映画『欲望』

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映画『欲望』を観る。原題BLOW-UP。写真の引き延ばし、という意味だ。
 唐突な終り方。推理サスペンスになるかと思いきや、唐突に終る。友人のNと共に観たのだが、「え?」と二人とも感じる終り方であった。
 そのため、いま音声解説を観ながら映画の意図を考えている。
 解説者が「主人公のこの行動の意味は不明」「このシーンを挿入した意図は不明」と多く言及する。これ、解説じゃないじゃないか! けれど、実際この映画は無駄だと思われるシーンが多い。通常、映画に出たシーンはラストシーンまでに何らかの意味合いが説明されると感じてしまう。けれど、この映画はそうではない。ある写真家の生活に密着した映画なのだ。最初から最後まで、主人公である写真家の出ないシーンはない。
 そこからこんなことが言えるんじゃないか。「主人公の行動の意図は不明」。しかし、人の行動なんてそんなものだ。退屈な日常・ありふれた日々・無意味な行動が人生という作品を作っている。そしてそのシーンは相互に関わりが低いのだ。
 解説者も「目的があるものは芸術ではない」と語る。人生の各シーンに目的はないことが多い。けれどまぎれもなくシーンの集まりが人生という芸術を形作っているのだ。

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