名言

ペリンスキーの言葉

人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである。

義家弘介の言葉。教育の定義

「教育は利益産業ではない。そしてそれを司る場所の一つが学校であるならば、教師たちは効率を優先させて生徒たちを置き去りにしてはならない。労を惜しんではならない。生徒と関わり、本気になって生き方を迫る、それ以上に大切なものなどありえない。私はこの北星余市高校という場所でであった教師たちの背中を見て、それを学んできた。」

「教育とは『権威や制度』による導きなどではけっしてない。教育とは『真の思いと情熱』の導きに他ならない。私は決して忘れない。私自身が、泥だらけの真っ直ぐな思いだけに救われながら、今日まで歩んできた不良少年だったことを・・・。」

「教育とは可能性を持つ者に感動を与えてもらえる、すばらしい営みなのである。」

「教育とは儚いものである・・・。」

「優しさと甘さは違う。教育とは厳しいものである。しかし反面、それは何よりも暖かいものでもある。教育とは人類の未来を創造する、もっとも崇高な営みなのである。」

→いずれも『ヤンキー、母校に生きる』より。

ある思想家の言葉

 挑戦の歩みを止めない限り、たとえ、その時は頂上にまで辿りつけなくとも、足腰は鍛えられる。そして、その鍛錬が、更なる登攀(とうはん)への底力となって活かされていく。
 精神闘争の長征に、徒労や無駄は、一切ないのであります。
 ゆえに、皆さんは、決して、立ち止まってはならない。
 絶対に、あきらめてはならない。
 焦らず、聡明に、「時」を待ち、「時」を創る忍耐にこそ、最後に勝ちゆく人生勝利の要諦があることを忘れないでください。

安河内哲也の言葉

 教えることの究極の目的は、自分で勉強できる力を育てることです。つまり、自主性を育てること。隅から隅まで丁寧に教えれば、講義がつまらなくなるデメリットに加え、受講生が自分で考えようとしなくなってしまう危険性もあります。
 どのような技能を教えるにしろ、特定の人間を永遠に教えつづけることはできません。教えたあとには「自立」してもらう。生徒の自立を支援するのも講師の重要な役割のひとつだと、私は考えています。(『できる人の教え方』)

→育てない「教育」ならぬ「教教」が、増えている。モンスターペアレント、マニュアル型教育はその一例だ。教育は、教える側の自己満足のための営みではない。被教育者の利益に適わなければならぬはずだ。近年軽視されてきた「自立」のための教育が必要である。貝原益軒も『養生訓』で溺愛の危険性を説いている。いまも昔も、真に子どものためになる教育(教教、にあらず)が不足している。

友人が「死にたい」と言ってきた

突然の電話。親友からだ。「もしもし?」出る。

友人「オレ、死にたいんだけど…。今、自殺するため北海道にいる」

この時、自分はどう反応するか?

1、「バカヤロ−、死ぬんじゃねえ」という。

2、「一体、何があったの?」と尋ねる。

3、「勝手にすれば」と突き放す。

今日、ある親しい人から「もしこんなことがあったら、君どうする?」と言って、この話を聞いた。自分なら2の返答法をしそうだ、と返した。

その人の返答は違った。「今そこに行くから、待っていろ!」が返答だった。

思わず「カッコイイ」と感動した。

人の心を打つのは、言葉より行動だ。言葉は嘘をつく。行動は嘘をつかない。本当に訴えたいことがあるなら、行動こそが必要なのだと知った。

ある思想家の言葉

アインシュタイン博士

真に偉大な人間になるための道は一つしかない。
何度もひどい目にあうという
試練の道だ

ある思想家の言葉

教育は「学生のため」にある。「学生の目的を実現するため」にある。
教員には、そのための献身的責任感が必要であります。
学生を利用したり、学生を手段のように思ったりしては決してならない。
学生は「教えられる立場」であり、教員は「教える立場」であります。
それを本末転倒して、学生の向上を願わず、見下すのは、絶対に邪道であります。