映画『板尾創路の脱獄王』

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 一定の期間ごとに、「芸能人が映画を撮る」話が出てくる。昨年は松本人志の『しんぼる』を観に行った記憶がある。今回観た映画も、芸人・板尾創路(いたおいつじ)が撮ったものだ。

 映画中、主人公・鈴木雅之を演じる板尾は一切しゃべらない。囚人である彼は何度も何度も脱獄を行い、そのたび刑務官からリンチを受ける。その際も何も口に出さない。孤高の生き方を感じさせる。 刑務官をじっと見据え、抵抗の思いを示す。マンデラやキング牧師を思い出すシーンだ。
 
 本作を観て、私は国家の持つ暴力性を感じた。脱獄をするたびに、「国家の威信を傷つけた」として懲役の年数が上がっていく。最終的には脱獄不可能・入ると二度と出てこれない「監獄島」に送られることになる。つまり終身刑になるのだ。
 終身刑を言い渡されてしまう鈴木は、そもそもどんな犯罪を犯したのか。映画では彼の調書をアップするシーンがある。そこに書かれていたのは「無銭飲食」。軽犯罪で逮捕されたにも関わらず、国家は鈴木を終身刑にしてしまう。それほど、「国家への冒涜」は重大犯罪なのだろう。とてつもない暴力性だ。おまけに脱獄のたびに鈴木は非人間的な監獄に入れられていく。

 そういえば昨日、早稲田の小野講堂で行われた「犬死に大国、ニッポン」というシンポジウムに参加した。ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長・神美知宏(こう・みちひろ)氏の語ったハンセン病当事者の話が印象的だった。
 らい予防法という悪法により、ハンセン病患者を強制的に療養所に入所させる。その際、戸籍は抹消され、入れば二度と出ることはない。「入所者の義務」と称して、入所者に治療の手伝いや死者の火葬まで行わせる。
 板尾の映画に出てきた「監獄島」も、そんなところであった。収容者は戸籍を抹消された上で、社会から抹殺される。死んでも、出てくることはできない。ハンセン病療養所そのままではないか。

 『板尾創路の脱獄王』は、社会派の映画であったことに改めて気付いた。

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