書評 牛山栄世『学びのゆくえ』岩波書店、2001  

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 著者の牛山氏は小学校で長年教師をしてきた。いまは校長だという。本書には氏の教員としての実践が描かれている。氏はヤドカリやガチョウなど、いろんな動物を学校で飼育する実践を繰り広げている。印象深いのはヤギの飼育のひとこまである。修士課程で生物を学んだといっても、牛山氏はヤギの飼い方に精通しているわけではない。ヤギ小屋の設計やエサの量・種類について全く知らない状態からヤギ飼育をはじめた。その際〈どうすればヤギにとって最も幸福なのか〉、クラスの小学生たちと話し合いながら進めていった。試行錯誤の連続だ。初期は失敗も多く、結果的にヤギを苦しめてしまっていた。

 
ヤギについて「無知」であることの責めは負えない。しかし、ヤギ(自然)に呼応する自分の体、暮らしから「知」を紡ぎ出す自分の体、実在するもの・こと・人に生身をさらして交わる自分の体、子どもから感じ子どもから発想する自分の体、そして、「共同」によって新たな学びの回路を拓くグローバルな体、そういうものを含みこんだ「専門性」にことごとく迫られるのである。
 こうした「専門性」は、座して得られるものではない。それは、ものごとにじかにふれ、実感を深くするほどに発見的に体得され形づくられる外ない。そう思うのである。

 ヤギという未知の存在との共生(飼育)。教師も共生法を知っているわけではないため、子どもと知恵を出し合ってヤギを飼うこととなった。そのため、子どもだけでなく教師自らも成長していくこととなった。
 この実践のなかで、牛山氏はあることに気づく。「こうした暮らしにあっては、所与の内容を伝える教師とそれを学ぶ子どもといった関係が薄らいで、共に感じ考え活動する仲間としての関係になっていた」(p44)。感動的な話である。
 なかなか教師―生徒(児童)というタテの関係の中で「仲間としての関係」を築くことはむずかしいように思う。教育実習中は「実習生」という特別の地位のお陰で、教師ではない「先輩」として振る舞うことができた。生徒とある意味「仲間」になれたように思う。教員になるとこの関係を築くことは可能となるのであろうか?

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