中学校 公民科教科書に感じる違和感。

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 中学生のとき、公民の教科書に違和感を持っていた。現代の日本や世界の諸問題がたくさん羅列された内容。「未来は君たちにかかっている」というようなメッセージが伝わってくる。これに辟易していた。だって、環境破壊も南北問題も僕が何かしたから起きたんじゃないんだもん。先行世代の責任ではないか、と。

 さすがに今ではこのような幼稚な発想はしないようになっている(はずだ)。けれど、教科書の記述に未だに違和感がある。特に感じるのは、少子高齢化がテーマになっている箇所だ。

日本では現在、出生率の低下と平均寿命ののびによって、少子高齢社会に突入しています。(…)少子高齢化は、社会保障のあり方にも影響をおよぼしています。少子高齢化が進むと、社会保険の給付額は増大するのに、働き手が減るので収入の総額はむしろ減ってしまうでしょう。とりわけ深刻なのが公的年金です。(…)給付を現役世代の支払った保険料でまかなう方式では、現役世代に重い負担がかかります。(平成18年発行『新編新しい社会 公民』東京書籍、129頁)

 日本がお年寄りばかりになっている、との話の後に続く年金制度の説明。これを教育の場で扱う時、「自分たち大人のために、社会制度を守ってほしい」という身勝手な欲望を子どもに伝えることにはならないだろうか。別に現代の制度(特に年金制度)はベストなものでない。ひょっとすると最悪の制度かもしれない。「そもそも、この制度は必要なのか」を議論する必要すらあるかもしれない。けれどこのような話し合いもなしに、「みんなはこの制度を支えていくんだよ」と語りかけるのが教科書(または教師)だ。なんだか詐欺のような話である。
 
 前に読んだ吉本隆明と山本哲士の対談を思い出す。

ぼくはたいへん感動して(注 山本の本を)読んだんですが、明日の社会のため、国家のために子どもをどうするのかとか、どうしたら子どもはよくなるのかといったことを主張する教師、教育者などはいなくなったほうがいいんだ。そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだといわれていますね。(『教育 学校 思想』76頁 吉本の発言)

 私も、「そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだ」と思うのである。
追記
●ちなみに、教育社会学において教育の意味合いは非常に単純明快。「選別」と「社会化」である。本文で、「年金制度を君たちが支えていくんだよ」とのメッセージが教科書に込められていることを述べた。当人に気づかれないよう、巧妙に「社会化」を行えるよう、公教育では教育プログラムが組まれている。自分が、さも自由意志に基づいて判断を行ったように錯覚させることができれば、「社会化」プログラムは大成功なのだ。年金制度について誰も疑問を持たないまま授業を終らせることができたら、「社会化」完了なのである。
 
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