森信三, 1989, 『修身教授録−−現代に甦る人間学の要諦』致知出版社.

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森信三, 1989, 『修身教授録−−現代に甦る人間学の要諦』致知出版社.

森信三が大阪天王寺師範学校にて「修身」の授業を受け持った際の講義録。
ソシュールなどの著作と同じく、生徒の筆録によって本になっている。
世の中が教科書ベースの「徳目主義」の修身授業を行う時代。
森信三はそんな際、自分が疑問に思うこと・考えていることをベースにした修身の授業をした(講義録は昭和12−14年の内容である)。
血の通った人間としての「生き方」の授業を森信三は行い続けた。
この本はそんな「生きた」修身の授業の模様が描かれている。
森信三のアドバイスは一つ一つ具体的。
例えば。
「これはたぶん相手の人が知っていないらしい、と思われる事柄について話す場合には、「ご承知のようにー」とか「ご存知のようにー」とかいう前置きをして話すということです。でないと相手としては、面と向かってお説教をされるような気持ちになるからです。この辺のところに、会話上のこつとか呼吸というものがあると思うのです」(201)
そのため非常に面白い。
以下は抜粋集。

「いやしくも教師たる以上、通り一遍の紋切型な授業ではなく、その日その日に、自己の感得した所を中心として、常に生命の溢れた授業を為さむと心掛くべきなり」(47)

「人間が真に欲を捨てるということは、意気地なしになるどころか、それこそ真に自己が確立することであります」(85)
「私の平素申していることは「常に書物を読んで、卒業後独力で自分の道を開いていけるような人間にならねばならぬ」ということです」(138)
「どこまでも仕事を次つぎと処理していって、絶対に溜めぬところに、自己鍛錬としての修養の目標があるということを、深く自覚することです」(179)
「最初はまず実例から入り、さらには実行から入るというのが、われわれ日本人の入り方ではないかと思うのです」(181)
「人は真に謙遜ならんがためには、何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと言えましょう。すなわち相手が目下であるからとて調子に乗らず、また相手が目上なればとて、常に相手との正しい身分関係において、まさにあるべきように、わが身を処するということであります」(206)
「真の「誠」は、何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。総じて自己の努めに対して、自己の一切を傾け尽くしてこれに当たる。すなわち、もうこれ以上は尽くしようがないというところを、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出して|いく。これが真の誠への道でしょう」(253-254)
「われわれは苦労することによって、自分のおめでたさを削りとってもらうんです。現実の世界は決してお目出たくはないのです」(271)
偉業をなす人の風格
①「自分のやりたいことはすぐにやる」「たとえば本が読みたくなれば、たとえそれが真夜中でも、すぐに飛び起きて読むといった調子です」
②「夢中になる」
③「最後までやり抜く」(385)
「この世の中を愉快に過ごそうと思ったら、なるべく人に喜ばれるように、さらには人を喜ばすように努力することです。つまり、自分の欲を多少切り縮めて、少しでも人のためになるように努力することです」(462)

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