羽生善治・茂木健一郎, 2010, 『自分の頭で考えるということ』大和書房.

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茂木 将棋は世界遺産みたいな気がしてきました。どんどんネットワーク化して、情報をただ持ってくる、あるいは流すということで、思考が希薄化していく現代において、何の助けも借りず……つまりコンピュータの持ち込み可にもまだなっていないし、インターネット持ち込み可にもなっていない、将棋盤だけを前にして知性と知性のぶつかり合いが八時間行われている。こんなピュアな場って、もう他にないですよ。(150)

 

会議・研究会などでもパソコン持ち込み・ネットをつなぐというのが普通になっている現在、PCもネットも使わない将棋のプロは天然記念物になるつつある。

スマホやタブレットなどにより、純粋に「頭」だけで考える場が少なくなる昨今、改めて「自分の頭で考える」ことの意義を羽生善治の主戦場・将棋界をテーマに考察していく本。

例によって「頭脳」の使い方の名手である羽生善治に、脳科学者の茂木健一郎が質問しまくっていくという形である。

 

対局中にスマホもインターネットも使わず、自分の頭だけで行う将棋の世界。
にもかかわらず、最新の棋譜をネットで調べ、対策・研究に余念がない。
情報戦とその分析を「高速道路」に例えて対談が続く。

羽生 ただ、ちょっと話が出た高速道路みたいなもので、皆が一斉にそこまで走れるようになったけれども、その先はどうなるかという時、やはり昔ながらの力と力のぶつかり合いに戻ったし、むしろそこが大事になってきているんです。だから昔に戻ったといえば戻った感じで、そこに至るまでのプロセスが若干変わったかもしれない、ということですね。
茂木 でもとにかく高速道路で行けるところまでは行かないと、そもそも勝負に参加できないと。
羽生 そのとおりです。
茂木 まいったねぇ。(28-29)

つまりネットを使った「高速道路みたいなもの」で情報分析をしていないと、自分の頭でも勝負できなくなってきているのだ。

茂木 最近つくづく思うんですけど、たとえば小説家になりたいという若い子は大勢います。ところが彼らの多くは小説がまだ、古き好きロマンの世界だと思っている。でも小説について打てる手は、もうある程度決まっているんです。小説だけではなく、人間関係やビジネスのやり方など、いろいろなものが実は「有限の組み合わせの順列組み合わせ」みたいなものになっている。それに気づいているか気づかないかで、かなり人生観も変わりつつあるのではないか。古いタイプの人間がさまざまな分野で駆逐される結果になりつつある気がしますね。(34-35)

将棋の戦法も時代時代の研究によって変わっている。
その戦法も、言うならば「有限の組み合わせの順列組み合わせ」。

限りある選択肢の中でベストのものを選択していく。
この姿勢が「小説」はじめあらゆる職業世界でも行なわれている。

最後に考えるということについて。
深く「考える」ことと情報検索で視野が「広がる」ことの違いの指摘。

ちょっと参考になった。

茂木 僕も、文章を書いている時、何か気になる単語があったりするとグーグルやWikipediaで調べてしまいます。それを読んでいる時、たしかに思考は広がるけど、広がることと考えることは違いますもんね。(149)

 

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