24時間テレビと障害者論

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 『五体不満足』、ずいぶん売れましたね。あれが逆に障害者に対するステレオタイプを強調した気がします。今年も、どうせ8月には24時間テレビなるものが放映されます。そこでは「頑張っている」障害者がたくさん出てきて、おそらく障害者とは仕事以外では決して関わらないであろう「アイドル」たちが、障害者と一緒に何かに「挑戦する」さまを見ることができるはずです。
 障害者って、「頑張」らないと、認めてはもらえないようです。「障害を持っているけど頑張っている、じゃあ僕らも!」というノリには「障害者=頑張るもの」という認識がへばりついています。
 僕はいつも、頑張って生きていません。きっと、どの人もそうでしょう。「頑張って」生きている姿を要求すると言うことは、要するに自分とおなじ人間として扱っていないということです。僕の周りで「頑張っている」人なんて、そんなにいないですよ。ただ障害者だけが「頑張る」ことを要求されるのです。そして障害者に理解があると思っている人に限って、「障害者の子の頑張っている姿から元気をもらいました」と平気で発しています。
障害者にはいろんな人がいます。ウソをつく人、人の悪口をいう人、犯罪を犯す人などなど。悪人もいれば嫌な人もたくさんいます。決して「頑張る」人だけではありません。それは健常者にとっても同じでしょう。健常者にも善人・悪人がいるように、障害者にもいろんな人がいます。その現実を忘れて、「障害者ってこんな人」と思ってしまうことは、コミュニケーション以前に偏見で障害者と接していることになります。

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コメント

  1. ひろこ より:

    たしかに。
    がんばらないと認められないって、きついです。。。
    私も以前から24時間テレビには違和感を感じています。ていうか真夏になぜ寝ないで走る必要があるんでしょうね。

  2. ひろこ より:

    たしかに。
    がんばらないと認められないって、きついです。。。
    私も以前から24時間テレビには違和感を感じています。ていうか真夏になぜ寝ないで走る必要があるんでしょうね。

  3. おっしゃるとおりです。

    ニートやひきこもりに生きる権利はない、というような感覚を受けてしまいます。

    何にもしない価値を認めるべきですね。

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