村上陽一郎『新しい科学論』(講談社ブルーバックス、1979年)

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古い本である。しかし、手元のものを見ると2008年5月に
43版が出ている。驚異的な本だ。

ある時代、ある社会のなかである考え方が有力な底流を形成しているとき、
それは、その社会共同体のメンバーたちに共通の、広い前提になるわけです
し、そうした共通の前提の上にたつ限り、多くの人びとが、その前提と構造
的同型性や意味の連関性をもつような同一の理論に、独立に到達することは、
ある意味では当然のことになりましょう。(195頁)

村上は、科学は「中立性」や「客観性」をもつという考え方を「科学につい
ての常識的な考え方」であるという。
そして「新しい科学観」を提示していく。それは’そもそも科学に中立性や
客観性というものはない’ことを形をかえて主張していくのである。
そもそも近代科学の父であるニュートンもキリスト教に基づいて、
キリスト教の見方(偏見)にしたがって研究を進めたのだから。

要するに、現代の科学は、その長所も欠点も、わたくしども自身のもって
いる価値観やものの考え方の関数として存在していることを自覚すること
から、わたくしどもは出発すべきではないでしょうか。今日の自然科学は、
今日のわたくしども人間存在の様態を映し出す鏡なのです。今日の科学者の
考えていることは、わたくしどもの時代、わたくしどもの社会の考えている
ことの、ある拡大投影にほからないのです。(201頁)

この本、1979年時点では斬新な本であっただろう。けれど、ここに書か
れた「新しい科学観」はある意味の「常識」となってしまっている。
科学の中立性について何かを言うのは高校の教員くらいであろう。
学校での科学教育は今だ村上の言う「常識的な考え方」に縛られている
ようだ。

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