自殺・じさつ・ジサツ 映画『The Bridge』(2005年)より

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 郷里・兵庫の八千代町。この隣町に、湖があった。名を翠明湖(すいめいこ)という。陸上部時代、この湖の周辺を走っていた。巨大な橋が、湖を横断している。その上を走るとき、なぜかしら寒気がしていた。立ち止まり、覗き込めば吸い込まれそうになる。この「巨大さ」がもたらす怖さと相まって、この橋からひとが何人も身を投げた、という事実が私に寒気をもたらしたのだろう。小学校時代の先輩も、この橋から飛び降り、命を絶った。どういう事情だったかは未だに知らない。映画『The Bridge』は忘れかけていた、私の中学時代の記憶を呼び戻してくれた。

 アメリカ・カリフォルニア州・サンフランシスコに架かる、ゴールデン・ゲートブリッジ。「太平洋からサンフランシスコ湾に入る通路をなす海峡」(『広辞苑』第5版)、金門海峡の上にある。年間900万人が観光に訪れる。2004年はそのうち、24名が橋から身を投げた。この橋で命を断った人の数は、1250名になる(映画より)。水面まで67メートル。即死。世界最大の自殺の名所、と映画では言っていた(私は東京のJR中央線だと思う)。

 ゴールデン・ゲートブリッジに設置した4台の定点カメラが、橋を写し続けた。映画は、定点カメラ映像と、自殺者に近しい人たちのインタビューから構成されている。映画冒頭、中年男性がいきなり橋の欄干を飛び越え、落ちていく。あまりにショッキングだ。午前4時に映画を観ていると思えぬほど、衝撃を受けた。

 観ていて気づいた点。よく晴れた日に、人びとは自殺している。カリフォルニアに晴れが多いから、当然といえばそうであるが、インパクトがある。自殺はじめじめした、暗い天気の日にやるもの、というイメージが私にあった。まさに飛び込む瞬間を見ていた人のコメントに、‘笑顔で飛び込んでいった’とあったことも印象的であった。 
 気づいた点の2つ目。自殺者に近しい人たちは、自殺前に、何らかの兆候を受け取っているようだった。たとえば‘俺はもうすぐ自殺する。ピストルでは汚れてイヤだ’などの直接的な表現。これが数年前から続いていた。回想し、「もっと愛があれば…」など、近しい人たちが後悔の念を吐露するシーンもあった。

 「本作の目的は自殺問題に答えを出すというより、我々の社会と自殺について問題提起をすることなんだ」とは、DVD収録・監督来日インタビューの言葉である。自殺は身近にある。にもかかわらず、人びとの関心をあまり引かない。日本では交通事故死は年間5000件程度。自殺は3万人。「自殺に悩む人がオープンに話せる環境づくりや彼らをポジティブに支援する方法が必要だ」とも監督はいう。

 カリフォルニアの快晴をバックに、何人も海に飛び込んでいく。しかし、我々は自殺を暗闇で、ひっそりと行われるもの、と考えている。自殺を考える人は、別の世界にいる、というように。無論、人が観ていないところで通常は自殺が起こっている。物置で、自室で、森の中で、自殺はひっそりと行われる。けれど、自殺は陰に隠すべきものではない。交通事故と同じく、あるいはそれ以上にありうべきことである。社会でも対策を採っていくべきだ。「自殺」というテーマを広く社会で議論しあっていくべきだ。カリフォルニアの太陽のように、白日の下に晒すのだ。「現実や真実を見ることを拒否するのは、助けやケアを必要としてる人びとに対しひどい仕打ちをすることになるんだ」(監督インタビューより)。

 ドキュメンタリーの目的は、現実の問題点を多くの人びとに知らしめることにある、と私は考える。編集の仕方によって現実が歪められる可能性はあるものの、ドキュメンタリーでしか伝えられないことがあるはずだ。「知らない」ということは、ある意味で幸せである。「知る」ことには、義務を伴うからだ。知ってしまった以上、何らかのアクションを起こさないことには、被害者に申し訳が立たなくなることがあるのだ。
 
 

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