生徒も「わくわく」を求めている。

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生徒も「わくわく」を求めている。

小阪裕司は「顧客のニーズなんかない。顧客はわくわくを求めている」と述べる。(『「惚れるしくみ」がお店を変える!』)

これは教育にも言えることだ。
ハッキリ言って、生徒は「学びたがっている」ことなんて、ない。
学びたいものもない。
「ほしい物」がはっきりしない分、「受験」をテーマに授業をすることになる。
そして「ニーズに応えている」と受験校の教員は述べる。
しかし、それは本当だろうか、と感じた。
内田樹は〈学びというのは「贈与」であり、学ぶまでは自分が何を学びたがっているか分からない〉と述べる。
何を学ぶか、なぜ学ぶか分からない状態から学習は存在すると言っているのである。
生徒は学びたがっているわけはない。
生徒は「わくわくすること」を求めている。
学校もひとつの総合サービス業である。
であれば、生徒の「わくわく」を誘発する「しくみ」を作らねばならない。
それが「この内容は面白い」「楽しい」ということが伝わる授業であろう。
私はかねがね、「ドラクエ並みに面白い微積の学習教材が開発されれば、日本の国富が増大する」と思っているが、
これも「楽しい」「わくわくする」状態を学校のなかに取り入れることになると考えられる。
昔のマグネットスクールの発想である。
学校に生徒自らが「惹きつけられる」状態を理想とする、ということだ。
この「惹きつけられる」状態、生徒に「何を学びたい?」と聞いても教えてくれるわけはない。
それはデパートの店員がお客に「何を売って欲しいですか?」と聞くことと同じである。
お客は思いつきのアイデアを述べはするが、それで売上が高まるわけではない。
顧客は自分の「欲しい物」を知らないためである。
日本人で理数が嫌いな人が多いのも、「あ、難しそう」と逃げてしまうからだろう。
案外やってみると、面白かったりする。
教員という仕事は、生徒が何をわくわくするか、見極めながら授業をすべき、
恐ろしく高度な「総合サービス業」なんだなあ、とつくづく思う。
もっと修行せねば。

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