『脱学校の社会』を読む(第7章p190~209)

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『脱学校の社会』を読む(第7章p190~209)
●ギリシャ神話の「パンドラの箱」。パンドラとは「すべてを与えるもの」。
●「はびこっている諸悪の一つ一つを閉じこめようとして、そのための制度づくりに努力するプロメテウス的人間の歴史なのである。それは、希望が衰退し、期待が増大してくる歴史である」。
●希望と期待の区別の再発見の必要性。
希望:「自然の善を信頼すること」「われわれに贈り物をしてくれる相手に望みをかけること」
期待:「人間によって計画され統制される結果に頼ること」「自分の権利として要求することのできるものをつくり出す予測可能な過程からくる満足を待ち望むこと」
●「プロメテウス的エートスは、今日希望を侵害している」「人類が生きながらえるかどうかは、希望を社会的な力として再発見するかどうかにかかっている」
●原始時代、人類は希望の世界に生きていた。古代ギリシャ時代から、希望を期待に置き換えることをはじめた。
●プロメテウスとエピメテウスの二人の兄弟。
●ギリシア人は「合理的で、権威主義的な社会を築いた。人々は、はびこる悪に対処するつもりで制度をつくり上げた」
●「彼らは、自分自身の要求や将来における子供たちの要求が、人為的につくられたものによって形成されることを望んだ」
●原始時代:個人を儀礼に神話にしたがって参加させることを通し、社会の慣わしや知識を個人に教えていった。
古代ギリシア人:教育によって、前の世代の人々がつくりあげた制度に自らを適応させる市民だけを真の人間として認めた。
→夢が「解釈」される世界から、神託が「創ら」れる世界への移行を反映している。
●「人々は、彼らの生活を規定する法律をつくることや、環境をおのれのイメージに合わせてつくることに責任をとった」。「神話的生活への原始的な導入の儀礼は、市民の教育に変えられていった」(p194)
●「運命、事実、および必然性によって支配」されていた原始の人々。
   ↓
プロメテウスは神から火を盗む。「事実とされていたものを問題とし、必然性とされていたものに疑いをさしはさみ、運命に戦いを挑んだのである」
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「運命として与えられた自然環境に挑むことはできるが、そのためには自分自身に危険のふりかかることを覚悟していなければならないことを知っていた」
   ↓
「自分のイメージにあわせて世界をつくり、全面的に人工でつくられた環境を築き上げようとする」「しかし(中略)それはむしろ環境に自分自身を適合させるよう、たえず自分を作り変えるという条件のもとでのみ可能であることに気づく」
   ↓
結果として「今、われわれは、人間というもの自体が危機に瀕している事実を直視しなければならない」
→要はどういうことか。自然を作り変える・手を加えることで現在の文明が成立した。しかしそれに伴い、人間自体も変化させられることとなった。人間も自然の一部であるゆえ、自然に手を加えるならば何らかの形で自分自身にも手を加える結果となるからだ。それが環境破壊や環境ホルモンの問題として現れてきている。だからこそ「人間というもの自体が危機に瀕している」といえるのではないか。
→「自然に手を加えよう」とする思いが、プロメテウス的人間の行動だといえるのではないか。「ありのままに任せていこう」という思いがエピメテウス的人間といえるのではないか。
●現在は「欲望と恐怖までもが、制度によってつくり出される」。価値の制度化が進んでいるのだ。(p195)「学習自体が、教科内容を消費することと定義される」
●「望ましいのものはすべて計画されたものなので、都市の子供はやがて、人間は人間のどんな欲求を満足させるためにも、そのための制度を作れると考えるようになる」(195頁)
→本当に必要なものではなく、社会が私に「この商品が欲しい!」と思わせるのではないか。つまり、社会が高度になるほど、社会が人々の需要を作り出す。社会のことをイリッチは「制度」と言い換えていると考えるのであれば、制度が価値を定める、価値の制度化がいたるところで成立することになる。その例が「月への乗り物が考案されれば、月に行くという需要もまた作りだされるということになる」(196頁)ということである。
 その結果、「たえず需要の増大する世界は、単に不幸というだけでは言い尽くせない。―それは、まさに地獄にほかならないのである」(196頁)。
●「人は、制度が自分のためになしえないことがあるなどとは考えることができないので、何でも求めるという欲求不満の原因になる力を発達させてきた」(197頁)。悪文。要は、人々の欲求不満が増大してきたということだ。プロメテウスが火を神から盗んでくるまで、自然というものに対し、人間には「あきらめ」があったはずだ。動物が捕れないならばあきらめて死ぬしかない。どんなに上手くない魚を釣ったとしても、空腹ゆえに諦めて食べるしかない。その世界は諦めで満ちている反面、幸福を感じることもまた容易だったのではないか。ほかにモノがないのだから、きちんと食事ができ、元気に一日を過ごすことができれば、それだけで幸福だったはずだ。
 現代は衣食住すべて揃い、体調も良好であったとしても「欲求不満」が増大するゆえに人々が不幸になる社会である。
●冷戦の影響を受けてか、『「原爆発射のスイッチ」は、今や「地球」の生死を制することができる』という書き方をしている。
●「われわれの制度は、それ自体の目的を作り出すばかりでなく、それ自身、およびわれわれの生存にも終わりをもたらす力をもっているということである」
→この例として、イリッチは軍隊を出す。「軍事用語における安全は、地球をなくしてしまうほどの破壊力をもつことを意味する」。
●「学校は、計画化された世界へと人間を導きいれるために人間を加工する、計画的に作り出された過程となった。学校は、一人一人の人間を、この世界的ゲームの中での役割を演じるのに適するレベルにまで形成するものだとされている。われわれは容赦なく耕作をし、さまざまの措置を講じ、生産活動をし、学校教育をするが、そうすることによって世界を消滅させていくのである」(199頁)
→地球が限界を迎えるのを加速する働き。教育にはそんな側面もある。
●「制度の目標は、制度のつくり出すものとは絶えず矛盾する」(201頁)。「貧乏胎児の計画は、ますます多くの貧乏人を生み出し(中略)学校は、より多くの脱落者を生み出す」
→学校がある限り、「学校が合わない」人間は必ず存在することになる。社会的受け皿がない限り、そのひとたちは不幸に陥ってしまう。この「制度の目標」と「制度の作り出すもの」の両方に目を向けていくべきである。
●「最後に、教師、医者、および社会事業家は、彼らの専門職的仕事が少なくとも一つの共通する側面をもっていることに気づいている。その共通点は、彼らが制度的世話を提供すると、それに対する需要が一層高まっていくということである。しかも、その需要の高まりは、彼らがサービスのための制度を拡充できる速さよりも一層速いのである」(203頁)
→本書の最終結論部分であろう。学校のスリム化・「小さな学校化」は私の考える理想社会であるが、その理論を支える言説となるであろう。「学校化」とは「教えられるのを待つようになる」「教えられたことだけに価値がある」と考える思考形態のことをいう。学校がある限り、人々は自分から学ぼうとはあまりしない。学校というものの持つパラドクスである。
●「人々にその生産物が必要だと思い込ませるために使われた教育費は、その生産物の価格に含まれる。学校は、人々に現状のままの社会が必要だと信じ込ませるための宣伝機関である」(204頁)
→この「教育費」とは広告費のことであろう。
●「われわれは、期待よりも希望のほうが価値があると考える人々につける名前を必要としている。われわれは、製品よりも、人間を愛する人々、また次のように信じる人々につける名前を必要としている。
 まるでつまらないなどという人はいない。
 人の運命は、星野めぐりのようだ。
 人々それぞれに独特である。
 星それぞれが異なっているように。
と信じるのである。(207~208頁)
→この「名前」とはイリッチがラストでいう「エピメテウス的人間」のことである。
→「期待」とは人間が作った需要による欲求のことではないか。制度がもたらす欲求不満には際限がない。それよりもごく自然に存在する「希望」を求める生き方のほうが人間にとって住みやすい社会となるのではないか。
●「われわれは、次のような人々につける名前を必要としている。彼らは、プロメテウスの弟と協力して火をともし、鉄を鍛えるが、その目的は、他人のそばにつきそってその人の世話をしてやる自分たちの能力を高めることである。
 誰にも自分ひとりの世界がある。
 その世界でのすばらしいひととき。
 その世界での悲しいひととき。
 どれも自分ひとりのもの。
という認識を持ちながら。
 私は、これら希望に満ちた兄弟姉妹たちをエピメテウス的人間と呼ぶことを提案する」(209頁)
→理想の人間社会像。
おわりに
●この章は、「脱学校」にほとんど関係がない章であると思う。けれど、読んでいて感動すらする章である。
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