Cicero, 44 B.C., Laelius de Amicitia.(=中務哲郎訳『友情について』岩波書店, 2004.)

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Cicero, 44 B.C., Laelius de Amicitia.(=中務哲郎訳『友情について』岩波書店, 2004.)

 キケロの友情論。友情論の古典である。3人の男の会話体のなかで友情論が交わされる。警句集として読むことができ、なかなか興味深い書物である。
 ただ、いまの時代、寺山修司が茶化して語る以外、友情について大真面目に語ることは一種のパロディになってしまう。そのあたりにポストモダンの「哀しさ」がある。
 この本を読もうとしたのは、帰省時に持ってきた本のうち『言葉と物』以外に読む選択肢を設けるためである。あとはルネサンスについて勉強しているので、ルネサンス期に評価された「人文主義」の代表人物の本を読もうと思ったためである。
 気になる点は一つ。当時の「友情」というのは同性愛的な意味もあるのだろうか、という点である。
 以下は抜粋から。
「つまり友情とは、神界及び人間界のあらゆることについての、好意と親愛の情に裏うちされた意見の一致に他ならない、ということだ」(25)
「まさにこの徳が友情を生みかつ保ち、徳なくしては友情は決して存在しえないのである」(25)
「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることになるからだ。それ故、友人は、その場にいなくても現前し、貧しくとも富者に、弱くとも壮者になるし、これは更に曰く言いがたいことだが、死んでも生きているのだ。その者たちを友人たちのかくも手厚い礼が、思い出が、哀惜の念が見送るところから、逝く者の死は幸せなものと、残された者の生は称えるべきものと見えるのだ」(27)
「大抵の人は、恥知らずに、とは言わぬまでも理不尽にも、自分ではなれないような友人を欲しがり、こちらからは与えないものを友人から期待する。まず自分が善い人間になって、それから自分に似た人を求めるのが順当なのに」(67-68)
「愛してしまってから判断するのでなく、判断してから愛さなければならない。それなのにわれわれは、注意を怠ってひどい目に遭う場合が多いのだが、とりわけ友人を選び敬う場合にそうなのだ」(69)
「友人の語る真実が聞けないほど真実に対して耳塞がれてしまっている者は、救われる見込みがない」(73-74)

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