映画『地球に優しい生活』(原題: No Impact Man アメリカ2009)

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映画『地球に優しい生活』(原題: No Impact Man アメリカ2009)

 新宿武蔵野館でトークショーも含めて、本日見に行った。初日というのは映画のエネルギーを強く感じる。

 さて、この映画は1年間地球に負担をかけない(No Impact)生活をニューヨークの都心のアパートで行う、というものだ。田舎ならいくらでも自給自足ができる(こっちも大変だけど)。それを都会で、奥さんが働きつつ、家族3人で行うという点で「大変」なのである。
 いままで私が観てきたドキュメンタリーとの違いは、本作の主人公は「成長」・「変化」していく点だ。一般的なドキュメンタリーは固定的で迷いのない主体として描かれる。代表例は『ゆきゆきて、神軍』。主人公の奥村謙三は最初から最後まで「変な人」であり、活動家である。何かを経験してもそこからの学習や変化は描かれない。一直線のモデルである。このように描かないと、ドキュメンタリーでとりあげるべき人物ではなくなってしまうからだ。最初から最後まで、環境運動家は変化せず、批判に屈せず、やり切るのが一般的なドキュメンタリーである。
 一方、本作の主人公は意外に弱い。自らの生活を綴ったブログへの批判にヘコみ、いろんな人からの批判・指摘を受けて「自分が間違ってるかもしれない」とアッサリ認めてしまう。また、単に自らの活動を誇示するのではなく、他の運動家や農場・地域の人々から学んでいく姿勢が挙げられる。夫・妻との会話・対立を経験しつつ、なんとか1年過ごすという映画である。ある意味確たる主体性が消滅した、ポストモダン的なドキュメンタリー、と言えるだろうか。主人公たちの会話や「地球に優しい」主張も、よく聞くと矛盾しあっている。エレベーターはダメだが、遠くの牧場への電車は構わない、本は読むけれどトイレットペーパーはNGなどなど。混乱・葛藤・矛盾を描き出している。
 一般的なドキュメンタリーとの違いは、おそらく編集の仕方である。編集はすべての映像を撮ったあとに完了する。その際、「変化しない」部分を組み合わせて作ると一般的なドキュメンタリーになる。しかし、それをあえて混乱・矛盾したまま描くと本作のようになる。編集の力はすごいものだと思う。
 私は本作のように「変化」する主体を描いたドキュメンタリーを好む。だって私は弱い。他者の声に簡単に影響される。また以前と違う考え方にいきなり変化することがある。おそらくほとんどの人の生活もこういうものだろう。それゆえ、本作は変化・矛盾している自分のような弱い主体でも、何かができるのではないかと考えさせることに成功しているのである。面倒くさく言うと、本作は共同主観性の立場で描かれたドキュメンタリー映画だ、ということができるだろう。
 

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