ジョン・ホルトを探れ!

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 卒論を書き始める。このブログに書いた内容を継ぎはぎするだけで、もう2万字になった。あと1万2000字。8月中に終りそうな気がしてきた。

 まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
 というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。

 タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。

1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)

ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)

 お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。

ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)

子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)

子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)

 神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
 ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
 地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。

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