。その方法、俺にはあんまりよくわからないけど。

 いまカーテンを空け、空を見上げてる。隣のアパートの上方には相変わらずの、青い空。秋の澄んだ空に小さな雲が浮かんでいるのを見ると、どことなく壮大な思いがしてくる。

 人間なんて小さな存在だ。話して分かり合えるとか、分かり合えないとか、どうでもいいことのように思えてきた。別に分かり合えなくても、人間どうし、共生することは可能なのではないかと思った。

 こんな駄文を最後まで読んでくれて嬉しいよ。ありがとう。特に伝えたいメッセージがあったわけでもないのに、ごめんね。

                           加山

 平成14112




 手紙の全文をノートパソコンで打ち込むのは面倒であったが、ようやく終わった。加山さんは几帳面な小さな文字で、便箋を埋めていた。私には趣旨の理解できないところもあったが(私はさだをほとんど聴かない)、なぜかしら打っているうちに涙が出てきた。

 加山さんという人は、なぜこんな手紙を書いたのだろうか。封筒に宛名を書かなかったところを見ると、本当は誰かに出すためではなく、自分自身のために書いたのではないだろうか。

 書くことは、しばしば人を救済する。自分自身が自分自身の状況を踏まえた文章を書くことで、問題が解決することがある。ゲーテは自殺しそうなくらい、恋愛で思い悩んだ。小説の主人公に自殺させることで、ゲーテ自身は生き残ることができたのだ。きっと加山さんは自分だけのために、自分が自分のことを整理するためだけにこの手紙を書いたのだ。

 レヴィナスは<時間とは、自分が他者になるプロセス>だといった。過去の自分はいまの自分とは違う。時間が経てば経つほど、自分は他人に近づいていく。物を書くという行為は、未来の自分という「他者」に宛てて書く手紙である。

 映画『ライムライト』において、チャップリンは語る。「時間は最高の芸術家だ。いつも完璧な結論を書く」。小学生のとき観た時はわからなかった言葉だが、いまならば意味がよく理解できる。

 早まった行動をするくらいなら(加山さんは手首を切ろうとしている)、「解決は将来に任せた」と判断留保をするという行動が必要なのではないだろうか。

 大家さんに、自分の前にアパートの201号室を使っていた人のことを尋ねてみた。必ず月末に家賃を納めていて、家にいることが多かった人のようだ。なにやら人間関係で苦しんでいたらしい加山さんは、ずいぶんと真面目な人であったのだ。余談だが、この部屋に入りたての頃、日本経済新聞の集金の人がやってきて危うくお金を払わされそうになったことを思い出す。

 自分に手に入る加山さんの情報はこれが全部だ。アパートの隣の人も、自分が201に入ってから2度代わった。もう誰もアパートのあたりで加山さんを知る人はいない。自分もあと数年後、きっとそうなる。大家さんにも隣の人にも、それほど話をしていない。

 誰も自分の存在を知らなくなった後、将来「ここが自分のアパートだ」と指差したとしても、誰がそれを証明できるのであろう。「私」の絶対性は時の経過とともに薄れていく。いまからそれが怖い。

 人間関係に否定的な加山さんと私とは、かなり価値観が一致している。けれど一つだけ異なる点がある。私は対話による救済を信じているが、加山さんはその道を否定し、自己自らの力だけでの救済を願っているのである。「他人に頼ったら負けだ」との思いが感じられる。

 思うのであるが、加山さんはこの手紙を「君」といっている人に出すべきだったのだ。自己の状況を誰かに伝えた時点で、何らかの解決の糸口が見つかったはずなのだ。それを自分だけで解決しようとしたのが、加山さんの(言いすぎかもしれないが)失敗といえるだろう。

 「どうせ誰もわかってくれない」。そうやって、他者を軽視し、他者へ伝えることを諦めた時点で、加山さんは苦しむ運命にあったのだ。

 以上が私の推理ではあるが、この手紙の主である加山さんと一度会って話をしてみたいと思っている。会ったからどうなるわけでもないが、ひょっとすると加山さんの救いになるかもしれないと思うのである。

 自分が加山さんの状況に陥ったら、どうするであろうか。「君」へ手紙を書き、それを屋根裏に隠すだろうか。書き終えてしまうと、こんな手紙、手元においておくのがつらくなる。茶封筒の色が視野に入るたびに、嫌な記憶が呼び戻される。それに、部屋においておくと誰かが勝手に見てしまうかもしれない。やはり保存するなら屋根裏になってしまう。

 それでも自分なら、「君」に可能性を託して手紙を送るだろう。

短編小説・夏屋さん

 少女が街を歩いていると、一人の中年男性に出会った。寒空の下、その男だけは半袖シャツにサンダル履き。周囲から浮いた姿で屋台をやっている。

「おじさん、何やってるの?」
 少女は尋ねた。「おじさん」と呼ばれたその男性は、
「俺かい? この看板見てごらん。『夏屋』をやっているんだ。夏を売って、お客さんに冬を楽しく過ごしてもらうんだよ」
「へー、そんなお仕事があるのね。全然知らなかったわ」
「この仕事、なかなか大変なんだ。お嬢ちゃん、ちょっと夏を買っていかないかい?」
「おいくら?」
「子どもには1分100円で販売してるんだ。どうだい」
「はい、100円」
 男は手元のかき氷機を手早く回し始めた。下に氷がたまっていくのを少女は見ていた。すると、ふいに自分が海岸に佇んでいる心持がしてきた。海に反射する太陽がまぶしい。
 気づくと、再び男の姿が目の前にあった。
「気に入ったかい、お嬢ちゃん?」
「うん、とても」
「その先に屋台があるだろう? そこには俺の女房が店をやっているんだ。『秋屋』と書いてあるからすぐ見つかるよ。そこから先に行くと俺の親父がやっている『冬屋』がある。ちょっと行ってみな」
 少女は男の言う2つの店に寄ってみた。100円を払い、それぞれの季節を楽しんだ。素敵な仕事だと、少女は思うようになった。そして、独り言のようにつぶやいた。
「わたし、大きくなったら絶対『春屋』さんを開くわ。そこでみんなに春を売るのよ」

実験的小説・作家の日記

X月9日。
 原稿用紙をレイアウトしたパソコンの画面に、今日も幾ばくかの文字を入力していった。今日は某週刊誌に掲載している連載小説の第4回の原稿を書き終えた。ヒロインの美鈴が初登場する場面だ。設定は第一回から変わらない夏の大学である。学生がさびれた夏のキャンパス内。葉の生い茂った桜並木の下を、足音も高らかに登場するシーンである。我ながら、風情溢れる書き方が出来たものだ。なかなかに気に入っている。
 この小説の舞台は大学生の日常だ。自分の大学時代の自伝的小説にする予定である。読者感想を見る限り、すでにこれが私の私小説的側面を持っていることを見抜いた人も数名いるようだ。

10日。
 今日、1通のはがきが来た。今時、ハガキとは珍しい。文字を見たとき、まさに手が震えた。京子からである。淡い記憶が蘇る。彼女こそ、わが小説のヒロイン・美鈴のモデルなのである。
 彼女から、まさか手紙が来るとは…。兼業作家の私は本名を明かさない。職場の大部分の者にも内緒にしている。現にいまの連載の大部分は通勤の車内で書いているのだ。かっきり2時間、一日に執筆していることとなる。ずっとこのペースで仕事をしているのだが、いまの連載になって自宅でも書かないと締め切りを守れなくなってきた。そんなかつかつの状況の中であるが、佐藤孝雄という作家の本名を知るものなど、ほとんどいないはずなのだ。何故、京子から来るのだ?
 奇妙なことに、ハガキの表にしか文字を書いていない。裏面は全くの白紙なのだ。…意味があるはずだ。いつかエッセイで使ってやろう、と思う。

16日。
 第5回の連載を書き、メールに添付して送った。かつての作家は全て手書き。骨の折れるこった。
 今日も京子から手紙が来た。もう5通たまった。このところ、毎日来ている。すべて相変わらず白紙のままである。
 彼女は何をしたいのだ?

19日。
 小説論について、編集者Mとサ店で2時間ばかし、議論する。私の小説観はMとは180度違っている。それゆえに、興味深い議論となったものだ。
 私の持論をまず話した。それは次のものである。「小説にする以前に物語は終っている。読者は作家の創作した過去の物語を享受するにすぎない。読者は作家の追体験をするのみだ。誰もペンを持って続きを書こうとはしない」というものだ。
 Mは反論する。それはこんなものだ。「読書とはもっと創造的な行為ではないのか? 読者の『誤読』ですらも創造性とは言えないのか?」というものだ。

20日。
 京子からのハガキ、今日も届く。もう何通だろうか。不思議なことに、壁のコルクに貼ってあったハガキが全て無くなっていた。鞄に入れたはずのハガキも、気づけば無くなっていた。
 変なこともあるものだ。
 

21日。
 パソコンの過去ファイルから、懐かしい小説原稿を見つけた。
 大学在学中、4年間をかけて完成させた『人々の記憶』。私が実名で登場し、ヒロインの名前も京子である。桜並木の下、共に歩くシーンも、2本立て映画観で愛を確かめあったシーンも、書かれていた。どちらも我が『あいみての』のハイライトである。うまく書けると思ったら、かつて書いた内容であったからか。理由が分かった。
 懐かしい小説ゆえ、しばらく読みふけった。よくもまあ、これだけ自分の記憶を書き残していたものだ。大学時代は暇で良かったなあ。

23日。
 電車内で、驚くべき事実に気づいた。
 何と言うことだ! 私が真実と思っていたことが、全て私の妄想、いや想像力の産物であったとは! 
 いやいや、まだ混乱している。文章が支離滅裂だ。冷静になろう。私の小説『人々の記憶』。はじめに読んだとき、私の過去の経験を全て書き残した自伝的小説の意味合いを持たせていたのだと感じていた。我ながら上手に自らの過去をまとめたものだと感心していた。
 執筆したときの状況を思い出そうとした。これだけの大長編、どう書いたか気になるからだ。しかし、どうやっても思い出せない。書いた記憶すら、かすかにしか残っていない。
 それだけならまだいい。私は『人々の記憶』の中に、京子との記憶だけでなく大学時代の全記憶もがこの小説の中に存在していることを確認したのだ。なじみのS食堂も、L店も、この小説の中に執拗に出てくる。食堂のオヤジとの会話も、すべてこの小説に書かれている。私は本当にS食堂へ行っていたのか?

24日。
 仕事帰り、20年ぶりに母校のW大学へ。存在しているはずの桜並木がない。S食堂も、L店も、影も形もない。大学の敷地の配置が記憶とあまりにも違う。古びた建物全てに、見た記憶がない。

25日。
 さらに恐ろしい事実に気づいた。この『人々の記憶』には私の誕生の瞬間の回想シーンや、小学校時代の記憶など、私の半生の全記憶が書かれている。私の過去の記憶は、過去の私の妄想にすぎなかったのだ。
 では、「本当」の私の記憶はどこにあるのだ? 強く想像したことは五感すらを「真実」として感じさせてしまうようだ。
 小説『人々の記憶』は唐突に終る。「私」がパソコンのキーボードを叩くシーン。カタカタカタ…。カタカタ、という擬音語が延々と書かれている。不意に次の文章で終るのだ。
「過ぎ去りし我が記憶よ、消えてなくなれ! 時は逆回転をしないという。本当か? もし我が記憶を完全に入れ替えることができるなら、それは十分に過去を作り替えたことになるのではないか。恥ずかしき人生を送りし我が人生よ、さらばだ! 私は4年の歳月をかけ、『人々の記憶』を完成させた。この小説こそ、わが「記憶」となり、「過去」となるのだ」
 私が「記憶」と思っていたもの全てが、私の妄想にすぎなかったのだ! どうすればよいのだ! 

26日。
 記憶が嘘をつくのだ。美鈴なんて、いやしないんだ。ましてモデルの京子なぞ、存在するはずがない。存在してはならない。それをいうなら私は一体なんなのだ? 私の記憶にない本当の「私」の記憶はどこへ行ったのだ? 
 そういえば、私の時間感覚は大学卒業後からまともになった。それまではフワフワした感覚的記憶でしかない。学生の気楽さの産物だと思っていたが、どうもそうではないらしい。
 過去の私は自分の「過去」を変えるため、4年間の歳月をほぼ文章入力に費やした。そしていまの私につながる、まがい物の記憶を頭の中に入れたのだ。
 私は、過去の私が書いた壮大な物語を、事実として受け止めていた。過去の私という作家の書いた文章を、追体験していた「読者」にすぎなかったのだ。『人々の記憶』にない内容の記憶も、あることにはあった。しかしそれはMの言う「読者の誤読」による記憶とは言えないのか?

27日。
 いったい、過去の私は何故このように大それたことを行ったのだ? 何があったのだ? 私の身に、過去を消したいほどの不幸があったのか? ひょっとして聞くに堪え難い犯罪でも成してしまったのか? 記憶にないため、もはや何もかもわからない。私は一体、どんな半生を送ってきたのだ?
 過去を知りたい。そうでなければ、生きる価値がない。

29日。
 人は死ぬ瞬間、いままでの半生を走馬灯のように思い出すという。手元にカッターナイフがある。挑戦してみる価値があるかもしれない。いま風呂に湯をはっている所だ。左手首に深い傷を残し、自らは自らの本当の記憶と対面することとしよう。『あいみての』を完成させられなかったのは惜しいことだ。まあ、いいか。どうせ『人々の記憶』の焼き直しにしかならないのだから。
編集者の方:この日記をもしご覧になり、興味を持たれましたら、ぜひとも『あいみての』の代わりに御掲載願えますか? 私は命を賭けても、真実の過去を、それこそ「走馬灯」のように味わおうとしたのです。過去を知らずに生きている苦痛に比べれば、そちらの方が幸いです。文字数が足りなければ、『人々の記憶』の原稿が、デスクトップの『小説』フォルダに入っております。どうぞ、存分にご活用ください。

高校生と語るポストモダン 〜近代と教育と構造主義を語る〜

高校生と語るポストモダン
〜近代と教育と構造主義を語る〜

扉の言葉

 学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである
林竹二『学ぶということ』)

  私は早稲田大学教育学部の学生である。本業としての教育学の研鑽とともに、ボランティアとして母校の高校によく行く。大体、週1回は。高校生の悩みを聞い たり、勉強を教えたりするためである。ふざけ話に花が咲くこともあれば、1対1の真剣な対話になることもある。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりため になる。そんな時もある。
 あるとき、自分が書籍や友人との会話・授業などで学んできたポストモダン思想を、高校1年生のH君に語った。彼は私の話を熱心に聞いてくれ、「へー、こんな考え方があるんですか!」と驚嘆していた。この本はこの際の対話を文章化し、再構成したものである。

  よく考えれば、大学受験の「国語」ではフーコーやデリダなどの思想家がざらに登場する。けれど高校の授業ではポストモダン思想について何の説明もなかっ た。かくいう私も受験生の頃は訳も分からず問題を解いていた気がする。ポストモダン思想を高校時代に学んでいたら、受験「現代文」ももっと解けていたこと だろう。この本の執筆動機のひとつには高校生に分かりやすくポストモダン思想を伝えたい、ということがある。

 高校の授業は20世紀以前の科学観を学ぶところだ。少なくとも、一昔前の科学が教科書に載っている。現代文も然りである。
  私の大学での専門はオルタナティブスクールの研究だ。オルタナティブスクールとは、近代公教育制度のアンチテーゼの発想である。近代の持つ問題点を乗り越 えようと闘い続けている教育となっている。これを学ぶにつれて、「高校時代に知っていればよかったのにな」と思うようになった。近代教育には「国民育成」 の発想がつきまとう。無理矢理に子どもに「日本人」意識を芽生えさせる教育。それゆえ子どもの意思は問題にされない。私は高校までの学校での学習のなかで 常に気持ち悪さを感じてきた。ハッキリ自覚するようになるのは中学からだ。ニュースや読書によって知っていた情報を、授業の中ではさも知らないかのように 振る舞わなければならない。特に高校からだが、教員の話と私のすでに知っていた知識とが食い違い、「どっちが正しいんだろうか」と迷うようになってきた。 〈子どもは何も知らない白紙のような存在だ。だからこそ全てを教えなければならない〉というテーゼが存在しているかのようだ。子どもに無理矢理に多くを教 え込む教育を、パウロ=フレイレは「銀行型教育」と批判する。預金者たる教員が銀行である生徒に、知識という貨幣を預金していく。銀行はそのお金を活用で きないまま歳を取っていく(本当の銀行ならば預金を貸し出し利益を得るのだけれど、「銀行型教育」の銀行はただ蓄えることしか出来ない)。だんだんと「ど うせ教えてもらえるのなら、予習しなくてもいいや」と思うようになってくる。教えてもらうのを待つようになってくる。こうして近代教育は受け身の人間を作 り出すのに成功したのだ。私はこの〈教えてもらうのを待つ〉姿勢を崩すのに、大学1年目の大半を使ってしまった。
 この本を書くことで、私は私の 大学までの学校生活の’清算’をしたいと思っている。学校生活のなかで感じた学校文化の気持ち悪さ・居心地の悪さを再確認したいのだ。本文にもあるが、学 校制度は人類史から見ればほんの最近にできた代物である。まだまだ試行錯誤段階である。教育学者を目指すものとして、まだ学校生活を終えて早い間に、自分 が感じた「学校の気持ち悪さ」を書き残しておきたい。

 この本を読まれる高校生の方。もしあなたが今通っている学校に居心地の悪さを感じ ていたとしても、それはある意味当然のことなのです。「学校なんて、そんなものだ」と諦めておくのがよいかと存じます。学校は完全ではないのです。もし気 持ちの悪さを抱いているのでしたら、それはあなたに問題があるのではなく、学校とそれを支えている近代思想に問題があるのです。居心地が悪かったとしても 決して中退することなく、しなやかに・したたかに学校生活を終えていただくことを念願しております。

目次

●序

●近代学校はいつできたのか?
●近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。
●近代教育観の見直し。
●フリースクールとは?
●偏差値文化の日本。
●環境問題の、本当の解決法とは?
●対話の不可思議さ。
●一流に触れよ!
●参考文献

●あとがき

近代学校はいつできたのか?

 A君は早稲田大学 教育学部の3年生。著者である私の分身である。一見博識なようだが、たまに繰り出すギャグの寒さは有名である。対するB君は「序」のH君の分身でもある。高校1年生だ。A君がB君の元にやってくるところから物語は始まる。

A:ちは、B君。元気?
B:あ、先輩。はい、元気ですよ。
A:お、勉強中か。どう? 進んでる?
B:うーん、まずまずですね。受験があるから仕方なくやっているんですけど。
A:勉強は大変だよね。「強いて勉める」って書くくらいだからね。無理にさせる、っていう通り、楽しそうな響きのない言葉だからね。
B:マイナスばっかりの言葉ですね。
A:だから勉強が楽しいはずはないんだよ。だって無理矢理にやっているんだもの。だから僕は意識的に「学び」という言葉を使ってるよ。
 「さあ勉強しよう」ではなく、「さあ学ぼう」の方が軽い感じがしないかな?
B:確かにそんな気がします。Aさんの「学び」って具体的にはどんな意味なんですか。
A:「学び」というのは意識的に自分から知っていくことだね。
 辞書には「(1)まなぶこと。学問。(2)まね。まねごと」と書いてあるよ(『大辞林』)。回りや本を見て、それを真似ていく。その姿から出た言葉だね。
B:「強いて勉める」勉強と違って、「学び」は自分から真似るところから始まるんですね。
 学校では「勉強しよう」とは言っても、「学びをしよう」とは言いませんね。
A:「学び」自体は、きっと人類が始まったころからあっただろうね。赤ちゃんって、まわりの大人の話を聞くなかで、「ダーダ」とか言ってまねしていくよね。そして段々ちゃんとした言葉がはなせるようになってくる。少しずつ、ゆっくりと修得していくイメージだね。
 「学び」と違って「勉強」は集中的に学習するというイメージになるね。学校や塾では「真似をしていこう」とは言わないしね。だいたい、赤ちゃんに「勉強しよう」とは言わないね。
B:そういえばそうですね。「一生懸命、勉強しよう」などと僕もよくいいます。
A:ところで学校って存在は、昔はなかったんだ。だからB君がこうやって学んでいるのは人類史のほんのひとときにすぎないんだよ。
B:え、本当ですか? いったいいつ、学校ができたんですか?
A:日本においては明治の近代化の途中だ。日本史で明治維新ってやったでしょ? 
B:日本史選択でないので、やってないです。
A: じゃ、中学の記憶を思い出して。明治維新の途中の1872年(明治5年)の《学制》っていう法律により、日本では学校を作ろうとしたんだ。きちんと今みた いに義務教育制度が確立したのは1900年の《小学校令》という法律が出たときである、と言われているけどね(安彦ほか2004)。
B:Aさん、すごいですね。よくそんなこと知ってますね。
A:まあ、教育学専修だからね(意気高々)。
 ともあれ、《小学校令》によって義務教育制度はひとまず成立する。
B:中学校は?
A:当時は小学校のみが義務教育の対象だったんだわ。そしてしばらくは4年間だけが義務教育だった。1907年に6年間になるんだけどね。
 こうして、近代を支える義務教育制度が成立する。
B:義務教育って、単に学校へ皆が行くだけじゃないんですか? 「近代を支える」って大げさじゃないですか。
A:それがちょっと違うんだ。近代において教育というものは、国家の権力の現れなんだよ。明治政府は近代学校を通じて「日本人」を作り出そうとしたんだ。
B:えっ、じゃ明治時代までは「日本人」って概念がなかったの?
A:そうなんだよ。さっき「概念」っていっていたけど、まさにそのとおり。「日本人」という抽象的な存在は近代になってできたんだ。江戸時代には「日本人」はいなかった。強いて言うなら坂本龍馬や勝海舟くらいかな。
 日本史の教科書だと、確信犯的にはじめから「日本」や「日本人」という概念が存在していたように書いている。でも本当は違うんだ。
 ところでB君、出身はどこだっけ?
B:神奈川です。
A:昔は神奈川でなく、相模の国とよんでいた。
B:レストランにもそんな名前のがありますね。
A:うん、そうだね。
 相模の国。これはつまり「国」なんだよ。明治時代までは、全国的な国家というものはなかったんだ。あるのはそれぞれに王様がいるいくつもの「国」だけ。藩じゃないよ。
B:でも江戸時代には幕府の将軍がいましたよ。
A:当時は王様である大名の上に、さらに権力者がいたという感じなんだ。日本だとあとは天皇もいるし。
 こんな感じに、中世はバラバラな時代だったんだ。
 あ、中世って知ってる?
B:実はあんまり・・・(笑)。
A:高校じゃ、しっかり中世とかの区分を教えないから、歴史がわからないんだよね。中世っていうのは、日本だと鎌倉時代から江戸時代まで。鎌倉から室町までを中世とし、安土桃山時代から江戸時代を近世ということもあるよ。
  中世は封建制の時代なんだ。中学校の歴史で鎌倉幕府の「御恩と奉公」って習ったじゃない。これは次のようなシステムなんだ。まず各地の実力者である武士 が、鎌倉幕府に忠誠を誓う。何かあったときや幕府に呼ばれたとき、すぐに参上する。「いざ鎌倉」ってやつだね。こうやって幕府に忠誠を示すんだ。「奉公」 という。
 「奉公」する代わりに、幕府から自分の支配している土地の支配権を認めてもらう。また、功績があれば幕府からご褒美として新たに別の土 地の支配権を受け取る。これが「御恩」。言ってしまえば、幕府が一応日本全体を支配しているけれど、実際のところ支配者である武士が各地にたくさん存在し ているんだ。  
 日本全体がバラバラな時代。それが中世なんだよ(安藤1994)。
B:うーん、難しいけど何となくわかります。
A:何の話だっけ? そう公教育の話だ。明治以前は相模の国とかがあって、日本列島はバラバラだったんだ。そこでは方言が普通にしゃべられていた。いまよりもずっとキツい方言がね。いまは標準語というものがあるけど、明治時代まで統一的な日本語はなかったんだ。
B:へー。じゃ、いつ日本語ができたんです?
A:これも近代に入ってからだ。ここでは近代の開始を明治維新ということにしておくよ。
  皆が方言をしゃべると、日本国民としての統一感がなくなる。同じ「日本人」なのに言ってることが理解できなかったら困るからね。だから日本の標準語を作っ た。東京の山の手あたりではなされていた方言を元にしてね。面白いことに、標準語は東京から遠く離れた山口弁の影響も受けているんだ。当時は長州藩出身の 政治家・役人が明治政府の要職を占めていた。伊藤博文とか長州、つまり今の山口出身だね。そのために山口弁の影響を多く受けたらしい。
 で、新しく作った標準語をどうやって徹底させるか? それを行ったのが公教育なんだ。公教育の中には「国語」や「歴史」の時間が設けられた。それにより日本語をしゃべり、日本の歴史を学び、「日本人」という意識を持った「日本国民」が形成されていくわけだ。
 この標準語政策が特に厳しく行われたのが、B君が修学旅行に行く沖縄だ。
B:僕らの代から、東北になるらしいですよ。
A:えっ、マジで? それは寂しいな。何で変えちゃうんだろう?
 ・・・まっ、とにかく沖縄では学校で方言をしゃべると、「方言札」というのを首からかけさせられ、厳しい罰をうけたらしい。まだ子どもなのに、ね。
B:ひどいことをするもんですね。
A:近代の負の側面の一つだろうね。ともあれ近代は統一を重視する。江戸時代までみたいにバラバラなのを嫌うんだ。

近代において、土地所有制度は、いかに変わったか。

A:近代では土地所有制度も変わった。土地は、地主だけの物となったんだ。これ、当たり前じゃないんだよ。
 中世までは〈誰でも利用してOK〉の、農村の入会地(いりあいち)という土地があった。いわば共有地だね。この入会地も、「誰それさんの土地」や「国有地」などに変わった。
 中学校で地租改正ってやったでしょ? 地券(ちけん)というものを発行し、その地券をもっている人が土地所有者として、年に土地の値段の2.5%を政府に納税するっていう制度。この地租改正により、日本のあらゆる土地の持ち主が明確になった。
  近代までは、土地をもっていても他人に奪われる可能性があった。だから貴族・皇族・寺社・武士など有力者に「この土地の支配権をあげます」と土地を寄進し た。有力者の方は「ありがとう。収入の一部をいただく代わりに、あなたにその土地を管理してもらいましょう」といって、保護をするんだ。ややこしいのは、 この次。寄進をしてもらった有力者といえども、絶対的な力を持っている訳でない。だからその有力者は自分よりエラい有力者に、さらに土地を寄進する。する と、どうなるか?
 表面的には土地のすぐそばに住む武士が、土地を支配しているように見える。でも実際の持ち主はその武士が土地を寄進した有力者 や、その有力者がさらに寄進した相手である。あー、ややこしい。近代に入って、このごちゃごちゃした土地制度を解消するために、「この地券をもっている人 が本当の支配者よ」ということにしたんだ(安藤1994)。
 ・・・「チケン」か。危ないバイトみたいだ。
B:何の話ですか?
A:いやいや、こっちの話。大学に入ればきっとわかるよ。
 さて。「日本」とか「日本人」とかは抽象的な物だ、ということは話したね。そしてこの「日本」「日本人」っていう概念は近代において出来上がった、と。これ以外にも、近代ではいろいろなものが新たに成立した。その一つが「国家」であり、公教育なんだよ。
B:そうなんですか。勉強になります。
A: だから近代において成立した物は、絶対的な存在ではないんだ。僕らは「もともとあったんだ」と思ってるけどね。フーコーも言ったけど、人間は自分の見てい る物は「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるだけなんだよ(内田 2002)。

近代教育観の見直し。

A:今の世の中を見ると、学校制度って言うものが、さも〈昔からあった〉ように思える。けれど、学校制度は近代までは存在していなかったんだ。
B:寺子屋は?
A: あれは余裕のある人だけがいったんだ。多くの子どもたちが寺子屋に行った地域で8割、ほとんど行っていないところでは2割も通っていないんだ。《皆が学校 に行く》という制度は近代になってからできたんだ。だいたいね、寺子屋は民間経営なんだ。幕府が意図して設立した訳ではないんだよ(安彦ほか2004)。
 寺子屋の数がすごいんだわ。江戸時代、総人口は四千万人に満たなかったのに全国には一万六千の寺子屋があったんだ(谷沢1995)。いま日本には小学校が約二万二千校あることを考えても、驚異的な数だね。
B:子ども全員が言った訳じゃないのに、本当にたくさんあるんですね。
A:学校はよく見てみると、非常に近代的な物なんだ。否定的な意味でね。フーコーっていう学者がいるんだけど、知ってる?
B:はい、《フーコーの振り子》ですね。
A:そのフーコーは科学者のレオン=フーコー。ここではミシェル=フーコーを指すよ。フーコーはフランスの哲学者。代表作に『狂気の歴史』がある。
 フーコーは、‘学校はあるものをモデルにして作られた’といっているんだけど、そのモデルって何だと思う?
B:うーん、寺子屋とか?
A:答えは監獄。
B:え、牢屋ですか?
A:そう、そうなんだよ。監獄では看守が受刑者を見張るシステムができている。
 学校には怪談話があるでしょ? トイレの花子さんとか。
B:小学校にありました。音楽室のベートーヴェン像が笑うとかでしたっけ。
A: 学校という、子どもが生活する場所において怪談が語られること自体、学校が過ごしやすい場所でない象徴なんじゃないかな? 学校が非人間的な物である証拠 かもしれない。だいたい、学校制度は完成された制度じゃなく、多くの不備を抱えているからこそ常に何らかの教育問題が騒がれているんだよ(田中 2003)。
 ある人がこんなことを言っていた。「教育こそ問題なのだ。教育の問題ではないのだ」(林1989)と。これを学校って言い換えると、実に的確な指摘になる。
 B君は学校を休むと「悪いことをしたな」と思うでしょ?
B:はい、思いますね。
A:それも近代特有な物かもね。この弊害は結構大きい。
  不登校の子っているよね。不登校の子は、結構苦しい思いをしている。それはその子自身が「学校には何があっても行かなければならない」と思っているからな んだ。いま学校に通っている人たちの中にも、同じ思いの人がいるんじゃないかな。「学校は何があっても行くべきだ、たとえいじめがあったとしても」と。
 この近代特有の思い込みのせいで、つらい思いをしている人がいる。本当は教育が子どもの幸福のためにならなければいけないはずなのに、残念なんだわ。

フリースクールとは?

A:B君はフリースクールって知ってる?
B:たしか不登校の子たちが通う学校では?
A:そうそう。
  僕の尊敬する人に奥地圭子っていう人がいるんだ。この人は22年間、小学校の教員だった。あるとき、奥地さんの息子さんが学校に行けなくなる。《どうした らいいんだろう》と途方に暮れたんだけど、それがきっかけで不登校の子どものための学び場を作ろうと考えられたんだ。海外にあったフリースクールを元に 〈東京シューレ〉っていうフリースクールを作ったんだ(奥地2005)。
 近代公教育制度は、たしかに日本の近代化に役立った。近代公教育が多くの子どもたちに有効であったからこそ、今日の日本の繁栄があるんだろうとは思う。けれど制度を作るとそこから外れる人が必ず出てくる。不登校の子どもは絶対存在するんだ。
 子どもの個性は一人ひとり違う。同じ場所に行っても、楽しいと思うかそうでないかは人によって違う。ディズニーランドも「嫌いだ」って言う人、いるでしょ?
B:そんな人、みたことないよ。
A:おかしいな…。俺の友人が変なのか?
  …えっと、子どもの個性は一人ひとり異なる。学校があわない、っていう子は必ずいるんだ。でもそういう子たちを無理に学校に行かせようとしてきたのが今日 の教育制度だ。本当はそういう子たちが行きやすい学校や教育機関を作っていくべきじゃないの? 靴のサイズが合わないとき、足を小さくしようとしないよ ね、靴を選び直すよね?
B:そうですね。
A:奥地圭子さんは不登校の子のための学校を作った。そこがすごいね。
B:フリースクールだとどういう授業を行っているんです?
A: 厳密にいえば、フリースクールによって違う、としかいえないかな。〈東京シューレ〉のケースで話すよ。東京シューレでは、子どもたちは来たいときにきて、 好きなときに帰ることができる。そして、子どもたちは思い思いに時間を過ごす。勉強したければスタッフに教わる事もできるし、自分だけで学ぶ事もできる。 勉強したくなければ、遊んでいても、何をしていてもいい。そんな所だった。
 僕が見学に行ったときは、問題集をやっている子の横で漫画を読んでる子がいた。キッチンではスタッフとともにクッキーを焼いている子もいたし、4人くらいでボンバーマン(テレビゲーム)をやっていたわ。外でバドミントンをしている子もいたしね。
 皆、不登校だったとは思えないくらい生き生きとしている。もし東京シューレがなければ、ずっと暗い思いにうち沈んでいたのかもしれない。
B:フリースクールって、重要な意味を持ってるんですね。
 でもフリースクールって民間が運営してるんでしょ? 月謝とか、かかるんじゃないんですか。
A: うん、金銭の問題はどうしようもない。実際、東京シューレでは4万円くらいかかるみたい。だからフリースクールに金銭的理由で通えない子どもはいるだろう ね。ある程度、親に年収がないと結構きつい。矛盾しているようだけど、フリースクールに行けるのはある程度のエリート層であるといえるかもしれない。
 ただ、いま日本には奨学金制度があるね。フリースクールに通っている子にも支給されるようになったらもっと通いやすくなるだろうね。
B:もっと活動に支援が与えられるといいですね。
A:フリースクールの運営にはお金がかかるんだ。場所代・設備費・光熱費とかだね。ここは必ず必要な費用だから、自然とスタッフの給料が減らされることになる。まあ、ボランティアの人にはあんまり関係がないけど。
 フリースクールのスタッフの雇用条件は結構悪いところがあるよ。最低賃金を割ってしまっているところもざらにある。フリースクールをやる人って、「子どものために何かしたい」という人がけっこういるみたいで、賃金がほとんどなくても善意で行っている。
 「NPO30歳限界説」というものもあるね。
B:何ですか? それは。
A:ボランティアみたいな活動ができる限界は30歳、っていう説。
 NPOの運営には当然お金が必要だね。建物を借りたり、道具を買ったりする。大きな組織では会議の運営や報告書作成のためにスタッフを雇ってこなければならない。でも元々こういう組織は儲からない。人びとの「なんとかしたい」という思いによって行っているから。
  若いうちは給料が少ない、あるいはゼロでもアルバイトなどして生きていくことができる。でも結婚を考えたり、「アルバイトでなく、もっと安定のある仕事に 就きたい」と思ってくる時がある。それが30歳前後。そのためにNPO30歳限界説がある。NPOだけでは食っていけなくなるんだ。

偏差値文化の日本。

A:ところで、B君はどこの大学目指してるの?
B:一橋です。
A:あ、俺の落ちたところだ(笑)。がんばってね。
 日本だとよく、偏差値の話が出るね。「オレ、偏差値低くて」とかよく聞くでしょ? 日本人はこれを一生背負っていくみたいだよ。別に学歴社会は日本だけじゃなく、アメリカとかのほうがひどいけどね。
  日本だと、学校ごとに序列があるじゃん。この学歴とか偏差値で人が分断されるのも近代特有だね。たとえば、中学の友人に「俺、早稲田行ってるんだ」という とき、僕自身優越感を感じてしまう。これ、本当は捨て去らなければならない感覚なんだけどね。僕も近代に毒されているわ(上野2002)。
 この近代の限界が、いまいろんなところに現れている。学級崩壊とかそうだね。30年ほど前はこんなことはなかった。学校で学ぶのが当たり前だと思われていたからね。でもいまはこの〈当たり前〉っていう感覚が崩れかけているんだ。近代公教育制度の限界を感じるわ。

近代の発想の限界。

A:近代の限界は、環境問題がその最たる物なんだわ。で、近代的発想っていうのは、フランスの哲学者デカルトからきている。デカルトのいった有名な言葉があったね。
B:「我思う、ゆえに我あり」ですか。
A:そう、それ。コギト・エルゴ・スム。
 「世の中の物は、本当に存在するのか? ひょっとすると、俺の妄想にすぎないのではないか?」。デカルトはこの疑問を長い間持ち続けた。そしてあちこち旅をする。あるとき、突然浮かんだのがさっきの言葉だ。
 「すべては疑わしい。実際には存在しないのかもしれぬ。でも俺という存在、つまり〈考えている〉実態がある。これだけは確かだ」と気づくわけだね。一切の存在を疑うという行為をしている、自分自身の理性の存在に気づいたんだ(青木1997)。
B:一つのドラマですね。
A:このデカルトの発見は、科学文明に絶大な影響を与えた。「我思う、ゆえに我あり」というとき、自分という存在は観察する物から離れた存在となる。よく客観的、とかいうでしょ? この客観的っていう言葉は、デカルトの発見を元に成立している。
  観察する自分がいる。そして観察される物がある。(鉛筆を持つ)ここに鉛筆があるね。客観的に見るとは、この鉛筆を自らの思いを一切入れず、そのまま見つ めることになる。いったい、この鉛筆は何からできているのか。なぜこのような形状なのか。こんな感じでひたすら観察する。
 このとき、「これを使うと勉強がはかどりそうだ」とか考えてはいけない。自分の思いを押し殺して、「客観的」に冷静に見つめるんだ。自分の解釈は入ってはならない。
 …とまあ、デカルト以来、人類はこんな観察態度をすべてのものに対して、向けるようになったんだ。
B:へー、「客観的」ってよく言ってますけど、そんな意味合いがあったんですか。
A:この観察の仕方により、人類の科学は飛躍的に進む。それまで中世の神話や迷信によって遮られていた世界の解釈が、可能になったんだ。
 デカルト的に物をみることにより、水という物質の性質が観察され、蒸気機関が発明される。産業革命だ。蒸気機関に必要なのは水もそうだけど、水を沸騰させる燃料。当時は石炭を使った。
B:ああ、中学で学びました。スチーブンソンとかですね。
A:電気という目に見えない物すら、人間は観察できるようになった。
 このデカルト的な見方が、今の社会をもたらした。デカルト的な見方は、自分と対象をたて分ける。そして相手を徹底的に観察する。この考え方が、自然と人間という二項対立を成立させた。ここに、キリスト教の一説が反映される。
 こんな一節だ。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。(中略)あなたたちは産めよ、増えよ。地に群がり、地に増えよ」
(『旧約聖書』創世記 第9章)

 ここを解釈し、「神は地上の物は人間のために活用していいといっているんだ」と考えた。そのために人間とは無関係である「自然」の破壊が進んでいった。だって、人間は何をやってもいい、人間こそがすべてだ、といっているんだからね。
B:聖書の一節とデカルトの発想が結びついたんですか。この2つにより自然破壊が進んでいくんですね。
 でも、不思議ですね。世界中に近代が広がっているのに、キリスト教の影響をうけて近代が成立しているなんて。
A: それは簡単だよ。近代はヨーロッパで生まれた発想なんだから。そしてヨーロッパは、近代の初期において世界をリードした。産業革命、植民地の建設などはす べてヨーロッパ発なんだ。で、ヨーロッパはキリスト教の影響が強い。だから近代は非常にキリスト教の影響を受けた時代であると言えるんだ(山本 1992)。
 さて、無反応な自然に対し、人間は徹底的に手を加え、活用していく。結果として地球上では砂漠化、温暖化、資源の欠乏などの深刻な被害が出始めている。
B:最近、ほんとうによく騒がれてますね。

環境問題の、本当の解決法とは?

A:環境問題の難しいところは、近代的発想法をしている限り、絶対に解決できないからなんだ。だって、近代は自然と人間をたて分けたデカルトの発想に縛られた時代でしょ? この考え方を人間中心主義という。
  環境問題の解決のため、「資源を大事にしよう」とか「ありがたさを感じよう」とかよく言われているよね。「倹約しよう」という考え方だ。でも、これじゃ問 題は解決しないんだ。「資源を大事に」と言っている人は、仮にみんなが倹約して経済の発展が落ち込んで生活が不便になっても、不満を言わないんだろうか。
B:言ってしまいそうですね。
A:倹約思想は、結局人間中心の発想だ。いままで人間がやりたい放題にやってきたから、それを反省しようというレベルの考え。でも事はそんなに簡単じゃない。
 デカルト的な考えと、キリスト教の考えが融合して環境破壊が起きた。この環境破壊が「近代」っていう発想によって生じた物であるのだから、近代を乗り越える発想がなければ、根本的な解決はできない。人間中心主義を乗り越える新たな思想が必要だ(長尾2001)。
B:そんな思想、あるんでしょうか。
A:ポストモダンっていうやつさ。 
B:何ですか、それ。
A:ポストっていっても、街角にある赤い物じゃない。
B:いや、さすがにわかりますよ。
A:失礼、ギャグのつもりだったんだけど。…寒いね、しかし。
 「ポスト」とは「それ以後」とか「その次」とか言う意味。つまりポストモダンとは「近代を超えたもの」という意味だ。このポストモダンって言葉やポストモダンの考え方は、現代文の入試評論に頻出ワードだから知っていると得するよ。
B:わー、じゃ集中して聞こっと。
A:環境問題を解決するには、一人ひとりが近代の人間中心主義を乗り越え、ポストモダンの発想を持たなければならないんじゃないか、と僕は考えているんだ。
B:それはどんな内容なんですか?
A:近代は、人間のエゴが無秩序にあらわれた時代だ。自然を意のままに操ろうとした。この状態の解決のためには、自己の事だけでなく、共同体意識を持つ必要がある。そして共同体のために自らの欲望を制御する必要があるんだ。
 最近、「持続可能な発展」っていうことばがよく語られるようになってきた。聞いた事ある?
B:はい、現社でやりました。
A:いまあちこちで語られているからね。
 さっき、《倹約しよう、という人は経済が落ち込んだとき不満を言うだろう》という話をしたね。これを乗り越えるのが「持続可能な発展」だ。ESDともいう。
 経済成長と地球環境の保全を両立させる道を探そう、という概念だ。地球環境を安定した状態に保ちつつ、開発を進めていく道を探っていくわけだね。そのためにいまの僕たちの産業構造や意識の構造を見直していかないといけない。そこが難しい。
 開発しなければ、経済成長は見込めない。でも開発すれば地球規模での破壊がおこり、人類は遅かれ早かれ破滅してしまう。このジレンマを抱えているの「持続可能な開発」なんだ。
B:「持続可能な開発」をすれば、環境破壊の問題を解決できるんですね。
A:そうはいうけど、難しいよ。
 個人の自由を保障しながら、未来の子孫を含む人類全体の安定を図っていく。これが難しい。自分の欲望をどこかで抑えないといけない。それも、意識的に、継続して。
 「持続可能な開発」のためには、人間の発想の根本的な変革がいるんだ(長尾2001)。
B:本当に大変なんですね。
A:端的に言うと、次のような発想をすることが、「持続可能な開発」を行う事じゃないかな。
 《可能な選択肢はたくさんある。けれど、世界のため、未来の子孫のために、あえて自分に不利益をもたらす選択をするのを辞さない》。こんな行動をする人が増えないといけない。
B:どうやって増やすんです?
A:うーん、対話をしていくことだろうね。それしか人間の意識レベルからの変革は図れないからね。
 近代を乗り越えるためには、究極的には人間の生命次元からの、根源的な変革が必要だろう。対話の実践によって、ね。これがなければ世界が終わってしまうことになるんだ。
 ここの部分は非常に難しいから、もっと勉強していくつもりだけどね。

対話の不可思議さ。

A: さっきからこうやって対話してるけど、対話っていうものも不思議なものなんだよ。対話をしてるとき、よく自分の中にあるメッセージがそのまま口に出てくる と思うじゃない? でも本当は違う。構造主義っていう考え方があってね、それによれば人間の話す内容はその人が作り出すのでなく、いままでその人が会った 人、読んだ本などの無数の影響を受けているんだ。また日本語を話す限り、日本語に基づく内容でしか話すことができない(内田2002)。
B:当たり前じゃないですか。
A:そうとも言い切れないんだね。B君が僕に話すとき、はじめにB君の言いたいことがあって、それが言葉の形で表現されている、って思うでしょ?
B:はい、そう思います。
A:20世紀に入って、その考え方は否定されるんだ。僕らは日本語っていう言語で話すね。この言語というものを離れては、人間の意識や意思は存在することができないんだ。人間の意識はつねに言語的なものとして言語に規定されている。
 ためしに、言語を使わずに考えてごらんよ。できる?
B:(しばらく沈黙)…できないです。
A:ね。つまり僕たちは言語を離れて物事を考えることはできない。自由に物を考えているつもりでも、「言語」の制約がかかるんだ。
  また、対話をするとき、相手の発言によって「自分の心の中にある思い」が引き出されて口からでてくる、と普通は思う。でもこれも違う。「自分の心の中にあ る思い」は、言葉によって「表現される」と同時に生じるんだ。心の中で考えるときも、日本語の語彙を使って、日本語の文法規則に従って、日本語で使われる 言語音だけを用いて作文をしているだけなんだ(内田2002)。
 自分が言葉を語っているとき、言葉を語っているのは自分そのものではない。自分 が習得した言語規則、自分の学んだ語彙、自分が聞き慣れた言い回しや他人から聞いたり読んだりしたことが、自分の「思い」・「考え」になるんだ。よく「僕 の持論は…」とかいうね。この持論にいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」なんだ。
 また、対話だったら直前に聞いた相手の発言をうけて、いままで思ってもいなかったことが「自分の思い」として出てくることがある。つまり、純粋な自分の思いは、存在しないんだ。
B:へー、恐ろしい!
A: こんな感じで、対話をしているとき「これは自分の考えだ」と思っても、それは自分の住んでいるところの文化・規則(先の話で言う日本語の規則のこと)や直 前の対話、いままで読んだり聞いたりしたことの結果として表現されるにすぎない。このような考え方を構造主義という。

一流に触れよ!

A:さっきフーコーの話を出したけど、フーコーは構造主義の代表人物だね。構造主義とは人間の意識や考えは、言語や文化などの「構造」の影響を受ける、ということをいっているんだ
B:構造主義ですか。さっきの説明を聞くと、よくわかります。
A:人間は、自分が見聞きしたものの影響を受ける。また自分が見聞きしたものにより、自分の考えが作り出されていくんだわ。
  だからこそ、一流のものや人に意識して触れていかないといけない。二流・三流の雑誌やつまらないゴシップ記事ばかり読んでいては、自分の考えもそれらに毒 されてしまう。しかし、一流の本や一流の人物に触れていれば、自然に自分の考えも一流のものとなっていくはずなんだわ。
 骨董品のお店に弟子入り すると、まずしばらくは一流品、つまりホンモノのみを見るように命じられるそうだよ。そうするうちに、自分の精神も一流となり、偽物・まがい物をみても直 感で「これは偽物だな」と気づくようになるそうだ。両替商で偽金を判断するための訓練としても、似たようなことを実践していたらしい。
 だから、読んでも無駄な本・雑誌は極力読まない方がいいよ。知らない間に自分にマイナスの影響を与えるからね。読むなら一流の名著を。一人、気に入った作者が見つかったら、その人の言葉を自らのものにする、との決意で徹底的に読む。
 いまのは読書論だったけど、対人間に対しても同じことが言える。「この人は、すごい人だ!」と思える人を探し求めていくことだね。もし自分がとてつもなく尊敬する人物、つまり師匠と言える人間に出会ったときは、その師匠からどん欲に学んでいくといい。
B:はー、なるほど。これからもっと本を読んでいきます。師匠も探したいです。
A:だいぶ話し込んじゃったね。
 では、勉強がんばって! 邪魔したね。
B:いえいえ、学校では教えてくれないことを教えてくださり、ありがとうございました。
A:…取りようによっては、まるで僕がアブないことを教えたみたいだね。

 Aは左手首に目をやった。彼の腕時計は、話し始めからきっかり2時間経過したことを示していた。夕焼け空が、校舎の窓に広がる。(了)

参考文献

 本書執筆の際、参考にした書籍を挙げさせていただく。本文に挙げた問題をさらに考察する場合に、これらの本を開いてみると参考になるはずである。
 なお、本の並び方は著者名の五十音順である。

青木裕司『青木世界史B講義の実況中継 文化史編』(1997年、語学春秋社)
安彦忠彦・石堂常世編『現代教育の原理と方法』(2004年、勁草書房)
安藤達朗『日本史講義 時代の特徴と展開』(1994年、駿台文庫)
イヴァン=イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
内田樹『先生はえらい』(2005年、ちくまプリマー新書)
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)
上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(2002年、太郎次郎社)
奥地圭子『不登校という生き方』(2005年、NHKブックス)
田中智志『教育学がわかる事典』(2003年、日本実業出版社)
田中智志・今井康雄編『キーワード 現代の教育学』(2009年、東京大学出版会)
谷沢永一『人間通』(1995年、新潮選書)
長尾達也『小論文を学ぶ』(2001年、山川出版社)
パウロ=フレイレ著・小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』(1979年、亜紀書房)
林隆造『教育なんていらない』(1989年、大宮書房)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(2005年、岩波新書)
山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉』(1992年、講談社現代新書)

あとがき

 もともとこの本はH君との対話がなければ生まれなかった。彼に最大限の感謝をしたい。誰かとの対話が、行動を生むことがある。それを今私は実感している。

  この本の中で、どうしても気に入らない点がある。それは啓蒙的な「大人」(A)と啓蒙される「子ども」(B)との対比だ。「A→B」の一方向性のみが描か れている。本当の意味での「対話」が成立していない。なお教育学における対話とは「教員→生徒」の図式を崩し、「教員⇄生徒」の関係性に持ち込むことをい う。ブラジルの民衆教育者・パウロ=フレイレはこう語った。

対 話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同 時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教え られると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。
(パウロ=フレイレ著、小沢有作ほか訳『被抑圧 者の教育学』亜紀書房、1979年、81頁)

 パウロ=フレイレのこの言葉を自覚していきたい。
  ポストモダン思想を語っている割に、非常に近代啓蒙主義的な構図を持つ作品となってしまった。もっと対等な関係性の対話劇・対話型専門書にしたいのである が…。いささか難しい。なんとかして、AとBとの関係を「⇄」の関係にしたい。これは次回以降の『高校生と語るポストモダン』の続編以降の課題としたい。

 つまらない本になってしまいましたが、この本を私の師匠に捧げたく存じます。

平成21年3月16日 早稲田駅前のカフェ・シャノアールにて。

小説 ぽっぽこねんじゃ、あるいはサザン・オールスターズの夏。

タイトル:ぽっぽこねんじゃ、あるいはサザン・オールスターズの夏。

 『草枕』にあらずとも、山道を歩けば人は何かを考える。つまらないこと、会社のこと。進んでいくにつれて、段々と考えはより根本的なものに及んでいく。本作の主人公、入社三年目のビジネスマン・石田一(いしだ・はじめ)氏も、ひょんなことから山を登っていた。以下は、その記録である。

 気がつけば、山を登っていた。いつからであったか、見当もつかない。にっちもさっちも行かない仕事、神経をイラだたせられるワープロ入力。目がチカチカしたときは、目薬で何とかする。机に転がるドリンク剤。一本三百円は高い。上司の小言が胸に痛い。気軽さの裏にある、一人世帯の侘しさ。「ただいま」を言う相手もいない。
 いつから登っているのだろう。登っているはずであるのに、時おり下りがある。足に響く振動。靴は革靴。むし暑い。首に手をやるとネクタイを締めていた。真っ赤な勝負ネクタイである。そういえば今日は新製品のプレゼンの日であった。三ヶ月、かかりきっていた仕事だ。結果がうまくいったのかどうだったのか——というよりも、プレゼン自体やったのかどうか——よく覚えていない。
 日が暑い。今は八月。お盆休みはいつからだったか。腕時計をしていたはずなのに、手首には汗ばんだシャツのほかは何もついていない。こんな小説をいつか読んだ。そうそう、カミュ。「太陽があんまり暑いから」。「流れる汗をぬぐおうとして」。これは殺人者の話か。
 山を淡々と登っているつもりであるが、少し休んでいると、自分がどっちへ進んでいたか、わからなくなる。どちらが行くべき方向であるのか。というよりも、俺はそもそも、どこへ向かっているのか。頂上を目指すのか。山を越えるのが目的か。木々はどれも、高い。ヒノキや杉はあまりに真っ直ぐである。キッキッキッキ…。カワセミの声。クックルックク、クックルックク…。次は鳩だ。
 休むわけにはいかない。蚊やアブに襲われるからだ。息があがってくる。それでも進む。水分補給が登山にとって大事だと聞くが、俺は何も持っていない。ラーメン屋で飲んだお冷やが、最後の水分のようだ。あと二杯ほど飲んでおくんだった。

 俺という存在が、山を歩いている。そう考えていた。が、ふと気づくと俺の足が上にくっつている胴体を勝手に運んでいるように感じられる。ひょっとすると、この瞬間、足が意思を決定しているといえるのであろうか。山を降りる、という選択肢は残っている。けれど、何故か登り続けている。
 歩いているのは登山道なのか、それともけもの道なのか。蜘蛛の巣を怖がっていては、山は登れない。倒れた木や枝のすき間を、あるときは跨いで進み、あるときはしゃがんで進む。横たわる木に乗った瞬間、バキッと音がし、崩れる。ワイシャツは木の芽に引っ掛けてあちこちに穴が開いた。枝に体をひっかけてしまい、枝を折ってしまう。俺は山の破壊者なのか。

 平らなところへ出た。祠(ほこら)が二つ。失礼と思いつつ、扉を開ける。開かない。サビついた蝶番(ちょうつがい)。力を入れると、中に箱。グシャグシャしたこの空間を見て、無性に罪悪感を覚えた。
 ハア、ハア、ハア。シャツの袖で顔をぬぐう。後ろを見る。前方とほとんど同じ風景。俺は真っ直ぐに前へ向かっているのか。無意識のうちに、後ろへいってはいないか。何となく不安になる。
 息の音、鳥の声、虫の音。時おり、カサッという音。それ以外の音は、ない。息のみが俺の存在の証明か。目前に、道をとざす枝を見つける。くぐる際、ネックストラップがひっかかる。携帯の金具が、草に絡まってしまった。しょうがなくストラップを強く引く。草が抜けてしまった。
 ずっと歩き続けていると、自分の周りを飛び、また地面を這っている虫のことがどうでもよくなってくる。都会では、ムカデやヤスデを見たらすぐに殺虫剤である。いまはどうも気にならない。ただ進むだけ、だ。
 目的はとにかく登ること。この目的はいつからあったのか、自分で決めたのか、それは分からない。登ること、それ自体に価値を置いている俺がいる。
 都会にいた頃の自分——といっても、数時間前までここにいたのだが——は、どこへ行ったのか。ただ一歩足を出す、ただ登る。それだけ。理由などどうでもいい。ただ俺は無性に登りたいのだ。山を登れば、自分の状況を変えられるのか。そうは思わない。しかし、登らずにいられないのである。

 日が大分、傾いてきた。頂上には、いつ着くのだろう。携帯電話は圏外だ。誰かを呼ぶこともできない。
 薄暗い、山の中。足を止めたくなる。しかし、俺は何故か歩き続けている。耳を澄ますと、やはり息の声のみが、俺の存在証明である。

  ラララーララララララー
  ラララーララララララー
  砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて…

 歩みを続ける中で、俺の内面のスピーカーから小さな音でBGMが流れ始めた。それはいつかのカラオケの席で俺が意味もなく熱唱した、サザン・オールスターズの「勝手にシンドバット」だった。山にいて海の歌とは、我ながら妙だ。

  さっきまで俺ひとり
  あんた思い出してたとき
  シャイナ ハートにルージュの色が
  ただ浮かぶ
  好きにならずにいられない
  お目にかかれて

 無意識のうちに歌い始めていた。

  今何時 そうねだいたいね
  今何時 ちょっと待っててオー
  今何時 まだはやい
  不思議なものね あんたを見れば
  胸騒ぎの腰つき 胸騒ぎの腰つき
  胸騒ぎの腰つき
  心なしか今夜 波の音がしたわ…

 「ラララーララララララー、ラララーララララララー」。俺は、歌い続けていた。歌というものは、なかなかに自身を励ますもののようだ。たとえ歌詞本来の意味とは違ってはいても、である。

 段々、暗闇は広まっていく。まだ登りである。懐中電灯があるわけではない。いつまで登るのか。
 その時であった。目前の枝に、俺の目は釘付けとなった。ゆるやかに動く生物。蛇であった。マムシか、何かである。
 俺は凍り付いてしまった。気づけば、そっと後退していた。そのまま、俺はもと来た道を進んでいた。登り始めが唐突ならば、降り始めも唐突である。決定しているのは俺なのか、何なのか。
 しばらく進む。不安感が広まる。「この道、通っただろうか?」。山道は逆から見たとき、まったく違う姿を現すことを、初めて知った。
 下りは登りよりも、足に響く。そして滑る。やむなく手も使い、慎重に降りていく。

  いつになれば湘南 恋人に逢えるの
  お互いに身を寄せて
  いっちまうような瞳からませて
  江の島がみえてきた 俺の家も近い
  ゆきずりの女なんて
  夢をみるよに忘れてしまう

 口から、再びサザンの登場だ。非常に、野生的な歌だ。今の自分は、両手・両足で下っている。自分の野生が、目を覚ましたようだ。広がる闇に、怯える自分。万が一、ここで野宿する場合、動物に襲われはしないか。そう考えているうち、体が滑り落ちた。頭から思考が飛ぶ。手を離した一瞬の隙だった。足で支えて助かったものの、俺は思わず「生きたい!」と思っていた。地上に戻りたい。必ず戻りたい。そう願っていた。子どもの頃、迷子(まいご)になったときとよく似ている。

 田舎で育った俺は、街へ家族で買い物に行くとき、いつもはぐれてしまった。珍しいものに目を奪われ、家族と離れるからだ。あまりによくいなくなるので、「はぐれたら、駐車場に」という「駐車場ルール」が作られた。迷子になったときの寂しさは、大人になっても忘れない。この世の中に、ただ一人孤立して存在している、悲しき自分。半泣き状態で家族を見つけたときの安堵感といったらなかった。
 いま、俺は間違いなく迷子だ。社会からの、である。子どものときと同じく、俺はものすごく寂しくなってしまった。「帰りたい」との切実な思いが強まった。
 俺の中に、別の自分が姿を現したのだ。「子どもとしての俺」である。寂しがり屋で、弱々しいが、好奇心は失わない自分のことだ。「子どもとしての俺」は、田舎にいた少年時代、理性を持った俺の傍らに、常にいた。次第に、「理性の俺」に弱体化させられ、ついにはいるかどうかもわからなくなったのである。無目的に山を登れるのは、それは俺が「子どもとしての俺」を持っているからだろう。人から、「お前は子どもか!」と言われる度、意識して無理に殺そうとしてきた、「自分」。そうか、俺の今の不可解な登山は「子どもとしての俺」の逆襲であったのか。

 子どもの頃、こんな暗がりの中、山を下ったことがあった。俺の故郷には、「ぽっぽこねんじゃ」という伝統行事がある。室町時代から続いているらしい。これは地域の子どもたちが山へ登り、松明(たいまつ)に火をつけるところから始まる。夜になり、松明を片手に子どもたちが下山していく。「ぽっぽこねんじゃ、ほうねんじゃ」と言いつつ。なんでも、豊作祈願の思いがあるらしい。だから「豊年じゃ」と叫ぶわけか。しかし未だに「ぽっぽこねんじゃ」の意味が分からない。
 八月の下旬に、毎年行っている。俺も小六までは出ていた。燃えさかる松明を片手に地上を目指し進んでいくのは、なかなかにスリリングであった。
 大人の、「理性者としての俺」の中に、「子どもとしての俺」が立ち現れる。こいつを弱らせて小さくしていても、ろくなことがない。俺は意図的に叫んでいた。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 意味など、分からない不可解なフレーズ。大声で叫べるのは子どもだけだ。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 俺の中の、「子どもとしての俺」は、こうして復活した。子どもっぽくて、何が悪い。無目的に何かを行える、子どもを見習うべきところは多々あるのだ。センス・オブ・ワンダー忘るべからずとは、レイチェル=カーソンの言ではないか。

  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ
  ぽっぽこねんじゃ ほうねんじゃ

 俺の視界の中に、民家の明かりが見えてきた。頭上には、満月が輝いていた。(了)

著者に聞く。

――本稿のねらいは、何ですか。
著者:「人は追い込まれると、山を登る。この山は形而下のこともあれば、形而上のこともある」ということをテーマとしております。
 生きにくさややりきれなさを、組織内にいる人間は感じます。そういうときこそ、「貫け!」と申し上げたい。
 本作は入社三年目の若者が主人公です。新書に『若者はなぜ三年で辞めるのか』(ちくま新書)というものがあります。これは城繁幸氏の本ですが、本作の石田一も三年目でリーチがかかっているわけです。「辞めるか、辞めないか」というリーチですね。仕事の大変さを実感し、苦悩をし続けた石田がふと気づくと山を登っている。これは実際の山であることもあれば、石田の内面の山であるかもしれません。とにかく、この登山は葛藤なんですね、仕事や人生についての。登っていくうちに、石田は本来の自分というものを取り返そうとする。山を降りるということは現実世界にもどってくることです。精神の葛藤が終わったわけですね。形作った「自分」ではなく、案外子ども時代の精神状態にもどっている、ともいえましょう。「ぽっぽこねんじゃ」という、石田の故郷にあった風習を思い出したわけです。
――若干、理解に苦しんでしまう箇所がありましたが。
著者:それは仕方ないですね。処女作品ですから。私の場合は童貞作品とでも申しましょうか(笑)。本作は私が一気に書き上げたもので、その分至らないところが多くあったことと思います。ですが、あえてそれを残すことで、石田の複雑な葛藤が多少とも理解しやすくなるのではないかと考えたしだいです。
 文は意を尽くさず、ですね。ですが、人間の精神なんて、こういうものではないでしょうか。明快に、論理的に説明しようとしても、まだ言い尽くさないところがある。悩んでいると、はじめに何を悩んだか忘れてしまっても、なんだか知らないが悩んでいる、ということ、ありませんか。悩んでいるだけでは、筋道が見つからない、ということもあらわしていると思います。
 では悩みを解決するには、何をすればいいのでしょうか。
 ゲーテは『ファウスト』の冒頭に、こんなシーンを残しています。老齢のファウスト博士が旧約聖書を翻訳する場面です。「はじめに言葉あり」が本来の訳ですが、ファウストは「違う」と考える。で、いろいろ当てはめようとするわけです。あれがいいか、これがいいか。最終的にファウストは「はじめに行いあり」と書き記します。
 ファウストのような碩学が、物事はすべて何かを行うところから始まる、といっているのです。カール・ヒルティも「仕事を始めれば、知らぬ間に仕事がはかどる」と書いています。
 悩んで、何をするか分からないときこそ、まず何かを行う。何かを行っているなら、それを貫く。これが必要じゃないかと思うしだいです。石田氏もよくわからないけれど、とにかく動き続けている。悩んだり、壁にぶつかったりしたときは、とにかく動き続けることじゃないでしょうか。石田は歌ってもいます。いじいじ悩むより、何かを成したほうがよほどいいようです。
 私の好きな哲学者にアランがいます。彼は面白い言葉を残しています。いわく、「疲れたときは伸びをしろ」です。悩んだとき、われわれは頭のみで考えています。ですが、人間も動物です。体を動かせば、その分気分が軽くなります。私も何度もそれを体験しております。人は悩むとき、頭だけで悩むのでなく、体も悩んでいるんじゃないかと思うのです。だから体を動かすと、何か変わってくる。精神的に追い詰められた石田氏が、登山という行動に出たのは、何かを解決しなければ、という意思の働きかもしれませんね。本作でいう「子どもとしての俺」の逆襲でしょうか。
 あなたが悩んで不可解な行動を取ってしまうとき、それは「子どもとしての自分」の逆襲が始まっているのかもしれませんよ。(了)

参考資料:
うたまっぷWEBサイトより、「勝手にシンドバット」の歌詞。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36840