エッセイ

異界との出会いとカイヨワ

 異界に出会うことで、生の豊穣さに気づくことができる。映画『となりのトトロ』の面白さは「子どものときにだけ/あなたに訪れる/素敵」な異界(=トトロ、ネコバスetc.)との「出会い」を再度おこなえる点にある。純粋に考えれば、メイ・サツキ姉妹とトトロたちの間に言語的コミュニケーションは成立してはいない(そもそも「トトロ」という名付けはメイによって恣意的になされたものであり、トトロ自体は一度も名乗りをしていない)。言語における相互行為のできない「他者」である。けれど、明らかに人間ではない(=文字通りの「異者」)存在と非言語的コミュニケーションが映画においては成立している様を観客は目にしている(空を飛ぶこと、ネコバスに乗ることを示唆することetc.)。ここから、子どもの自己形成空間(あるいは時間)において異界(あるいは他者との出会い)が重要な意義をもっている点を読み取ることができる。
 異界との出会いは常に日常性を超えた非日常の文脈で語られる。これはハレ―ケ(あるいは聖—俗)の二項図式を超えた、「聖—俗—遊」というR・カイヨワの図式と重なる。子どもが非日常性あふれる異界と出会うのは「遊」の文脈なのである(実際、『となりのトトロ』ではトトロたちと姉妹は何度も遊びを行う)。生産性や効率性を度外視し、遊びたいが故に遊ぶ子どもの姿。ここに神(あるいは仏)を見たのが『梁塵秘抄』の編者や江戸の歌人・良寛であった。「遊」は「聖」に通じるのだ。まさにホモ=ルーデンスたる子どもの面目躍如である。
 カイヨワの図式にある「遊」については、浅田彰などによってスキゾ・キッズ的生を肯定するものとして描かれた。当時、無限に拡散し直線的成長・拡大モデルを拒否するリゾーム構造に基づくスキゾフレニー(元は分裂病との意味)型の生がもてはやされたのだ。これらは80年代の消費社会論やバブルの終焉とともに忘れ去られていった。しかし、現象学的知見にはスキゾ・キッズの生き方を再肯定する可能性が込められているように見える。

『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観

 ダニエル・ぺナックの自伝的小説に『学校の悲しみ』がある。落ちこぼれとして過ごし、学校に対し深い「悲しみ」を持って過ごす主人公の姿が印象的である(しかし彼は結局は教員になり、ずっと学校にとどまり続けることになるのだが)。

 「落ちこぼれ」へのまなざしは、しばしば小説や映画のテーマとなる。映画『大人は判ってくれない』の主人公の少年の姿から、学校に「不適応」とされることの「悲しみ」を感じ取ることが出来る。この悲しみはブルデューのいう「象徴的暴力」である。

 この「落ちこぼれ」へのまなざしであるが、イバン・イリイチの発想の原点にも存在している点に気付くようになった。彼は脱学校論deschoolingで有名だが、それを主張した理由の一つに皆が「学校化schooled」されることで「学校の悲しみ」を経験するようになる、という点がある。

「人の受けた教育化の分量が多ければ、それだけ中途脱落の体験は気持ちを打ちひしぐものとなる。第七学年で落ちこぼれたものは、第三学年で落ちこぼれたもの以上に、自分の劣等性を強く感じるものだ。第三世界の学校は、かつての教会がやっていたよりもさらに効果的に、特製の阿片を投与している。社会の気持ちが次第に学校化されるにつれ、それを構成する個人も、何とか他人に劣らずに暮らしてゆけるかもしれないという意識を段々と失っていく」(『オルターナティブズ 制度変革の提唱』220頁)

 他の個所でも、第三世界(いわゆる途上国)に学校を建設することは、今までに人々が経験しなくてもよかった「落ちこぼれ」る体験を多くの人びとに与えることとなる。学校から落ちこぼれ、ドロップアウトしてしまうと、精神的に自己否定されるだけでなく、学校に残り続けることのできる一部の人間がより多くの公費で高度の教育を受け、社会の上層に到達するのを黙って見つめなければならない。

「プエルトリコでは一〇人の生徒のうち三人が、第六学年も終わらぬうちに学校から落ちこぼれる。このことは、平均以下の所得の家庭からくる児童の場合、二人のうちわずか一人しか初等教育を修了しないことを意味する。こうして、プエルトリコの両親のうち半分は、もし彼らの子供が大学に入るチャンスが見せかけだけでなく本当にあるのだと信じているとすれば、悲しい幻想にとらわれていることになる」(ibid,173頁)

 ブルデュー等の再生産論者の言を用いるなら、高い文化水準のもとに育つ人々(高ハビトゥスをもつ人)は学校においても好成績を修められる「遺産相続者」(『遺産相続者たち』)である。そのため他の人々よりも高等教育進学の可能性が圧倒的に開かれている(『再生産』)。

 学校制度がなければ、学校由来の「悲しみ」を経験しなくても済んだのだ。学校への違和感から自殺をした小学生・杉本治の遺書にも「学校がなければみな自由だった」(『小さなテツガクシャたち』)と書かれていた点は示唆的である。
 学校制度を確立させることは、ユネスコや国連が早急に途上国に求める政策である。実際、途上国に学校を作るプロジェクトは数多い。私たちはその取り組みを手放しで礼賛する。どこかで「学校の悲しみ」に出会った経験があるはずなのに。学校制度が出来ることは、「学校の悲しみ」をその国民全体が経験させられることを意味するのである。

終戦記念日は一体いつか?~「最近の若者は終戦記念日を知らない」言説を破す~

 毎年、8月の半ばになると決まって「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」という「調査」報告がなされる。

 しかし、一般的に「8月15日」が終戦記念日なのだが、歴史学の世界ではそれは説の一つにすぎない。少し見てみるだけでも、①1945年8月14日説(宮中御前会議でポツダム宣言受諾が決定)、②1945年8月15日説(一般的なもの。この日に玉音放送)、③1945年9月2日説(ミズーリ号上での正式な終戦)があげられる。

 もし調査員が②の説のみを知っていた場合、①や③の回答をした人間は「終戦記念日を知らない」人扱いをされることになる。アンケートの調査員はその分野のプロが行うわけではないので(ましてテレビ局の調査では、下請け会社に丸投げされることになる)往々にしてありうることだ。
 また、何を持って第二次世界大戦の終戦(敗戦)とするかも、歴史学的には難しいことである。①や②の後も、北海道ではソ連軍が侵攻を続けており、少なくとも北海道では戦争が続いていたと見た方が適切であろう。
 
 少し考えるだけでも、「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」言説の欺瞞性に気付くことが出来る。若者を嘆く人間は、大体②説しか知らずに語っていることが多いはずだ。
 教育学徒として気がかりなのは、大体「終戦記念日を知らない」言説の後、「もっと歴史教育をちゃんとやるべきだ」という安易な教育政策提言がなされることである。おそらく、「ちゃんとした歴史教育」を想定する人の頭の中には、①説や③説の存在はなく、②説の押しつけをすることしか想定されていないのだ。

私が散髪ぎらいであるのは何故か?

 私は散髪が嫌いである。それは散髪の際、自分が理髪師/美容師の客体(=it、つまりモノ)にされてしまうからである。
 フレイレのいう預金型教育(一般には銀行型教育と呼ばれる)は生徒を「客体」としていた。ゆえにそれは『学びからの逃走』をしなければ苦痛なものとなる。人が人として扱われていない疎外空間に、教室が化しているためだ。
 散髪も、もっと自由にゆるやかな、つまり「コンビビアル」なものにするためには、自分で髪を切るというサブシステンス(イバン・イリイチの言った自律性を意味する言葉)の復興が必要かもしれない。
 爪は誰かに切ってもらうものではない。まだかろうじてネイルサロンはそこまで人々の自律自存性を奪ってはいないからだ。爪と同様、髪においてもサブシステンスの復興が必要なのかもしれない。

CAI機器の発展と、対話型の「問題化型教育」の可能性

 学校が、CAIの発展により個別学習が可能になったとき、「預金型教育」(パウロ・フレイレ)はもはや不要となる。歴史的に、教員の講義をノートテイクするという行為は中世の修道院に発端がある。写本を作り、その写本を辞書として学生たちが学ぶようにするためを想定してか、教員の言う語り(ディスクール)を書き取るという行為が要請された。現在にも続くこの教員のモノローグ→学生のノートテイクの流れは、ノートを取らない児童・生徒・学生の登場という「危機」を迎えながらも存続している。
 個別学習の実施可能性は、この人々の受動的な「預金型」図式(この場合ノートテイク)が不要となり、真に「問題化型教育」を行うことが可能となる。
 そうなったとき、教育は「対話」的可能性を人々に提起させるのである。つまり、「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」(Freire 1979:81頁)による、対話形式の授業の可能性である。これはイリイチのいう「相互親和的」制度〈convivial institution〉(Illich 1971:105頁)でもある。自学自習し、決して自身が「客体化」(フレイレ)されえない状態での学習を可能にするためだ。そして、知識習得という純粋に個人的営みはこのCAIで、知識の創造および探求という営みは教員—生徒、あるいは生徒間での対話による学習が可能となる。

Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。

24時間テレビと障害者論

 『五体不満足』、ずいぶん売れましたね。あれが逆に障害者に対するステレオタイプを強調した気がします。今年も、どうせ8月には24時間テレビなるものが放映されます。そこでは「頑張っている」障害者がたくさん出てきて、おそらく障害者とは仕事以外では決して関わらないであろう「アイドル」たちが、障害者と一緒に何かに「挑戦する」さまを見ることができるはずです。
 障害者って、「頑張」らないと、認めてはもらえないようです。「障害を持っているけど頑張っている、じゃあ僕らも!」というノリには「障害者=頑張るもの」という認識がへばりついています。
 僕はいつも、頑張って生きていません。きっと、どの人もそうでしょう。「頑張って」生きている姿を要求すると言うことは、要するに自分とおなじ人間として扱っていないということです。僕の周りで「頑張っている」人なんて、そんなにいないですよ。ただ障害者だけが「頑張る」ことを要求されるのです。そして障害者に理解があると思っている人に限って、「障害者の子の頑張っている姿から元気をもらいました」と平気で発しています。
障害者にはいろんな人がいます。ウソをつく人、人の悪口をいう人、犯罪を犯す人などなど。悪人もいれば嫌な人もたくさんいます。決して「頑張る」人だけではありません。それは健常者にとっても同じでしょう。健常者にも善人・悪人がいるように、障害者にもいろんな人がいます。その現実を忘れて、「障害者ってこんな人」と思ってしまうことは、コミュニケーション以前に偏見で障害者と接していることになります。

メディアの重要性

 第三者的メディアによって、人は一対一関係に耐えることが出来る。
 たとえば男女は「性」を媒介にしているからつながっていられるのであり、読書会も家族も、対象とする本や家を媒介にしてつながっているのである。吉本隆明のいう共同幻想である。吉本は一対一関係(特に男女間)は対幻想と説明しているのであるが。
 恋愛が「学校」によってはじまる学園ドラマも、学校空間・学校的時間を媒介(=メディア)としてつながっている。何のメディアもなく、一対一の実存的関わりを持つことは難しい。趣味の話や最近のスポーツをネタに(ワールドカップは格好の会話メディアになる)しなければ、人は一対一の関係に耐えることはできない。齊藤孝は偏愛マップなるものを用意し、各人の好きなものを明らかにしたうえで会話をすると話が盛り上がる、と語っているが(『友だちいないと不安だ症候群につける薬』など)これこそ一対一関係に耐える方法である。
 カー・ドライブを二人で行く時、会話なしで走ることは可能だが、わびしさや居心地の悪さを感じる(映画『レインマン』で、スザンナが恋人チャーリーに「何も話さないなんて、一人で旅行してるみたい」と訴えるシーンがある)。だからドライバーは「地図を読んでもらう」ことやカーステレオをつけて音楽メディアを媒介に助手席にいる人間と空間・時間を共有しようとする。

深夜バス車内での思索

(この文章は、5月末に富山県に行く際の深夜バスで書いたものである)

 新宿から深夜バスに乗り、桶川サービスエリアについた。ベンチに座り、あたりを見つめつつボーっとする。
 物憂げな時間の過ごし方。これが好きだから私は一人で深夜バスに乗るのだろう。眠れない時間も、一人になるために必要なのだ。たまには「誰でもない自分」である異邦人(マレビト)になるのも楽しい。
 学部時代、週一回のペースで高校の寮の宿直に行っていた関係で、「ふらっと/どこかに泊まりに行く」のには慣れている(荷物も、「何をもっていくか」大体分かるようになった)。
 眠れない時間、人は何かを考える。自分の過去の思い出、将来の希望等など。ひょっとすると、現実の世界に起きている全てのことは、眠れない時間に人々が思い描いた願望によって成立しているのではないか、と考えることもある。思えば、私が初めて書いた「小説」も、深夜バスに揺られながら書いたものであった。
 深夜バスを嫌う人は多い。「仕方なく」「安いから」乗る人ばかりだ。しかし私はそうではない。深夜バスで眠れない時間も楽しめるような人間だけが、深夜バスの醍醐味を知っているのだ。
 周りがすっかり寝静まっている車内で、一人i-podで音楽を聴きつつボーっとする。「誰でもない私」になれる時間だ。都市的生活をしていると、びっくりするほど「ボーっとする」ことが少ないように思う(だって電車でもエレベーターでも僕は文庫本を開いてるし)。

 こう思うと、「私」というものは本当に連続しているものなのか、不安になる。
 院生としての私は、いまバス車中で揺られつつペンを動かす私と同一人物なのだろうか? 近代法体系は「そりゃそうだ」という。そうでないと「借金したのは昔の俺であって、今の俺が借りたわけじゃない」という言い訳が横行することになる。
 おそらく他人も多様なように、「私」という存在も多様なのだろう(私という存在には4つの側面があるらしいことを心理学専修の人に聞いた)。いま存在する私も「私」だが、「未見の我」としての私も必ずある。「私」をめぐる冒険は果てしない。

 眠れない辛さを感じるのも、旅の楽しみの一つである。
 人生は旅だ、というのなら、旅先で感じるような「辛さ」(この場合は眠れないという現象)を知るのも楽しみの一つである。辛さすらも楽しめるのがプロの旅人なら、辛さですら楽しめるのが人生のプロなのだ。
 よく考えると、死に向かう旅も、遠くへと向かう旅の一つである。人が旅に出るのも、死に向かうための練習なのだ。哲学は「よい死」を迎えるために行うものだと言われる。ならば旅に出るのも哲学のひとつなのだ。プラトン自身、数年アカデメイアを抜けて旅に出ていたし。

 …こんな事柄を綴れているのも、400円のA5リングノートがあるからであり、150円のジェットストリームと僅かな日本語リテラシー能力があるためだ。ほんの少し「知的」になるための投資はほんの少しでいいのだ。

H小学校・研究授業の「思い出」。

 一昨日、はるばる北日本まで行き、公立・H小学校の教育研究会に参加した。これは公開授業を全校的に行う実践である。もう20年も前からこのような実践が行われてきたという。
 よくよく考えると、公開授業とは奇妙な現象である。生きた人間たちを、彼らより年長の人間たちが「観察」の対象にする。要は小学生版「動物園」なのだ。よく思想家は「動物園」を近代の特徴のように語る。それは観察される客体と観察する主体とを明確に二分割するからだ。中世的な「見世物小屋」と違い、「真面目」な「研究」の対象と取り扱われる。
 ミシェル・フーコーは〈見る―見られる〉関係性のうちに権力作用を見出した。とすれば、この授業研究会というのは大人の側が小学生たちを「監視」する権力作用以外の何物でもない。小4のクラスを「見学」する中でそれに思い至り、思わず気持ちが悪くなったのを覚えている。
 この小学校の児童たちは、興味深いことにこれだけ多くの大人たち(下手をすると、クラス内の児童と同じくらいの人数。しかも大半は「先生たち」である)に「見られて」いながら、普段通りの姿を見せてくれる。ある子は机に突っ伏し、私語し、鼻に人差し指を突っ込む(そこまで「観察」してしまう私は、すっかりゾウの檻の前に立って見ている動物園の客である)。巧妙に訓練を受け、餌付けされた「動物」たちの姿を思い出す。とすれば教員は調教師なのか。フーコーが「よきディシプリン(しつけ)はよき調教である」と述べた通りだ。
 授業が終わった後の分科会という「反省会」も非常に「面白い」。先ほどの授業中の「~~君」「~~さん」の言動が問題にされ、それに対する教員の今後の「教育」方針が語られる。この場において、生きた人間の処遇が語られる。語られた生徒は、そんな話し合いの存在を知る由もない。おまけにコメントするのはもう二度とこの小学校に来ない人々なのである。そんな人間たちによって、小学生たちは勝手に今後の生き方を決めつけられてしまうのだ。これを権力作用と呼ばずに何と呼ぶべきなのか。 

追記

●教員の語りに耳を傾けなければ、評価されることのない小学校の退屈さ。それこそ鼻でもほじるしかやることはない。対話は成立せず(1対30の営みは「対話」ではない)、教員の語りは児童の耳から抜けていく。
●私は研究授業や公開授業では、児童・生徒を観察する人を「観察」するのが趣味である。観察する側は、意外に無防備なので「素」が出るのだ。これはツタヤにおいてDVDを探す人を見る「楽しさ」と同じである。いかがわしいDVDを真剣に見つめる人を見るのはなかなかに愉快だ。
●教員たちの軽々しい「皆が仲良く過ごしました」という言説に気持ちの悪さを感じる。この一言には恐るべき「圧力」がかかっているのではないか。「仲間」という言葉や「学びの共同体」という言葉。これらの言葉のネガティブな部分に、本当に目がいっているのか? 「仲間」を構成するのはピア・プレッシャーでもある。つまり同調圧力。少しでも異なる「他者」を排斥する働きが裏にはある。その恐ろしさを知らずに軽々しく「皆」とか「仲間」とかいう言葉を使うべきではない。そう思う。
●教室の後ろの置かれた飼育小屋。いくつも並んだその姿が、私には複数の「棺桶」に見えた。飼育される動物たちは、はじめは可愛がってもみくちゃにされ、飽きられれば餌もやり忘れられるようになり、やがては知らないうちに「死んで」しまう。教員は死ぬことを予期した上でその死体を「デス・エデュケーション」の「教材」にする。そう、はじめから飼育動物たちは「死ぬ」ことを想定されているのである。ペットであればそうではない。
 恐るべきは学校である。どんな存在も「教材」にされてしまう。動物も、その辺にいる地域住民も、駅のホームレスも、すべてが「教材化」。この権力性についても、考察をしていきたい。

生徒によって「受けられた授業」とは何か?~『うる星やつら』的論考。~

学校空間は、生徒集団によって自分たちの生活文脈の中に再構成される。学校の各部署の名前は学校側のものと生徒によって命名されたものの間に落差がある。例えば、我が母校の寮では「みどじゅう」という場所が存在した。集会場の前にある、緑色の絨毯のひかれた空間のことをいう。空間と同じく、生徒たちは学校での「時間」も、自分たちの相応しい文脈のもとに「再構成」する。
 退屈な授業時間。一斉授業の名の下、聞いても理解しがたい授業が教授される。アニメ『うる星やつら』では担任の温泉先生(♨マーク)はまさに英語の教師であり、退屈な文法の授業を行う。どんなに授業の仕方が下手であろうと、生徒はそれに従わなければならない(評価権は温泉先生にある)。それゆえ、諸星あたるを始めとするキャラクターたちはいかにも退屈そうに彼の授業に「付き合う」。その付き合い方が、授業の「再構成」である。あたるはテキストを目隠しにして「早弁」(ハヤベン)をする。教員が黒板に向かう間に、こっそりと授業を抜け出す。そこまでしなくても、生徒たちはあるいは寝、あるいは「内職」をし、紙将棋もすれば紙飛行機も飛ばし、私語も行う(初期のアニメではラムがあたるに抱きついたまま授業が受けられる)。 彼らにとって教員の語りはBGM。音が強くなるときだけ聞き耳を立てる。
 それでも授業は苦痛だ。それゆえ退屈な日常(学校的日常)では「祝祭」が求められ、ラムやその関係者により授業がめちゃくちゃにされることが心待ちにされる(そうでなければ、こんなにトラブルやドタバタしかない学校に通い続ける義理はない)。 「祝祭」性を求めるがゆえに、どんな学校にも「七不思議」などの怪談話が創作される。これらは学校という退屈な日常を、楽しくすごすために作られた物語なのである。ストーリーテラーの周りには、学校的日常に退屈した生徒たちが集まり、耳を傾ける。『平家物語』を語った琵琶法師のような現代版・吟遊詩人なのである。
 学校は「学校」として機能しない。それは生徒によって「学校」は再構成され、自分たちに都合のいいものに作り替えられるからである。そのために、教員によって考えられた「学校」観と、生徒によって見られた「学校」観は常に相違するのである。教員にとって「問題」な生徒は、必ずしも問題児ではない。逆もしかりで、教員側からの「優等生」と、生徒にとっての「優等生」は評価観点がずれている。
 教員によってなされる授業・提供される学校空間は、生徒にとって過ごしやすい必然性はない。それゆえ、生徒たちは適当に遊び、「内職」し、「祝祭」性を求める中で学校的日常をやり過ごし、卒業して行くのだ。それが悪いとはいえない。だいたい、中高生にとっての学校の「思い出」の大部分は友人関係や部活動に集約される。そしてこの二つにはあまり教員側の意図が入り込まないのだ(学習指導要領では「友人関係」も「部活動」も規定はない)。

追記

●私語や手紙回し、早弁によって再構成された授業。再構成でもしなければ苦痛で仕方がない時間。生徒にとって授業を受けることは、いわば「労働」なのである。では、ボーッと過ごされた時間・机の上でなんとなくやり過ごした学校での時間は、生徒の生育史のうえにおいて「役立った」と言えるのであろうか? 内田樹も『下流志向』で「不快貨幣」の話を出している。