学校訪問記

埼玉の定時制高校への見学。

先週金曜日、ある先生のご好意から埼玉にある定時制高校の授業の見学に伺った。

高校3年生の日本史の授業。
マンガを交えたプリントから、室町時代の経済について学習できるようにされていた。

定時制高校の面白い点として、雑談は確かにあるが雑談組は教室の後ろに固まり、教室前方には「ちゃんと授業を聞く」人たちが固まっていた。

定時制と全日制とが併設された学校の場合、定時制の授業は全日制の生徒の教室をそのまま使う。
結果的に、席は自由になるのだろう。

参観した授業の担当はベテランの先生。
生徒の私語を授業に織り込みつつ、授業をしていた。

また、生徒と会話をしつつ授業をしている。
こういったワザを、私も学びたいと思う。

なお、授業の後、「大学生」として生徒の前でお話をさせていただいた。
ただ、ハッキリ言って、私に話せることはあまりないなあ、と感じた。
私の高校は皆が大学に行くのが当り前。
定時制のように高卒就労や専門学校進学などがメインになる場所において、何も実際的なアドバイスをすることは出来なかった。

自分の人生経験の狭さを感じる。
「早くから就活の準備をしよう」くらいしか述べることがなかったからだ。

H小学校・研究授業の「思い出」。

 一昨日、はるばる北日本まで行き、公立・H小学校の教育研究会に参加した。これは公開授業を全校的に行う実践である。もう20年も前からこのような実践が行われてきたという。
 よくよく考えると、公開授業とは奇妙な現象である。生きた人間たちを、彼らより年長の人間たちが「観察」の対象にする。要は小学生版「動物園」なのだ。よく思想家は「動物園」を近代の特徴のように語る。それは観察される客体と観察する主体とを明確に二分割するからだ。中世的な「見世物小屋」と違い、「真面目」な「研究」の対象と取り扱われる。
 ミシェル・フーコーは〈見る―見られる〉関係性のうちに権力作用を見出した。とすれば、この授業研究会というのは大人の側が小学生たちを「監視」する権力作用以外の何物でもない。小4のクラスを「見学」する中でそれに思い至り、思わず気持ちが悪くなったのを覚えている。
 この小学校の児童たちは、興味深いことにこれだけ多くの大人たち(下手をすると、クラス内の児童と同じくらいの人数。しかも大半は「先生たち」である)に「見られて」いながら、普段通りの姿を見せてくれる。ある子は机に突っ伏し、私語し、鼻に人差し指を突っ込む(そこまで「観察」してしまう私は、すっかりゾウの檻の前に立って見ている動物園の客である)。巧妙に訓練を受け、餌付けされた「動物」たちの姿を思い出す。とすれば教員は調教師なのか。フーコーが「よきディシプリン(しつけ)はよき調教である」と述べた通りだ。
 授業が終わった後の分科会という「反省会」も非常に「面白い」。先ほどの授業中の「~~君」「~~さん」の言動が問題にされ、それに対する教員の今後の「教育」方針が語られる。この場において、生きた人間の処遇が語られる。語られた生徒は、そんな話し合いの存在を知る由もない。おまけにコメントするのはもう二度とこの小学校に来ない人々なのである。そんな人間たちによって、小学生たちは勝手に今後の生き方を決めつけられてしまうのだ。これを権力作用と呼ばずに何と呼ぶべきなのか。 

追記

●教員の語りに耳を傾けなければ、評価されることのない小学校の退屈さ。それこそ鼻でもほじるしかやることはない。対話は成立せず(1対30の営みは「対話」ではない)、教員の語りは児童の耳から抜けていく。
●私は研究授業や公開授業では、児童・生徒を観察する人を「観察」するのが趣味である。観察する側は、意外に無防備なので「素」が出るのだ。これはツタヤにおいてDVDを探す人を見る「楽しさ」と同じである。いかがわしいDVDを真剣に見つめる人を見るのはなかなかに愉快だ。
●教員たちの軽々しい「皆が仲良く過ごしました」という言説に気持ちの悪さを感じる。この一言には恐るべき「圧力」がかかっているのではないか。「仲間」という言葉や「学びの共同体」という言葉。これらの言葉のネガティブな部分に、本当に目がいっているのか? 「仲間」を構成するのはピア・プレッシャーでもある。つまり同調圧力。少しでも異なる「他者」を排斥する働きが裏にはある。その恐ろしさを知らずに軽々しく「皆」とか「仲間」とかいう言葉を使うべきではない。そう思う。
●教室の後ろの置かれた飼育小屋。いくつも並んだその姿が、私には複数の「棺桶」に見えた。飼育される動物たちは、はじめは可愛がってもみくちゃにされ、飽きられれば餌もやり忘れられるようになり、やがては知らないうちに「死んで」しまう。教員は死ぬことを予期した上でその死体を「デス・エデュケーション」の「教材」にする。そう、はじめから飼育動物たちは「死ぬ」ことを想定されているのである。ペットであればそうではない。
 恐るべきは学校である。どんな存在も「教材」にされてしまう。動物も、その辺にいる地域住民も、駅のホームレスも、すべてが「教材化」。この権力性についても、考察をしていきたい。

東野高校に見学に行く。 

 東野高校(埼玉県・入間市)へYさんと行ってきた。Yさんは3年ほど前にこちらに見学にきたらしい。

 東野高校は1985年に設立された「自由」を重視した学校。制服も校則もない。生徒は喫煙もすれば授業中も外でふざけている。教員もヒッピー的な服装。Yさんによると「バンダナを巻いている人がいた」という。けれど荒れて人気も下がってきたため、制服や校則が制定された。wikiを見る限り、2007年から改革がはじまったらしい。ついでにいうと、今日見た時、教員もきちんとスーツを付けていた。「自由」を重視して蹉跌を踏んだ点では「自由の森学園」と近い。

 自由を重視する教育。それを「学校」体系で行うと挫折することを知る。
 逆に言えば、現在の校則も制服もある東野高校は、現体制内で「自由」に基づく教育を行うとどういう形になるかを示している。
 「自由な教育」なんて、「学校」形態では無理なのだ。本当に実現しようとするなら、画一的・一斉授業の「学校」では不可能で、フリースクールの形態をとるしかない。
 そう思った。

大学訪問記①玉川大学

 早稲田大学はもともとの早稲田村にできた大学だから早稲田大学という。地名→学校名だ。玉川大学はその反対。学校名→地名である。学校が出来てから、その名称が地名となった。だから学校の敷地でなくても、「玉川学園」が地名として使われる。
 大学名以外にも逆のところがある。例えばキャンパスの広さ。散歩できるほどの広い空間であり、自然が多い。あとは付属の小中高が同じ場所にある点だ。早稲田——特に早稲田キャンパスは——狭く、自然と言えば街路樹くらいで、付属・系列校は大学外に存在する。また両校とも教育学部をもっているが、玉川は教員育成の名門、早稲田は【教育学の研究場所】としての学部である。

 本日3月2日、私は小田急線を使った関係上「フラッと」玉川学園前駅に降り立った。そしてこの真逆である大学に足を踏み入れることになった。守衛さんは小学生に挨拶をするほどフレンドリー。その姿に感心し、コソッと大学に入るのでなしに許可を得て入ることにしたのである。

 玉川大学とはそもそもどんな大学であろうか? 玉川学園のWEBには次のように書かれている。

 玉川学園は、1929年(昭和4年)に創立者小原國芳により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校されました。生徒数全111名、教職員18名によってスタートした学校は、現在K-12(Kindergarten to 12th) 、大学(文学部・農学部・工学部・経営学部・教育学部・芸術学部・リベラルアーツ学部)・大学院まで約1万人が約59万m2の広大なキャンパスに集う総合学園に発展し、幅広い教育活動を展開しています。
 創立以来「全人教育」を教育理念の中心として、人間形成には真・善・美・聖・健・富の6つの価値を調和的に創造することを教育の理想としています。その理想を実現するため12の教育信条 ―全人教育、個性尊重、自学自律、能率高き教育、学的根拠に立てる教育、自然の尊重、師弟間の温情、労作教育、反対の合一、第二里行者と人生の開拓者、24時間の教育、国際教育を掲げた教育活動を行っています。
(http://www.tamagawa.jp/introduction/history/index.html?link_id=his2)
 
 足を踏み入れてみて、ここに書かれている内容に、よくも悪くも嘘はないように感じた。創立者たる小原國芳はクリスチャン。小原の著書のエッセンスをおさめた『贈る言葉』(注 海援隊にあらず!)という本にも信仰を根底においたがゆえの言葉が書かれている。わざわざ人間形成の中身に「聖」をおくのは信仰故のものであろう。
 今ではほとんど聞かなくなった「熱い」言葉を伝えているのが玉川大学の教育学部であるようだ。「いい」教員になり、子どもに夢を与えよう、子どもによい教育を与えよう。古き良き教員像を見る思いがする。そのために「理想」の教育たる松下村塾や咸宜園(かんぎえん)を学校内に再現してしまっている。本当に教育に「熱い」学校である。
 玉川大学の本屋。「教育学」コーナーには教員養成や授業運営の仕方をキーワードとする本が多い。早稲田は文字通りの「教育学」に関する本しかない。ただ、水谷修の本は早稲田にも玉川にもあった。
 教育への「熱い」言葉の広まっている玉川大学。早稲田大学の教育学部は教員育成を主目的としない分、「いい教員になろう」「いい教育をしよう」ということをあまり伝えてこなかった。「熱い」ものに惹かれる傾向も私にはあり、「この大学で学んでみたい」という思いを久々にもったのである。
 現在は善の言葉がニヒリスティックに見られる時代となった。「正義」や「善人」という言葉や「人のために」という言葉を真正直に口に出すと恥ずかしさを感じる時代だ。教育学の世界でも、この傾向はあったように思う。教育に関しての「熱い」言葉が語られず、いたずらに脱学校論や近代教育批判が展開される。これ自体には何の問題もないが、あまりにも現代の教育批判に汲々としていると教育が本来もっていた「熱い」側面が軽視されてしまう。教育に無限の可能性や輝きがあったのは「今は昔」のことなのか? 本当にこの状態でいいのか?
 ニーチェは「神は死んだ」と言った。そして「神は死んだままだ」と続けた。誰の本だったか忘れたが、ニーチェのこの一連の言葉から、’神は確かに死んだ。まだ死んだままだ。けれど、この状態はいつまでも続いていいわけでない’という解釈をしているものがあった。教育学にも言える。教育における「熱い」言葉は確かに軽視されるようになった(死んだ)。けれど、この状態はいつまでも続いていいのだろうか? そうではないだろう、と。教育学が近代教育批判を躍起になってやりすぎたため、教育が本来もっていた希望や輝きが見えづらくなってしまったのかもしれない。
 
 玉川大学の竹薮に風が通る。3月2日の風は冷たいながらも心地いい。風に揺れた竹が夕陽に輝く。この光景を見ていると、教育への希望があふれてくるように思うのだ。