修論

里見実『学校でこそできることとは、なんだろうか』太郎次郎社エディタス、2005年

 本書は近代学校教育を批判するという「よくある」本である。けれど、1点違うのは〈「学校」がダメなのはよくわかるが、逆に学校でこそ出来ることはいったいなんであろうか〉という点である。著者はデューイやフレネの行う経験主義に基づく学校教育のなかに、今後の「学校」教育のヒントを求めている。

個のレベルでの学びを大胆に追求した教育実践家たちの多くは、学習の個別化と学びの共同性の追究を、二律背反のこととは考えていない。一方の深化は他方の深化をうながすのだ。(47頁)
クラスをもった教師たちがまず最初にとりくむのは、学級づくりであり、あたたかで協力的な子どもの関係性をつくりだすことだ。勉強そのものよりも、この子どもの関係づくりに教師は自分をかけているといっても過言ではないだろう。それがなければ「勉強」も進捗(石田注 しんちょく)しないことを熟知しているからである。(51頁)
たんなる情報蓄積型の学習ならば、共同性は、おそらく無用であろう。昨今、学力向上の名目で、いわゆる「学習の個別化」、そのじつは「学習の一律化」が推奨されるのは、その学力観が徹底的に情報蓄積型であり、同化・吸収型であり、預金型であるからだ。こうした学習像の行きつくところ、それは、電子メディアによる「学習の個別化」の徹底、その「能率」化、すなわち学校の解体であると思われる。そうした「ポスト学校」社会へのシフトは、教育産業だけでなく、今日の学校の内部で、すでにはじまっているといってよいだろう。
 だからこそいま、学校で何が可能かを、われわれは深刻に問わなければならないのだ。(52頁)
→「銀行型教育」はフレイレが批判した概念である。「銀行型教育概念にあっては、知識は、自分をもの知りと考える人びとが、何も知っていないとかれらが考える人びとに授ける贈物である」(フレイレ『被抑圧者の教育学』67頁)。このとき生徒は教員の言葉を頭の中に「預金」するのみであり、その預金を活用することがない。教員―生徒の間に「対話」は成立しない。ゆえにフレイレは「課題提起教育」という教員―生徒間の「対話」が成立する教育法を提唱したのであった。そのときに「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師teacher-student with students-teachersが登場してくる」(同81頁)。
習熟主義的な「学力向上」は、最終的には学校否定に行きつくことになるのではないかと、ぼくは思っています。つまり、それは学習を本質的に利己的なもの、個人主義的なものとしてとらえていて、他者とのやりとりのなかで解発され、高められていく場のなかの行為としてはとらえられていないのです。となれば、学習の成否を一義的に規定するのは、その子どものアタマのよさ、遺伝子的に決定された知的能力といったようなものになっていくでしょう。それはなんとも「貧しい」学習ではないでしょうか。(199頁)
→ここで里見が言う点は、非常に重要な概念である。正統的周辺参加論legitimated peripheral participationを思い起こす。「徒弟制度などの下で、新参者が当該の実践的共同体の営みに参加することを通して、古参者からその知識や技能を修得していく過程を学習論として一般化した理論である。この理論によって、文脈を欠いた知識や技能を個々に獲得するのではなく、本物の実践を組織することで状況の文脈に埋め込まれた学びを共同的に展開することの重要性が指摘された」(浜田寿美男「正統的周辺参加論」、佐伯胖編『「学び」の認知科学事典』大修館書店、2010年、118頁)。「学び」は個人的プロセスである点は否めないが、集団内だからこそ学べる点もあるのである。それが「暗黙知」であったり、「こつ」であったりする。
*『「学び」の認知科学事典』より、暗黙知について。「暗黙知(tacit knowledge):実戦的経験からインフォーマルに獲得された非言語的な知識。学校や書物を通して教えられる形式的、言語的な知識と対比される」(楠見孝「大人の学び」、同書257頁)。
 なお、解発とは「特定の反応または行動が一定の要因によって誘発されること」(『広辞苑』第5版)。
事物とかかわり、また他者と恊働する場を保障しないかぎり、個人の成長もまた期待しがたい。社会成員としての人間の成長と個人の個性の開花を、デューイは二項対立と考えませんでした。それを対立項にしてしまう社会と教育のありかたこそが問われなければならないのです。(205頁)
 最後に、後学のための引用。
約束の土地であった西部のフロンティアが消滅した十九世紀の後半以降、学校が新しい「西部」として登場したと、『アメリカ資本主義と学校教育』の著者、S・ボウルズとH・ギンタスはいう。学校の階梯をよじのぼることによって、貧困や肉体的苦役から個人は解放されると期待された。そしてこの競争は、すべての者にたいして均しく開かれており、チャンスは平等で公平でなければならなかった。それこそがアメリカの民主主義の証たるべきものであった。(18頁)

奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992

 東京シューレが出来て7年目に出た本。その時点での奥地の著書に『女先生のシンフォニー』(これは教員時代の1982)、『登校拒否は病気じゃない』・『東京シューレ物語』・『さよなら学校信仰』・『お母さんの教育相談』・『登校拒否なんでも相談室』があり、手記収録に『学校に行かないで生きる』・『学校に行かない子どもたち』がある。シューレ発足からわずかの間にかなりの関連書が出されていることがよく分かる。当時、東京シューレという存在は非常にもてはやされた。現在はあちこちに「フリースクール」が出来たため、東京シューレそれ自体への注目度は人々の間で下がったのではないか。
 「不登校」と言わずに「登校拒否」と言っている所に時代を感じる(奥地が後に書いた本は『不登校という生き方』である)。
 本書は「学校離れを起こしている子どもたちを『直そう』とするのではなく、子どもが背を向けていく学校を問い直すことの方が必要である」(222頁)との発想から《「どんな学校なら必要か』を考えてほしいという問題提起》を起こす、という目的のもとで書かれている(あくまで目的の一つであるが)。学校へ行くことで個性が失われたり、子どもが無気力になったり、(いじめなどで)傷ついたりしてしまう。それでも大人(親・教師・一般人)は「それでも学校へ行け」と子どもを責める。重要なのは学校のあり方を考えることであるにもかかわらず、子どもをムリに学校に適合させようとする。これはベッドに合わせて人を引っ張って伸ばしたり、足を切断したりするというプロクルステスのベッドと同じである。
 印象深い点を引用。

東京シューレをやるようになって、はっきりと見えてきたことだが、教師時代の研究授業や研修の方向は、四十人なら四十人の子ども全員を、一斉に、四十五分間いかにこっちを向かせるかの技術訓練だったのだと思う。(73頁)

子どもは何らかの強制力がないと勉強しないものだ、学ぶはずがない、だから子どものやる気を待っていてはダメで、大人が何かやらせないと、楽なほう(やらないほう)に流れるに決まっている、それでは生きていけるようにならない、と思っている大人は実に多い。「でもそれは違う」という私の考えはまちがっていなかった、と東京シューレ七年の実践で思えるのはうれしいことだ。(89頁)

 奥地が指摘する点、結構多くの人が話す内容である。子どもに自由を与えるのは危険だ、などなど。これ、子どもを不信の目で見る立場である。ニイルほど信用するのも危うい気がするが、それでも現在の日本では子ども(さらに言うなら若者)への根強い不信感が漂っているようである。だから子どもを縛るためにココセコムやら改札を通るたびの「お知らせメール」やらの技術開発が要求されるのだろう。まさに「学校身体の管理技術」が発達し、子どもがどんどん不自由になっているのだ。
 私たちはもっと子ども(や若者)を信頼してもいいのではないだろうか。そう思う。

野村幸正『「教えない」教育』二瓶社、2003年

 本書のサブタイトルは「徒弟教育から学びのあり方を考える」。心理学者の立場と、仏師に弟子入りしている立場両面から「徒弟教育」という「教えない」教育のもつ意義についてを語る。暗黙知・正統的周辺参加などのキーワードを元に説明をする本である。

いま、教育に人の働きが発揮されると、単に教える者から教わる者へと教授すべき内容の情報が移動するだけではない。その情報を取り巻く世界が共有され、それを学ぶ意味あるいは喜びといったものが、教える者と教わる者とが一体化したかかわりのなかで共有されていく。そして、それがそれぞれに分化し対象化されてゆくなかで、情報が情報として伝達されてゆくことになる。それはもはや情報の伝達云々以上のものであり、情報の創造と言ってもよいほどのものであろう。そして、この人の働きをもっとも強調した教育が、すでに言及した徒弟教育である。さらには正統的周辺参加である。(105〜106頁)

 ここにあげた「あえて、教えない教育」を実践するのはいささか難しい。けれどその中に日本の教育(公教育も私教育も入る)の改善点があるのではないか。ちょうど原ひろ子『子どもの文化社会学』にあった「教えられることに忙しい」子どもが日本に多く存在しているのだ。

教師としての職業を遂行してゆくこともまた難しい。ましてや教えることを仕事とする教師が「教えない」とまで言い切ることは、余程の力量と自信があってはじめてできることであろう。そして時には、この教えないことが教えることよりもはるかに重要な意義をもつこともある。過剰教育が問題となるのは、単に知識を与え過ぎる云々を超えて、せっかく子どもが直面した生の体験を自らの言葉で表現してゆく機会をも奪ってしまうからである。教えられるがゆえに、子どもたちは自らの言葉で考えぬくことを放棄してゆくこともあるに違いない。それを放棄した子どもがその後どういう道を辿るかは言うまでもない。(130〜131頁)

 著者の野村は「教えない」教育である徒弟教育に最大限の評価をする。けれど、広田照幸も言っているが、徒弟教育は「あわない」個体(子ども)を排斥するなかに成立した制度であることについてを忘れてはならない。仕事に不適応な子どもが自主的/他律的にいなくなっていくからこそ、効率的ではないが「技」の習得/仕事による自己形成という教育作用が徒弟制度にあったのだろう。
 それゆえ、現在の公教育のように《分からなくても、とりあえず教員が語り続けるのをじっと聞く》ことの意義も、不適応な子どもの排斥が無い分、一定程度評価しなければならないだろう。

イリイチ著、渡辺京二訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989年

人々は、エネルギー奴隷に頼るのではなくおたがいに頼りあうことをふたたび学ぶ場合にのみ、よろこびにあふれた節制と人を解放する禁欲の価値を再発見するだろう。(24頁)
自立共生的道具とは、それを用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境をゆたかなものにする最大の機会を与える道具のことである。(39頁)
教育が競争しあう消費者を生みだし、医療は、消費者が要求するようになった工学化された環境のなかで彼らを生かし続ける。官僚制は、人々に無意味な仕事をさせるためには社会的に管理する必要があることの表れである。(87頁)
環境危機の唯一の解決案は、もし自分らがともに仕事をしたがいに世話しあうことができるならば、自分たちは今より幸わせになるのだという洞察を、人々がわけもつことなのである。(93頁)
学校は、学ぶことを教育と定義しなおすことによって、学ぶことへの根元的独占を拡張しようとしてきた。人々が現実について教師がくだした定義を受けいれるかぎり、学校の外でものを学んだ人々は公式には’無教育’という烙印を捺された。(99頁)
独力でどれほど学ぶことができるかということにとって決定的なのは、道具の構造である。すなわち、道具が自立共生的でなければないほど、教えるという行為が助長される。(110頁)
学校は有害でありまったく非効率的であるけれども、その伝統的な性格は少なくとも生徒の若干の権利を護っている。学校という抑制から自由になった教育屋ははるかに効率的でありうるし、猛烈な調教師となりうるだろう。(113頁)
人々は限度内で暮らすことを学ばねばならない。このことは教えてもらうわけにはいかない。生き残れるかどうかは、人々が自分たちには何ができないのかということを速やかに学ぶことにかかっている。人々は、無制限に繁殖したり消費したり使用したりするのを慎むことを学ばねばならない。(125頁)
→教育産業への批判か。
●訳者の文より。
錬金術師が教師と教育学者の暗喩となっていることはいうまでもない。教育の失敗が何度明らかになっても、彼らは失敗の科学的理由を見つけて、ふたたび教育を開始するのである。教育とは絶対に成功することのない錬金術だというイリイチの含意がこめられている。(34頁)

尾崎豊にいまさらハマる。

 脱学校論(非学校論)が私の専門。卒論はイリイチの『脱学校の社会』で書いた。最近は脱学校論の理論を音楽の面で表現しているものはないか、と探している。論文やエッセイでは読むのに時間がかかる。けれど音楽ならばすぐに理解が出来る(しかも情動的に)。脱学校的考え方を人々の間に流布させる方法として、現存する音楽を活用する形が最も適しているのではないか。

 そんな考えのもと、脱学校論的発想を表現している音楽として「たま」の曲に出会った。彼らの音楽については今までもこのブログで書いてきた。次は誰の曲にしようか。
 カラオケで先輩が「15の夜」を歌うのを聞いたのが、私と尾崎豊との出会いである。聞いたとき、「ああ、ここまで学校への嫌悪感を表した曲があるのか」と感銘を受けた。その記憶を思い出し、尾崎豊の曲をもとに考えていく事にした。
 尾崎は「たま」以上に多くの人々に聞かれてきた。それはよくいわれるように「青春の叫び」を表現した音楽だったから、という理由だけではないように思える。むしろ「学校的なるもの」への人々の不満を、尾崎が代弁したからと言えるのではないだろうか。
 今日読んだ橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、2007)には、「1970−80年代の自由論」の象徴として、尾崎豊の一連の作品が紹介されている。

尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)

 実際、この時代は校内暴力を押さえるための管理教育が多くなった時である。教育学の世界では、80年代が校内暴力→管理教育、90年代がいじめ・学級崩壊が騒がれる時代であったとよく説明されている。つまり、尾崎は学校が最も生徒に対し権力を持った時代(管理教育の時代)に生きていたからこそ、はっきりと「学校的なるもの」への気持ち悪さ/嫌悪感を表現できたのではないだろうか。
 今後、しばらく尾崎の歌を脱学校論的に考察していく。
 
追記
●『自由に生きるとはどういうことか』には、次のような気の利いた話が書かれていた。

(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)

 橋本は「〈学校的なるもの〉(=管理教育)」と書いているが、私は〈学校的なるもの〉を「管理教育」ではなく、「学校化」されたものであると認識したい。

I・イリイチ著、渡辺京二訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989

すぐれて現代的でしかも産業に支配されていない未来社会についての理論を定式化するには、自然な規模と限界を認識することが必要だ。この限界内でのみ機械は奴隷の代わりをすることができるのだし、この限界をこえれば機械は新たな種類の奴隷制をもたらすということを、私たちは結局は認めなければならない。教育が人々を人工的環境に適応させることができるのは、この限界内だけのことにすぎない。この限界をこえれば、社会の全般的な校舎化・病棟化・獄舎化が現れる。政治が、エネルギーや情報の社会への平等な投入に関わるというよりむしろ、最大限の産業産出物の分配に関わるのが当然とされるのも、この限界内のことにすぎない。いったんこういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の三者関係をはっきりさせることが可能になる。現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は‘自立共生的’と呼びたい。(ⅹⅴ)

ボウルズ/ギンタス著『アメリカ資本主義と学校教育2』(岩波現代選書、1987)

 上・下2巻に渡るこの本で、著者は何を明らかにしたかったのか。

経済の変革と教育の変革とが対応した過程を通じて起こるという、この歴史的な解釈にもとづくとき、教育制度とイデオロギーの主要な転換は必ず、生産構造、労働力の階級的構成、抑圧されている集団の性格の変移によって惹き起こされてきた。(182頁)

 教育社会学において、〈教育〉の使命は単純明快。「選別」と「社会化」である。社会が要請する人材を選び出し(「選別」)、とりあえず社会の構成員になってくれるよう育成する(「社会化」)のが〈教育〉なのだ。ここでいう社会の要請とは、要は経済界の意向なのである。この主張はボウルズとギンタスがネオ・マルキストであるために起こっているのだろう。マルクスは経済の規模やシステムの変化が、社会構造の変化を招いたと説明する。経済が政治体制・社会構造を決めるのであって、その逆でない。ゆえに〈教育〉も経済の構造から抜け出すことはできないのだ。
 教育を語るなら、経済を知らなければならない。

何故、わが国の青少年に対して権威主義的な学校という重荷を負わせようとするのであろうか。何故、若い人々が、その日々の大部分を無力感、人間の尊厳を犯すような独裁的な規律、絶えざる退屈感、行動の矯正という雰囲気のなかですごさなければならないのであろうか。何故、民主主義的な社会で、各人が最初に公的な機関と接触するのがこのような徹底的に反民主主義的なものにならざるを得ないのであろうか。
 最近多くの人々がこのような疑問を投げかけてきた。ここからフリースクールという新しい運動が起きてきたのである。(177~178頁)

 この部分の後、しばらくフリースクールの話が続く。近代教育批判者の一団として、「ジョージ・デニスン、ジェームズ・ハーンドン、ハーバート・コール、ジョナサン・コゾールの私的日記から、ジョン・ホールトのプラグマティックな主張、チャールズ・シルバーマンの本格的な社会的分析」(178頁)と名前を挙げている。非学校論者として、私もこれらの人々の本を学んでいくこととしよう。
 ボウルズとギンテスはフリースクール運動に必要なこととして、≪運動のなかに、学校が社会から独立したものであるという考えをはっきり否定し、学校をその社会的、経済的な文脈の中で具体的に位置づける分析的立場の展開がなされなければならない≫(179頁)。これは、本書において経済が教育を大きく変化させてきたことを述べていることと関係が深い。つまり、「よい教育をしよう」としても学校だけで教育を成り立たせることの不可能性を知らなければならない、ということである。『日本を滅ぼす教育論義』において著者が主張したのも、教育と経済との密着不可分性を認識することの重要性であった。

 この本は、結論的に社会主義革命によってしか社会変革を根本的に行えないことを主張する本である。ネオ・マルキストの本であることを認識しておかないと、誤読をしてしまう。

 気になる部分を抜き書きして、本稿を終えよう。

教育制度は人々を教育して、経済生活で地位を得て仕事をすることができるようにするわけであるが、教育制度自体の社会的関係は、事務所や工場の社会的関係に合うようにつくられている。したがって、学校教育の抑圧的な側面は決して非合理的ないしは邪道なものではなく、むしろ、経済的現実を、体系的、普遍的に反映したものとなっている。解放された教育ということだけでは職業的なミスフィットと職場ノイローゼの蔓延をもたらすことになる。それだけでは、教育の自由化には役立たない。抑圧の原因が学校制度の外部に存在しているからである。かりに、学校がより人間的な形態をとるべきであるとするならば、職場もまたより人間的なものでなければならない。(179~180頁)

基本的には、教育制度は、経済の分野から起こってくる不平等や抑圧の度合いをつよめたり、弱めたりすることはない、むしろ、教育制度は労働力の教育と階層化の過程においてすでに存在しているパターンを再生産し、正当化する。このことはどのようにして起こるのであろうか。このプロセスの核心は、教育的な体験の内容あるいは情報伝達の過程にあるのではなく、その形態、教育的体験の社会的関係にある。これは、経済の分野における支配、従属、動機づけの社会的関係に密接に対応している。各個人は教育的体験を通じて、成人して労働者となったときに直面する、無力感の度合いを受け入れるよう誘導される。(205~206頁)

追記
●本書はフリースクール運動の欠点の指摘(180頁など)をしている。またイリイチの『脱学校の社会』に対するコメントも本書には掲載されているので、修士論文を書く際には読み返すこととしよう。

ボウルズ/ギンタス著『アメリカ資本主義と学校教育1』(岩波現代選書、1986)

 教育制度を変革することを意図するならば、経済制度も考慮しなければならない。この本はこのことを主張する。アメリカで学校教育が成立した歴史を振り返り、常に経済的影響を教育が受けてきたことを説明するのだ。

要するに、われわれがここで展開するアメリカの教育制度にかんする分析は、教育改革の運動が挫折したのは、経済分野における所有と権力の基本的な構造を問題とすることを拒否したからであるということを示唆している。(…)教育制度が平等主義的、かつ人間解放的となるのは、社会生活のなかでの全面的な民主的参加を可能にし、経済的成果の平等な配分を受けることができるように若い人々を教育することができるときだけである。(…)このように考えれば、教育改革の戦略は、経済制度の革命的変革の一部をなしていることになる。(23〜24頁)

 以下、気になる点の抜き書き。

教育と資本主義経済との間に存在する決定的な関係を、どのようにすればもっともよく理解できるであろうか。まず始めに、学校が労働者をつくりだすという事実から出発しなければ、十分な説明にはならないであろう。(16頁)

経済制度の構造に対して疑問をもたないかぎり、現行の学校教育制度はきわめて合理的なものであると言えよう。したがって、制度改革は、一般の人々に対して論理的または道義的な論点を訴えるだけでは不十分である―オープン・クラスルームを首唱する人々の大半より一般の人々の方が、社会の現実をよく理解していると言ってよいであろう。(15頁)

 フリースクールに関する考察も多い本である。

学参の研究〜コンヴィヴィアリティのための道具を目指して〜

 脱学校論を、私はずっと研究してきたが、これはイリイチの「イイタイコト」ではなかった。あくまで、産業社会の「制度化」(価値の制度化)を批判するためのものであった。

 これでずっと研究するのもいいが、いささか飽きてきた。
 次のテーマとして、自主的・自律的学習を可能にするもの、要は「コンヴィヴィアリティのための道具」を研究していきたい。その例として、学習参考書をとりあげてみてはどうだろうか。
 研究初めとして、手元にある『現代 教育学事典』(労働旬報社、1988)を見てみよう。
参考書
予習・復習をふくめて学習を自主的に深めていくために副次的に用いられる、教科書以外の図書の総称。したがって、参考書は、本来、子どもの学習が主体的に行なわれるさいの手引書という性格をもつ。すでにこのような性格のものは、大正期の自由教育の展開のなかで用いられていた。しかし、参考書の利用が直ちに自主的な学習を意味するとはかぎらない場合もある。明治後期には上級学校進学のための参考書がすでに使われており、それ以降も国定教科書を学習するための安易な解説書が利用されていたのはその好例である。今日における受験参考書の氾濫も同様である。このような参考書とその利用は、暗記主義・教科書中心主義の傾向を招きやすい。むしろ、その弊を克服し自主的な学習を促す参考書とその利用が望まれる。同時に、学習における問題意識の喚起、学習のもつ面白さの体験の指導などを先行させたい。(久田敏彦)

シューレ大学学生ゼミでの、卒論発表会。

 本日19時から21時まで、若松河田のシューレ大学で「学生ゼミ」が行われた。今回、有り難くも私が卒論を発表させていただいた。テーマはイリイチの『脱学校の社会』。周りはフリースクール関係者がほとんど。相手がすでによく知りすぎていることを、話してしまわないか、という不安が襲った。けれど、何とか形になってよかったと、と思う。

 卒論の第三部の内容をもとに話をした。そこの中に「教育とは待つこと」という概念を軽々しく書いていたが、もっと考察したうえで書くべきだったと気づかされた。
「待つのが大切とはいうけれど、〈待たれるプレッシャー〉がある。不登校になったわが子にいつ親が〈いつまで待てばいいんだ!〉と言い出すか分からない。それに、シューレでは〈待つ〉態度が貫かれているというが、それは本当だろうか。むしろ、〈待つ〉というよりも子どもをそのままの姿で認めるという態度が重要なのではないか」。
 Sさんの発言(趣旨)だが、非常にためになった。
 もう一点、非常に勉強になった所がある。それはフリースクール的学びを行う際の課題とも言うべきものだ。フリースクールにいて、文字を書けないまま18歳になり、免許をとろうとしても字が書けないから取れない、という方がいる。その人が小さいときに、「文字を書く練習しようよ」と多少強引でも語るべきだったのかどうか、ということがテーマだった。
 朝倉さんは「海外のフリースクールだと、そのことはあまり問題にならない。それは日本の場合、フリースクールに来るのは不登校経験のある子が多いことが一つの要因だ。学校で傷つき、学ぶことを〈辛いこと〉〈苦しいこと〉と経験している子にとって、学ぶモチベーションになれないことが多い。学ぶことを楽しみであるとは捉えられず、比較されるもの・自分のバカさ加減を知られるものだと認識していることがある」。
 この話も興味深い。「学びに傷ついている」ということは、非常に恐ろしいことである。
 さて、このテーマにあった「文字が書けないまま大きくなる」ことについてだが、フレイレの言葉を思い出す。フレイレは脱学校論者の一員であるが、〈成人への識字教育は6週間ほどで行える。それなのに、何で何年も学校に通わないと行けないのか〉という理由からであった。フレイレは実践の中で識字を即習できるプログラムを開発したのだ。さきの18歳の方の件も、「必要ならば数週間で即習出来る」学習プログラムを用意していると、「渇きによる学び」が起きた際容易に学ぶことができる。そういえば、前に『こんばんわ』という夜間中学校を描いたドキュメンタリー映画を見た。そこでは生活に必要な漢字を250程度に選別し、それらを生活文脈の中で学習できる教材が用意されていた。せっかく教育心理学が発達し、脳の研究も進んだのだから、「簡単に日本語の読み書きができる」プログラムを開発すべきであろう、と感じた。