高校生畏るべし

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 私が母校の寮に学生ボランティアとして関わるようになって、今年で3年になる。関わりはじめた頃の高校1年生が、来年には卒業していく。感慨深い年である。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりもためになる事がけっこうあるのだ。
 昨日は寮生のK君と洗面台のそばで話した。彼は高校1年生である。

K「石田さんは今まで何冊本を読んできたんですか?」
私「大学時代に、ざっと750冊くらいかな」
K「じゃあ、良書は何冊読んできたんですか?」
私「良書? 『カラマーゾフの兄弟』とか『エミール』とかのことだよね。大体50冊くらいかな」
K「あんまり良書は読んでおられないんですね」
私「……。」
K「石田さんは『カラマーゾフの兄弟』を読んでるんですよね。読んでどう変りました?」
私「え、……。でも『モンテクリスト伯』を読んだ時はめちゃくちゃ感動したよ」
K「そんな本も読まれてるんですか。にじみ出ませんね」
私「う……。」(涙)

 大学の友人や先輩/後輩、大学の教授が聞いてくるレベルを遥かに超えた発問であった。グサグサ胸に刺さってくる。K君は決してイヤミで言ってくるのではなく、にこやかに話してくるのだ。この文章を読んでいる方。高校生にこのように言われたら、私同様泣くしかないですよね? 
 よく教育において〈子どもから学ぶ〉姿勢が大切だ、と言われている(灰谷健次郎の十八番である)。タテマエでも何でもなく「まさにその通りだなあ」との思いを新たにした。深夜2時にも関わらず、一気に眠気がひいたのである。

 K君の話の中で注目すべき点がある。それは学ぶという事は学ぶ者に〈変化をもたらす〉ものだという認識である。K君の「どう変りました?」「にじみ出ませんね」という言葉に象徴的に現れている。ある教育学者は「学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである」(林竹二『学ぶということ』)という言葉を残している。これは昨年読んだ教育関係の書の中で最も印象深かった言葉である。K君はおそらく直感的に学びの本質を見抜いていたのであろう。後生畏るべし、との思いを強くする(ここでは後生ではなく、「高校生」とすべきであろうか)。相手が子どもというだけで軽く見てはならないのだ。

 この文を、私は寮からの帰りの西武線車内で書いている。もうすぐ〈我らが母校〉の高田馬場に到着する。さて、〈良書〉を久々に買いにいくとするか。

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