子守り学級に学んだ子どもの明治44年(1911)・卒業式答辞(旧開智小学校(長野県・松本市)に置かれていた資料)。

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私共は不幸にして学校へもあがらず子守にまいりましたが先生やご主人のおかげ様で文字や子供のしつけ方などおしへていただき今日めんじょうをいただくことになりましてまことにうれしく思ひます。こののちは一そうべんきょうして御恩にむくひたいと思います。

明治四十四年三月二十五日

子守生徒総代

(原文は旧かなづかいが使用されている)

コメント

 当時、生活の都合上、子守りをしつつ学んだ一群の生徒たちがいた。写真を見ると、一つの教室に座机を並べ、赤ん坊を背負った子どもたちが座っていた。そんな状況で授業を行う(読み書きなどについてを)。教育のもつ、輝きを見るようだ。

 不覚にも、泣きそうになった。自分はイリイチ流の脱学校論者であるはずなのに。

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